2019年3月27日水曜日

【本】気候を人工的に操作する 水谷広 化学同人 2

次に、特定期間・特定場所への影響になるだろう気候制御のアイデアを見ていきます。

気候制御は、ある特定の自然条件が満たされていないと実行できないものが多いです。

又、気候制御は気を付けるべき点が3つあります。
一つは武器になること。もう一つは思わぬ影響(副作用)が起こる事。三つ目は地球では沢山の遠隔相関があるので、遠くの地域に思いもよらない影響がおきて当たり前です。

気候制御を実施するには相当慎重でなければなりません。

★雲を操る

・巻雲を消して放射冷却を利用する。
技術的に不明点が多いのと、副作用が読めません。

・雲をもっと白くする
上空に層積雲のある海域で船で海水を小滴にして噴き上げるというアイデアがあります。雲が白くなり海水温が下がれば台風も抑えられるという話もあります。この増白方法は風で波が砕けるのとあまり変わらないので、安全性は高いと考えられます。又、効果は4日程しか持たないので現状復帰性も高いと言えます。コストも比較的低くできそうです。
但し、実は 海水の吹上で本当に雲が白くなるかは分かっていません。又、増白されたとしても実際に効果が出るかは分かっていません。そして、これをするには積層雲を求めて海をあちこちと動き回って海水を噴き上げる事になります。現状では、「まだ知らない事が多く、夢を語っている」レベルとの事。


★身の回りの反射率を高める

・屋根を白く塗るなど反射率をあげて クールルーフ。
室内の冷房費用が下がるというオマケもつきます。
但し、町全体では温暖化にプラスかマイナスか定かでありません。

・農地を白く
麦畑を耕した場合と耕さない場合とで比較したら、耕さずに切株などを畑に放置しておいた方が反射率が1.5倍になり気温が下がるというシミュレーションは出ています。農地を白くするというアイデアはこれから詰めていくべきものでしょう。

・海の反射率を高める
船でマイクロバブルを作るという案があります。船も水との摩擦が少なくなって省エネになる。しかし、海面の反射率が上がると水中に入る光が減るので、藻類などに始まる海の生態系にどういう影響を与えるのかが皆目わかっていません。

反射率の高い藻類をつかうという案もあります。ケイ藻が増えると大気中のCO2を吸収するし、魚のえさでもあるので海が豊になるという話もあります。但し、繁殖した藻類がウイルスにやられてたちまち消滅してしまう例もあり、ウイルス制御は必須。又、赤潮の様になったら逆に海の生態系に悪影響になる可能性もあります。


捕集貯留アイデア

空気捕集は既に植林や造林で行われているし、地殻とマントルを形成するケイ酸塩鉱物はCO2を捕集します。

生物を使う物としては、
樹木を増やすのが一つ、もう一つは海洋肥沃化をして藻類を育てる(繁殖に足りない鉄や窒素を撒く、火山灰を撒くなど)という考えもあります。海洋肥沃化は他への影響が大きい可能性があるので実験以外は国際的に禁止になっています。
私たちの海の理解度はその程度なのです。、


岩石の風化によるCO2捕集は、貯蔵という意味でも最適なのですが、風化は時間がかかるのが難点。それを加速する可能性で土の微生物や地衣類、カビやアリ、ゴカイなどの活用が考えられていますが、風化の条件の要因解明がまず必要です。分からない事ばかりです。


貯留には、CO2を回収して地下の地層に押し込むなどが言われていますが、本当に長期間保持させておけるのか不明ですし、そもそも地震国の日本では適地が無い事になります。

植林して炭素を1000年ぐらい木として固定する事は出来そうですが、農地から森になると反射率が落ちてしまいます。

あと、現状についての話がいくつか書かれています。


この本では、色々なアイデアが紹介されてますが、話があちこちに飛び、しかもどれも副作用が分からない、、で止まっている印象を受けます。

勿論、難しいし、人類の知識水準がそこまで至っていないのでしょう。
でも読んでいて、CO2同様にフラストレーションが溜まってしまいました。

こういうまとまりの無い議論が温暖化をめぐってはなされているだとしたら大変です。

色々なアイデアを複合したり、大きな副作用が出ないように多様なアイデアを小規模に行うなどのマネジメント面はどれだけ議論されているのでしょう。
全体を俯瞰してまとめ上げていくという機関が必要ですね。

アイデアだけなら、私も一つ。
植物の中には水よりも比重の重い種類もあります。
そういう木(又はゲノム編集などで成長の早い杉などに大比重を発現させて)を植林して、育った木は日本海溝などに沈めていくのはどうでしょう。深海では腐敗は遅いでしょうし、プレート移動で地殻に引き込まれていけば、新たに石炭層という形でCO2が貯留できる様になるのではないでしょうか。つまり、人工的に石油層、石炭層を作っていくというもの。
これなら、副作用の少ない安全策になるのではないでしょうか。


【本】気候を人工的に操作する 水谷広 化学同人 1

副題は、「地球温暖化に挑むジオエンジニアリング」

地球温暖化への対策アイデアをずらりと説明&現状の課題を説明してくれる本です。

対策アイデアには、単なる思い付き的な物や、実際に検証に入っている物。世間で言葉だけが先行して期待されてしまっているものなど多様との事。

地球温暖化が問題だという認識はかなり前から出来ているにも関わらず、世界では温室効果ガスの排出減少はさせる事ができないでいます。

既に、気温は上昇し始めていて、その影響も気候変動や氷山や氷河が減るなど目に見える様になってきています。

地球温暖化対策技術アイデアと一口に言っても、

①温室効果ガスの増大を抑えるアイデア
②既に大気に溜まってしまった温室効果ガスを回収するアイデア
③回収した温室効果ガスを長期貯留するアイデア
④対症療法で温度上昇を抑えるアイデア

という種類があります。

本当は、人間の生活を改めて、消費生活ではなくすという本質的な事があるハズですが、それに対しては殆ど動きがありません。人間は、一度 便利に浸ってしまうとそこから抜け出せないものなのでしょうか。


この本は、①~④についての色々なアイデアを紹介し、又、現時点で分かっている効果や問題点、懸念点を説明してくれています。


副題にある「ジオエンジニアリング」とは、日本語で地球工学や気候工学と呼ばれている様です。「人為的な気候変動の対策として行う意図的な惑星環境の大規模改変」とのこと。


まずは、その中で全球工学(影響が地球全体に及ぶ工学)のアイデア。

日除けになる物体を地球と太陽との間のラグランジュポイントに置いてしまうというもの。例えば小惑星を爆破して破片を散りばめるなど。対症療法の極みですね。 でも、これは「現状復帰性が低い」のでダメです。


もう一つは、成層圏にエアロゾルを散布するアイデア。これは、以前のピナツボ火山の爆発による火山ガスによるエアロゾル散布が起こり、実際に地球の温度が0.5度下がったという実績があります。又、効き目は数年続くというぐらいなので、「現状復帰性」もありそうです。費用も安く行えます。実現可能性はありそうです。


但し、気を付けなければならない点がいくつかあります。

これもあくまで温度だけを見ている対症療法(太陽光を遮る)である事。

たとえこれで温度が下がったとしても、CO2は沢山あるので海の酸性化はどんどん進んでしまいます。生物が住めなくなっていく。

又、これに慣れてしまい、化学燃料をどんどん燃やしても大丈夫という意識になる(モラル ハザードという言う)と、もしエアロゾル散布が止まると非常な温暖化が進んで(ダイエットでのリバウンドですね)しまう事になります。

さらに、冷却効果は地域によって違いが生じます。もともと太陽光があたりにくい極地方や夜間、冬季などは効果があまり出ません。又、散布の仕方によっては、低緯度から高緯度への熱の移動を減少させ、異常気象を呼びます。降雨量も地域によって狂ってきます。

逆に低コストの為、テロリスト等にエアロゾル散布をさる危険もありそうです。

今まで地球に入って来ていた太陽エネルギーの総量が減るわけなので、光合成など太陽エネルギーで回っている仕組みにも影響があるのではないでしょうか。

止めておいた方が良さそうです。

2019年3月25日月曜日

【本】9条の挑戦 伊藤真、神原元、布施裕仁 大月書店

副題が、「非軍事中立戦略のリアリズム」という本です。

最近の日本は、北朝鮮の軍事脅威だ、韓国・中国との領土紛争だと危機感をあおり、周辺事態法で「積極的平和主義だ」、防衛庁を防衛省へ格上げだと武力増強をどんどん推進しようとする政治家や、マスコミの動きが強まってきていて、露骨に国民を巻き込もうとしようとしている様に感じます。

勿論、日本市民も政治家がアメリカの要求に振り回されて、アメリカに利する様に「閣議決定」などを連発して日本を曲げて行こうとしている事を薄々感じています。

日本人の”長い物には巻かれろ”、”お上に逆らってもしかたないでしょ”となりがちな性質を利用して、憲法改変への流れを創って行こうとしている様です。


私も含めて日本人は小中学校で、日本憲法は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの柱で作られていると習いました。

安倍政権(=自民党=アメリカ?)は、この3つの柱を毎度おなじみの言葉を変えて印象操作するという手口で、変えて行こうとしている様に思えます。

国民の多くは、学校で習った3つの柱はそれでも日本では維持されていくのだろうと淡い期待を持ち続けているのではないでしょうか?

でも、自民党の改憲案は「国民主権から国家主権」に変えようとしていますし、平和主義の具体的縛り(第9条2項)を加憲という偽りで無効にしようとしています。(一般の人は殆ど気が付かないと思うけれど、3項を後付けで書き加えると、そちらが優先されて2項は無効になるというのが法律の世界での常識とのこと。)


第2次大戦後70年以上も経ち、以前は圧倒的多数だった戦争を肌で知っている人がどんどん減ってきています。

戦争の悲惨さを二度と繰り返したくないと思った当時の大多数の人達は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を本当に有難い、大事な事と考えました。


今は、戦争の悲惨さを肌感覚で知らない人が政治を担い、投票する側も同様になってきています。

又、「自分自身や、自分の子供は戦争に出動しないだろう立場の人」が軍事化を推し進めている様にも感じます。(これは、世界の過去の戦争の典型的パターンです。犠牲になるのはいつも庶民)

そんな安倍政権のダマシには乗りたく無いと思っている人は多いと思いますが、では、現実的にはどうしたら良いのか?という答えが分からずに、流される人も多いのではないでしょうか?

この本は、その疑問への具体的な提案だと思います。


小中学校で習った「平和主義」という”理想を語っている”のではなく、国際社会で日本国民が実際に安全に成長していく為の「戦略」として、「非軍事中立を武器にして行動する」事で解決するという提案です。

その為には腹をくくってかかる必要がありますが、私には非常に合理的な提案に思えました。 


内容が盛り沢山なので、本書を読んでもらうのが一番なのですが、その中で そうだよなと思った点を書いてみます。主に、伊藤真さんの書かれた内容からの抜粋です。


まずは、数々の一般の人が持っている誤解を指摘しています。

①軍隊は、「国民の生命や財産を守るのではなく、守ろうとするのは国土や政権である。国土や政権保持の為ならば、国民を犠牲にする事があっても仕方がない」という本質を理解できていない。

 →戦争を肌で知っている人には常識の事ですが、戦争を知らない世代は誤解している人も多い。又は、頭では知っていても実感がない。

 →日本の自衛隊が守っているのは、日本国民ではなく実は米軍基地。北朝鮮のミサイルに対してもパトリオットの配備や出動は米軍基地を守る為のものばかりという不都合な現実。


②近隣諸国が日本に攻めてくる確率は本当はごく低いと軍事専門家は皆そういう認識を持っている。しかし、政治家は危機感をさかんに煽っているという事実。


③軍事増強して「抑止力」を持つのが平和の為という誤解。

 →抑止力と感じるかは相手の感じ方次第。例えば、北朝鮮は既に日本に千発以上打ち込めるミサイルを持っている。中国はもっと持っている。もし、相手が脅威と感じたら、どんどん軍拡競争になる。抑止が破れた時の被害は甚大(特に日本は数十の原発を持っており、国土自体がつぶれる) それについて、政治家は殆ど触れない。


④「主権国家ならば自国を守る軍隊を持つのがあたりまえ」という誤解。欧州では、「集団安全保障」で自国を守りながら軍拡競争を防止するのが当たり前。

 →集団安全保障=多くの国があらかじめ友好関係を結び、相互に武力行使を禁止すると約束し、お互いの主権を制限します。そのうえで、もし万が一、この約束を破って他国を侵略する国があれば、他のすべての国が協力して、その侵略をやめさせようとする仕組みです。同盟の外に共通の敵を想定する「集団的自衛権」とはまったく異質の考え方です。


⑤「専守防衛、個別的自衛権に限定した軍隊ならば平和」という誤解。

 →多くの戦争は、自衛の為という口実や判断で起こされているという歴史事実を直視する必要がある。


⑥「文民統制は機能する」という誤解

 →的確な軍事情報を吸い上げて判断を下せない。軍需産業をコントロールできない。政治家自体が暴走する事がある事。


⑦軍隊を持つ事による、国民生活への影響が伏せられている。
  経済的な面もあるし、徴兵制的になる可能性も。


これらの課題への具体的対応戦略として、「非軍事中立」を国を上げて推進していく事で国民を守り、発展させていく提案がされます。

3人の著者はそれぞれ、具体化の道程では違う考えをもっている様ですが、最終的には同じ構図を目指す提案になっています。 


以下 長文ですが、もっとも伊藤さんの考え方を如実に示していると思われる部分の抜き書きです。


■攻められたらどうする?

ただ、このように軍事力以外の力により攻められない国を作る事が重要だというと、必ず出てくる反論が「攻められたらどうする?」というものです。どんな国であってもその可能性はゼロではない以上、そのときの対処を用意しておくことは必要です。一般的には軍事力によって対処する。つまり武力を行使して戦うことで国を守ろうとします。この常識が果たして現実的であろうかと私は疑問を持っています。私は攻められたら戦わずに白旗をあげるべきだと考えています。

 この考えに対して、国家は侵略による人権侵害から国民を守るべきであり、白旗をあげることは自らの人権を捨てることだと批判されることがあります。しかし、私は国家が国を守るために戦うことによってかえって国民の被害が拡大すると考えています。そもそも軍隊の目的が国を守ることにあり、国民の生命、財産を守ることではないという軍事常識についてはすでに述べました。

 また、「何をされてもかまわない。つまり奴隷になること」だと批判されることもありますが、非暴力抵抗は無抵抗とは違います。国家としても個人としても、非暴力による抵抗は当然に可能です。国家として軍事力による抵抗はしないというだけです。なぜなら、それが被害を最小限に留めることになるからです。国家の最大の任務は国民の命と財産を守ること。ですから、攻撃されない国を作り上げる事が最大の任務となります。万が一、攻撃されることになったときには、その被害を最小限にくい止めることこそ、国家の任務です。反撃して大きな被害を招くよりも武力による反撃をせずに白旗をあげるほうが、被害が少なくて済むという判断です。

 ナチスと戦った正しい戦争もある、だから日本も自国や大切な人を守るために戦うのは当然だという意見もあります。しかし、守るために戦うという人たちは、戦うことで守れることを前提にしていますが、戦ったところで大切な人を守れる保障はどこにもありません。または、勝つまで戦い続けるというのであれば、その被害の甚大さは計り知れないものになります。戦前の日本も自国の国体を守るために戦って、最後は白旗をあげました。もっと早く白旗をあげていれば、沖縄戦も原爆被害も東京大空襲をはじめとした全国の空襲被害もなかったでしょう。確かにナチスと戦った人たちもいました。しかし、パリ市民は戦わず白旗をあげたからパリのすばらしい町並みを残すことが出来ました。日本でも官軍が江戸に迫ったときに勝海舟が白旗をあげて無血開城を選択したからこそ、江戸は火の海にならずにすみました。軍事力による抵抗が国民を守ることには必ずしもつながらないこと、冷静に白旗をあげることで国民を守ることができる事実も知っておくべきです。

 憲法9条を原理主義的に守ろうとすると、理想主義、楽観主義と批判されることがあります。しかし、憲法を改正して軍隊を持つことによって国民を守れると考えることと、どちらが楽観的なのでしょうか。

 戦争について、次のような楽観的な希望を持っていないでしょうか。

 軍隊は国を守るものだと思う楽観。武力で紛争を解決できると思う楽観。米国は日本の為に戦ってくれると思う楽観、日本の自衛官は精神強靭なのでPTSDなどにかかったり、自殺したりするはずはないと思う楽観、軍隊を持って抑止力を強化すれば攻められないと思う楽観、戦争すれば必ず勝てる、または被害はないと思う楽観、たとえ攻められても原発は標的にならないと思う楽観、軍隊を持つ国になって敵を作ってもテロの標的にはならないと思っている楽観です。

 さらに、人権への影響について、次のようにな楽観的な希望を持っていないでしょうか。軍事費が膨大にかかっても、国民の福祉に影響はないと思っている楽観、軍需産業が儲けた利益は国民にきちんと廻ってくると思っている楽観、軍隊を持っても人権保障には何の影響もなく徴兵制などありえないと思っている楽観です。

 そして、政治家について、次のような楽観主義に陥っていませんか。軍事情報が開示され文民統制が可能だと思っている楽観、日本の政治家には、米国の要求を拒否できる能力があり、かつ軍需産業の意向などには左右されないと思う楽観、憲法を変えれば独立主権国家になれると思っている楽観、武装しても中立でいられると思っている楽観、戦前、失敗した軍事力の統制を今の政治家ならできると思っている楽観などです。

 私は楽観を否定しようとは思いません。悲観は受動的感情ですが楽観は能動的な意思であり、楽観が成功を導くと信じています。そして人間は現実の中を生きながらも理想を追い求めなければ進歩はないとも思っています。しかし、誰もが自分の観たいようにものを観てしまう。私も同様です。その点を意識しながら、具体的で現実的な議論を展開する必要があります。


以上で抜粋を終えます。


平和を守る為の考え方は色々あると思いますが、「非軍事中立戦略」という考え方も選択肢としてある事を多くの人が知る方が良いと思いました。

そして、選挙を通じて意思を示していく事が本当に重要なのだと痛感しました。結局は、選挙で誰を選ぶかで全ては決まりますので。

2019年3月17日日曜日

【本】ノーベル賞の舞台裏 共同通信ロンドン支局取材班 ちくま新書

ノーベル賞の受賞は毎年大きなニュースになりますが、ノーベル賞ってどうしてそんなに権威があると思われているのだろうと、この本を読んでみました。


読んでみて、私はノーベル賞について全然分かっていなかったんだなという事を知りました。


ノーベル賞はスウェーデンとノルウェーで授与されていますが、それはノーベルが亡くなった時点では2国が兄弟国(二国を同じ王が治めている)だった事と、ノーベルの遺言で平和賞はノルウェーで選出された委員会で審議決定し、それ以外はスウェーデンでと指定されていたとの事。

又、ノーベル賞は「物理学賞」、「化学賞」、「生理学・医学賞」、「文学賞」、「平和賞」の5つで、「経済学賞」はノーベル賞ではなく正式には”アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞”であるとの事。


ノーベル賞の選考過程は50年間は守秘されるので、誰が候補に挙がっているのかも含めて謎になっている。最終選考は受賞発表の当日に行われるので事前に受賞者名が漏れる事が無い様になっている。又、発表の30分ー1時間前に受賞者に電話で知らされる。


とは言え、著者達は賞選考委員たちへのインタビューやスピーチ等を通じて垣間見えたノーベル賞の裏側を取材している。


その中で、トピック的な所を書き出してみます。


・「文学賞」 
日本では村上春樹さんがいつも受賞するか話題んになりますが、賞選考委員会の中では違う様相の様子らしい。
「アカデミー(賞選考委員)内は、優れた作品を残しながら、いまだ大きな評価を得ていない作家に文学賞を贈りたいという雰囲気だ」と、やんわり村上有力説を否定。村上はあまりに流行作家になり過ぎたという見方だった。


・「経済賞」
経済は理論を唱えても再現性がない。又、選考しているのが科学アカデミーなので数式を用いた話に偏りすぎるきらいがある。金融工学の受賞などがあったが、その後の現実の経済では金融工学は上手くいっていない結果になっている。
本当はケインズ以外は受賞に値する人は居ないのではないか。


・「平和賞」
平和賞については、過去から色々と物議をかもしている。
失敗だったのではと言われているのが佐藤栄作とオバマ。
佐藤栄作は非核3原則という事で受賞したが、その後 核持ち込みに関する密約をアメリカと交わしていた事が暴露された。
オバマは大統領就任1年にもならないうちの受賞になったが、本人は全く望んでいなかった(受賞時点でもアメリカは2つの戦争を遂行中で、オバマは軍の最高責任者)。ノーベル賞のスピーチでも「戦争という手段には平和を守る役割もある」と言い切った。
平和賞は選考委員会の考え方で方向が変わる。オバマや中国の人権作家等を選んでいた時は、平和の実績はなくとも将来平和に貢献すると考えられる人。又は、そのタイミングに賞を贈ることで平和に向かうメッセージとなりうると考えての事の様だった。
17年からの委員長は①諸国間の友好②常備軍の廃止または削減③平和会議の開催・推進というノーベルの遺志を強く意識し始めた。17年の平和賞はICANになった。


・誘致合戦
ノーベル賞を受賞すべく、国を挙げてのアプローチがなされている。
日本も佐藤の時など政府をあげてアプローチをしていた。韓国、中国もスウェーデンの委員会に強くアプローチをかけている。
でも、ノーベル委員会は「国」は意識せずに、何をその人が行ったかという成果だけを見て選定するとしている。
但し、受賞が欧米に偏っていた時期は、アジアでの受賞者をノーベル委員会としても積極的に探していた事もある。


・ノーベル賞の報道 以下引用
”いずれにせよ、ここまでノーベル賞取材に血道を上げるのは日本人記者だけだ。特にノーベル賞受賞者の大半を輩出してきた欧米メディアの場合、非常に淡々とした報道ぶりだ。近年の例では、「ヒッグス粒子」の存在を提唱し物理学の根底を変え13年に英エディンバラ大のピーター・ヒッグス名誉教授が受賞した際も、英BBC放送などは、通常ニュースの扱い。CNNを始め米国のメディアも例年、自国民の受賞でもトップニュースになることは稀だ。オスロで行われる平和賞授与を除いて、授賞セレモニーがニュースになることは殆どない。”

”毎年繰り返されるこうした騒ぎを英国人スタッフは、非常に冷めた様子で見詰めている。「日本人はなぜこんなにノーベル賞が好きなのか?」と皮肉交じりに、日本人記者たちに尋ねるのも恒例行事になってしまった。スタッフの指摘通り、単純明快な答えは見つからない。競争好き、勲章好き、ランキング好きなどが考えられるが、これらの要素が複合的にノーベル狂想曲を奏でているのだろう。あるスウェーデン人ジャーナリストは、遠慮がちに「日本人の欧米コンプレックス」を指摘したが、あながち的外れではないように思える。BBCは毎年、受賞者らを一堂に集め、ノーベル賞受賞に至る活動や個人的な思い、研究上での悩みなどを語ってもらう「ノーベル・マインズ」を放送する。日本式に受賞者を偉人扱いするのとは対照的に、身近な存在としてノーベル賞の知恵を共有する傾向が強い。英国人とてノーベル賞という大きな権威を否定してはいない。ただノーベル賞と客観的な距離を保ち、権威と程よい距離を保っているだけなのだ。”

”記者は、2006年にRNA干渉の研究で医学生理学賞を受けたクレイグ・メローと話す機会があった際、質問をしたことがある。
「ノーベル賞を受けたことであなたの人生はどう変わりましたか?」
メローは笑顔で即答した。
「受賞が決まった日、何年も会っていなかった友人から電話が来た。まだウインドサーフィンを続けているかとね。そして友人のこのときの薦めで、カイトボードを始めたのさ。人生が変わったね。そうそう、仕事も少し忙しくなったかな。」
メローは受賞後も淡々と研究を続ける日々だ。受賞者を国民的英雄に祭り上げ、崇拝の対象とする日本とは何と大きな差だろう。”


との事。

日本のノーベル賞至上主義は、そろそろ止めた方が良さそうです。
本当の所は、大騒ぎしているのはマスコミと政治家だけかもしれませんが。。


2019年3月3日日曜日

【本】サイボーグ009 1~23巻 石ノ森章太郎 秋田書店

石ノ森さんの代表作であり、ライフワークとも言える物語群です。

小学生の頃に読みだして、好きで何度も何度も読み返していたのを覚えています。

地下帝国ヨミ編の最後で、009と002の流れ星を読んで 涙と喪失感でその後3日ぐらい落ち込んでいました。


そんな、サーボークですが、その後もぽつぽつと続編が出ている事は知っていましたが、あまり読む機会を持てませんでした。


今回、近くの図書館に豪華本が全巻揃っている事を知り、50年ぶりに1巻から順次借りて読みました。


初期の巻では、とても懐かしくこういう絵だった、そうだったと当時の自分の気持ちも思い出しながら読みました。


通して読んでみると、そこには著者の石ノ森さん自身が大人になり成熟していく過程も感じられました。


このシリーズを通して、石ノ森さんは色々な事を若い人達に伝えたかったのだと思います。


初期は、SFマンガの面白さと、ブラックゴースト団という存在により、世界には裏社会があるんだという事、チームワークと団結で困難を乗り越えていく素晴らしさ、サイボーグに理不尽に改造された相手とも命のやり取りをして戦っていかなければならない悲哀、科学技術の凄さと二面性 でしょうか。

戦争の悲惨さ、ベトナム戦争とはどんな感じになっているのか、戦争のカラクリや、戦闘員の気持ち、戦争は誰も幸せにしない事を伝えようとしたと感じました。


中期は、色々な派生ストーリーを単発的に描き、SF小説やミステリー小説の面白さにいざなっている様に見えました。


ガロ等でポエムの様な「ジュン」で実験演出を試みていた時は、009でもポエム調になり、活劇とは異なる 芸術や美を感じさせるものもありました。

後半は、人間の科学技術が野放図に進化していく事に対する危惧を伝えたかったのでは思われる作品も多いです。


病没されて途中までになってしまった「神々との闘い」は、人間とは何かを、宗教的な事もからめて語ろうとされていたのかもしれません。


40年に渡った作品群という事で、読者側もどんどん次世代に変わっていったのだと思いますが、石ノ森さんがその時その時に伝えたかった気持ちが、読んだ各読者の胸に響いたのではないかと思います。


サイボーグ009全巻を読んで、初めて石ノ森さんの人生を感じる事が出来たと思いました。

往年の少年達に、可能ならば もう一度 読んでみて欲しい シリーズです。