2019年3月25日月曜日

【本】9条の挑戦 伊藤真、神原元、布施裕仁 大月書店

副題が、「非軍事中立戦略のリアリズム」という本です。

最近の日本は、北朝鮮の軍事脅威だ、韓国・中国との領土紛争だと危機感をあおり、周辺事態法で「積極的平和主義だ」、防衛庁を防衛省へ格上げだと武力増強をどんどん推進しようとする政治家や、マスコミの動きが強まってきていて、露骨に国民を巻き込もうとしようとしている様に感じます。

勿論、日本市民も政治家がアメリカの要求に振り回されて、アメリカに利する様に「閣議決定」などを連発して日本を曲げて行こうとしている事を薄々感じています。

日本人の”長い物には巻かれろ”、”お上に逆らってもしかたないでしょ”となりがちな性質を利用して、憲法改変への流れを創って行こうとしている様です。


私も含めて日本人は小中学校で、日本憲法は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの柱で作られていると習いました。

安倍政権(=自民党=アメリカ?)は、この3つの柱を毎度おなじみの言葉を変えて印象操作するという手口で、変えて行こうとしている様に思えます。

国民の多くは、学校で習った3つの柱はそれでも日本では維持されていくのだろうと淡い期待を持ち続けているのではないでしょうか?

でも、自民党の改憲案は「国民主権から国家主権」に変えようとしていますし、平和主義の具体的縛り(第9条2項)を加憲という偽りで無効にしようとしています。(一般の人は殆ど気が付かないと思うけれど、3項を後付けで書き加えると、そちらが優先されて2項は無効になるというのが法律の世界での常識とのこと。)


第2次大戦後70年以上も経ち、以前は圧倒的多数だった戦争を肌で知っている人がどんどん減ってきています。

戦争の悲惨さを二度と繰り返したくないと思った当時の大多数の人達は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を本当に有難い、大事な事と考えました。


今は、戦争の悲惨さを肌感覚で知らない人が政治を担い、投票する側も同様になってきています。

又、「自分自身や、自分の子供は戦争に出動しないだろう立場の人」が軍事化を推し進めている様にも感じます。(これは、世界の過去の戦争の典型的パターンです。犠牲になるのはいつも庶民)

そんな安倍政権のダマシには乗りたく無いと思っている人は多いと思いますが、では、現実的にはどうしたら良いのか?という答えが分からずに、流される人も多いのではないでしょうか?

この本は、その疑問への具体的な提案だと思います。


小中学校で習った「平和主義」という”理想を語っている”のではなく、国際社会で日本国民が実際に安全に成長していく為の「戦略」として、「非軍事中立を武器にして行動する」事で解決するという提案です。

その為には腹をくくってかかる必要がありますが、私には非常に合理的な提案に思えました。 


内容が盛り沢山なので、本書を読んでもらうのが一番なのですが、その中で そうだよなと思った点を書いてみます。主に、伊藤真さんの書かれた内容からの抜粋です。


まずは、数々の一般の人が持っている誤解を指摘しています。

①軍隊は、「国民の生命や財産を守るのではなく、守ろうとするのは国土や政権である。国土や政権保持の為ならば、国民を犠牲にする事があっても仕方がない」という本質を理解できていない。

 →戦争を肌で知っている人には常識の事ですが、戦争を知らない世代は誤解している人も多い。又は、頭では知っていても実感がない。

 →日本の自衛隊が守っているのは、日本国民ではなく実は米軍基地。北朝鮮のミサイルに対してもパトリオットの配備や出動は米軍基地を守る為のものばかりという不都合な現実。


②近隣諸国が日本に攻めてくる確率は本当はごく低いと軍事専門家は皆そういう認識を持っている。しかし、政治家は危機感をさかんに煽っているという事実。


③軍事増強して「抑止力」を持つのが平和の為という誤解。

 →抑止力と感じるかは相手の感じ方次第。例えば、北朝鮮は既に日本に千発以上打ち込めるミサイルを持っている。中国はもっと持っている。もし、相手が脅威と感じたら、どんどん軍拡競争になる。抑止が破れた時の被害は甚大(特に日本は数十の原発を持っており、国土自体がつぶれる) それについて、政治家は殆ど触れない。


④「主権国家ならば自国を守る軍隊を持つのがあたりまえ」という誤解。欧州では、「集団安全保障」で自国を守りながら軍拡競争を防止するのが当たり前。

 →集団安全保障=多くの国があらかじめ友好関係を結び、相互に武力行使を禁止すると約束し、お互いの主権を制限します。そのうえで、もし万が一、この約束を破って他国を侵略する国があれば、他のすべての国が協力して、その侵略をやめさせようとする仕組みです。同盟の外に共通の敵を想定する「集団的自衛権」とはまったく異質の考え方です。


⑤「専守防衛、個別的自衛権に限定した軍隊ならば平和」という誤解。

 →多くの戦争は、自衛の為という口実や判断で起こされているという歴史事実を直視する必要がある。


⑥「文民統制は機能する」という誤解

 →的確な軍事情報を吸い上げて判断を下せない。軍需産業をコントロールできない。政治家自体が暴走する事がある事。


⑦軍隊を持つ事による、国民生活への影響が伏せられている。
  経済的な面もあるし、徴兵制的になる可能性も。


これらの課題への具体的対応戦略として、「非軍事中立」を国を上げて推進していく事で国民を守り、発展させていく提案がされます。

3人の著者はそれぞれ、具体化の道程では違う考えをもっている様ですが、最終的には同じ構図を目指す提案になっています。 


以下 長文ですが、もっとも伊藤さんの考え方を如実に示していると思われる部分の抜き書きです。


■攻められたらどうする?

ただ、このように軍事力以外の力により攻められない国を作る事が重要だというと、必ず出てくる反論が「攻められたらどうする?」というものです。どんな国であってもその可能性はゼロではない以上、そのときの対処を用意しておくことは必要です。一般的には軍事力によって対処する。つまり武力を行使して戦うことで国を守ろうとします。この常識が果たして現実的であろうかと私は疑問を持っています。私は攻められたら戦わずに白旗をあげるべきだと考えています。

 この考えに対して、国家は侵略による人権侵害から国民を守るべきであり、白旗をあげることは自らの人権を捨てることだと批判されることがあります。しかし、私は国家が国を守るために戦うことによってかえって国民の被害が拡大すると考えています。そもそも軍隊の目的が国を守ることにあり、国民の生命、財産を守ることではないという軍事常識についてはすでに述べました。

 また、「何をされてもかまわない。つまり奴隷になること」だと批判されることもありますが、非暴力抵抗は無抵抗とは違います。国家としても個人としても、非暴力による抵抗は当然に可能です。国家として軍事力による抵抗はしないというだけです。なぜなら、それが被害を最小限に留めることになるからです。国家の最大の任務は国民の命と財産を守ること。ですから、攻撃されない国を作り上げる事が最大の任務となります。万が一、攻撃されることになったときには、その被害を最小限にくい止めることこそ、国家の任務です。反撃して大きな被害を招くよりも武力による反撃をせずに白旗をあげるほうが、被害が少なくて済むという判断です。

 ナチスと戦った正しい戦争もある、だから日本も自国や大切な人を守るために戦うのは当然だという意見もあります。しかし、守るために戦うという人たちは、戦うことで守れることを前提にしていますが、戦ったところで大切な人を守れる保障はどこにもありません。または、勝つまで戦い続けるというのであれば、その被害の甚大さは計り知れないものになります。戦前の日本も自国の国体を守るために戦って、最後は白旗をあげました。もっと早く白旗をあげていれば、沖縄戦も原爆被害も東京大空襲をはじめとした全国の空襲被害もなかったでしょう。確かにナチスと戦った人たちもいました。しかし、パリ市民は戦わず白旗をあげたからパリのすばらしい町並みを残すことが出来ました。日本でも官軍が江戸に迫ったときに勝海舟が白旗をあげて無血開城を選択したからこそ、江戸は火の海にならずにすみました。軍事力による抵抗が国民を守ることには必ずしもつながらないこと、冷静に白旗をあげることで国民を守ることができる事実も知っておくべきです。

 憲法9条を原理主義的に守ろうとすると、理想主義、楽観主義と批判されることがあります。しかし、憲法を改正して軍隊を持つことによって国民を守れると考えることと、どちらが楽観的なのでしょうか。

 戦争について、次のような楽観的な希望を持っていないでしょうか。

 軍隊は国を守るものだと思う楽観。武力で紛争を解決できると思う楽観。米国は日本の為に戦ってくれると思う楽観、日本の自衛官は精神強靭なのでPTSDなどにかかったり、自殺したりするはずはないと思う楽観、軍隊を持って抑止力を強化すれば攻められないと思う楽観、戦争すれば必ず勝てる、または被害はないと思う楽観、たとえ攻められても原発は標的にならないと思う楽観、軍隊を持つ国になって敵を作ってもテロの標的にはならないと思っている楽観です。

 さらに、人権への影響について、次のようにな楽観的な希望を持っていないでしょうか。軍事費が膨大にかかっても、国民の福祉に影響はないと思っている楽観、軍需産業が儲けた利益は国民にきちんと廻ってくると思っている楽観、軍隊を持っても人権保障には何の影響もなく徴兵制などありえないと思っている楽観です。

 そして、政治家について、次のような楽観主義に陥っていませんか。軍事情報が開示され文民統制が可能だと思っている楽観、日本の政治家には、米国の要求を拒否できる能力があり、かつ軍需産業の意向などには左右されないと思う楽観、憲法を変えれば独立主権国家になれると思っている楽観、武装しても中立でいられると思っている楽観、戦前、失敗した軍事力の統制を今の政治家ならできると思っている楽観などです。

 私は楽観を否定しようとは思いません。悲観は受動的感情ですが楽観は能動的な意思であり、楽観が成功を導くと信じています。そして人間は現実の中を生きながらも理想を追い求めなければ進歩はないとも思っています。しかし、誰もが自分の観たいようにものを観てしまう。私も同様です。その点を意識しながら、具体的で現実的な議論を展開する必要があります。


以上で抜粋を終えます。


平和を守る為の考え方は色々あると思いますが、「非軍事中立戦略」という考え方も選択肢としてある事を多くの人が知る方が良いと思いました。

そして、選挙を通じて意思を示していく事が本当に重要なのだと痛感しました。結局は、選挙で誰を選ぶかで全ては決まりますので。

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