2019年12月1日日曜日

【本】バカまるだし 永六輔+矢崎泰久 講談社

永六輔と言っても今は若い人は知らないのだと思います。「上を向いて歩こう」の作詞家と言えばまだ通じるかもしれませんね。

永さん、矢崎さんでまるで居酒屋談義のような、ぶっちゃけ話のぶつけ合いみたいな対談?です。2005~2006年の本。

こんな見方をしているのか、とか 思わずそうそうと頷きながら読んでしまう所があったりしてとても面白く読みました。


その中でいくつか、そうだったのか と思ったところがあるので少し書き出してみます。


①国会ってこうなっているのかという点。
矢崎さんは中山千夏さんが参議院議員をしたときに秘書を務めていたそうです。その時の話で、

永:気になっていたことだけど、たとえば予算委員会なんかで、野党の議員が首相とか大臣に質問するじゃない。あの質問って、あらかじめ出しているの?

矢崎:出してる。

永:じゃあ、みんなどういう質問がくるか、知っているわけね。

矢崎:出来試合みたいなもんだね。質問する議員のところには、事前に官僚がレクに来る。三・四人の官僚が書類抱えてきてさ、いろいろ説明するわけ。おかしいのは、アイツら「この質問はこういう角度でやると、大臣は返答に困ります」なんて言うんだよ(笑)。

永:そこまでレクチャーするんだ。そのレクは、与党・野党関係ないの?

矢崎:関係ない。野党の議員にも与党にもやる。野党議員のところへ行って、攻め方をレクする。次に今度は、質問される大臣のところにも行く。で、「議員にこう聞かれるから、こうお答えになったらいかがでしょう」ってやるわけ。だから、書類の棒読みにもなる。

永:へーえ。貧乏芝居だね。

矢崎:ほんとだよね。しかも、質問する議員のところを立ち去るときに、必ず「お手柔らかに」なんて言いやがるんだよ(笑)。

永:要するに、官僚の手のひらに乗せられているわけね。



②ジャーナリスト?

矢崎:ぼくは一度だけ、すごく褒められたことがあるんですよ。

永:アハハハ、テレているわけじゃなかったのね。どうぞ続けて。

矢崎:あの田中角栄の秘書で早坂茂三っていたでしょう。彼に、日本のジャーナリストで、こいつだけはすごいと思ったヤツが一人いる、矢崎泰久だって。

永:それ、ほんと?

矢崎:死人に口なしだけど、ホントですって。ある日、早坂を通じて、田中角栄が会いたいと言ってきたんですよ。このオレに。田中角栄は嫌いだったけど、ジャーナリストですからね。お目にかかったほうがいいと思って会ったんですよ。会ってびっくりしたのは、田中角栄ってとても魅力のある男なんですよ。

永:ミイラとりが、、、、

矢崎:そう。だから、オレは危ないと思った。ここで親しくなったら、もう一回彼を復権させてやろうなんて思いかねない。その頃、田中角栄はロッキード事件で日本中から袋叩きにあっていたからね。

永:で、早々においとましたの?

矢崎:いやそれが、、。自分でもダメなヤツだと思ったんだけど、ご馳走になった。帰りに、お車代ってね(笑)。包まれたわけですよ。ズシッと重いのを。

永:アハハハ、受け取っちゃったの?

矢崎:文字通りお車代だったら、せいぜいが1万円とかタクシー券じゃないですか。でも、ズシッと重い。だから、ちょっと待ってくれと。見ていいかと訊いたら、どうぞと早坂さんが言うからね。見たらこれが、百万円くらい入っているんだ。オレ、早坂さんに言ったんだよ。「あなたね、百万円をタクシーで使ったら、もしかしたら九州とか北海道まで行っちゃうじゃないか。お車代というのは、こういうものじゃないだろう」と。

永:エライ! 断ったんだね。

矢崎:今から考えれば惜しいことしたと思うけどさ、きっぱり断ったんだよ。そしたら、早坂が雑誌の座談会かなんかでさ、そのことをしゃべったの。「矢崎はすごいヤツだ。他のジャーナリストはみんなもらった」って(笑)。

永:アハハハ。でも、お車代じゃなければ、もらった?

矢崎:もらわないですよ。たぶん、、。田中角栄のところから出てきたカネじゃなければ、もらったかもしれないけども(笑)。まぁ、似たような経験は、新聞記者時代にも何回かあるんですよ。たとえば、三越デパートの屋上から、突風でテントが落っこちて、その時に下を歩いていた人が落ちてきた鉄パイプに当たって死んだんですよ。

永:三越なら大事件だね。

矢崎:当時オレがいたのは、「内外タイムス」っている小さな新聞社だったんだけど、早版で大きく「三越デパートからテント降る 一人死亡」と出たんですよ。他の新聞はベタ記事で「屋上からテント降る」なんてかいてるだけ。本当は、テントが落ちたのが事件なんじゃなくて、それで人が死んだのが大事件なわけですよ。でも、最初にそう書いた「内外タイムス」も、二刷からは出ない。次の日に三越の広告あドーンと出ているわけ。ふだん「内外タイムス」なんてちっぽけな新聞には、三越の広告なんて入らないですよ(笑)。その取材に行ったとき、対応したのが、あの「なぜだ!」と言って社長を辞めさせられた岡田茂ですよ。当時は、広報部長だった。

永:あぁ、なるほど。

矢崎:彼は新聞記者みんなに、お車代を配ってた。ほとんどの記者がもらってましたね。もちろん、断った記者もいましたよ。だけど、もらっちゃうような記者が横行しているのが現実です。田中角栄が外国に行って帰ってくると、貴社にお土産を買ってくる。そういうものはいただくのが当たり前、と思っている新聞記者たちがいっぱいいるわけですよ。



③天皇陛下 バンザイの起源

矢崎:さすが永さん、良く知ってるね。ついでにもうひとつ聞きたいんだけど、マンザイって、もともと「萬歳」でしょ?

永:あれは吉本興業が昭和の初め頃に、「漫才」に変えたんですよ。漫談とか漫画の「漫」の字を当てて、「歳」も「才」と簡単な字になった。

矢崎:もとの「萬歳」は、あの両手をあげてやる「ばんざーい」と同じでしょ?

永:そうそう。昔は日本にはあんな習慣はなかったの。時代劇には出てこないでしょ。明治二十二年からあの言葉が出てくるんです。なぜか知ってる? 憲法発布の年ですよ。

矢崎:あぁ、そうか。じゃあ、韓国で「マンセー」と言っているのは?

永:あれも同じ。もともとは、向こうから来たものですからね。それを、明治政府が憲法発布のときに、何か祝い方はないかというので、「マンセー(萬歳)」を三唱するようになった。

矢崎:じゃあ「天皇陛下バンザイ」というのは、ずいぶん後の習慣になるわけね。

永:そうそう。時代劇だと「イヤサカ!」


それ以外にも、うんちくや本音トークが満載の本でした。今読んでも面白い。

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