2021年6月20日日曜日

【音楽】曲の作られ方

 集牧後のいきものがかりは、自分達が何をどう考えているのかをいろいろな場でOpenにしようとしている様です。


水野さんが色々なSNSで発信したり、吉岡さんや山下さんが個々にラジオ番組を持ったり。


そんな中の一つで、アレンジャーで有名な亀田誠治さんといきものがかりの3人の4人で一つの曲を作っていく過程(コロナ禍なので、Zoomで相談しながら)を「今日から ここからプロジェクト」として公開されています。


プロがどうやって曲を作っていくのかが、コンセプト決めの段階から、メロディ、詞、歌い方、演奏の仕方などの決めていくステップがドキュメンタリの様に見ることができます。


普段 知る事ができないプロの曲作りのプロセスやコダワリを見れるという非常に貴重な機会です。


吉岡さんの言い方では、彼らの内輪を「覗き見」できます。


コロナ禍で苦しむ世界の人に寄り添いながら、前に向けるような普遍的な曲を目指したという彼らのスタンスが良くわかります。


いきものがかりの曲は、色々なシーンに当てはまるものが多いと以前から感じていましたが、ここまで明確にそれを目標に作っていたんですね。



完成した曲は日比谷音楽祭で公表されたとの事。


途中で、各員がメロディを出し合ったり、詞をディスカスしながら決めて行ったり、という場面が沢山あり、各々のキャラクタの違いも良くわかりました。


吉岡さんは、ライブ舞台の上と変わらず、明るくてまっすぐな感じ。ちょっとセンス良く他のメンバーをオチョクったりするのもそのまま。歌を歌う上では、本当に真剣に向き合っておられます。



水野さんと山下さんは、スタイルの違いを感じました。


水野さんは曲という商品作りをしていて、山下さんは作品作りをしているという印象です。


私自身、メーカーで数十年 商品企画や製品化、営業などやってきましたが、水野さんを見ているとメーカーの物作りとよく似ているなあと感じます。


お客(聞き手)の潜在ニーズや状態を調べたり考えて、それに対してどういう物事を提供していくのが良いのか。


お客(聞き手)も色々な層の人がいるので、ニーズや事情が異なる。それでも、共通項として売れる(心に響く)商品とは何かを突き詰めていく。


そして、それはどうしたら作れるのか、どのタイミングで出すのが良いのか。

お客様から見てのメリット・デメリットは何か。

競合との闘いの中での差別化点は何かなど。

勿論、儲かる事は最重要です。赤字では商品とは言えませんから。



沢山の人に普遍的に届けようとすると、具体性よりも抽象的または、皆が勝手にイメージをしてくれるような暗示的な表現にするのは一つの技術になります。


水野さんはメーカーの商品企画をしても、良い商品を作られるのではないでしょうか。


タイアップ曲等は、明確なターゲットに合致するような曲作り(商品作り)が必要ですから、水野さんのアプローチがハマリますね。数々のヒットも納得できました。



一方、山下さんはもっと私的な感覚から、多くの人にも共感を得られるように考えていっているという様に思えます。具体的シーンや口語的表現が入るのも、できるだけ具体的な心情を伝えたいからなのかな。

共感できる人には、本当に刺さるようなインパクトが出るのだと思います。



今までのいきものがかりは、3人の全く別なキャラが組み合わさって、幅の広い楽曲が提供できていたという事、あらためて実感できました。





【本】植物は<未来>を知っている ステファノ・マンクーゾ NHK出版

 植物は、動物よりも何千・何万倍も地上に繁殖している「成功」した生物である事は間違いありません。


動物は、植物無しでは全く生きていけません。



人間は動物なので、動物中心の考え方(脳が指令を出す、危機的状況ではまず逃げる等)や見方をどうしてもしてしまいます。


でも、植物は動物とは真逆の戦略を取って大成功を収めています。


動かないで周りの環境を自分に都合の良いように操る。太陽エネルギーで生き、増殖できる。徹底的な分散戦略で、切られても再生や修復・補完が出来る。など。



植物の色々な能力を、動物視点ではなく調べて知る事は、新しい科学の地平を開いていく事になりそうです。



・脳が無くても記憶ができる


 触ると葉を閉じるオジギソウに条件付けをして、それをどれだけ覚えていられるか実験したら40日以上記憶を保っている事が分かった。

発芽や開花がある一定の温度期間を過ぎないと行われないという様な事も常識的に知られている。これらも記憶の一つ。

RNAやプリオン化したタンパク質の利用などが植物の記憶のメカニズムに使われているのではないかというような研究もされ始めているが、その解明は記憶がどの様な生物学機能を持つのかの理解になり、大きな可能性を持つだろう。



・アンドロイドではなくプラントイド


植物の特徴として、太陽光さえあれば自立していく。根は非常に多彩で精密なセンサーかつ、土中でどんどん成長する。などがある。


根は細胞の分裂と膨張のおかげで、堅固な岩をも砕く事ができる。(細胞内の浸透圧ポテンシャルで水の流入により1~3メガパスカル=10~30気圧に相当の圧力を発生する)


又、もう一つの特徴は、同じものを備えているモジュール構造。植物は一つの”個体”とみなすのは難しい。それらは集合体となっている。根の一本一本にはそれぞれ自律的な指令センターが備わっている。それが根の伸びる方向を操作し、本物の群れの様に他の根端と協力して、一つの植物全体の生命にかかわる問題に取り組む。その分散された知性は、生活環境のさまざまな問題を効果的に解決する。そういう知性を持つ。



・擬態力と植物の視覚


ポキラ・トリフォリアータはチリとアルゼンチンの温帯林で成長するつる性植物。

そのポキラは、巻き付いている宿主の木の葉をマネする様に自身の葉の形や大きさ、色を変える事ができる。(多分 自分の遺伝子発現を変化させている)


どうしてそういう擬態が出来るのか。考えられるのはある種の”視覚”を持っているという事。

20世紀初め、様々な葉の表皮細胞をレンズとして写真を撮る事が実験された。マイクロレンズアレイで昆虫の目の様に植物も見れるのではないか。でもその理論は無視されていた。でもこの5年間に次々と驚きの発見があり、単細胞生物にも視覚がある事が証明され、理論も再評価されるようになった。



・運動能力 筋肉が無くても動く


植物の運動は、たいては”水力”運動で、液体であれ水蒸気であれ、基本的には植物の体の組織を出たり入ったりする単純な水の移動による。

しかも、例えば松かさなどの死んだ組織でも、乾燥した環境では鱗片を開き、湿度が高い時は鱗片が閉じる様に動く。



・動物を操る能力


植物は移動できないので、動物に協力してもらわなければならない事も多い。たいていは利用された動物は植物から報酬をもらえる。しかし、もっと意地悪い行動を植物がする事もある。

動物をだまして手伝わせたり、自分の利益になるような行動をとらせたりする。


私たち人間だけは、動物を操るこの繊細な植物の魔術から逃れられているとは思わないでほしい。それどころか、その反対だ。

例えば、トウガラシ。世の中には何でもトウガラシと一緒に食べる<トウガラシ食らい>がいる。辛くて不快な感覚なのに、地球住民の3分の1以上およそ25億人が毎日 規則的にこの苦痛を自ら求めている。もともとはアメリカ大陸原産。コロンブスが欧州に持ちかえり、1世紀もたたないうちに欧州からインド、アフリカ、韓国などの食文化に入り込んだ。トウガラシはアメリカ大陸からもっとも遠く離れた場所までも征服した。


トウガラシはカプサイシンというアルカロイド(カフェイン、ニコチン、モルヒネなど)を持っている。これは、依存性を引き起こす。辛味が脳にいくと幸福ホルモンのエンドルフィンが製造される。


植物はその中で化合物を作り出す。毒や麻薬、蜜などを作って動物を引き寄せ、操作する。



・分散化能力 自然界のインターネット


植物には動物の脳や心臓のような急所が無い。

根は凄まじい数の、典型的な分散型の非中心的システムで、相互に作用しあう無数のユニット(根端)で構成される。

分散的知性で、決定、問題解決、変化への対応を行っていく。



・その他


砂漠の植物は、空気中の水分を取り出す能力を持つ。

重力の変化も1.5秒で検知した。

植物を見習って、資源を全く消費する事なく野菜を生産できる<ジェリーフィッシュ・バージ>を作る事ができた。太陽エネルギーだけあれば良いので海に浮かべて野菜生産ができる。

持続可能な未来のために、植物が教えてくれる事が沢山ある。



以上 本の興味深かったポイントをあげましたが、植物についてもっと知りたくなりました。


2021年6月19日土曜日

【音楽】TSUZUKU いきものがかり

 先日、母親の死を迎えました。


大往生と言ってよい苦しまない亡くなり方だったので、良かったと思ったのですが、


存在がいなくなってしまうという事は大きな事実として心の中に沈み込んでいます。



たまたま、いきものがかりの新曲TSUZUKU を聞きました。



この曲で、とても気持ちが救われたという気がしています。


人生で、大切な思い出を抱いて前に進む必要のある時は沢山あるのだと思います。



それを、明るく前向きに歌ってくれる。


心の深い部分で共鳴するような気がしています。



このタイミングでこの曲に出会えた事は、とても幸せな事だったと思いました。

【音楽】小田和正さんとオフコース

 少し前になりますが、テレビで2019年の小田さんのコンサートが放映されました。


録画しておいてゆっくり見ました。


コロナ禍の前という事で、大勢の観客(ファン)が入っているコンサートです。


女性が多い(中年ぐらいでしょうか、勿論おじさん達もいますが)印象です。


小田さんの歌唱の合間に、お客さんの様子の映像が沢山出てきますが、涙を流している方もかなり多くて、非常に感動的かつ盛り上がっている事が良くわかります。


テレビの絵的にもとても美しい。


演奏される曲は様々ですが、どの曲も小田さん節。突き抜ける高音。


70歳前後になられていると思いますが、ずっと昔からの良さを保っておられます。


歳をとられてもキーも下がらないとは、スゴイです。



とても楽しいコンサートでしたが、ふと 思いました。



曲の中には、オフコース時代の名曲もでてきます。


私の中では、それらの曲の原形がオフコースの音として刷り込まれているので、現在のサポートメンバーの演奏との違いがあります。


現在の演奏はそれでとても良いと思いますが、どうしてもその音を聞きながら私の心の中ではオフコース(特に小田さんの相棒だった鈴木康さんの)でのハモりや演奏が同時に鳴っています。


コンサートを見終わったあと、昔のオフコースのCDを思わず取り出して聞いてしまいました。

やはり、すばらしい。



そして、オフコースのヒット曲達は1970年代後半から80年代前半の頃だった事に気が付きました。

つまり、40年近く前の曲達。


今回 2019年のコンサートに来られている観客の方々が30~50歳代がメインだとすると、彼らはオフコースを生体験しない年代層なんだという事になります。


つまり、ソロとなった後の小田和正さんの曲(「ラブ・ストーリーは突然に」以降)が原体験の方々なんだろうなと思います。


勿論、一度 ファンになったら遡ってオフコースも聞かれているのかとは思いますが、自分とは世代が違う。

今回のコンサートも懐メロコンサートではない。


長く愛される、いつも新しいファンを生む 小田さんの凄さを再認識すると共に、とても不思議な感じでした。

2021年6月6日日曜日

【人生】逝き方はピンピンコロリが理想ではなかった

 つい最近、母親が亡くなりました。


老人ホームでの最後になりました。95才以上の年齢なので、長寿と言ってよいでしょう。


老人ホームに入っていたのですが、新型コロナ禍の影響で1年以上も会いに行くことができませんでした。


ある日高熱が出、診てくれたお医者からは、余命が短いと言われました。。


食事も殆ど取らない様になってきて、胃ろうなど延命処置をするかと問われ、兄弟全員同意の上で延命処置はしない事にしました。本人も以前にそういう希望を述べていました。


その翌週、兄弟が一人ずつ ホームを訪れ各々20分ほど会う事ができました。


水分も口から飲む事をしなくなっていて、ゼリー飲料(Qooなど)を使って少しでも水分を口から採らせようとホームのスタッフの方ががんばってくれていました。

病院に入っていたら普通は点滴をされてしまう状態だと思います。


すっかり枯れてきているという感じです。


そして、1週間後、静かに苦しまずに逝きました。


ホームのスタッフの方の話では、前日には微笑んで、ハミングしていたとの事。


死亡の連絡を受けて、駆け付けましたが、全く苦しそうな表情はありませんでした。


今までは、なんとなくピンピンコロリが憧れの死に方の様な気に私はなっていましたが、肉親の自然で枯れるような老衰死に立ち会って、人間の本来の死に方はこういう事なのではないかと強く思いました。


人間は口から水分を摂れなくなると、1~2週間で亡くなるとの事ですが、こういう亡くなり方は徐々に身体の各機能を弱めていって止めるという事になるので、苦しんだりする事がなく、眠るように静かに亡くなる事が出来るそうです。 

本人の意識は、現世とあの世の境界をまどろんでいる感じです。


でも、点滴をされると身体機能の低下した状態に無理やり水分を注入するので、溺死のような感じの死になり、本人もかなり苦しい。


老衰死は、本人が苦しまない事に加えて、家族とも別れができます。又、家族側も徐々に弱る推移を見、自然な死として受け入れる心づもりが出来ます。苦しまない死は、遺族にとっても救いです。


母の場合も、天に召される時が来たんだなと自然と納得できた気がします。


そうなると、死は悲しい出来事というよりも、安らかに次のステップへ進んでいくんだと感じられました。


飢餓、脱水しての死は、自然が与えてくれた恵のメカニズムだと思います。それが、たとえ外から見ると苦しそうに見えても、、、


枯れる様に亡くなる老衰死が、私は最も望ましい死の形だと思うようになりました。