この本の著者は東大名誉教授で、ロシア・ソ連史が専門。満州や北朝鮮もソ連下の話が多いので、必然的にそれらも調べて専門家になっていったとの事。マスコミ情報や一般的に流布されている情報からではなく、日本、韓国、北朝鮮、中国、そしてロシア・ソ連の内部文書などを学者として比較分析する事で何が起こっていたのかを解き明かしており、歴史の事実を知るには中立的にとても良い本ではと感じました。
これを読んで、私がいかに無知であったかを知り驚きました。
受験勉強で、近代史を年表的には見ているハズですが、全然 理解できていませんでした。
そういう流れの連鎖だったのか、、という事を書きだしてみたいと思います。
・1871明治4年 日本新政府は日清修好条規
これは、李氏朝鮮(朝鮮半島の王国)の宗主国の清と日本で対等条約を結んでおくため。
この当時 李氏朝鮮は鎖国状態。
・1876明治9年 日朝修好条規
江華島事件を起こし、朝鮮に不利な不平等条約。開国させた。
ペリーが日本にしたのと同じ事を、日本が朝鮮王国に対して行った。
・1885明治18年 天津条約(日本と清の間)
朝鮮王国内でクーデター勢力を日本が応援したした事件が幾つか起こり、清の朝鮮支配とぶつかる。
天津条約(日清両国兵の撤兵、出兵の時は相互に通知する)を締結。
・1894 日清戦争
日清戦争と言っても、日本と清が直接戦ったというよりも、朝鮮の支配権を清から日本が横取りしようとし起こしたという感じ。
朝鮮の内乱(東学党の乱)を鎮めるために、朝鮮から依頼があったという形で清が兵を送った。
天津条約を理由に、日本は頼まれていないのに出兵。仁川に上陸し、王宮に侵入し占領。
国王の父を擁立して、新政権を立ててクーデターを起こさせる。
国王と朝鮮新政府に「清から独立」「清の軍を追い出して欲しい」と日本に依頼せよと迫る。
結果、「清国からの独立」を宣言。追い出し要請は出されなかったが、勝手に日本軍は清軍を攻撃。
→日清戦争の勃発
平壌を落とし、南満州と中国の旅順まで日本が制圧。
・1895.4 下関条約 (日本と清)
日本の要求は、朝鮮から清の退去(独立を認めよ)、遼東半島、台湾の移管、賠償金。
但し、三国干渉(ロシア、ドイツ、フランス)により、遼東半島まで日本が取るのはダメという
横やりが入り、遼東半島は清に返却。
三国干渉で日本をヘコませたという事で、中国、朝鮮でのロシア株が上昇。
中国はロシアに満州に鉄道建設を許す。朝鮮は国王(高宗)と王妃(閔妃)がロシアに接近。
・1895.10 閔妃殺害、
高宗はロシア公館に逃げ込みクーデター。日本の朝鮮支配の企てが崩れる。
日本はロシアと交渉するも不調。但し、ロシアの関心が朝鮮にはあまり無いと理解した。
・1897 高宗は王宮に戻り、「大韓帝国」を宣言して皇帝になる。独立国を内外に示す。
・1900 中国の義和団事件があり、ロシア、日本含め連合軍が出兵して乱を鎮める。
ロシアは満州を占領。
ロシアが清の満州を取るなら、日本は朝鮮を取るという 満韓交換論が日本で出てくる。
高宗は中立国になりたいと考え、ロシアと組んで日本に承認を求めるが、日本は拒否。
・1902 日英同盟
日本がどこか(ロシアや朝鮮など)と戦争しても英は中立を守る。
もし第3国がロシア側について戦争になったら、英は日本側について戦争する。という内容
これを持って、日本はロシアと交渉。
・1904 日露戦争
韓国は中立を宣言していたが、日本は上陸しソウルを占領。
日韓議定書(日本の保護を受け入れる、日本の戦争に協力する、朝鮮の地は日本が戦争の為に接収しても構わない)に調印させる。
→日本が朝鮮を完全占領。
続いて日本軍は満州に入り、満州戦争、日本海海戦へ。
・1905 ポーツマス講和会議 (日本とロシア)
日本が韓国を完全に自由に処分する事をロシアに認めさせた。他に遼東半島、南満州、南樺太を割譲。
★司馬遼太郎の「坂の上の雲」などに出てくるロシアの脅威に立ち向かうための戦いというのは、虚構。当時のロシアはロシア革命の直前で弱体化しており、東征などの意思はなかった。
・1905 第2次日韓協約
韓国は全ての外交権を失う(日本が外交する)
・1907 第3次日韓協約
高宗は退位、全て内政を日本の統監握る事にした。
・1910 韓国併合条約に署名させる
韓国皇帝が統治権を日本天皇に譲与する。日本天皇は、これを受け取り併合に同意する。という内容。
→「大韓帝国」は消え、日本の植民地となる。
・第2次大戦
1945.6 沖縄戦
1945.7 ポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)米、中、英
1945.8 広島原爆
1945.8 ソ連対日宣戦布告
1945.8 長崎原爆
1945.8 ポツダム宣言受諾、
1945.8.15 玉音放送
1945.9 正式降伏
・1945.8.15 トルーマンがスターリンに朝鮮の38度線分割占領を提案
・1948.8 大韓民国成立(憲法に領土は朝鮮半島全土と記載)
1948.9 朝鮮民主主義人民共和国成立(憲法に、首都はソウルと記載)
大韓民国も北朝鮮もどちらも朝鮮全土制覇は目指して国作り。
1949.10 中華人民共和国成立
・1950.6 朝鮮戦争
国力の高い北朝鮮の金日成がスターリン、毛沢東の事前承諾を得た上で韓国に進撃。半島武力統一を狙う。
北朝鮮を中国。ロシアが支援。地上では中国軍と米軍の戦い。空中ではソ連軍(パイロットはソ連、機体はミグ)と米軍の戦いになった。
(金日成はキリスト教徒、父のいる満州で行き中国共産党に入る。満州事変等 抗日武装闘争=パルチザン活動を行う。当時、ソ連・中国・朝鮮人が一緒になって抗日パルチザンをしていた。1945.5中国共産党朝鮮工作団団長。1945.9朝鮮の本山へ上陸)
・1953.7 朝鮮戦争休戦協定
・金正日
北朝鮮は設立の時から「抗日遊撃隊国家」というスローガンで来た。日本は戦っていくべく相手。
金正日の2人目の奥さんは大阪生まれの在日朝鮮人。
金正日の時代になって、遊撃隊国家から正規軍国家に変えて行った。狙いは強盛国家(政治大国、軍事大国、経済大国)。
開国方針に舵を切る。小国として大国の狭間を切り抜けて独立を保つのが自分たちの道だと考える。
小泉首相との会談。金正日は日本からのプラント導入をしたく国交正常化に持っていきたかった。拉致者5人を一時帰国させたが、日本は返さないかった(安倍晋三)。これで日朝断絶状態に。これは金正日の汚点になっている。2度目の小泉訪朝。今度こそはという感じだったが、今回も約束が覆る様な事になれば、もう小泉さんとは付き合えないという状態。しかし、持ち帰った横田めぐみさん遺骨のDNA鑑定が、警視庁は結果不明、帝京大学は別人という結果を出した。それで細田官房長官は他人と判断し、北朝鮮との関係を再度遮断した。(火葬した骨のDNA鑑定って本当に出来るのか??)
金正日からすると2度も小泉首相との約束が破られるという結果になったと見える。大きな政治的負担となった。
福田首相の時代になって、再度北朝鮮から交渉のアプローチがあったが、短命首相だったために実現しなかった。
以上 ですが、明治から昭和に於ける日本の朝鮮半島、朝鮮の人達に対して国が行った行為と大きな流れをしっかり理解してから、関係性を見る必要があると感じました。
こういう歴史を理解している日本国民ってあまりいないのではないかと思いました。