2019年8月24日土曜日

【本】現代ドイツの社会・文化を知るための48章 田村光彰、村上和光、岩淵正明  明石書店

この本は2003年4月発刊の本です。少し前の本ではありますが、ドイツが戦争加害に対してどう取り組んできたのかを知る一つの参考になると思い読んでみました。

ポイントになると思う幾つかの章を抜粋しますが、これを書かれた後の16年間でどういう風になって行ったのかは、ネットで今の姿を調べてみるのが良さそうです。

19章 強制労働とドイツ企業

 1939年9月、ドイツはポーランドに侵略を開始した。ヒトラーはこの約2年前に、陸海空3軍の首脳を前にドイツの「生存権」構想を発表した。食料と土地の確保、そして領土の獲得には暴力の道しかない、と。さらに1941年6月対ソ戦争を開始する。目的は「第1に征服、第2に支配、第3に搾取」(ヒトラー)である。
男子が兵隊にとられたため、特に1942年以降は、労働力不足に陥る。これを補ったのが、①戦闘により捕まえた戦時捕虜、②占領した各国から連行してきた民間人、③強制収容所の収容者たち、である。この人たちが強制労働をさせられた現場は、私企業、ナチス親衛隊所有企業、自治体、教会、農家、一般家庭など、社会の全分野に渡っており、1944年夏の段階で780万人、終戦までで述べ1000万人が働かされた。

 強制労働の目的は、男労働力の補充、企業の軍需生産維持、工場等の地下への移転や地下新工場の建設、企業からみると経費の節約、若さと労働生産性の向上、戦後に備えての資本蓄積。
強制労働者たちは、こうした目的で酷使され、自分たちの味方である連合軍から空爆される危険にさらされながら、ネチスや収容所監視員の残虐な扱いに苦悩し、さらには恒常的な寒さと飢えに襲われていた。ダイムラーベンツやフォルクスワーゲンなどで働かされていた。
保険業界もナチスと絡み、こうして強制労働の現場は「秩序正しく清潔」に運営された。業界は、守るべきは人の生命と安全ではなく、強制労働とその先に待ち構えているガス室での殺戮体制、すなわり生死の境目の手前で行われる強制労働と向こう側へ抹殺する制度を「安全に保障」した。
企業だけでなく、一般家庭、自治体、教会、小規模農業でも強制労働者の労働力に依存した。多くの場合、賃金は支払われていない。

20章 強制労働の補償

 歴史の真相の解明に向けた努力がとりわけ1990年代以来世界的レベルで続いている。国連はルワンダ、ユーゴスラビアでの大量虐殺をめぐり、臨時の戦犯法廷を開き、真相の解明と加害者の処罰を目指している。南アの「真実和解委員会」には、アパルトヘイト政策のもとで行われた人権侵害や政治的弾圧の解明に、加害者と被害者双方が参加した。2000年8月国連人権促進保護小委員会は、「従軍慰安婦」問題で、日本政府が損害賠償などの法的責任を果たしていない。とする報告書を全会一致で歓迎する決議をした。ドイツは、戦後補償問題では日本よりも確かに進んだ側面を持っている。ただし、ドイツ統一前の西ドイツは、前章で取り上げた強制労働の問題では、補償の対象者を主として西側のみに限っていた。その原因は、第1に東西の冷戦構造である。西側陣営に属する西ドイツは、量的にも質的にも最も被害が深刻で、大きかった東側の被害者を放置した。

 第2は、強制労働の実態と歴史の真相の解明が進んでいなかった点が挙げられる。ドイツ企業は、強制労働者はナチスから強いられて雇用した、と主張していた。例えば、「政府により、不足する労働力を強制労働により補うよう強いられた」(シーメンス社)。外国人は確かに強制労働させられたが、企業もそれを強制させられた。従って強制労働者も企業も共に被害者なのだという。今日、こうした「企業も強制させられた」とする説を支持する証拠は全く存在しない。逆に、企業はナチス詣ですることで強制労働者の投入を積極的に要請していた真相が次々と明るみに出て来た。真相の解明を可能にした契機は以下の3点である。①ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されるにつれて、資料館の公開が進んだ。②市民、労組、強制労働の生存者達、学生運動経験者、教会、緑の党、社民党、民主社会主義党などの粘り強い運動は、子会社やその関連産業に資料の開示を約束させ、親会社はナチス時代の過去を隠せなくなってきた。又、この運動は、企業に自らの企業史を書かせた。企業は自分の「暗い過去」と向き合わざるを得なくなった。③アメリカで起こされたドイツ企業に対する集団訴訟。1997年、在米200人の元被害者は、アリアンツ社以下7保険会社を相手取りニューヨーク地裁に訴え、補償請求の声を挙げた。イメージダウンと市場喪失を恐れるドイツ企業は、「被害者」を装う事はできなくなった。

 自らの過去に目を向けざるを得なくなってきた企業から明るみに出て来た事実は多い。中でも、強制労働者の取り扱いは、各企業の自由裁量に任されていたことが分かってきた。労働者を飢餓と寒さのなかで、生死の境目で酷使し、ガス室に送った責任はナチスだけにあるのではなかった。少数の例外を除いて、多くの工場では企業が、食料、労働環境の改善に関心をまったく払わなかった。ナチスの人種理論は、特に東欧スラブ民族を最劣等民族と位置付ける。体制批判者への弾圧、殺戮、ユダヤ人へのポグロム(ホロコースト)が日常化しているなかで、企業幹部や工場責任者に、とりわけ東欧出身の強制労働者の人権に配慮する感覚が皆無だった。こうして放置されてきた東欧出身の強制労働者への補償問題が、真相の解明という世界史的な潮流のなかで浮上していきた。しかし、キリスト教民主同盟・社会同盟と自由民主党との連立からなる中道右派のコール政権は、補償問題に聴く耳をもたなかった。1998年に成立した社民党と90年連合・緑の党の左派新連立政権の努力で、東側の強制労働者を対象にした補償基金『記憶・責任・未来』が設立され、6300の企業と政府がそれぞれ50億マルクずつ拠出した。すでに補償給付が開始され、2002年7月段階で86万7千人が第1回目の補償金を得た。ポーランド人約38万人、ウクライナ人約19万人となっている。被害者の主張は、①未払い賃金の支払い、②被害実感と苦悩の認知、③謝罪と補償、である。

 基金の特徴は以下の点にある。①基金は苦しみの緩和のための、「ささやかな寄与」であり、謝罪や補償になっていない。虐待の法的責任も認めていない点で、極めて問題ンが多い。②ドイツの全企業約20万社が拠出を呼びかけられた。その理由は、強制労働がドイツの全社会を潤し、それにより戦後のドイツ社会が支えられている、という認識に基づくからである。③企業側の最大の恐れは、米国などでの市場喪失、企業の提携や買収が出来なくなることであった。そのため、基金は、幣国で提訴されていたドイツ企業を相手取った集団訴訟をすべて却下し、再提訴も不可能にする条項を含んでいた。こうして今後、新たな資料が出てきて、真相の解明がさらに進んだとしても、裁判の道は一切閉ざされた。④基金には、その後自主的に、自治体、日刊紙「TAZ」、作家ギュンター・グラスらが拠出し、参加者は当初の政府、企業を超えて広がっている。


21章 戦後賠償とギリシャでの残虐行為

 1997年10月、ギリシャの地方裁判所はドイツ政府に対し5400万マルクの補償金をギリシャの遺族に支払うよう命じた。ドイツ政府は、外国の裁判所から始めて補償金支払いを求める判決を受けた。

 ドイツ政府は、なぜ補償の支払いを要求されたのか。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツはギリシャを占領した。ドイツ軍により処刑されたり、強制収容所送りとなったギリシャ市民は約13万人、うち6万5000人はユダヤ人であった。例えばテッサロニキではユダヤ人社会は全滅し、欧州でも最重要のシナゴーグ(ユダヤ教会)の一つが破壊された。64の地域で市民に対する大量殺戮がなされ、5万6000人が射殺され、占領政策により数十万人が飢餓状態に陥り、壊された市町村数は1000にのぼった。社会インフラの半分が壊滅した。こうした行為には、ナチス親衛隊よりも、正規軍であるドイツ国防軍が積極的に関わった。1947年、パリの戦勝国会議で、ギリシャ政府は賠償額を70億ドル以上と算定している。

 大量殺戮と都市の破壊以外に、強制貸付の問題がある。ドイツ軍は、占領中、ギリシャの銀行に35億ドル貸し出すよう命じた。ドイツ占領軍は当時文章にて返却を約束したが、今日に至っても約束は果たされていない。1966年、ギリシャ政府は、これを「強制国債」問題として取り上げ、ドイツ政府は未決着であることを告げている。以来、ギリシャ政府は戦後史のなかで繰り返し賠償を請求しているが、ドイツ政府は応じていない。

 1953年3月当時の西ドイツ政府は、西側諸国で、第二次世界大戦中ドイツと交戦状態にあった国々と「ロンドン債務協定」を締結した。その核心は、ドイツの賠償支払いは、まず東西ドイツが統一され、その後に各国と平和条約を結ぶまで延期されるという内容であった。東西ドイツの統一とは、この時代は訪れることのない夢物語であった。夢物語を利用し、各国に賠償の<受取りの延期>を「、しかし実態は、<受取りの断念>をさせた。交渉委員はヘルマン・アブスであった。1950年代以降の「ドイツ経済の奇跡」は、この支払の先延ばしにも一因がある。

 ナチス時代、彼を頭取とするドレスデン銀行は、親衛隊へ資金を提供し、また収容所が大量殺戮の国際裁判で、米側検察官から「真の戦争犯罪者」の一人に名を挙げられている。アブスはこれを反省しないばかりか、西側被害国に賠償の受取りを断念させることに成功した。被害者たちは、ドイツ国家が被害国に賠償(国家賠償)をしないならば、せめて被害者個人にドイツ政府が補償(個人補償)をするよう運動を起こした。この結果、ギリシャには1960年3月総額で1億1500万マルクが支払われ、13万人が、一人当たりわずか900マルク弱の個人補償を受けた。ところが、1990年、アブスが口実とした夢物語は突如実現した。両ドイツが統一され、統一された両ドイツは、米英仏ソと平和条約を結んだ(両ドイツと4か国で締結されたので「2+4条約」という)。アブスの約束通り、賠償の支払いが始まるはずであった。しかし、コール政権はこれを拒否し続けた。

 そこでギリシャの遺族や被害者は、ドイツ政府に対し強制国債の払戻しやホロコースト(大量虐殺)への個人補償を求めて、ギリシャ全土で訴訟を開始した。これに対し、ドイツ政府は、ギリシャの裁判所には、国境を越えてドイツ政府の問題を裁く権限はないと主張してきた。しかし、冒頭で触れたようにレヴァディア地裁は、補償金の支払いを命じた。ドイツ政府は、これを不服としてギリシャ最高裁に上告をした。しかし、2000年5月、最高裁は地裁判決を支持、理由の一つは、行われた殺戮は、軍隊の戦闘中になされた兵士同士の殺戮ではなく、ドイツ軍による市民に対する大量殺戮であり、これは国境を越えて裁くことができる、とするものであった。ここにみられるのは、今後国際社会は、国の内外に関係なく、また戦時中であろうと戦前であろうと一般の市民に対する組織的、大規模な殺戮は<人道に対する罪>として、国境を越えて、許さないとする姿勢である。

 ドイツ政府が賠償支払いを拒否する姿勢は続いている。そこで遺族や被害者たち200人は、ギリシャに存在するドイツの外国資産を差し押さえ、その資産を競売にかけ、補償金や慰謝料を捻出しようとした。差押えの対象となった3施設のうち一つが、アテネのドイツ文化センター(ゲーテ・インスティテュート)である。差押えられていた施設の競売は2001年9月に予定されていた。しかし、アテネ上級裁判所は競売の数日前に「ギリシャ司法省の同意が必要」という判断を下した。司法省は、同意をしなかったために、競売は今のところなされていない。


24章 ドイツの平和教育

学習指導要領の姿勢
 日本と同様に特別な過去を歩んだドイツでは、歴史との対話が平和を考えるために欠かせない要素となっている。このため学校での歴史教育は平和教育の一環として位置づけられ、近現代史学習、とりわけ第3帝国時代(ナチス時代)の学習にはかなり集中的な取り組みがなされている。
 
 学習指導要領の面から見てみると、地方自治主義の徹底するドイツでは、学習指導要領も州ごとに編成されるが、それぞれ若干の違いがみられるにしろ、歴史に対する基本的な姿勢は共通する。例えばハンブルグ市の学習指導要領では、歴史を学ぶ目的として民主主義的思考の獲得を挙げている。その際以下の2点に重点が置かれている。第1に過去のドイツ人の価値基準や行動を分析することで、民主主義の成立条件を探ることである。とりわけ「戦争」を学ぶことの意味は、「残虐で非人道的な体制とともに歩んだ歴史的体験から、民主的な人権国家が不可欠であるとの認識を獲得し、この立場からドイツ連邦共和国における民主主義の維持発展に取組む」ためとされている。加害者としての立場を明確にしつつ、戦争の歴史から平和について学び取ろうという姿勢がうかがえる。第二に歴史学習の方法として、過去と現在との連続性に着目し、歴史を追体験できるような授業の進め方を求めている。このため歴史への大局的なアプローチに限らず、日常史の採用が奨励されている。また強制収容所跡といった歴史の現場を訪ね、現実と出会う体験も重視されている。

教育現場からーハンブルグの事例ー
 ドイツの学校教育現場の歴史教育は、日本のように「日本史」と「世界史」にわけて何度も繰り返す形の学習ではなく、ドイツ史のみ、あるいは広く見てもヨーロッパ史にとどめた内容の通史を最低学年から最高学年までかけて1度だけ学ぶ。そのぶん一つひとつの事項に対する取り組みは豊富で密度の濃いものとなる。第3帝国時代にさしかかるのは、日本の中学3年生にあたる9年生の学年末頃であるが、実際には10年生の初めに持ち越してじっくりと時間と労力をかけて取り組むケースが多い。

 ハンブルグ市のあるギムナジウムで実際に行われた歴史授業を紹介すると、筆者が見た10年生のクラスはすでに4年間にわたり同一教師が担任するため、前学年から少しずつ段階を踏んで第3帝国学習のための下準備が行われてきた。歴史学習の枠外でも、例えば国語の授業で戦争を題材として教材を取り上げ、戦争について話し合った。また合宿などで、戦争に限らずあらゆる形態の暴力について話し合う機会を設け、戦争の根本である「暴力」の概念の理解に努めてきた。さらにそこまでで得た知識をもとに、生徒各自が戦争に関するテーマで小論文を仕上げた。以上の準備段階をへて、実際の歴史授業で第3帝国が取り上げられた。授業は講義形式ではなく、あらかじめ与えられたテーマについて下準備してきた生徒が議論する形で進められた。授業での教師の役割は、生徒から出された意見に関連を与え、議論にある程度の筋道をつけることに終始していた。特徴的だったのは、教師から生徒に対して出される質問のほとんどが、「なぜ」「どのように」を問うものであったことだ。生徒は、知識の蓄積だけでなく、自分で分析し、自分のことばで説明できるようにならなくてはならなかった。指導要領にある第2の重点項目である過去と現在の連続性に関しては、当時の状況に自分をおいて考えることが要求された。このことによって、生徒はプロパガンダに踊らされずに真実を見つめることの難しさと、自分のなかにも「長いものに巻かれる」要素があることを認識させられるのである。また、このギムナジウムではハンブルグ郊外にあるノイエンガンメ強制収容所跡のほか、ハンブルグ歴史博物館を見学し、加害、被害、抵抗運動など、あらゆる角度から展示に関するレポートをまとめるといった試みも行っている。

 このような様々な取り組みを通じて、歴史の学習という枠を超えた平和教育としての歴史教育は、学校現場でかなりの密度とレベルの高さをもって達成されている。しかし、紹介例は生徒の大半が大学入学資格を取得する高等教育学校の一例にすぎない。密度の濃い平和教育はすべての学校にで行われるわけではなく、高学歴層と低学歴層の間には明らかな歴史観のギャップがあり、学歴が低い層ほどホロコーストを相対化したり、ナチズムを肯定しようとしたりする傾向が指摘されている。今後の平和教育の課題は、このギャップをいかにして埋めていくかという点にかかっている。

以上 抜粋ですが、戦後のドイツの状況がよく分かりました。
その後、これらがどう転換していっているのかは、別な本で確認していきたいと思います。

2020年にならんとしている今の日本と韓国でも、似たような話がまだ続いている事に驚くとともに、歴史的な事実としっかり向き合うという姿勢(教育含む)は大事ということを改めて思いました。

2019年8月22日木曜日

【本】海外で研究者になる  増田直紀 中公新書

日本の若手研究者は、期間雇用の職ばかりで例えば5年ごとに色々な大学や研究所を渡り歩いて職を探さないといけない。

という話を沢山聞きます。

又、日本の大学で博士課程に進むのは留学生の方が多くなっていて、日本人は研究者離れが進んでいるという話も。


そんな流れの中で、日本を飛び出して海外で研究者としての職を得ている方々もいます。

この本の著者はその一人、東大准教授(終身雇用権有)の地位を捨てて、英国の大学に移た研究者で。今週は更にニューヨーク大学に移った方。


海外で研究者PI(Principal Investigator.自分のしたい研究を行う権限を持ち、一方で論文精算や研究費獲得などに責任を持つ 研究室のボス職。日本で言うと 大学の教授や准教授、研究機関の主任研究者など)になるには、どういう事をしたのか。又、現在 各国で活躍している17人の日本人研究者へのインタビューも含めて、海外への転出はどういう状況なのかを最新情報で説明してくれます。

2019年6月末に発売になったホヤホヤの本です。


海外で職を得るためのノウハウやポイントという話も多いのですが、各国の学生がどういう動きをしているのか、各国の学術研究に対する考え方や取り組み方がどう違うのかが詳しく、実感を持って語られています。



印象としては、アメリカ系(日本も)の大学は、競争的外部資金をどれだけ獲得できるか、重要な論文をどれだけ出せるか。というのを評価軸にしている様子。

一方、中国などは、科学技術振興の為にお金やチャンスはフンダンに与えられる様子。
スイスなどは、少し落ち着いた感じで研究できる環境の様子。

研究者と言っても、大学の職員の場合は教育者という顔も勿論持つ必要があるので、2つの顔についてのバランス配分なども国や大学によってかなり違うみたい。


17人の方は、状況は様々なようですが、総じて海外に飛び出した事でかなり視野や自由度を広げられたらしい。

彼らからのメッセージは、学生のうちからでも海外での研究経験や人脈を作っておくのが兎に角 良いとの事。
数年計画で行動をおこせば、成功できる可能性が上がる。中国の学生は既に始めているらしい。


現在の大学生におすすめの一冊です。得る所が多いと思います。

2019年8月16日金曜日

【映画】主戦場

吉祥寺で上記の映画を見てきました。

慰安婦問題に対して、日系アメリカ人が作ったドキュメンタリー映画。


日米韓の右翼、左翼の両キーマンにインタビューしていった映像が対比されて出てきます。アメリカ大学院生として英語でインタビューをしたとの事。

どんな要素と思惑と嘘が錯綜しているのかという事がかなり網羅されていて面白かった。

硬い内容だけど、一見の価値ありました。


街の若者のインタビューシーンも入っていますが、日本の若者が文言や近代歴史に関して知識が本当に乏しいという事に危機感を感じました。


この映画が通常の映画館で上映されないのも、政治的な圧力があるのでしょうね。

2019年8月15日木曜日

【本】天ぷらにソースをかける日本人 斉藤隆 家の光協会

副題が”誰も知らない食卓の真実”。

NTTデータが、10年間以上も首都圏360世帯365日の食材データを収集した「食MAP」からの分析です。


私が大阪に就職して初めて行った時、寮の夕食に天ぷらが出た日があり、先輩寮生がソースをかけて食べているのを見て、衝撃を受けました。

関東育ちの私の人生で、天ぷら+ソースという組み合わせは想像外の出来事だったのです。 

恐る恐るまねして、ウスターソースをつけて食べてみると、それはそれでナルホドという印象でした。

ソースはそれまでブルドックの中濃ソース 一本で人生を暮らしてきましたので、大阪にてウスターソースとの出会いやおたふくソース、いかりソースという物の存在を知るなど、違う世界がそこには広がっていると感じたものでした。

(当時は、関東では”おたふくソース”というブランドは売っていなかったし、お好み焼き・たこ焼きも縁日フードというぐらいの印象しかありませんでした。この30年程の間の様変わりには驚きます)


それ以外にも、カレーにウスターソースをかけてから食べるという人もいる事にも驚いた事を覚えています。今では、私も外食カレーにソースをかけて食べる時もあります。


という事で、この本の表題に引き寄せられる様にして読んでみました。


どういう料理がどういうシーズンで家庭で食べられているかとか、人気メニューは何かなど面白い事が沢山でている本です。

主題である天ぷらにソースをかける出身地域は、中国地方生まれの夫婦では15~18%ぐらいがソースをかけています。四国地方も6~8%。北海道、感動、北陸、甲信越、東海地方は1%未満。東北、近畿、九州地方は1%ぐらい。との事。


寮の先輩は、中国地方文化の人だったのかもしれませんね。

これが分かったから、どうだ という話では無いのですが、何となく心の中で一区切りついた気がします。

2019年8月7日水曜日

【不耕起栽培の家庭菜園】不耕起での土作り 1年たって

昨春、突然 家庭菜園をしてみようと思い、庭の一部に土をいれてもらいました。

黒土なのだけれど、入れて3か月たっても変なキノコが少し生えるだけで雑草一本も生えない変な土。 雨が降ってガンガンに硬くなって、ショベルで手掘りが出来ないぐらいに硬い。虫もミミズも一匹もいません。


これを畑にするにはどうするか。普通だと とにかく耕して、肥料等をすき込んで、、という事になるのですが、たまたまその時期に読んだ不耕起栽培の本に惚れて、不耕起で土作りをしようと考えました。


3年ぐらいはかかるのだろうという前提を置いて、焦らずにやる事に。

結果、昨年に植えたトマトもナスも全然上手く育ちませんでしたが、今年は土がフカフカになって、トマトもナスもキュウリも非常に良く育っています。


1年でこんなに変わるものなんだという事を実感している毎日です。


この1年でやったことは、

エンバク(野生種)のタネを撒き、ビッシリ育てた事。
穂が付き始めたら、地際で刈って、刈った麦はそのまま地表面に置いておきました。
(地面に漉き込んだりはしていません)

又、クローバー(赤やクリムソン)のタネも撒いて、生える所はボーボーに茂らせて(エンバクの間は、エンバクに光が遮られて育たない)、大きくなったらこれも地上5cmぐらいの所で刈って、地表面に撒きました。

庭の選定枝の葉っぱや、雑草などもしっかり乾かしてから、畑の土の上にどんどん置いていきます。


地面の上の有機物は、半年ぐらいするとかなり腐食して消えていきます。
一方、小さな虫はだんだん現れてきました。

地面の下の根っこは、そのまま放置です。


エンバクの成長は3~4か月ぐらいなので、育てて、刈って、地面に敷いて1ヶ月待つ。
というサイクルを2回行いました。

すると、今年の土はエッと驚くほどサクサク(フカフカと言っても良い)になりました。地面を少し掘るとミミズもいます。

雑草も沢山 生えてきました。


昨年も上記をしながらその一部にトマトやナスの苗を植えたりしましたが、元気に育たず。虫の被害もひどかったです。


それが、今年はトマトもナスもキュウリも本当に良く成長します、肥料は本に書いてあるものの半分以下です。

雑草が増えて、虫やナメクジも沢山出ているのですが、それらに対しても抵抗力があるというか、全く負けません。(勿論 無農薬です)


こんなに、1年で変わるの?というのが実感です。 1年は辛抱ですが、自然の力を信じていたら土は変わるのだという事が良くわかりました。


不耕起栽培での土作りは3年が目安と思っているので、今年もできるだけ沢山の有機物を畑の表面に置くようにしていきたいと思います。作物の収穫が終わったら部分には、エンバクを又 生やしていこうと思います。雑草も地表5㎝で刈って、生きたマルチとしての活用を進めていきます。


来年はもっと良い土になっていくのではと楽しみです。


最終的な狙いは、無農薬、無肥料、本来の野菜の旨味を引き出す状態に持っていく事です。多品種、適量、多毛作にもしたいと思います。

不耕起は作業が少ないので、手間もお金もかけずに上記が出来る理想的なメソッドですね。

2019年8月6日火曜日

【本】韓国の中学校歴史教科書 三橋広夫 明石書店

この本は「国定韓国中学校国史教科書」の翻訳本とのことで、2005年に発刊されています。

日韓問題を理解する一つの材料として、どういう教育がなされているのかを垣間見えるかと思い見てみました。


ザっと目を通したのですが、先史の石器時代から2003年までが載っています。
殆どが政治がらみの話で、文化面などがあまり出ていない事と年表が少ない事にアレっと思いました。文化面は副読本があるのかもしれません。

日本の日本史の授業はXX年に○○の乱で誰それが、、というのがメインだった気がします(それはテストにしか関心がなかった私だけの印象?)。

それに比べて年号の記述は少ないなと思いました。一方で、誰がどういう考えで何をしたのか、それは政治外交的にはどいう意味を持っていたのかという事はかなり細かく書かれています。ですから、暗記教科というよりも、歴史の流れ理解教科なんだと思いました。


大陸の一部である朝鮮半島は、絶えず隣国との勢力争いで翻弄される歴史を持っていて、主権を誰がどう持ったのか、誰がどう横やりをいれて動いていったのかという事がずっと書かれています。 島国の日本に比べて、絶えずシビアな状況で暮らしてきたという事が分かります。


340ページぐらいの厚い教科書なのですが、日本でペリーが開国を迫った頃、朝鮮に対しても欧米が開国を迫っています。その明治維新ぐらいの事項のかかれているページが188ページ目。そこからの近・現代史で、教科書の半分弱を使っています。
日本の敗戦、大韓民国成立(1948年)は296ページ目になります。



朝鮮半島の中で分裂や統一という歴史がずっと続いてきますが、日本の朝鮮併合時代は、年表上「日帝強占期」という表現で翻訳されいます。


当たり前ですが、抗日の志士とその活動について詳しくかかれています。


民族の受難という章では、

・皇帝を強制退位させた日帝は、親日派を使い、日本に併合して欲しいという請願書を発表させた。これにより合邦条約を締結した。

・国権を強奪した日帝は憲兵警察統治をし、あらゆる政治活動を禁止。彼らの植民地支配におとなしく従う韓国人をつくる教育政策を推し進めた。

・3.1運動がおこると、韓民族の文化と慣習を尊重し、韓国人の利益を大事にするという、いわゆる文化統治を掲げた。しかし、このような日帝の新しい政策は親日派を養ってわが民族を仲たがいさせ、分裂させようとする狡猾な政策であり、韓民族の団結を抑え独立運動をくい止めようとする方針に変わりがなかった。

・土地の収奪を積極的に推し進めた。土地調査事業という事で、地主の所有権は認められたが、耕作権や開墾権など農民がもっていた各種権利は徹底して否定され大多数の農民の急速な没落をもたらした。

・産業の侵奪
日本の金融機関が入り、韓国人が会社を設立する時に必ず朝鮮総督の許可を受ける様に規定した。朝鮮人参、塩、タバコなどは専売制度を実施して朝鮮総督府の収入とした。莫大な森林も朝鮮総督府と日本人の所有となり、森林資源が略奪された。金、銀、タングステン、石炭などの鉱山と韓国沿岸の主要漁場も、日本人がほとんど独占的に支配した。こうして、日帝は韓国の産業に対する侵奪を積極的におし進め、韓国を大陸侵略の足掛かりとするため、鉄道を道路、港湾と通信などの施設を整えた。

・食料収奪  略

・民族抹殺政策
太平洋戦争に戦時動員体制を発動して、わが民族を戦場に動員した。日鮮同祖論を主張し、韓国語の使用を禁じ、名前までも日本式に変えるように強要。

・物的・人的資源の収奪
日帝の侵略戦争(太平洋戦争)によってわが国は戦争物資を補給する兵站基地に変わった。日帝は物資を生産するため韓半島に金属、機械、化学系統の軍需工場を建設し、鉄、石炭、タングステンなど地下資源の増産を促した。また、供出という名で食料ばかりか各種の物質を強制的に略奪した。戦争の終盤にはくず鉄、真鍮の器、さじとはし、くぎなど武器を作る材料は何であれ奪い、飛行機の燃料として使用するため松の皮をはがして松脂をとらせるまでした。
物的な略奪だけをほしいままにしたのではなかった。日帝は韓国人を強制徴用によって連行し、鉱山や工場で辛い労働を強要し、志願兵制度と学徒兵制、徴兵制を実施して多くの青年たちを戦場に追いやった。
日帝は女性たちも勤労報国隊、女子勤労挺身隊などの名で連行し、労働力を搾取した。さらに多くの数の女性を強制的に動員して、日本軍が駐屯しているアジアの各地域に送って軍隊慰安婦として非人間的な生活をさせた。
(軍隊慰安婦とは韓国、中国、フィリピンなど、日本の植民地や占領地で日本軍によって強制的に戦場につれていかれ、性奴隷の生活を強要された女性たちをさす言葉である。1930年代はじめから行われたこのような蛮行は、1945年に日帝が敗北するまで続いた)


朝鮮戦争後の韓日協定の所は、

朴政府は祖国の近代化を掲げ、工業化を第一の課題とする成長中心の経済政策を積極的に推し進めていった。また、民主友邦との結びつきを強化する一方、中立国と外交関係を樹立するため努力するなど、積極的な外交活動を展開した。そうして長い間宿題となっていた日本との関係を改善して韓日協定を締結し、ベトナムに国軍を派兵した。(賠償金の話はどは一切でていない。)


という感じで記載されています。


どの国も、自国から見た歴史、政権にとって都合の良い書き方をすると思うので、こういう記述になっている事自体は理解できます。
但し、この教科書で勉強した韓国の学生は、日本は極悪かつ、お詫びも補償も何もしていないと思っても無理はないです。


日本人からすると、日本国内で日本人に対しても同様な事が行われていたのでは、、という感想も持ちますが、他民族から強要されたというのは感じ方が全く事なるでしょう。そういう視点を持つことは必要ですね。


とにかく、韓国の歴史教科書は近代・現代史に比重を置いた書き方になっている事が最も大きな印象です。
今だ朝鮮戦争が休戦という形で継続している朝鮮の人にとっては、近代・現代は「歴史」ではないのでしょう。

【本】再考! 縄文と弥生 国立歴史民俗博物館・藤尾慎一郎 吉川弘文館

この本は2019年3月発刊のもので、最近できる様になってきた厳密な年代測定(C14)で分かってきた知見をもとに、縄文と弥生を見直すという内容です。


昔もC14を使った年代測定がされてきたのですが、分析試料が1g程度必要でしたのが最近は1㎎という少量で出来る様になり、試料のコンタミ(他の付着物)を排除できる様になってきたとの事。

それを元に、縄文物を調べると、今まで思われていたものよりもずっと以前の年代のものだった事などが分かって来た。


細かい学術的な記述が多いのですが、私がほーと思った事を書いてみます。

・今までは縄文は気温上昇と、それに伴う植物相の変化により縄文人が栄え始めたというのが定説でした。でも、最古の縄文土器はもっと以前の最終氷期時期にあたる事が分かってきた。

・弥生は稲作文化で、BC500年ぐらいからというのが我々が子供の時に習った歴史ですが、実はBC1000年~500年の間でも西日本では稲作が行われていた。

・朝鮮半島と北九州等との交流(貿易や人の行き来)は縄文の相当昔からあった。

・琉球諸島の古代人は、BC4000年ぐらいは島の高台(森)に暮らしていてタンパク質は貝や猪を取っていたが、BC5000年ぐらいからは貝と魚類中心の生活になった。AC1000年ぐらいのグスク文化時代では豚や鶏などが増えた。
これは、温暖化に伴って琉球諸島の周りに珊瑚礁が出来てきて、魚などが豊富になり、取り易くなり、浜辺に住居を移したからだと推測される。


学術上の分類や、資料の各種比較、朝鮮半島や他の世界との関連分析なども詳しく書かれていますが、私が感じたのは学校で習ったXX時代という区分がはっきりある訳ではなく、日本各地の自然も人も文化も徐々に色々と変化していったんだという当たり前の事。

変化の流れの中のある断面で議論されているけれど、宇宙、太陽系、地球の絶え間ない変化の中で必然的に起こった支流なんだという印象を得ました。

2019年8月5日月曜日

【本】美と楽の縄文人 小山修三 扶養社

久しぶりに国立東京科学博物館に行ってみました。

そこに、石器時代人、縄文人、弥生人の頭蓋骨と、そこからの復元顔モデルが展示されていました。

石器時代人の顔はまるでアテネの時代の目鼻立ちくっきりギリシャ人の様な印象。
弥生人は、中国人の印象の顔。
縄文人は、彫の深いハーフ美男美女顔。

縄文人や弥生人、江戸人などの等身大で着物も着た人形も展示されています。
縄文人は本当に簡素な服を着て、竪穴式住居に住んで、いかにも未開です。という感じ。


一方、火炎土器などを見ると、縄文人はデザインセンスに溢れている躍動感や、文化的余裕を感じます。 それと簡素服の展示がどうもシックリきません。

縄文人は実はもっと豊かで高度な暮らしをしていたではないのか? という疑問の下、この本を読んでみました。1999年発刊の本です。

ちょうど青森県の三内丸山遺跡の発掘で、縄文人に関する今までの認識が改まろうとしている時に書かれた本です。

面白いなと思った点を書き出します。


・縄文人の主食はドングリだった。ドングリを粉にして水にさらしてタンニンを抜き、それをパンの様にして食べていた。パンには山菜等の具を入れたオシャレなパンも作られていた事が分かっている。
ドングリは稲作よりも、うんと楽に収穫できるし貯蔵も効くので、労働はかなり少なくても暮らしていける。1週間山に出て働けば1年分の主食を蓄える事ができたはず。
あとはオカズの狩猟や採取をすれば良い。
だから、稲作の弥生人よりもゆとりがあった。

縄文土器は、鍋として使われた。「煮る」という事に使ったので鍋料理をしていた。
「煮る」料理法は、地球上で縄文人が初めて行った調理法。
酒を造るワイナリーも縄文人は持っていたらしい。


・建物も、博物館に展示したあるような竪穴式住居ではなく、中に中二階を作ってそこをベッドルームにするような設計建築をしていた可能性がある。
三内丸山遺跡では、明らかに35㎝単位での設計建築がされていて、高さも非常に高い建物や、大きな長屋の建物なども作られていた事が分かっている。
人口も三内丸山遺跡では数百人以上も住んでいる町だった。


・ファッションも、糸や皮の扱いが上手い縄文人なので、かなりファッショナブルな衣服を作っていたと思われる。Vネックやボートネックの服、ズボンなど。色もカラフル(赤や黒など)。装飾品も色々発掘されており、男も着飾っていた様子。


・ヒスイ球を使って貨幣として使っていた可能性あり。
出土品を見ると、遠方の地の物も沢山でてきており、貿易や交易がかなり盛んにおこなわれていた事が推測できる。
海外とのやり取りもしていただろう。航海術も出来ていたという事ですね。


・縄文人は多くが東日本~北海道に住んでいた。気温も現在から数度高く。温暖湿潤。
落葉広葉樹が多いので、ドングリなど沢山とれる。


・北九州の縄文人は、渡来人をベンチャー的に呼び込んだ可能性あり。
それにより、弥生初期、西日本の人口が30倍に膨れ上がった。



以上ですが、未開人と言うよりも、想像以上に優雅で科学的、文化的な生活をしていたのかもという気がしました。但し平均寿命は30才ちょっと位の短命です。

数度 温暖化している時代だと、西日本は豪雨や暑さで住みにくかったのもあったの
か、鬼界カルデラの噴火で壊滅的な打撃を受けたのかもしれませんね。


同時代に、中国では古代帝国の作りや戦争が始まったりしていますから、日本列島でも同じような民度で人々が暮らしていても当然ではあります。


ちなみに、DNA鑑定で縄文人と同じDNAを持っているというチベットの人の写真を見てみると、やっぱりハーフ的な顔立ちの人が多そうですし、色々な装飾品も付けていそうですね。



【政治】ホワイトリストから始まった日韓問題での素朴な疑問

ニュースを見ていると両国ともヒステリックな様相を示してきている様に感じます。

一般市民は報道された情報にしか接せる事ができないので、本当の事は何が起こっているのか分かりません。

でも、日韓のマスコミが触れない様にしているのでは、と思える素朴な疑問がいくつか湧いてきますので、書いてみます。


1.今回の日本が理由としている輸出管理上の見つかった問題について、具体的な説明が日本政府からされないのは何故か? 韓国側も、徴用工問題にすり替えてこの問題について一切話そうとしないのは何故か?

輸出管理の実務者間説明会は開かれましたが、その内容やその後の展開の報道が両国とも無いのは何故なのか?
米国が積極的うごこうとしないのにも理由があるのでは?


2.徴用工の問題において、日本政府は法律論争では負ける可能性が高いのに国際司法裁判所(ICJ)に持ち込もうとしているのは何故か?(負ける可能性が高いという内容は、「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明 」を読む限り)
韓国側も、法的にはICJに行けば勝てると思っていそうなのに、行こうとしないのは何故か?


3.レーダー照射問題に関する報道や政府による蒸し返しが、この時期にこれほど少ないのは何故か?


4.ロシアと中国の合同竹島上空飛行があったのは何故か? 北が短距離発射をいくつもするのは何故か?




ちなみに、勝手なシロウトの穿った見方をしてみると


1と3は連動しているのかも。韓国と北朝鮮の間で公にできない関係があり、かつ米国がそれを今は隠したい何かがある?


2は、主観的な「真の謝罪がされていない」という言い方でいつまでも問題化しようとする韓国に対して、第3者の判断を入れて決着をつけようと安倍首相は考えているのかも。たとえ裁判で負けても、その賠償等を行えばそれ以上は韓国がむし返せない状況を国際的に作れるという事か。韓国としては、今後 政治的に使えなくなるのは困ると考えている??


4は、日本との関係が悪化した韓国に対して、北朝鮮にはロシアと中国というバックがしっかりついているぞというのを見せつけ、周りは敵だらけという孤立化を感じさせる事を狙っているのかも。となると、次は何らかの融和作戦を北は韓国に出してくるのか。


いつか、今回の騒動の真相が歴史として分かる日がくるのでしょうか?

2019年8月3日土曜日

【本】仏教・神道・儒教 集中講座 井沢元彦 徳間書店

日韓問題に関係する儒教の教えとはどういう物なのか知りたくて、この本を読んでみました。すると、仏教も神道についても、全然 分かっていなかった事を知り、愕然。この年になってそうだったのか、、と。


私にとってポイントと思えた点を書き出してみます。


『仏教』
・仏教は一神教ではなく自由な考え方をする。その為に同じ宗教でありながら、その中に正反対の考え方をそのまま包含してしまっている。これは仏教の大きな特徴。

・お釈迦様は生きり事は苦しみ(生、老、病、死)から逃れられないと考えた。
 四苦八苦は上記4つの苦しみに、愛別離苦、怨憎会苦、五蘊盛苦、求不得苦の4つが加わって八苦となった。

人間が苦しむのは執着するからだと気が付いた。執着が苦しみを生むのは、この世のことはすべて無常だから(諸行無常)。あらゆるものは必ず滅びていくが、それをまるで永遠に存在するかのように錯覚して守ろうとしたり続けようとしたり執着するから苦しみが生まれる。だから、全ては無常である事を認識する事が大切でそれを「悟り」と呼んだ。

無常を悟り煩悩の炎を消した状態を涅槃という。(これが転じて死んで煩悩に執着しなくなる事も涅槃という様になった)

もう一つの考え方が「輪廻転生」。生命は永遠。もとは古代インド哲学。六道という形に整理されて天道(天上界)、人道(人間界)、修羅道、畜生道、餓鬼道、地極道という順に存在する6つの世界で転生する。天上界に行ったとしても生きている事になるので苦しみから逃れる事は出来ない。その輪から抜け出すのが「解脱」。

悟りを開き人間を超えた優れた者になれば、輪廻の輪から解脱できると考えた。悟りを開いた人間を「如来」あるいは「仏陀」と呼ぶ。

・お釈迦様の仏教は基本的に個人の救済を目的にしたもので、個人が悟りを開かなければどうにもなりません。ですから、どうしても出家して修行をする主義となります。

それに対して、沢山の人間を悟りの方向に連れて行く事ができる大きな乗り物の様な仏教を目指すという「大乗仏教」という考えが後に出て来た。これは出家しなくても良いというもの。 そして、今までの仏教を侮蔑的に「小乗仏教」と呼んだ。
(これは、キリスト教徒がイエスを信奉するあまり、同じ聖書でもイエスの言葉が乗っているのを「新約」と言いて、それ以前の神の言葉が載っている聖書を「旧約」と言ってバカにするのと同じ発想)

・それまではお釈迦様は尊敬すべき先輩という事でしたが、大乗仏教では「お釈迦様を拝め」となった。それは、お釈迦様の超人的な力にすがって助けてもらおうという思想だから。(でもお釈迦さまはそんな事は言っていない、、)

大乗仏教は、それは方便であると言って、色々仏典を創作していった。そういう仏典の頂点にあるのが「法華経」(みょうほうれんげきょう)。

大乗仏教では釈迦以外にも如来が居る事にした。その中で、阿弥陀如来は「多くの人を救える事」という誓いをして如来になったとお経に書いてある。救い方は、「我を十念すれば」私はあなたたちを私の支配する極楽浄土(輪廻転生から外れた世界)に生まれ変わらせてあげる。とのこと。 浄土は全ての仏様にある(仏国土)が、「極楽」と言った場合は阿弥陀さまの浄土を指します。

阿弥陀さまを信仰すればまずは極楽浄土に生まれ変わる。これを「往生」と言う。そして往生してから、仏国土で修行して、最終的に仏陀になる。これが「成仏」。凡人には自力修行での悟りは難しいので、お釈迦様の力、つまり他力をに頼って往生して、そこで修行して仏になるという二段階のプロセスを経て悟りを開くのです。(他力本願)

阿弥陀信仰は日本に浄土教として入ってきた。「南無阿弥陀仏。」
最澄の天台宗はお経の総合大学。比叡山延暦寺。
空海の真言宗はお経になっていない口伝=密教を教えるという宗派。高野山金剛峯寺。

やっぱり他力本願は違う。自分で修行して悟りを開くべきとの考えが禅宗を生んだ。曹洞宗。
一方、親鸞はお経を読まんでも「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで良いとした。でも、これは法華経以外は全部偽物だという意味にもなる。太鼓をたたきながら大声で唱える。創価学会。

鎌倉時代の仏教大衆化に伴い、日本独自の大きな変化「本時垂じゃく説」が生まれる。日本の神道の神と仏様は実は同じものなのだ、、という説。これにより神仏混淆の状態になり、大き神社には必ず寺があり、神官とお坊さんでそれぞれユニフォームは違っていても、実は同じ人が管理していたのです。

この神仏混淆状態が崩れるのは明治になってから。欧米の一神教が迫って来るのに対抗する為に、無理やり神道を切り離して「国家神道」を作り、多くの仏教寺院を焼き払う廃仏毀釈を行いました。

寺も大きな武装兵力を持ち利権をむさぼるのが当たり前の時代が続いていたが、信長が比叡山焼き討ちで武装解除し、以降 寺は丸腰になった。

徳川家康は檀家制度を導入して、寺を役所の一部として機能するように政策に組み込んだ。これにより300年。仏教は惰眠をむさぼった。そのため、葬式の時にしか一般の人と接点がないようなものに堕落してしまっている。
日本の仏教は危機的状態が続いている。


『神道』
神道は分かりにくい。それは、聖典が無いという事と、「本来の神道」と明治政府によって無理やり作られた「国家神道」という二つの別物があるから。一般国民はこの違いを殆ど理解していない。

神道は基本的に多神教なのだが、「国家神道」は欧米に対抗する為に日本人がある意味で一神教的に強化させた神道。無理やり一神教的な強化をしたので、それまでにない神道になってしまった。

本体の神道は、全ての宗教の中で排他性、独善性が最も少ない宗教です。でも国家神道は一神教の影響を受けているのでどうしても排他的、独善的になる傾向がみられます。

神道は卓越しているものを祭る。良い神も悪い神も。悪い神も丁寧にお祭りすれば機嫌を直して善なる神に転化するというのが神道。徹底的な性善説とい言われる事もある。
菅原道真は理不尽な扱いをされて恨みの神となったが、それを祭ったのが天満宮。

現生肯定の神道、現世否定の仏教(諸行無常)。
聖徳太子の十七条憲法では第1条が「和」になっている。「和」は仏教にも儒教にもなく。古来神道の考え方。
そして、「穢れ」 とそれを取り除く「禊」と「祓い」。

国家神道は、一神教に対抗する為に天皇を押し立てて行こうという事にした。そこで、日本中の神社をすべて国家の統制下に置き、国家の機関として、その神を祭る地位のトップに天皇を据える事にしたのです。これは明らかにローマ法王を意識していると思いますが、天皇はこの世の神 現人神であって、すべての日本人はそれを信仰しなければならないとしました。戦前の軍隊は、天皇を守る事が日本の文化を守る事であり、国を守る事であり、国民を守る事だったのです。天皇と国民は一体であるというかたちをもって、西洋の原理に対抗しようとしたわけです。


『儒教』
ルーツは先祖崇拝。
”位牌”というのは儒教の考え方。仏教ではない。(仏教は輪廻転生なので位牌は使わない。)
孔子が先祖崇拝というものを一つの体系にまとめたもの。関連して、儒教には、どんな場合でも子孫を絶やしてはいけない、という思想がある。(先祖をお祭りする人がいなくなってしまうから)もし養子を取るなら男系からとらなければいけない。

もう一つの特色は「得」というものを重んじる事。個人が得をもって身を修める。次にそのことを拡大し、個人が所属する家族を整える、家庭が整えばその集合体である国が治まり、天下が平たくおさまる。という考え方。

儒教で最も重要な第1義は「考」(子供の親に対する忠節)。
民間の物語では、親の為に自分の子を殺すのは正しいという事としている。それが「考」。そして、「和」という考え方は無い。あるのは、
「義」:臣下の祝に対する忠節。主君が道徳に背く行為をしていたら、いさめなければならない。
「悌」:弟の兄に対する忠節


儒教では、賊というのは、どこまで行っても賊なのです。死んでも埋葬してはいけない。先祖崇拝なので死んで魂になっても個性はかわりません。その為、罪人として死んだ人間は、未来永劫「罪人」なのです。


抜粋は以上。

仏教に関してはかなり細かい説明がある本ですが、儒教に関しては自分の意見を沢山書いてある本という印象でした。

もう少し、他の本等で勉強が必要そうです。

2019年8月1日木曜日

【本】日本コンプレックス(2) 高月靖 バジリコ株式会社

・41才 女 出版社勤務
韓国は海外旅行ブームで、突出して日本旅行が多い。韓国ウォンと円の為替が後押ししている。こうした日本旅行熱は和食人気を高め、日本語の看板を掲げる日本料理店が急増している。
「韓国で一番人気がある日本の都市は大阪、次に福岡や東京が並ぶ。大阪は安いLCCが増えた事、テレビで大阪のストリートグルメ紹介が良い、USJや京都奈良へのアクセスも良くて、若者が大好きなグルメも遊びも満足できて、なおかつ安く行けるから。

慰安婦問題について
「慰安婦問題はこれから外交的に解決されなくてはいけない問題ですし、私もそれを願っています。日本からきちんとした謝罪があってしかるべきだと。そうした考えも明確に持っています。」「少女像についてですか? 世界各地にたてられているのがやりすぎという声があるようですが、私はそうは思いません。ドイツのアウシュビッツ強制収容所は、同じ過ちを繰り返さないという決意の象徴として保存されているでしょう。慰安婦問題も韓国だけでなく世界全体の歴史として、記憶していくべきだと思います。それは韓国がかつてベトナムでやったことも同じです。韓国政府はきちんと謝罪、賠償すべきでしょう。同じように私たちもかつて慰安婦だった人たちの後継としてその名誉回復に努めていくべきだと思います。」


・43才 男 アンティーク商
「子供の時は、日本に愛してい否定的なイメージがありました。過去の歴史、侵略とか。そういう境域がありますからね。日本は何かあるたびに謝っていると言いますが、真摯な謝罪とはほど遠い。いったいなぜそうなのか、そんなことをたくさん考えたりもしていました。」「韓国人が日本について否定的に考える要因は、いま大きく2つあると思います。一つは靖国。なぜ分祀しないのか。もう一つが慰安婦問題」「何年か前、日本が元慰安婦のおばあさんたちにお金を払うという話があったでしょう。あの時、韓国人の反発がすごかったんです。ちゃんとした謝罪と賠償がなくてはいけないのに、政府同士がいくらで手を打ちましょう、申し訳ないという言葉もないまま、これでフタをしてしまいましょうと勝手に決めてしまう、そんなやり方でいいのかと。。。」
「私が思うにはこれは金銭的な問題ではなく、まず首相なり立場の高い人が来て、きちんとしたお詫びをすればいいのではないかと。そしてそんなに大きな金額でなくてもかまわないので、所定の補償が行われたら、韓日関係がいい方向いいくのではないでしょうか。いまいつ慰安婦のおばあさんたちも、多くは望んでいないのではと思います。10年もすれば多くがなくなられるでしょう。その前にそんな謝罪があれば、両国の友情がいまよりずっと深まると思います」

こどもの時は日本製とは知らずにアニメを見て、プラモデルで遊んでいました。大人になって「あ、これも日本製だったのか」と、我々世代はそうした驚きを経て、日本への憧れを少し抱くようになったものです。

・51才 男 日本の大学での教員 イさん
妓生観光=買春観光が盛んだった1970年代、80年代。イさんはソウル育ちの大学生。ラジオでオールナイトニッポンを聴いたり、薬師丸ひろ子のファンだったりした。

慰安婦問題について
イさんは大学時代、日本人観光客の妓生パーティーを見た事がある。通訳のアルバイトをしていた恋人がそこに同席する事になり、頼まれてついて行ったそうだ。場所は現在も各国からの観光客で賑わうソウルの観光地、仁寺洞たっだ。「その時、私は日本人に対する反感というのはありませんでした。妓生とはそういうものだと思っていましたから。これは朝鮮王朝時代からずっとそうだったんですが、中央政府の官僚が地方へ視察に行くとするでしょう。すると各地の地方官史が妓生を動員して、接待するわけです。こうした習慣、伝統は根深く、私が学生の頃も普通に残っていいました。主な宿場町にはそんな妓生たちがいたんです。少なくとも1980年代くらいまでは、そのほか人心売買とか、身売りのようなこともまだ横行している時代でした。」
「売春をする女性たちに対する視線も、当時は違っていました。いまなら借金で仕方なくという事情もあったりするにせよ、結局は自分の意思でやっていることでしょう。でも昔は儒教的な道徳のせいで、一度汚れてしまった女性はもう普通の生活に戻れないという社会通念があった。そうした女性たちが社会に受け入れられず、売春婦となるしかなかったわけです。」「つまり韓国では、こうした一連の文化が最近まで受け継がれてきた歴史がある。それを棚に上げて、慰安婦問題をあそこまで非難できろのだろうか。当時みんなあれを黙認していたはずなんです。なのにああいったアンダーグラウンドで生きて来た人達の歴史を、なかったことにしていいのか、と。もちろん慰安婦問題には私もシンパシーを感じますが、こう考えると複雑な気持ちになります。」


・49才 女 旅行会社経営
日本に留学し、そのまま日本に骨を埋めるつもりの人。

両国関係について
「韓国が歴史問題か何かで日本に執着しているように見えるとしたら、それは政治とメディアのせいだと思います。特に若い層にとって歴史問題は子供の頃に教科書で習った話にすぎないし、さほど関心もありません。」「もちろんそこを突き詰めて言えば、こんな考えもあります。被害を与えた加害者は、一度誤ればそれで済んだ気になれますよね。でも取り返しのつかに傷を負った被害者の側は、トラウマのように一生背負いながら生きていくのが普通でしょう」「でもそれが歴史問題として騒がれる時、私は政治家たちが自分に都合よく利用している部分があるのではないかと思います。対立を煽って国民を結束させるのは、自分たちの支持率を上げるのに役立つでようから。こうした意味で私は、韓国の政治家も日本の政治家も両方問題があると思っています。」

北朝鮮について
「北朝鮮には地下資源が沢山あるでしょう。また統一すれば釜山からヨーロッパまで鉄道でつながるので、物流コストも安くなるんじゃないでしょうか。それに北朝鮮のインフラ建設も必要ですから、建設業界も潤うのではないかと思います。そのほか観光開発もできますしね。」「さらに韓国は日本と同様、人口問題を抱えています。私の時代は小学校1クラス60~70人くらいいました。それが今では30人程度。韓国もこれから労働人口の減少など、難しい問題に直面していくことになります。でも北朝鮮と一つになれば、労働人口が増えるというメリットがある。やはり国が大きく成長していくには、人口が必要だと思うんです。」


・42才 女 公企業勤務 日本とのかかわりの深い業務を担当。
対日感情は多面的だ。「日本の政治家や右翼がやっていることに対して、嫌悪する感情は確かにあります。熱にいつもそんなことを深く考えているわけではありませんが、、。でも独島問題、歴史認識問題、旭日旗の問題などで日本がやってくること、そのほか安倍首相がやっているようなことを見て、あれは間違っている。日本は歴史を正確に認識する必要があると、こんな思いはなっきりとあります。」「学校で韓国史を習うと、植民地時代の話が当然出てくるでしょう。そこから高校の時、日本や近隣国の歴史に関心を持つようになって、大学に入ってからは日本語を学んでみたりもしました。大学ではまた日本が韓国に対してとても大きな過ちを犯した歴史も学んで、、。ですから当時は日本という国に対しては、いい感情を持っていませんでした。もっともそれは実際に日本へ行ってみたこともなく、日本人と会って対話したりしたこともなかった時期の話です。社会人になってからは実際に日本を訪れ、日本人の友達もできて、また違った認識が深まっていきました。」

慰安婦問題について
「少女像が世界各地に作られるのも、そういう状況を自ら作り出したのは日本だと思います。ある国が別のある国を侵略して、よくないことが沢山起これば、それに関心を持つのは当然のことでしょう」「慰安婦問題にしても韓国が、日本がという立場を離れて、ちゃんとした謝罪があって然るべきだという部分について、多くの女性たちが共感しています。実際に米国や中国など海外の女性たちが元慰安婦の女性たちに共感したからこそ、その体験が忘れ去られてはいけないと。各地に記念碑を建てるようになったわけでしょう」「温かく誠意を持って向き合えばいいだけなのに、彼女たちが声を上げるのを防ごうとしたりとか、知らないふりをしたりとか、、。これでは私たちがもっと関心を持たなくては、と思うのも無理はありません」「領土問題もそうです。日本も尖閣諸島を巡って、韓国にとっての独島のような問題を抱えているでしょう。なのにどうして韓国に対していちいち敏感に反応するのか、、。そこは立場を逆にして考えたら、韓国の気持ちも分かる様になるんじゃないでしょうか」「慰安婦問題がなかったかのように宣伝する歴史修正主義は、自国の若い世代に歪曲された歴史を刷り込むことになり、虚しい憎悪や反感を招く結果にしかなりません。韓国でも軍事独裁とか、ベトナムでの”蛮行”とか、恥ずかしい歴史が沢山あります。自国に都合のいい歴史だけを教えても、そんな教育を受けた世代の将来が心配ですよね。何も知らずに育って大人になってから事実を知った時、自国に対する自負心が傷つくのではないでしょうか」


・52才 男 出版社代表  灰谷健次郎の著書を多数韓国語に翻訳して出版している
「韓国人が日々の生活の中で、日本に何か特別な感情を持っていることはあまりありません。ただし私が思うに、政治的、歴史的な話になると、韓国人の多くが日本に対して否定的な感情を抱いています。それは実のところ日本がどうこうといういうよりも、韓国国内の事情でそうなったのではないかという思いもあるんです。なぜなら早い時期から日帝時代に関する歴史を通じて、否定的な教育を受けていますから。だから本人もそうと気づかないうちに、日本に対して否定的な感情を抱くようになるんだと思います。」「今でも年配の人は特にその傾向が強いですね。私が中学生、高校生の頃もそうした教育が盛んでした。でもいまは教育も変わり、若い人は以前ほど否定的に考えないようです。うちの娘はダンスをしているのですが、その勉強のため1ヶ月日本で過ごしてきました。これも教育が変化したおかげといえるでしょう」 否定的な感情は3つの要因がある。「解放後に樹立された李承晩政権は、植民地地時代の対日協力者を大勢起用して要職に就かせました。彼らは理研を通じて裕福な暮らしを送った一方、独立運動家らは冷遇されました。つまり韓国はきちんと植民地時代に審判を下して精算する、過去を断ち切って新しく出発する事ができず、社会が間違った道へ進んでしまったんです。それがとりわけ進歩的な人々の間で問題視されており、いまの政界でも『親日残滓』の精算を求める声は小さくありません」 3つ目は”日本政府がちゃんとした謝罪をしていない”ということ。

元慰安婦女性のカミングアウトと日本政府を相手取った提訴をきっかけに、1991年から慰安婦問題が両国間の重要懸案として浮上。日本政府は日韓基本協定と付属協定に基づいて日本側に追加補償の義務はないとの立場に立ちつつ、反省と謝罪を繰り返した。韓国政府も当初は同じ認識に立っていたが、1992年から慰安婦問題を請求権問題の例外として補償を要求する方針に転換。そして日本がこれに応じなかったことが、韓国ではそれまでの反省や謝罪に矛盾すると受け止められた。こうして、「『日本の謝罪は見せかけだけであり誠意がない』という理解が定着する。そしてさらに歴史認識問題の解決には『日本が反省していることを示す、真の謝罪が必要だ』という世論が形成されていった。

否定的な感情の裏側に、「韓国メディアと教育が日本に対して非常に批判的な事」も関わっている。日本に関する問題でメディアが敏感に反応する裏側には、裏切者と非難されないように「安全でいたい」という心理が関わっているようだ。そのには批判以外を許さない社会の圧力も関わっている。

慰安婦問題について
「記念館のようなものは必要だと思います。私たちは慰安婦の歴史を学ばなくてはいけませんから。でもそれは相手を憎むことが目的ではありません。再びその歴史が繰り返さないようにするためです。競い合うかのように対立の構図を作り出すのは、賢明とは言えません。しかし、私が見る限り、扇動やプロパガンダのような部分もあるのではないかと思います。」「韓国もベトナムで、非常に大きな過ちを犯したでしょう。ベトナム戦争に参加し、多くの無辜の市民に被害を与えました。だから私たちもベトナムへ行って謝罪し、そんな歴史を繰り返さないよう努めなくてはいけない。実際のところ、日本でもそうやっている方たちは沢山います。」
「より多くの人が研究して話し合い、二度と繰り返さないよう決意する。こうしてこそ問題が完結されるのではないかと思います。その意味で例えばドイツで行われているやり方は、とてもうまくいっているのではないでしょうか。彼らは過ちを二度と繰り返さないという誓いを繰り返しており、それは信頼に足るものです。私たち韓国と日本も、いずれそういう関係になれればいいと思います」


・57才 男 「ナヌムの家」(一部の元慰安婦女性が暮らす老人福祉施設)アン所長 
アンさんが目指すのは”正しい歴史”を取り戻すことだ。「日本に対して肯定的な考えも沢山ある一方で、歴史的に整理すべきことは整理しなくてはいけに。といってもそれは、誰かを捕まえて処罰しようということではありません。おばあさんたちを取れて行った人たちをつかめて処罰するとか、そんなことがいまの私たちにできるはずもないでしょう。そうではなく、事実を記録して”正しい歴史”を打ち立てる。これが私たちがやらなくてはいけないことなんです。」「1965年の対日請求権は朝鮮半島の植民地市販で発生した財産権を巡る問題についてであり、各地の戦場で発生した慰安婦の被害は含まない、また戦争犯罪に時効はないというのが私たちの立場です。しかし日本大使館の関係者とも非公式で3~4回は無しをしたことがありますが、彼らはおばあさんたちの請求権は1965年の国交正常化と同時に消滅したという立場で一貫していました。これでは話にならない。ではどうするかというと、第3国に知らせていくしかない。そこで2011年にアメリカのニュージャージー州に建てられた記念碑を皮切りに、グレンデール市をはじめ各地に建てられていったんです。」「日本はいま平和に暮らしていますが、例えばアフリカの内戦のように女性に対する人身売買や性暴力の被害は現代にも続いている問題です。以前ここを見学に来た外国人が「ナヌムの家」をベンチマークにして、アフリカで被害にあった女性のシェルターを運営している例もあります。そうした視点から考えた時、日本がいまからでも問題を認めて、”本当の謝罪”をすることには、大きな意義があると思います。そうしてこそ日本は国際社会から支持され、リーダーシップを発揮できるようになるのではないのでしょうか」


抜粋は以上

読んでみて、最後のアン氏は政治的な匂いも感じますが、他の方々は まじめで正直な人々という印象を受けました。まじめであるからこそ、教育やマスコミ報道によって知らないうちに常識が作られていきます。これは日本も勿論同じで、まじめにテレビニュースや新聞、政府発表を良く勉強する人ほど刷り込まれていくように思えます。日本人の方が、近代史を殆ど学習していないので、より刷り込まてやすいかもしれません。一方、韓国の人は、意外に冷静な見方をしているなという印象もありますね。

この本でインタビューを受けた人は、なんらか日本と関わりの深い人ばかりなので偏っているのだとは思いますが、それでも市民の感覚はこういう感じなのかという事が分かる面白い本でした。

今回の日韓問題も、政治とそれを煽るマスコミによって作られる劇の様な面があると思います。

韓国=約束を守らない国 という日本人の新常識にならんとしている感覚(マスコミや政府発表の記事から作られている)も、冷静に自分を見て行く必要がありそうに思いました。


【本】日本コンプレックス(1) 高月靖 バジリコ株式会社

副題が「韓国人の対日意識の深層」

この本で使う”コンプレックス”という単語は、「劣等感」ではなく「複雑な」の方の意味との事。

2019年1月末 発刊の本なので、この数ヶ月の輸出規制対立フィーバーの直前の若い世代から中年までの韓国人男女が、日本に対してどういう意識を持っているのかのインタビューの本です。

まずは、戦後から国交正常化を挟んで現在に至る過程の振り返りが載っています。
その部分を抜粋します。

歴史経緯

日本の敗戦=光復を経て朝鮮半島では朝鮮人民共和国が発足するが、米国はこれを否認し軍政を開始。やがて1948年8月及び9月に、それぞれ南の大韓民国政府、北の朝鮮民主主義人民共和国政府が樹立される。米軍政庁をバックに韓国で初代大統領に就任した李承晩は、それまで33年を米国で過ごした亡命家だ。
李承晩は日本統治時代の下級管史約7万人の対日協力者=「親日派」を行政の実務者として起用。一方で、反日ナショナリズムを政権のイメージ強化の手段としてアピールしつつ、日本を中心とした経済圏に韓国を組み込もうとする米国にも反発する。

そうした中、1951年より日韓国交正常化交渉が始まるが、対立が続き進呈がない。1960年4月 李政権の独裁政治、不正選挙に対する市民や学生の大規模な蜂起が発生し、李は退陣しハワイへ亡命した。

1961年5月に陸軍少将だった朴正煕を中心としたクーデターが起こり63年に大統領となる。朴は日本の陸軍士官学校を卒業した元帝国軍人。朴は反共と経済開発をクーデターの大義名分とした。経済開発の為に日本との協力を探りはじめた。
懸案とされた請求権問題は1962年10月、大平正芳外相との会談で妥結。、日本が有償及び無償の経済協力と民間投資を行う代わりに、両国間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」ことが確認された。一方で竹島問題を巡っては双方の主張が平行線のまま解決が見送られ、国交正常化後に話あう事で合意。朴は又、ベトナム戦争への派兵をして米国から累計10億ドル近い見返りを手にした。これらを土台に、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長へ突き進んでいく。

日本で観光目的の海外渡航が自由化されたのは1964年。韓国では1989年に完全自由化。こうした不均衡は1970年代に入り、日本人男性による買春ツアー=妓生観光としてクローズアップされていく。

朴は1979年10月暗殺され、又クーデターで全斗換が大統領に。全政権は、日本と両首脳の公式相互訪問を実現。

日本では1988年のソウル五輪をまたいで韓国ブームが起こる。
1988年に盧泰愚政権の民主化政権が発足。冷戦崩壊と共に日韓の結びつき圧力も弱まる。1993年からの金泳三政権では歴史認識問題(歴史教科書、靖国参拝、竹島、慰安婦)が新しい日韓の懸案事項として浮上。かつて強権的な政治体制下で「解決積み」とされてきた歴史認識のわだかまりが民主化によって溢れ出た格好。

1998年からの金大中政権では、歴史問題に区切りをつけて未来を志向する「日韓共同宣言」が署名された。しかし続く廬武鉉政権、李明博政権で竹島及び慰安婦問題が改めて争点化。両国の首脳がお互いに訪問しあうシャトル外交は朴槿恵政権から途絶えた。

これらの経緯を分かった上で、現在の韓国人の意識を色々聞いた。


・49才男 貿易会社経営キムさん
1960年代生まれの韓国人は祖父母が日本統治時代に青年期を過ごした世代。
「日本が嫌いという韓国人も沢山います。主な理由は歴史のせいでしょう。一定世代より上はそうした教育を受けたりもしましたし、その両親の世代が体験したことを直に聞かされたりしますから。どうしても拒否感を感じるんです。いまの40代以上がそうですね」
一方、キムさん世代は、日本に対して全く別の感情を抱いた人も少なくない。彼らが若者だった1980~90年代に韓国で日本文化ブームが沸き起こっていたから。その時代、キムさんはよく東京に遊びに出かけたという。日本文化と聞いて何を連想するか、韓国人に聞けばおおむね同じ答えが返って来るでしょう。マンガ、アニメ、映画、音楽、AV。

両国間の摩擦について。
「両国の政治家が、自分たちの立場のために韓日の問題を利用する傾向がありますよね。核の脅威をもてあそぶ北朝鮮、靖国参拝など日本の内政にいちいち干渉してくる韓国、、これらは政治家が作り出したプロパガンダなんですよ。それぞれの側が、こういた問題を政治的に利用している。その気になれば簡単に解決できるのに、お互いが問題化させ続けようとしている部分があると思います。韓国人が日本人と友人として会う時、普通はこうした問題は関係ありません。でも慰安婦問題とか歴史問題について話し合うとなれば、敏感にならざるを得ない。国民としての立場がありますから。そうなると宗教的な問題みたいで、もうどうしようもありませんよね」


・17~21歳 男 オタク少年たちの日韓関係 キム、シン、チェ、チョン、パクの5人
戦後は日帝残滓として排除が求められた韓国語中の日本語。だが最近になって新しくまた韓国に根付いた日本語もある。その代表例が「オタク」だ。5人の海外文化全般への関心に占める日本の比重がどれくらいか聞くと、キム 100%,シン50% ,チェ 80%。韓国では日本旅行が盛んに行われている事への認識は、手近に行けるし、安くいける、食事も口にあうからぐらいではないかとのこと。物価も安いし。

「アメリカのアニメに対して日本のアニメは雰囲気やイメージが理解できて、共感できる。例えば桜の花びらが舞うといったシーンも、韓国に似た情景がありますから。近くにあってよく似た国同士だから、日本アニメのほうが共感しやすいんだと思います。」
中国の印象は、「あまり好きではない」。

歴史問題について
慰安婦は気の毒と思うので取り上げて話題にする事自体は良いと思うが、韓国も自身がベトナムでやった事への謝罪も考えるべきだと思う。政治と国民や文化は分けて考えるのが良いのでは。「韓国の反日デモ?ほとんどないんじゃないですか。反日感情を持っている人はいますよ。でもだからって、日本人が嫌いというわけじゃない。慰安婦問題とかそういう問題に接して、ただ何となく日本が悪い。嫌いだと言っているだけ。周りがそういう感情を持っているから、ただ何となく自分も同調しているという人が多いんじゃないでしょうか」