ノーベル賞の受賞は毎年大きなニュースになりますが、ノーベル賞ってどうしてそんなに権威があると思われているのだろうと、この本を読んでみました。
読んでみて、私はノーベル賞について全然分かっていなかったんだなという事を知りました。
ノーベル賞はスウェーデンとノルウェーで授与されていますが、それはノーベルが亡くなった時点では2国が兄弟国(二国を同じ王が治めている)だった事と、ノーベルの遺言で平和賞はノルウェーで選出された委員会で審議決定し、それ以外はスウェーデンでと指定されていたとの事。
又、ノーベル賞は「物理学賞」、「化学賞」、「生理学・医学賞」、「文学賞」、「平和賞」の5つで、「経済学賞」はノーベル賞ではなく正式には”アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞”であるとの事。
ノーベル賞の選考過程は50年間は守秘されるので、誰が候補に挙がっているのかも含めて謎になっている。最終選考は受賞発表の当日に行われるので事前に受賞者名が漏れる事が無い様になっている。又、発表の30分ー1時間前に受賞者に電話で知らされる。
とは言え、著者達は賞選考委員たちへのインタビューやスピーチ等を通じて垣間見えたノーベル賞の裏側を取材している。
その中で、トピック的な所を書き出してみます。
・「文学賞」
日本では村上春樹さんがいつも受賞するか話題んになりますが、賞選考委員会の中では違う様相の様子らしい。
「アカデミー(賞選考委員)内は、優れた作品を残しながら、いまだ大きな評価を得ていない作家に文学賞を贈りたいという雰囲気だ」と、やんわり村上有力説を否定。村上はあまりに流行作家になり過ぎたという見方だった。
・「経済賞」
経済は理論を唱えても再現性がない。又、選考しているのが科学アカデミーなので数式を用いた話に偏りすぎるきらいがある。金融工学の受賞などがあったが、その後の現実の経済では金融工学は上手くいっていない結果になっている。
本当はケインズ以外は受賞に値する人は居ないのではないか。
・「平和賞」
平和賞については、過去から色々と物議をかもしている。
失敗だったのではと言われているのが佐藤栄作とオバマ。
佐藤栄作は非核3原則という事で受賞したが、その後 核持ち込みに関する密約をアメリカと交わしていた事が暴露された。
オバマは大統領就任1年にもならないうちの受賞になったが、本人は全く望んでいなかった(受賞時点でもアメリカは2つの戦争を遂行中で、オバマは軍の最高責任者)。ノーベル賞のスピーチでも「戦争という手段には平和を守る役割もある」と言い切った。
平和賞は選考委員会の考え方で方向が変わる。オバマや中国の人権作家等を選んでいた時は、平和の実績はなくとも将来平和に貢献すると考えられる人。又は、そのタイミングに賞を贈ることで平和に向かうメッセージとなりうると考えての事の様だった。
17年からの委員長は①諸国間の友好②常備軍の廃止または削減③平和会議の開催・推進というノーベルの遺志を強く意識し始めた。17年の平和賞はICANになった。
・誘致合戦
ノーベル賞を受賞すべく、国を挙げてのアプローチがなされている。
日本も佐藤の時など政府をあげてアプローチをしていた。韓国、中国もスウェーデンの委員会に強くアプローチをかけている。
でも、ノーベル委員会は「国」は意識せずに、何をその人が行ったかという成果だけを見て選定するとしている。
但し、受賞が欧米に偏っていた時期は、アジアでの受賞者をノーベル委員会としても積極的に探していた事もある。
・ノーベル賞の報道 以下引用
”いずれにせよ、ここまでノーベル賞取材に血道を上げるのは日本人記者だけだ。特にノーベル賞受賞者の大半を輩出してきた欧米メディアの場合、非常に淡々とした報道ぶりだ。近年の例では、「ヒッグス粒子」の存在を提唱し物理学の根底を変え13年に英エディンバラ大のピーター・ヒッグス名誉教授が受賞した際も、英BBC放送などは、通常ニュースの扱い。CNNを始め米国のメディアも例年、自国民の受賞でもトップニュースになることは稀だ。オスロで行われる平和賞授与を除いて、授賞セレモニーがニュースになることは殆どない。”
”毎年繰り返されるこうした騒ぎを英国人スタッフは、非常に冷めた様子で見詰めている。「日本人はなぜこんなにノーベル賞が好きなのか?」と皮肉交じりに、日本人記者たちに尋ねるのも恒例行事になってしまった。スタッフの指摘通り、単純明快な答えは見つからない。競争好き、勲章好き、ランキング好きなどが考えられるが、これらの要素が複合的にノーベル狂想曲を奏でているのだろう。あるスウェーデン人ジャーナリストは、遠慮がちに「日本人の欧米コンプレックス」を指摘したが、あながち的外れではないように思える。BBCは毎年、受賞者らを一堂に集め、ノーベル賞受賞に至る活動や個人的な思い、研究上での悩みなどを語ってもらう「ノーベル・マインズ」を放送する。日本式に受賞者を偉人扱いするのとは対照的に、身近な存在としてノーベル賞の知恵を共有する傾向が強い。英国人とてノーベル賞という大きな権威を否定してはいない。ただノーベル賞と客観的な距離を保ち、権威と程よい距離を保っているだけなのだ。”
”記者は、2006年にRNA干渉の研究で医学生理学賞を受けたクレイグ・メローと話す機会があった際、質問をしたことがある。
「ノーベル賞を受けたことであなたの人生はどう変わりましたか?」
メローは笑顔で即答した。
「受賞が決まった日、何年も会っていなかった友人から電話が来た。まだウインドサーフィンを続けているかとね。そして友人のこのときの薦めで、カイトボードを始めたのさ。人生が変わったね。そうそう、仕事も少し忙しくなったかな。」
メローは受賞後も淡々と研究を続ける日々だ。受賞者を国民的英雄に祭り上げ、崇拝の対象とする日本とは何と大きな差だろう。”
との事。
日本のノーベル賞至上主義は、そろそろ止めた方が良さそうです。
本当の所は、大騒ぎしているのはマスコミと政治家だけかもしれませんが。。
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