最近、その軽妙で明るい文体に惹かれてピアニスト中村紘子さんの本を読んでいます。
昨日読み終わったのは 「どこか 古典派」 中村紘子 中央公論新社 でした。
その中で、チャイコフスキーコンクールの審査員をした時の話が色々と書かれています.
毎日何時間も100人を超えるエントリー者のピアノ演奏を聴いて採点していくとの事。
審査員の耳からすると、正確なだけの機械的な演奏や、平板な演奏、癖のある演奏など非常に多様なピアノ弾きがいる。本当に素晴らしいのは一握りという様な感じらしいのです。
私は小学生でバイエル等のピアノの初歩の初歩だけ習った事があり、弾けはしないけどピアノ自体にはなんとなく親近感を持って生きてきました。
特にショパンはいいなと思っていました。
そして、自分比較で考えているので、CDになっているピアノ演奏はなんでもとても上手だと思って聞いていました。
近所の音楽学校の生徒さんのコンサートなども、すごいなすごいなと感心していつも見ていました。
でも、この本を読んで コンクールに出るような人ででもそんなに違いが出るの? と疑問に思い、家にあるショパンのCDを何枚か聞き比べてみました。そういう聞き方をしたのは私にとっては初めてです。
中の1枚は中村紘子さんのCDでした。
そして、ビックリ。
分かりやすいので小品の「子犬のワルツ」を数枚のCD聞き比べたのですが、全く違う。
同じ譜面で引いているはずなのに、こんなに違う弾き方になるのかと驚きました。
中村紘子さんのCDを聞いた後では、図書館から借りていたCD(ピアニストが誰かは知りませんが)の演奏がなんて単調なんだろうと思います。
中村さんの奏でる音がカラーなら、他のCDの音はモノクロみたいです。
素晴らしいと感動したのと同時に、マズイ これは色々な聞き比べにハマってしまうかも。今までは何を聞いても上手いと思えていたのが、そうじゃなくなってしまうかもとも思いました。
ピアニストに限らないと思いますが、同じ楽譜を使っても表現力の違いというのはこんなに大きくあるんだな。。と今更ながら再認識です。
全然別件ですが、中村さんはコンクール以外でも色々な審査員をされていたらしく、昔昔に国際的美人コンクールの日本代表選考の審査員をされた時の話にとても面白い話がありました。
中村さんは審査員初体験で、どう選んだらよいのか全然分からないと悩んでいたら、主催者側から色々アドバイスをもらったとの事。
例えば、第1次審査では
「とにかく、背の高い人を選んでください。世界大会では少なくとも170センチ以上でないと見栄えがしないのです」。
本選では、
「誰か気に入った人は見つかりましたか?」
「ええ、ほら、あの人」
「あ、〇〇県出身の人ですが。確かに一番魅力的ですが、彼女はやめていただけませんでしょうか。もし優勝すると、今後国際大会までの1年間というもの、しょっちゅう東京に呼ぶことになり、経費の点で大変なのです。」
「では、あの人はどうでしょう」
「ああ、確かにあの人も二番目にきれいです。でも、彼女もやめていただけませんでしょうか」
「まあ、どうして?」
「家庭に問題がありそうで、私どものとしては、スキャンダルはさけたいのです」、、、
今は、勿論こんな事は無いとおもいますが、当時の内幕はこんなんだったのか、、と ある意味納得。
中村さんの本は知らない色々な世界をのぞき見させてくれて、そういう意味でも面白いです。