”とてつもない「負の歴史」を背負ったドイツは、いかにして被害者や近隣諸国の信頼を取り戻そうとしたきのか。在独17年のジャーナリストが、政治・教育・司法・民間における取組の現場を訪ね、ドイツ人の「過去との対決」について報告する。”という副題がついた本です。2007年4月発売のもの。1989年~1990年のベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統合から10年以上たった時点でのドイツの状況という事になります。
この本を読んでみて、単なる敗戦国という事に加えて、戦闘行為とは別なホロコーストという事の2つの負の歴史にどう対応して、現在EUという欧州連合の重鎮となってきているのかが良く理解できました。
イデオロギー的な色を持った本ではなく、一つ一つ現場を訪ねて作られた 久しぶりジャーナリストのすごさも感じる事ができました。
おかれている状況や背負っている物はちがいますが、過去との向き合い方におけるドイツと日本は大きく異なっているだろうと感じます。
逆に、日本の過去への向かい方も良く知っていない自分に気が付き、対比できる様に次は日本についても調べていく必要がありそうです。
簡単な要約等をすべき本ではないですが、自分がポイントと思った点を記します。
<政治面>
・ベルリン・ホロコースト犠牲者追悼碑
戦後60年にあたる2005年にドイツ政府が40億円強をかけて「ナチスドイツの犯罪の記憶を世代から世代へ伝えていくため」に完成させた。1万9000平米の敷地に、まるで黒い棺のように見える大きな石の立方体2700個が覆いつくしている。高さが微妙に違うので、まるで石棺の列が波打っているような印象を与える。人々は黙りこくって、石棺の森を歩き回っている。
場所は、日本でいえば銀座4丁目か有楽町に相当する首都で最も目立つ場所に自国の恥部に関するモニュメントを建設した。ここはナチスの権力中枢だった地域で、ドイツ国民がナチスという犯罪者の集団を、選挙によって合法的に権力の座につけたために、欧州全体に引き起こした惨禍の根源を、何よりも象徴する場所とのこと。
資料館には、12歳で殺されたユダヤ人少女の、父親に宛てた手紙が展示されている。
「死ぬ前にお父さんに別れを告げるためにこの手紙を書きます。私はもっと生きたいですが、もうだめです。私たち子どもは、生きたまま溝に投げ込まれて殺されるので、とてもこわい。お父さん、さようなら」
このモニュメントを建設したことで、ドイツ政府の歴史認識と過去と対決する姿勢がはっきり示されている。黒い石板の列は「ナチスの犯罪を忘れず、若い世代に語り継いでいく」というドイツ人の決意表明。
・賠償の出発点・ルクセンブルグ合意
1939年時点でドイツ、ソ連、ポーランドなど20か国に830万人のユダヤ人が住んでいたが、そのうち約600万人が殺害されている。この600万という数字は加害側のドイツと被害側のユダヤ人との間で一種のコンセンサスが出来上がっている。
しかも、アウシュビッツなどで、工場のような殺人施設を作って、流れ作業で市民を大量に虐殺するちう悪質な手法は「ポロコーストに比べられる犯罪は、ナチスの前にも後にもない」という点でドイツ側とユダヤ側の間の理解も一致している。
しかし、1949年西ドイツ建国直後のドイツ首相演説ではユダヤ人への賠償は触れられなかった。批判を浴びて2年後にユダヤ人に対する謝罪の姿勢を示したが、”ナチスの時代でも、宗教的な理由や良心の呵責、また恥の気持ちから、ユダヤ人を助けたドイツ人はいた”という事も言い、ドイツ人の責任を軽減しようとしたいた。
ドイツの「過去との対決」は、敗戦直後から現在の水準に達していたのではなく、60年の長い歳月をかけて深化してきたのである。
1952年ドイツとイスラエルは「ルクセンブルグ合意書」に調印。西ドイツは12年にわたり、ホロコースト生存者50万人が住んでたイスラエルに30億マルク払った。さらに、イスラエル国外に住む被害者を代表する「ユダヤ人賠償請求会議」に4億5000マルクを払った。当時の価値では莫大な金額だった。
イスラエルの右派は血塗られた金を受け取るなと批判し、西ドイツでの世論調査では賠償金支払いを前向きに評価したのは11%だけで、68%は額が多すぎると批判的だった。
でも、アラブ諸国との戦争で疲弊していた当時のイスラエル政府にとってはドイツからの経済援助は貴重だった。
これとは別に、1961年からイスラエルに対して毎年秘密裡に資金供与を行ったほか、1962年からは軍事物資の提供も行い始めた。1965年に両国の外交関係が樹立した背景には、ドイツ側の賠償努力があった。
・ドイツの払った賠償金 だんだん賠償対象を拡大してきている。
1956年に「ナチスに迫害された被害者の賠償に関する連邦法」(=連邦賠償法)を制定した。この法律の特徴は被害者の対象を広くしている事。例えば、ナチスによって創作活動を妨害された芸術家や、ユダヤ人と親しかったために博大された人々にまで請求権を認めている。
2002年末までに賠償請求438万件、430億ユーロが支払われた。さらに、ドイツ連邦議会は1996年に、ドイツ系ユダヤ人で、中東欧地域からアメリカやイスラエルに移住していた3万5000人のホロコースト生存者にも年金を支払う事を決めた。
以上のような包括的な賠償とは別に、西ドイツ政府は1959年から今日まで、欧州15カ国、アメリカとの間に2国間協定を結び、連邦賠償法の対象とならなかった被害者に対しても賠償を行ってきた。
冷戦が終わった1990年代には、ドイツ政府が主導する形でドイツ企業とともに基金を設立して、戦争中にドイツ企業のために強制労働をさせられた被害者に対して、賠償金の支払いを始めた。
2003年11月時点で連邦財務省は「ナチスの犯罪に関する賠償の支払いは、被害者が生きている限り続く」としている。
ドイツ政府は、金による償いが不可能であることは認めながらも、迫害のために健康を損なったり、トラウマ(精神的な傷)に苦しんだりしている人に対して、経済的な支援を通じて謝罪し、生活の負担を少しでも軽くしようとしている。したがって、ドイツ政府も金銭による賠償についてはあまり対外的に強調しない。
・1970年ブラント西ドイツ首相は、ポーランドのワルシャワ・ゲットー追悼碑の前でひざまずいた
当時のポーランド国民の600万人が殺され、ユダヤ人は85%の人が殺された。
一方、敗戦時にヤルタ会談、ポツダム会談にて米英ソの連合国はポーランドの西国境をドイツよりに動かす(オーデル・ナイセ川まで)事を決定し、シレジア地方はドイツ帝国からポーランド領となった。この結果多数のドイツ人が追放されて逃避行した。
この為、戦後 両国民間では憎しみの感情が強かった。そんな中、ブラント首相は追悼碑を訪れた。そこは、ナチスに武装蜂起して鎮圧破壊された市民を追悼するために作られた。西ドイツ首相がユダヤ人を追悼する碑の前で膝を折った映像は全世界をかけめぐり、謝罪の気持ちを全身で表現する「新しいドイツ人」の姿を、被害者に対して印象づけた。
後日ブラント氏はこう言った、<私は、ドイツ人が何百万人ものユダヤ人、ポーランド人を殺した惨劇に直接は加わらなかった。しかし、惨劇を引き起こしたドイツ人のために、自分も責任の一端を負うべきだ。この気持ちをひざまづく事で表現した>
「過去」と対決する必要性は2つある。一つはなぜこのような事が起きたのか、将来繰り返すのを防ぐにはどうすればよいのかを若者たちに伝える事。もう一つは周辺諸国に今後のドイツの政策が国益だけでなく、道徳をも重視することをはっきり示すため。
自国の歴史に批判的に取り組めば取り組むほど、周辺諸国との間に深い信頼関係を築くことができると思います。例えば、現在のフランスとドイツの間のように。
同時に過去の重荷を必要以上に若い世代に背負わせることには反対です。ドイツは、悪人に政治を任せた場合に、悲惨な事態が起きる事を心に刻む作業については、かなり成果をあげていると思います。周辺国の人々には、「我々の過去を批判的にしか捉えないという態度は、いつかはやめてください」と言います。
若者たちには、父や祖父がしたことについて責任はありません。しかし、彼らは同時に、自国の歴史の流れから外に出る事はできないということも知るべきです。そして若者は、ドイツの歴史の美しい部分だけでなく、暗い部分についても勉強しなくてはならないのです。 それは、他の国の人々が、我々ドイツ人を厳しく見る理由を知るためです。そして、ドイツ人は過去の問題から目をそむけるのではなく、たとえ不快で困難なものであっても、歴史を自分自身につきつけていかなければならないのです。
・歴史リスク
戦争中に被害を与えた国から、歴史認識について批判されて、外交関係、経済関係に悪影響が及び、国益が損なわれる事がある。これを著者は「歴史リスク」と名付けた。
ドイツの行ってきている歴史と対峙する事は、この歴史リスクを減らす努力を行ってきたという事でもある。
現在のドイツは、イスラエル、アラブの両方から信頼されている。
又、過去との対決により信頼関係が築かれたので、ドイツからの国外派兵が周辺諸国との間に摩擦を起こさない。
さらにドイツは一人歩きを避け、NATOや国連など国際機関が定めた枠済みの中で、他国とともに行動していることも重要である。彼らは、国外派兵が憲法に違反していないかどうか、徹底的に議論する。他国から軍事貢献を求められても、直ちに同意する事はせず国内法と照らして検討する。最終的には連邦憲法裁判所の判断を仰ぐ。こういう真面目な態度が、かつて被害を受けた国々にとっては安心感の源となっている。
日本が本格的憲法論議を行わずになし崩しで派兵した事などは、ドイツ人は「憲法を形骸化するものだ」として激しく反発するだろう。