2019年12月30日月曜日

【本】いきものがたり 水野良樹 小学館文庫、いつでも心は放牧中 山下穂尊 KADOKAWA

いきものがかりの男二人が各々本を出しています。
水野さんの”いきものがたり”は放牧後の追記をして文庫になったもの。山下さんの”いつでも心は放牧中”は放牧期間中に発刊されたもの。

水野さんの文庫追補版が出たので読んでみるのと併せて、山下さんの本も再度読み返してみました。


いきものがかりの同じ歴史を生きて生きたので、ダブるネタも当然ありますが、お二人の違いもはっきり感じられます。


水野さんは、自分と「いきものがかかり」というチームがどう成長していったか、音楽面とビジネス面・マネジメント面と関係者へのお礼、宣伝も兼ねた書き方。印象的には有限会社いきものがかりの社長が自叙伝とを書いたという感じを受けました。


水野さんは、音楽ビジネスで成功したい。そのためにすべき事はという事は何かを何時も強く意識されて考えているのだと思いました。真面目で、一生懸命だという事も良く分かりました。


山下さんの本は、あくまでも一人称で、自分の人生とその中で「いきものがかり」という活動の意味、自分の考え方、生き方を書いてみたという感じ。


山下さんはTVやステージ上ではつまらなそうに無表情にサイドギターを弾いて、トークでも自分視点でちょっと的外れな話をする人。 という印象を持っていました。


でもこの本を読んで ビジネス的成功というよりも、自分を自由に、自分にとって価値のある生き方をしたいと思っている方なんだなと分かりました。


今年 TVで「BSいきものがかり」という番組をやっていますが、山下さんは殆どしゃべる部分がない(カットされているかもしれませんが)と思っていましたが、ビジネス的ではなく自分のしたい事を自由にやっている若者やミュージシャンがゲストの時は、沢山の質問を発しています。


又、キャンプの場面では、ゲストの芸人達とも普通の友達トークで興味シンシン何やってんの?という感じで生き生きしています。
なるほど、オフステージで友達が多いのはこういう人柄が出ているからなんだな。と思いました。


たぶん、所謂世俗的なビジネスの話や慣習などには関心ないという事なのでしょう。でもきっと本人は、ビジネス面でも失礼な事をしてはいけないと思っているのでトークも控えめになってしまう。という事なのかなと思いました。



水野さんは、放牧中も沢山の作曲、楽曲提供をしていたとの事で、音楽業界でのプレゼンスや人脈を戦略的に着々と作っているのだと思います。

ちょっと気になるのは、集牧後にリリースされた水野さんの曲を聴いていくと、まとまりは良いけれど、なんとなくどこかで聞いた事のあるメロディーラインや詞の組み合わせ感があること。沢山の楽曲提供をするためには、自分の中で効率的な作曲方法を勿論作り出しておられるのだろうと思いますが、それが平板感を生んでいるのかもしれません。



新アルバムの「スピカ」、「あなたは」や「太陽」もいいですね。
放牧後の”いきものがかり第2楽章”は山下さんや吉岡さんの創造性がより輝く事になるのかもしれませんね。
又、吉岡さん一人で歌うばかりでなく、3人のハモりの曲も増えていくといいな。


ずいぶん勝手な書き方をしてしまいましたが、「いきものがかり」は大好きですので、変わらず大成功(商業的というよりも、自分達が実現したと思っている事を)を収めていってもらいたいと願います。

2019年12月21日土曜日

【防災】NHK体感首都直下地震ウィーク パラレル東京 (感震ブレーカー)

12月の第1週。NHKが体感首都直下地震ウィークと名打って、発災から4日間のドラマを4日間かけて放送するという事がされました。

番組自体については色々書きたい事がありますが、かなりリアリティを感じさせるドラマになっていた事と、生きるためのヒントという番組も直ぐその後の時間に放送され、家庭でできる具体的な防災行動や準備についての教育という感じになっていました。

沢山の事をまとまって、各事項のつながりを見せてくれながら説明してくれるので、暮らし方の見直しレビューにはありがたい番組でした。


早速 我が家の防災強化として感震ブレーカーと感震ライトの設置をしました。


感震ブレーカーは市でも住宅過密地域向けには、無償で配布をしている事を知りました。残念ながら我が家は対象外地域。

ただ、無償で配られる物は、簡易型の重り式などの感震ブレーカーのみ。

でも、重り式等の簡易感震ブレーカーは地震が起こると直後にブレーカーを落としてしまうので、真夜中に地震になったら頭を守って地震に耐える最初の数十秒に対して、真っ暗闇で対応しろ。地震が過ぎて、部屋や家から脱出や点検をする時も真っ暗闇からスタートせざるを得ない事になりそうです。

チラシを見ると小さな字で懐中電灯等も用意する事と書いてありますが、大震災で物が吹っ飛びまわっている状態で手探りで懐中電灯を探せるのか?という疑問があります。


配電盤に組み込み、地震発生後3分たってからブレーカーを落とすという良さそうな機能の物も売られていますが、それらは電気工事が必要で資格を持った人につけてもらう必要があり、どうしても高いものになってしまいます。


迷いましたが、空いているエアコン用コンセント(アースがついている)に、後付けで刺せるタイプ(地震が起こったら疑似漏電を起こしてブレーカーを落とす)で発災後3分後に落とせる物をネットで購入しました。これは、自分で取り付けられるし、価格も1万円強ぐらいで買えます。

又、同時に 乾電池式の感震ライト も必要な部屋の数だけ購入しました。こちらは数百円/個。 コンセントに刺しっぱなしの充電式というものが沢山売られていますが、コンセントに刺しっぱなしは内臓されている充電池の寿命で、たぶん数年で装置ごと買い替える必要があると考えました。


又、感震ライトは真夜中に発災+停電(ブレーカーが落ちるのではなくて、外部からの電気が来なくなる停電)で真っ暗になる状況でも、部屋の中の状態や緊急に行動すべき避難ルート等が見える様にしなければなりません。その為には、ライトの位置はなるべく高い位置にあるのがより光が回りやすい事と、転倒物で覆われないという2点で望ましいと思います。コンセントに刺しっぱなしの場合、コンセントはたいてい壁の下のほうに付いていますので、ライトの位置も必然的に低くなり非常時に十分働かないという事も予想できます。

乾電池式ならば、年に1度 点灯テストし、電池がヘタッていれば電池だけ取り換えれば良いので装置の買い替えは不要です。取り付け位置も柱や壁の高い位置につける事ができます。また、ホルダから取り出せば、普通の懐中電灯としても使用できます。

NHKでは感震ブレーカーの話は何度も出てきましたが、感震ライト等の話は殆ど強調されませんでした。(市の無料配布のチラシなどでも同様です)


建物火災の数を減らしたいという行政視点での放送や施策なのだなという感じを強く受けました。被災者視点は弱いかも。


情報の鵜呑みはせずに、自分でイメージしてみるという事が重要ですね。

2019年12月1日日曜日

【本】バカまるだし 永六輔+矢崎泰久 講談社

永六輔と言っても今は若い人は知らないのだと思います。「上を向いて歩こう」の作詞家と言えばまだ通じるかもしれませんね。

永さん、矢崎さんでまるで居酒屋談義のような、ぶっちゃけ話のぶつけ合いみたいな対談?です。2005~2006年の本。

こんな見方をしているのか、とか 思わずそうそうと頷きながら読んでしまう所があったりしてとても面白く読みました。


その中でいくつか、そうだったのか と思ったところがあるので少し書き出してみます。


①国会ってこうなっているのかという点。
矢崎さんは中山千夏さんが参議院議員をしたときに秘書を務めていたそうです。その時の話で、

永:気になっていたことだけど、たとえば予算委員会なんかで、野党の議員が首相とか大臣に質問するじゃない。あの質問って、あらかじめ出しているの?

矢崎:出してる。

永:じゃあ、みんなどういう質問がくるか、知っているわけね。

矢崎:出来試合みたいなもんだね。質問する議員のところには、事前に官僚がレクに来る。三・四人の官僚が書類抱えてきてさ、いろいろ説明するわけ。おかしいのは、アイツら「この質問はこういう角度でやると、大臣は返答に困ります」なんて言うんだよ(笑)。

永:そこまでレクチャーするんだ。そのレクは、与党・野党関係ないの?

矢崎:関係ない。野党の議員にも与党にもやる。野党議員のところへ行って、攻め方をレクする。次に今度は、質問される大臣のところにも行く。で、「議員にこう聞かれるから、こうお答えになったらいかがでしょう」ってやるわけ。だから、書類の棒読みにもなる。

永:へーえ。貧乏芝居だね。

矢崎:ほんとだよね。しかも、質問する議員のところを立ち去るときに、必ず「お手柔らかに」なんて言いやがるんだよ(笑)。

永:要するに、官僚の手のひらに乗せられているわけね。



②ジャーナリスト?

矢崎:ぼくは一度だけ、すごく褒められたことがあるんですよ。

永:アハハハ、テレているわけじゃなかったのね。どうぞ続けて。

矢崎:あの田中角栄の秘書で早坂茂三っていたでしょう。彼に、日本のジャーナリストで、こいつだけはすごいと思ったヤツが一人いる、矢崎泰久だって。

永:それ、ほんと?

矢崎:死人に口なしだけど、ホントですって。ある日、早坂を通じて、田中角栄が会いたいと言ってきたんですよ。このオレに。田中角栄は嫌いだったけど、ジャーナリストですからね。お目にかかったほうがいいと思って会ったんですよ。会ってびっくりしたのは、田中角栄ってとても魅力のある男なんですよ。

永:ミイラとりが、、、、

矢崎:そう。だから、オレは危ないと思った。ここで親しくなったら、もう一回彼を復権させてやろうなんて思いかねない。その頃、田中角栄はロッキード事件で日本中から袋叩きにあっていたからね。

永:で、早々においとましたの?

矢崎:いやそれが、、。自分でもダメなヤツだと思ったんだけど、ご馳走になった。帰りに、お車代ってね(笑)。包まれたわけですよ。ズシッと重いのを。

永:アハハハ、受け取っちゃったの?

矢崎:文字通りお車代だったら、せいぜいが1万円とかタクシー券じゃないですか。でも、ズシッと重い。だから、ちょっと待ってくれと。見ていいかと訊いたら、どうぞと早坂さんが言うからね。見たらこれが、百万円くらい入っているんだ。オレ、早坂さんに言ったんだよ。「あなたね、百万円をタクシーで使ったら、もしかしたら九州とか北海道まで行っちゃうじゃないか。お車代というのは、こういうものじゃないだろう」と。

永:エライ! 断ったんだね。

矢崎:今から考えれば惜しいことしたと思うけどさ、きっぱり断ったんだよ。そしたら、早坂が雑誌の座談会かなんかでさ、そのことをしゃべったの。「矢崎はすごいヤツだ。他のジャーナリストはみんなもらった」って(笑)。

永:アハハハ。でも、お車代じゃなければ、もらった?

矢崎:もらわないですよ。たぶん、、。田中角栄のところから出てきたカネじゃなければ、もらったかもしれないけども(笑)。まぁ、似たような経験は、新聞記者時代にも何回かあるんですよ。たとえば、三越デパートの屋上から、突風でテントが落っこちて、その時に下を歩いていた人が落ちてきた鉄パイプに当たって死んだんですよ。

永:三越なら大事件だね。

矢崎:当時オレがいたのは、「内外タイムス」っている小さな新聞社だったんだけど、早版で大きく「三越デパートからテント降る 一人死亡」と出たんですよ。他の新聞はベタ記事で「屋上からテント降る」なんてかいてるだけ。本当は、テントが落ちたのが事件なんじゃなくて、それで人が死んだのが大事件なわけですよ。でも、最初にそう書いた「内外タイムス」も、二刷からは出ない。次の日に三越の広告あドーンと出ているわけ。ふだん「内外タイムス」なんてちっぽけな新聞には、三越の広告なんて入らないですよ(笑)。その取材に行ったとき、対応したのが、あの「なぜだ!」と言って社長を辞めさせられた岡田茂ですよ。当時は、広報部長だった。

永:あぁ、なるほど。

矢崎:彼は新聞記者みんなに、お車代を配ってた。ほとんどの記者がもらってましたね。もちろん、断った記者もいましたよ。だけど、もらっちゃうような記者が横行しているのが現実です。田中角栄が外国に行って帰ってくると、貴社にお土産を買ってくる。そういうものはいただくのが当たり前、と思っている新聞記者たちがいっぱいいるわけですよ。



③天皇陛下 バンザイの起源

矢崎:さすが永さん、良く知ってるね。ついでにもうひとつ聞きたいんだけど、マンザイって、もともと「萬歳」でしょ?

永:あれは吉本興業が昭和の初め頃に、「漫才」に変えたんですよ。漫談とか漫画の「漫」の字を当てて、「歳」も「才」と簡単な字になった。

矢崎:もとの「萬歳」は、あの両手をあげてやる「ばんざーい」と同じでしょ?

永:そうそう。昔は日本にはあんな習慣はなかったの。時代劇には出てこないでしょ。明治二十二年からあの言葉が出てくるんです。なぜか知ってる? 憲法発布の年ですよ。

矢崎:あぁ、そうか。じゃあ、韓国で「マンセー」と言っているのは?

永:あれも同じ。もともとは、向こうから来たものですからね。それを、明治政府が憲法発布のときに、何か祝い方はないかというので、「マンセー(萬歳)」を三唱するようになった。

矢崎:じゃあ「天皇陛下バンザイ」というのは、ずいぶん後の習慣になるわけね。

永:そうそう。時代劇だと「イヤサカ!」


それ以外にも、うんちくや本音トークが満載の本でした。今読んでも面白い。