2021年3月22日月曜日

【縄文・本】いつでも、どこでも 縄文・室内陶芸 吉田明 双葉社

 縄文土器はこうして作ったのでは。陶芸家の吉田氏が色々試して納得の方法が。


日本の各地で発見されている縄文土器。


それらは、どう作られていたのか?


実際に彼らが入手できる材料で作ってみて分かったという画期的技法、その知恵に驚き。沢山の写真を交えて、作り方を示してくれる面白い本です。



・縄文土器は どんな土でも作る事が出来る。


・特別な道具もいらない。


・誰でも作ることができる。


・どこでも焼けて失敗しない。


・どんな大きなものでも焼ける。


そして、

・土器で調理した料理は、味がまろやかで美味しくなる。



縄文土器から、当時の人々の工夫・知恵と暮らし方が伝わってくる様に思いました。



どんな土でも砂を混ぜる事で、割れずに焼ける様になる。

土器は、窯が無くとも、焚火などの擱きを中に入れる内焼で、家の中でも焼ける。

型を使えば、簡単に作れて、一日で作り上げる事も可能。

灰をうまく活用すれば良い加工ができる。乾燥も効果的に出来る。

尖底土器も、灰の上に置いてクルクル回しながら作っていけば ろくろ いらずで作れる。



やっぱり 「縄文時代」は未知の魅力に溢れている気がします。

2021年3月13日土曜日

【ボーカル】声質とゾクゾク・ムズムズ感

 テレビを見ていると、最近 昭和の歌をカバーして歌う人が増えているようです。


ヒットした歌は、その歌手の個性や声と深く結びついて記憶されているので、他の人がカバーしても、ヒット時代を知っていると、どうしてもヒット当時の歌と比較して違和感を感じてしまう事が多い様に思います。


勿論、時々はこの人の歌い方だと新しい感じがするな、、と思える場合もあって、その時は曲自体の良さがヒットをけん引したんだなと思ったりもします。


ヒット曲と言っても楽曲と歌手の掛け算が色々あるのだと思います。


歌手の特徴として、声質というのは非常に大きな要素だと思います。


私には、その人の歌声を聞いているだけで、身体の中がゾクゾク・ムズムズしてしまう人が何人かいます。


以前も書いたかもしれませんが、太田裕美さんの声、ゆずの岩沢厚治さんの声、ノーランズのバーニーさん、クリストファークロスさんなどは、いつでも、ずっとでも聞いていたいという気になります。


南こうせつさんとか、マイケルジャクソンとか、桑田さんとか 声に特徴のある方は沢山おられて、普通の意味で曲を聞いていたいという事は勿論沢山あるのですが、前述した人たちの声はそういう「音楽」とは違う、「身体の神経が心地よく共鳴する」音という気がします。


周波数分析とかをすれば、もしかしたら高調波とか何かの物理的特徴があるのかもしれません。


視覚では、黄金分割が人間は心地よく感じるという事がありますが、聴覚でも黄金倍率などと言うものがあるのかもしれないなと思います。専門家の間では、とっくに解明済みの事なのかもしれませんが。


コードで言うと、通常の主コードに数音を加えると微妙に心地よい音を作れたりしますが、それのもっと絶妙な感じという感覚ですね。


面白いものです。


2021年3月6日土曜日

【縄文】なんとなく持っていた違和感

 私が学生の時にならった人類の歴史は、猿人、原人、ネアンデルタール人、クロマニヨン人、ホモサピエンスという流れで、日本は縄文時代から始まる印象を持っていました。


縄文時代の人々の説明は、狩猟と木の実などを採取して、粗末な衣服を付けた長髪の人たちが自然の中でただ生活している野生児という絵だったような気がします。


弥生時代は、稲作などの農業が発展したという事だけがイメージとしてあって、その後 急に 聖徳太子達の政治・文化・木造家屋の揃った時代へ飛んでいた印象。


私は聖徳太子の時代は殆ど太古の半分神話の様に感じていました。



それとは別に、三国志やローマ帝国など、かなり現在と似たような世界の歴史を何の疑問も持たずに読んでいました。ローマ帝国などは、中世ヨーロッパにそのままつながっている印象で、中世よりちょっと昔という印象でした。


中東のエジプトのピラミッドや、シュメール文明、エーゲ文明などは、ローマ時代のさらにひと昔前だけど、政治や社会の仕組みや文明がしっかりあったという気がしています。



でも、ふと 世界史の年表を見ると、聖徳太子は6世紀の人で、その時世界では既にローマ帝国は崩壊しています。三国志も2~3世紀の話ですし、エジプトのピラミッドは紀元前26世紀ぐらいの建造物。



こういう風にみると、日本の歴史は本当に不透明な時代が最近まで続いていたのだという事が分かります。



縄文時代は紀元前10世紀ぐらいまでと言われているようなので、海外で起こっているのと同様な文明、文化レベルは日本でも起こっていたのではと考える方が素直な気がします。

勿論、石材を使う文明と、木材等を使う文明では、木材等での文明は遺跡という意味では残りにくいので調べ難いという事はあるのでしょうが。



そういう目で縄文文化をを見てみると、全然 私の認識が変わってきました。



縄文文化の代表例は、言わずとしれた縄文土器です。



縄文土器の写真は小学校から見ているので、なんとなくそんな物かと疑問も持っていなかったのですが、縄文土器に関する本を読んでみて、世界で最も古い土器が縄文土器だという事。世界各地に土器があるが、器の上辺が摘まみ上げた様な形状のものは縄文以外殆どない。という事を知りました。又、上半分の方が大きく重心が高い土器が多いという事も。


現代でもお茶碗やお皿、カップなど陶磁器など普通に使っていますが、確かに、上辺は皆 平らになっている物が殆どです。平でないと使い難いですから。


そういう意味では、日本の縄文時代というのは、地球上の他の地域に比べて 独特の高い文化水準を持っていたのではないかという気がしてきました。

ゴテゴテ装飾したような、非実用的な土器は、芸術性や趣味的なこだわりをする余裕があった事を感じます。豊な生活が出来ていたという事でしょうか。



脱線ですが、旧石器人 という言葉は、昔のカップヌードルのCMの影響か、石斧を持ってマンモスを皆で狩る野蛮人というイメージがありますが、2万年前(200世紀前)ですでにラスコー画などは、高い芸術性や技術を持つ絵が描かれていますし、4万年前のブラッサムブーイのビーナスは今 自分でも作れないだろうなと思う しっかりした女性彫刻です。

人類は、相当 昔昔から現代人と変わらないような感性と思考をしていたのではないかと思えます。加工技術などは未発達ですが。



こういう事例を知れば知るほど、人類の奥深さを感じます。