2020年4月5日日曜日

【非常時の対応】証言 細野豪志 講談社、国会事故調査報告書

福島原発時の対応を振り返る為に、表記の2つを読みました。


細野氏の本は、当時 首相補佐官で、東電との統合対策本部を作った時の事務局長として最前線にいた細野氏が鳥越俊太郎氏とのインタビューという形で事故1年後に当時を語った物。


当然、身贔屓な視点になっていると思いますが、この前に読んだ菅直人氏の回想本と照合しながら読むと、成程 当時の官邸の判断基準などが浮き彫りになってきているように思えました。


その中で、2つの事に成程と思いました。


一つは、菅首相が発災翌日に現地視察に飛んだことに関連して、

細野「視察について話を戻すと、私は、あの行動は、菅総理の個性が強く出たものだと思っています。視察をした後の菅総理の当事者意識って、すさまじいものがあったんです。自分が総理のときに起こった事故だ、自分で何とかしなければならないと。深刻な影響が東日本に広がるような事態は絶対に阻止すると、必死でしたから。

 もうちょと丁寧に決めたほうがいいのにとか、別の言い方があるのにという局面は、それはもちろんあったんです。あったんですが、一つ一つの、節目節目の判断に関しては、総理は間違っていなかったと私は思っているんです。

 その背景には、あの現場に行ったことで、総理のなかに強烈な当事者意識が芽生えたことが大きかったはずです。」

との事。

シビアアクシデントの時は、総理は判断・決断が必要になりますが、どれだけ当事者意識を持っているかでその判断の速さや質は変わると思います。

現在の新型コロナでのトランプ氏の発言と、NYクオモ氏の発言の違いなどは、その差が如実に出ている気がします。

日本の安倍首相は、コロナの現場や、中小商店主、弱者の状況などをどれだけ当事者意識を持てているのでしょうか?


二つ目は、情報の伝え方について

鳥越「その話(メルトダウン)は、政府の情報公開にかかわる重要なポイントだと思います。」

細野「「メルトダウンはしていない」とは私は、一回も言っていないはずです。どういうふうに言っていたかというと、「メルトダウンという言葉の定義が不明確だ」ということ。それから「核燃料棒が溶けているこてゃ間違いないけれど、溶融をしている程度はわからない」と言い続けてたんです。だから、「燃料溶融」とか「燃料損傷」とかいろんな言い方をしましたけれど、いずれにしても燃料が溶けていることは認めていた。kれども、どれぐらい溶けているかは分からない」というのが適切な表現でした。メルトダウンの可能性があると、全体像としてはいったん認めた上で、程度は正確にはわからないと細部についての見解を言えば、おそらく受け入れられたでしょう。よりシビアな予測ができなかったという意味では、メルトダウンに関する政府の発言は不正確だったと思ってます。

中略

鳥越「定義論争をしてもしょうがないんですけどね。本当はね。メルトダウンという言葉に踊らされるだけですから。」

細野「そうですね。ですから結局、考えるべきだったのは、「伝えるべき情報とは何か」ということだったんです。

 事故後、私たち政府は、わかったことがイコール正確な事実だと捉えていた。そして、その正確な事実を伝えようとしていた。われわれは、どちらかと言えばミクロの、一つずつの情報の正確さについて必死に吟味していたんですが、ここに失敗の本質がありました。国民は、ある程度漠然としていても、およそこういう事態が起きているのではないかという全体像の正確さを求めていたんですね。

 ですから、メルトダウンについては、言葉の定義も多義的だからわかりませんというのではなく、そういう可能性はあると認め、その上で、溶融の程度はこのぐらいだと予想されるという表現をすれば、受け止められ方はまったく違ったはずです。」


これは、政府発表だけでなく、私たちの日常でも気を付けなければならない事の様に思いました。

現在のコロナ関係での、政府発言は あいまい、漠然 の連発なので、菅政権の時とは真逆ですが。。。



国会事故調査報告書

これを読むと、歴代の東電経営陣の出鱈目さと、東電と政治・政府の癒着構造が良く分かりました。
又、東電・政府含めたコミュニケーションの齟齬も。

ただ、とても評論家的な書き方で、法律とは動き方が違う点等が挙げられていたり、問題点を列挙して提言風に書いている様にも感じました。非常時対応として良かった面、悪かった面という観点がありません。


事実検証と問題点の修正提案というスタンスでのみ書かれたのでしょう。

まとめられた黒川氏は 腹の据わっている人だと思っていましたが、その人がこういうまとめ方で出されたというのは、かなり恣意的な圧力がかかっていたのではと邪推したくなりました。


事実関係は、菅氏、細野氏の本と変わりありませんのでした。