2017年1月29日日曜日

【本】無暖房・無冷房・無結露 究極断熱の家を作る さくら舎 山本順三   この本を読んでから建てよう 成工書房 山本順三

いつか書評を書こうと思っていた本です。でも、書き出すと長文になってしまうので躊躇していました。


本屋や図書館に行くと本当に、面白いと言うか混乱していると言うか、言いたい放題なコーナーがあります。


例えば、健康関係の所。

ある本は肉を食べましょうと主張するし、別の本は肉はダメ野菜を食べましょうと主張。ダイエットも、思いつく限りの色々なダイエット方法が咲き乱れている。

一体 どれを信じたら良いのか分からないという状態。多分、一つ一つの本で主張している方法は、ある前提条件を満たす人には有効なのでしょう。それを万能の様に謳う事で販売部数を上げようとするからこういう事になる。


住宅関連はもっとエグくて、快適やエコな住宅を作るには、この工法が一番。こういう断熱方法が良い。という本が沢山出ています。

それも、健康コーナーの本と違って、他の人の本の内容や、住宅メーカーの主張をこき下ろして、自分の方法が一番と言い合うという印象です。

これらは、著者が工務店主や地方のハウスビルダーだったり、建築資材を作っている会社の関係者だったり、ある工法を応援しいる(多分 金銭的な繋がりがある?)マスコミや研究者だったりする事が多いので、自分に有利な宣伝も狙ってという構図が多いからなのでしょう。


上手に書かれていて、表題につられて1-2冊を読んだ読者は、すっかりその主張を信じてしまい、xx信者の様になって数千万円の家を買ってしまう、、という事があるのではないかと思います。

又は、色々と読めば読むほど混乱してしまう。


私も、実家の建て替えをいつかするかも知れないと考えて、その手の本を図書館で借りて 沢山読みました。

専用のノートを作って、ナルホドとその時に思った部分をメモしていったりしました。 

図書館なので、少し古い本も置いてあり、結露をどうする?から始まって、高気密・高断熱だ、断熱でも外断熱だ、内断熱だ、両方だ、地下熱利用に微気候、エアサイクルにOMソーラー、無垢材に漆喰、耐震、免震、制震構造、ベアガラスにローeガラス、トリプルガラス、サッシ材質、2x4・木造軸組・RC等々、本当に色々な主張に翻弄されてしまいました。

結局、頭の中が疑問でイッパイになってしまい、実際に見に行って体験して、出来れば著者とも話をしてその実態を知るしか整理が出来ないと思い、コレは良いかもと思う所には出かけて行きました。

部分、部分を取ると、各々の人の主張には、納得できる所があります。又、本ではとても素晴らしそうに見えても、現場に行ってみると、実態はそうでもなかったり、本に書かれていないデメリットに気づいた事も多くありました。


この活動の中で、山本順三さんの本とも出会いました。


従来の冬の室内が寒い家や3-40年ぐらいしか持たない家を「獣宅」と呼んで批判している過激な表現の本です。

この人は工務店や資材屋というよりも断熱作業を請け負う業者の人。


この人の言っている事は、他の人が言っており、この時代で正解(政治的にも)と思われている「高気密・高断熱+強制換気 で健康エコ住宅を作る事が重要。」という考えからすると異質な理論、考え方です。


発想の原点は結露を止める。

その為には、断熱材+防湿材で水蒸気の移動を止めるのではなく、水蒸気が通過できる断熱材で壁を作る事で、結露を無くし、冬は暖房機、夏はクーラー無しでも暮らせる温度・湿度が極端に変動しない屋内空間を作る。

同時に、防音、シロアリ・ゴキブリを寄せ付けない、耐火性能も作る。さらに、通常の化学系断熱剤では、火災時に有毒ガスが発生する事があるが、それも発生させない。

(でも、それを実現するには、高度な施行技術が必要との事。)


山本さんのロジックを是として読むと、私の読んだ沢山の本の中で、唯一 矛盾を感じなかった本です。


でも、本の内容を鵜呑みには出来ないので、実際にこの工法で建てた体験館(山本さんが生活している自宅)を、夏の暑い時と、冬の寒い時に訪問しました。

確かに冬は無暖房で寒くなく、空気の清浄感が高い事、非常に静か、気持ちの良い家という事を実感しました。

夏は確かにクーラーはついていませんでしたが、扇風機は回しているので、日射制御はもう一工夫かなという印象はありましたが。

でも、山本さんが本で書いている事がほぼ実現されている印象でした。


山本さん、かなりのアイデアマン+Do it yourself を地で行く方で、様々な工夫を実験している事も良く分かりました。


勿論、この本の工法が万人にベストかどうかは分かりませんが、少なくとも私の価値観にはピッタリはまりました。

家を建てる時には、ぜひこの工法を前提に自分の工夫を加えていければと思っています。


家を建てよう、家が寒い、音がウルサイと思われている方には、一読をお勧めします。

2017年1月28日土曜日

【小さな違和感】「偉大な」

前から気になっていたのですが、バリーポッターなど、欧米本の翻訳を読んでいると「偉大な」という言葉が時々出てきます。


ハリーが組み分け帽子にかかるシーンで、「スリザリンに入れば間違いなく偉大になれる道が開かれる」となっていますし、宿敵 ヴォルデモートに対しても、どこかの箇所で偉大なという形容詞で語られている所があったと思います。


日本語の「偉大」は、”優れて立派な様”という意味で良い人や事に対して使われる単語だと思っているので、悪の権化に対しても「偉大」という言葉で訳されている事に小さな違和感を感じていました。


元の単語は多分greatなのでしょうが、”大変な人物”とか”大人物”というニュアンスの訳の方がぴったりするのでは?と思いました。


なんで、こんな事を突然 思ったかというと、最近のトランプ旋風を見ていて、彼の発言の周りには、この「偉大」が沢山出て来るだろうと感じたから。


本日の毎日新聞記事に、こう出ていました。

トランプ氏が10代に通った「ニューヨーク軍事アカデミー」の恩師は「何でも1番になりたいと思う生徒だった」と振り返る。
ニューヨーク市立大学のサンフォード・シュラム教授(政治学)は、「幼稚で、人々が自分を偉大だと思ってくれないとうそをつき、攻撃する。気質的に大統領に向いていない」と指摘している。

2017年1月5日木曜日

【世相?】今年は小さなビックリが沢山起きそう

この年末年始の1週間程の間に、幾つも小さな
私にとってのビックリニュースがありました。


ネット上の囲碁サイトに、次々と非常に強い謎の
棋士が登場。特に年始のMasterは、日・韓・中=世界
のNo.1プロ棋士を連覇。人間よりウンと強い事を
実証しました。
それが、AlphaGOの進化版だった事が本日発表。
囲碁棋士達は、強い相手が面白い。意気消沈という
よりも、色々と戦いたいという反応。


突然、Fordがメキシコ工場設立計画を白紙に戻して
米国工場で生産する事を発表。(これはトランプ
新大統領がらみである事は明確ですが)


本日、「いきものがかり」が10年目で突然グループ
活動を停止して、放牧に入る宣言。


年末年始から、訳のわからないアレルギー症状で
喉や鼻をやられる大人が続出(私も妻も)。
アレルゲンが何なのか不明。


年末にバレーの木村沙織選手が入籍していた
事を発表。(これは、公然の秘密でしたので、
ビックリというよりは、オメデトウ。)

などなど。


毎日 何かが起こる感じです。
本当に色々な事が起こる1年になりそうな
予感がします。1年後、世界は一体どうな
っているのだろうか??

2017年1月2日月曜日

【本】レンズマン シリーズ E.E.スミス(小西さん訳) 創元SF文庫

中学の時に読んで、大好きになって、
何度も読みました。

本当に、スケールが大きくて、銀河系を
超えるだけでなく、多次元宇宙も超えて
いく。しかも、物理科学を超える心の力
での戦い。何百万年もの時間にも跨る。

第2次大戦の前から終戦後にまたがって
書かれたスペースオペラの傑作です。


最近、図書館で借りて読み直しました。

今 読んでも全く古さを感じず(勿論
機械装置の描写などは古いですが)、
魅了されて4冊を一気に読んでしまい
ました。


子供の時には気が付きませんでしたが、
これを書いたEEスミスは、当時の世界
大戦の状況も反映して、銀河パトロール
隊に敵対するボスコーンは、当時のドイツ
日本 イタリアをイメージして書かれる
いるのでしょう。

痛快なストーリーですが、敵を殺す事
に何の躊躇もなく、敵の惑星(民間人
も住んでいるでしょう)を丸ごと破壊
する事も、当たり前の破壊として書か
れています。

当時のアメリカ人の考え方が垣間見え
る様な気がしますし、これを読んで
多くのアメリカの若者が、これこそ
正義だと考える様になって行ったの
ではと想像できます。


娯楽文学ですが、そういう時代背景
も含めて考えると、別の面の発見が
ありました。

尚、レンズマンシリーズは別の方の
翻訳で復刻版も出ていますが、私に
はどうしても小西さんの訳と眞鍋さ
んの挿絵でないと感じがでません。

刷り込まれているのですね。


痛快で面白いSFをとにかく読みた
い方に、絶対のお勧めです。

ちなみに、第1巻の題名は「銀河
パトロール隊」です。





【年賀状】ちょっと考える

今年も年賀状を出してしまいました。
しかも、大晦日にヤッツケでプリンタ印刷して。


毎年 自己嫌悪を感じます。


勿論、手書きで丹精込めて書かれた賀状を頂く
ととても嬉しいしのですが、それに応えられる
賀状をお送り出来ていないと感じます。

プリントの後に、せめて1行でも手書きをしよ
うと試みるのですが、文章の感性がなく、
ロクデモない事しか書けずに投函してしまう
事になってしまいます。


頂く賀状も、自分やご家族の近況を沢山書か
れたプリント式の物が多く、私と同様に、賀状
が「お手紙・通信」ではなく、一方通行の
「お知らせ・放送」になってしまっています。

さすがに、以前の様に子供の写真ばかりが
載っている物は殆ど無くなりましたが、
「我が家の幸せをお伝えします」とい
うスタイルが多い様に思えます。


又は、個人の心情や思いをビッシリ書いて
訴えようとする物もあります。

FaceBookも同じですが、一方的に自分の
幸せをアピールする個人メディアになって
来ているのでしょうか。


「今年こそ会いたいね」とか「飲もうぜ」
と書いても、結局 1年何もしない事が
多く、それを分かっていながら今年も書い
てしまうのが虚しい。


貴方とは今後殆ど関係しないけど、貴方の
事は覚えていますよ、、と伝えあうツール
に成り下げてしまったのでしょうか。

毎年 年末が近づくと「メールで十分なの
ではないか?」という想いが大きくなりま
すが、新しい事を考えるのは面倒だし、
今回までは賀状を出しておくか、、、という
悪循環になっている気がします。

今の若い層はメールだけで十分だと割り切
っている様です。


私の子供の頃は、イモ判など作ってクラス
メート同士で出し合って、お年玉番号が当
たった、ハズレたと大騒ぎしながら楽しん
だ記憶があります。

いつまでも、そういう記憶に縛られている
という事でしょうか。

こういう悩みを抱えている中高年は多い
のではないでしょうか?


ここに、何かビジネスチャンスがある気も
しますね。