最近の日韓関係はかなり悪くなっています。日本と韓国のマスコミ報道や政府の発表を見ていると、お互いに想定していた相手の反応と異なる反応の応酬で、収拾の切り口が見えない様です。
日本人の私から見ると、珍しく政府の言う「約束を守らない信用できない韓国」という話に共感を覚えます。約束を破ったのに何故ゴメンの一言も無いのだろうかとの疑問もわきます。但し、日本のマスコミや政治家の対立を煽る報道は大人気ない様に思えます。
一方、韓国政府と韓国マスコミの報道は、良く調べないままに色々な事を感情的に言いふらしている様に見えます。又、日本からの提起している問題を、挙国一致の反日プロパガンダにすり替えようとする動きに見えます。しかも、それを韓国国民も疑いもせずに賛同しているような印象です。
あまりにチグハグな成り行きに、兎に角、同じ事実や状況に対して、日本人の解釈と韓国人の解釈が根本的に異なっているのだろうと感じました。
そこで、韓国人(朝鮮民族?)の感じ方はどういう風になっているのかを知りたくて、 韓国人の感じ方について、少し前の時代の本、現在(昨年)の本、そして朝鮮民族のベースになっている儒教とはどんな考え方なのかの本を読んでみる事にしました。
この本はその1冊目。1996年発刊の本ですので、日本でいうと昭和末~平成初の頃にあたる、少し前の時代の韓国人についての本です。やっぱり、色々と基本的な文化や生活風習、常識の違いがあるようです。
こういう考え方、こういう事を大事にする人達なのか という事を理解するのがよさそうです。
以下 ナルホドと思ったポイントの抜粋をします。
1.身勝手にみえる韓国人
・コリアン・タイム:
定められた時間より遅れて会議や行事が始まったり、約束した時間に遅れてやってくる事を意味します。
韓国人の時間感覚は、約束の時間に15分遅れは会釈だけ、30分までなら軽い詫び言ですむ。1時間以上遅れたら、相手を納得させるだけの遅れた理由がなければならない。但し、謝らないで、相手に遅れた理由を説明する必要がある。との事。
これは、よくいえば個人主義、普通に言えば自分勝手な行動様式である。相手のことなどは考えない。相手をまたせること等に心の痛みは少しも感じない。感じるほうが不思議なのである。
日本人は約束の時間を守る事が大事だと考える。相手を15分とか待っても来ない時は帰ってしまう事もある。韓国人は時間よりも会う事が大事だと考える。相手がいくら遅れても先に帰ってしまうという事はない。
歴史的な時間感覚も違う。日本人には遠い過去と思われるようなことがらについても、韓国人は、つい昨日のような感覚で話かけてくる。500年ほども昔になる豊臣秀吉の朝鮮侵略が、今でも数年前のことのように生々しく語られる要因の一つには、この時間の感覚にあるのではなかろうかと思われる。
・チームプレーが出来ない韓国人:
1910年~1945年までのあしかけ36年間、日本は朝鮮半島を植民地支配した。
その時代を韓国人は「日帝時代」とか「強占時代」と呼んでおり、日本に対する憎悪がぎっしりと缶詰のようにつみこまれた時代と感じている。
その間、朝鮮人はつねに日本からの独立を思い続け、実施に独立闘争を繰り返し行ってもきた。その頃、朝鮮人の教師たちは、次のようなことを密かに生徒に教えていた。「1対1の勝負なら、ならず朝鮮人は日本人に勝つ。しかし、3対3の勝負となれば、かならず日本人が勝ってしまう。なぜ集団になると負けてしまうのかを良く考えなければならない。」
韓国企業では、仲間や部下に教える様に指導すると、「ここは会社で仕事をするところです。教えるところではありません。学校へ行くか、自分一人で勉強すればいいんです。」と答え、まわりにいた韓国人も、その答えに同調した人が多かったという。
但し、単に自分本位という事ではなく、一度仲間意識が出来、一人ひとりの役割分担が明確に理解されるとスゴイ組織力を出す。
・韓国人は職人や汗をかく仕事を差別する
肉体労働蔑視は続いており、日本で大学を卒業した人が寿司職人になるなどと聞くとビックリする。
韓国では料理屋は長続きしない。日本で3代続て100年になるおでん屋がある事に韓国人女性料理店経営者は驚いた。”韓国では食べ物商売の社会的評価が低いのです。経営者も従業員もあまりよくみられません。”とのこと。
・年下にはぞんざいな言葉で
韓国人にとって年齢は大切だ。年をとっているだけでも「尊敬」の対象となるから。
一家内の序列は 祖父→父→兄→自分 となる。
家の外では年上や上役、家の中では父親、母親、兄には必ず丁寧語を使わなければならない。父親は子供に対して絶対君主であり、長男は弟達に対して専制者のような存在である。この中に姉妹は含まれない。形式的には、女性は「出て行く者」として家族の成員としてあつかわれていなかったから。
朝鮮王朝時代の身分制度はもう存在しないが、社会的身分(職業の差や職制の差)および年齢による上下関係が複雑にからみあって、序列の決まりが現在の韓国人社会に強く残っている。
だから、いつでも自分がどの位置にいるのかという事が一番気がかりになる。
韓国人は上昇志向が極めて強い民族であるといえる。
自分を目立たせる。積極的に自分を売り込む。大きな声で話す。自分の力で出来ないことでも、出来ないとはいわない。仲間と協調しない。などはいかにして自分を高い位置にいると見られたいかという努力の表れ。
2.ウリ(われわれ)は韓国理解のキーワード
・ウリは共同体意識を表す言葉。
韓国人は「私の家」「私の国」「私のお母さん」「私の先生」というような言い方はできない。全て、ウリをつけて「我々の家」「我々の国」「我々のお母さん」「我々の先生」という言い方をしないといけない。
そして、ウリ意識は入れ子の構造になる。
・第1ウリ集団 家族
韓国では8親等までが家族と考えられる。意識の上では大家族になる。
家族内は一心同体にならなくてはいけない。
・第2ウリ集団 会社の部や課=コネ集団
非常に親しい人間関係になる。新人も基本はウリ内の人とのコネを持っている人が入って来る。
・異なるウリとウリは交じり合わない。
韓国人は未知の相手にはとんでもなく無愛想である。すぐ目の前に壁を作ってしまう。だが、その壁が崩れるとお互いにベタベタした関係を望んでいる。壁が無くなると、次は奥座敷に土足で踏み込む様な付き合いをしなければならない。
3.ウリよがりの韓国人
・強力な家族意識
「同本同姓は結婚できない。」韓国の金海金氏は300万人をこす大集団だが、この300万人同士は結婚できない。
「同族経営は会社の基本理念。」
・「親は子より大事」=儒教の「考=先祖を敬う」が最も大事
日帝時代に日本の支配者たちは、そういう「考第一」意識をもっていた朝鮮人に、何よりもまず優先させるべきこととして、天皇への「忠」を押し付けた。これは彼らから見るととんでもない事。
・「ありがとう」と「ごめんなさい」 軽々しく礼をしてはいけない
韓国では家族の間では、「うれしい」は使うが「ありがとう」は使わない。当然なされるべき行為にたいしては「ありがとう」という感謝を意味する言葉は必要ないという。
よって、レストラン等でもウエイトレスやウエーターに何か用事を頼んでも「ありがとう」という言葉を使ってはいけない。
「ありがとう」「すみません」「ごめんね」という言葉を韓国人は気軽には使えない。本当に感謝しなければならないとき、本当に謝罪しなければならないときにしか使えないのだ。
この習慣のちがいを知らずにいると、日本人側からは、「韓国人はお礼を言わない、謝る事を知らない、なんと尊大な民族なのだ」という見方になってしまう。
韓国人からは、「日本人は謝ってばかりいる軽薄な人間」と見えてしまうのだ。その気軽に謝る軽薄な日本人が、一番大きな過ちである日帝時代の朝鮮支配にたいしては、すこしも謝ろうとしないのだから、韓国側から反省を促す声が、ますます大きくなっていることも理解できるだろう。
・馴染みなると損する 通うほど高くなる寿司屋
ウリ内に入ってしまうと、助け合うのが当然と考えられてしまうので、馴染み客=ウリになると、お店の利益アップに貢献するように高い値段を言われても当然という意識になる。
・一族
血筋をこの上もなく大切にする韓国社会では、過去における一族の尊厳は現在生きている一族の尊厳と同じように、まもらなければならないのである。
以前、大昔の事についての文を書いたら、その登場人物の十数代もの子孫たちの猛烈な抗議にあきれてしまった。韓国で誰もが一族の名誉を大切にし、それを誇りにする。それが李朝時代の儒教思想にもとづいているのはいうまでもない。
4.韓国人の差別構造
・在韓中国人を差別、在日韓国人はもはや韓国人ではない =ハングルが不自由だから
・唯日史観
物事がうまくいったのは自分に能力があったからだと韓国人は考える。上手くいかなかったのは、誰かが悪かったのだと他人のせいにする。又、「運が悪かった」と運勢に責任をおわせるのも韓国人の口癖である。
他人に責任を押し付ける身勝手な癖は、日本を相手に責任をなすりつける時などは舌鋒が鋭くなる。韓国に存在するネガティブなものは、すべて日本のせいであるという解釈法を「唯日史観」という。韓国で一時はやっていた言葉で、韓国の知識人たちは自嘲をこめて使っている。
一方、日本を追いかけ打ち負かす「克日」という言葉もあった。
なかなか「克日」が出来ないので、「離日」という言葉が流行るようになった。日本は世界の中の一つの国にすぎない。先進国は日本ばかりではない。アメリカ、ドイツ、フランスなどからも技術を導入しようという発想。
抜粋は以上
上記 外にも色々と韓国人の感じ方が書かれているが、今日はここまで。
勿論、日本で発刊された本なので、日本人が読んで気持ちよくなるような演出をしてある本でしょうから鵜呑みにはできませんが、
韓国人の風習、考え方を頭において、現在の日韓のお互いの反応を見ていると、現在の韓国マスコミ、政府の言い方はこういう文化ルーツがあって言っているのか、と考える切り口にはなりそうです。