2021年1月3日日曜日

【パンドラの箱?】ゲノム編集

 2020年のノーベル賞に二人の女性が選ばれました。


彼女たちは、ゲノム編集に画期的なツールをであるクリスパー・キャス9を開発したとの事。


又、昨年のテレビのワイドショーなどでゲノム編集野菜というトピックステーマも幾つか見ました。 遺伝子組み換え作物と違い、ゲノム編集作物は安全だと言われているという論調だった様に思います。



でも、実際は何が起こっているのか、起こりそうなのかが良く分かりませんでした。

そこで、「ゲノム編集とはなにか」 ブルーバックス 山本 卓 氏著を読んでみました。


ブルーバックスなので一般向けに書かれているのだと思いますが、やはり専門用語が溢れていて詳細に読み解く根性はなかったのですが、読み飛ばしながらでも そうなのか!と思った事は記しておきます。


この技術も、人類にとって禁断の技術の一つなのではないかとの感想を持ちました。



まず、

「ゲノム編集」と言っていますが、要はDNAをワープロで文章を直すがごとく編集する技術です。


DNA上には遺伝子(タンパク質を発現させる設計図)が散らばっていますが、DNA上の狙いをつけた所でDNAを切断したり、削除したり、そこに別の文章(遺伝子)を挿入したりする事が出来るという事らしい。


自然界でも、放射線などでDNAが損傷(切れたりする)事は起こっています。それに誘発されて突然変異するという事も起こります。


又、従来からの農業試験所などで行われていた作物の品種改良は、人為強制的に放射線を浴びせて、色々な突然変異を起こさせて、それらを育ててみて良いものを選別していく、、、という様な事をしていました。


ただ、放射線等でDNA損傷を行うと、DNAのどこに、どのような損傷が出来るかは運任せでした。


それを、狙った場所で切断する。 そこに狙った他の遺伝子を挿入する。という事が簡単に行える技術がクリスパー・キャス9との事。


原理は、もともと生物が免疫記憶用に持っていたしくみで、入ってきた外敵ウイルスのDNAの一部を切断し、自分のDNAの中のデータ保存領域(クリスパー遺伝子座=小さなかたまりとなった規則的に間隔を空けた短い回文配列の繰り返し構造を持つ=日本人が発見)に切り取ったDNA片を組み込み=記録し、後日外敵が来た時に、最適な抗体をぶつけていく事をしている。 そのしくみを使って、DNAの狙った場所を切り、狙った場所に挿入する事を実現する。


遺伝子は、次世代シーケンサーだと非常に短時間で配列を読み切ってしまう事が出来る現在は、その情報を使って 狙いの場所を任意に特定できる様になった。



DNAを切るだけを ノックアウトと言い。 他の遺伝子を挿入するのをノックイン と言うらしい。


ノックアウトは、自然界でも放射線で起こっている事と見分けがつかないので、安全だと言っているらしい。


ノックインは自然界では殆ど起こらない事なので、安全性等の確認が必要と考えるとの事。従来の「遺伝子組み換え」とゲノム編集のノックインの違いは、「遺伝子組み換え」はDNAの何処に挿入できるのかやってみないとわかないのに対して、ノックインは狙った所に挿入できるという違い。



この技術を使うと、学術的には どの遺伝子がどういう働きをするのかをひとつづつ調べていくことができたり、網羅的・系統的に調べていく事が可能になる。


応用として、幾つかの例が載せられているが、

・古くからある、作物が病気や虫害に対抗できる様にする。

・マグロの養殖で、神経質な性質をおとなしい性質に変える。

・外来種を絶滅させるために、不妊化して子孫を残せない様にする。

・花粉を生まないスギにする。

・油脂を作る藻を繁殖しやすくする。

・牛がけんかで傷つけやすいので、角が生えない牛にする。

・医療への応用


など。DNAは生物の設計図なのですから、それをイジルと そうとう何でも出来てしまいそうです。


特に、性質・気質を変えるとか、不妊化させるなど、人間の尊厳を直接踏みにじる事も当たり前に出来る世の中になりそうです。

下手をすると、形を変えた優生思想に使われるかもしれません。



筆者は 倫理面での法制度化を急ぐべしという事を訴えています。

(学術会議はそういう提言をしているとの事。政府は法制化しているのだろうか?)



今までの歴史を見ると、科学者は自分の興味や功名心、または善意から研究をどんどん推し進めると思います。

政治や利権を求める大多数の人間は、それを自分の為に活用しようとするでしょう。



人類は、また新しいパンドラの箱を開けてしまった様に思います。 

どうやって希望を残せば良いのでしょうか?

2021年1月1日金曜日

【家 住み手が書く】体感温度 快適性

 以前、ネットでは(室温+壁の温度)/2が体感温度と言われているようだと書きました。


実際に毎日 室温計を見ながら3年弱過ごしてみて、確かにそんな感じかなという気もします。


室温が同じでも、寒く感じる日もある。

湿度も体感にはかなり効いてくるというのも実感です。(特に暑さに関して)



でも、体感温度と快適性は必ずしも同じでは無いという事も良く分かりました。



快適性としては、気温よりも輻射熱が重要と感じます。



冬場、室温は22度に保っていても、日差しの有無で快適性が天と地ほど違います。


壁の温度というよりも、直射日光の輻射熱を感じられるかどうか。



「床暖房の幸せ」というハウスメーカーの広告を良く見ますが、床暖房は輻射熱方式ですので納得できます。


でも床暖房は無くとも、窓から差し込んだ日光に直接身体があたる陽だまり効果に加えて、日光に床や家具が暖められてそこからの輻射熱が出るという効果があります。


日光が差し込んでいるならば、たとえ室温が18度ぐらいでも、寒さや不快感は無し。



太陽光のありがたさを本当に感じます。 

太陽光の安心感が加わってかっているのかもしれませんし、壁からの低温輻射よりも(ずっとエネルギーの高い)太陽輻射の方が人間の皮膚には快適と感じる様に出来ているのかもしれません。

又は赤外領域の輻射よりも、可視光領域の輻射をより心地よいと感じるのかも。


太陽の光はタダですし、うまく活用したいですね。、



蛇足ですが、


東京の冬は晴天率が80%近くあります。我が家では真冬でも晴天の日は暖房は夜中の数時間だけ。それも不要の日もあります。

関東は晴天率が高いので太陽エネルギーの取り込みのパッシブコンセプトがとても良く合います。