<教育面>
・教科書
筆者がドイツの小学校の教科書を見てみると、ナチスがドイツを支配していた時代に関する記述が細かく、子供には残酷すぎるのではないかと思われるほど、生々しい写真や証言が載せられていることに驚いた。
又、中高での教科書でも、ナチスが権力を掌握した過程や原因、戦争の歴史を詳しく取り上げ、ドイツ人が加害者だった事実を強調している。
例えば、第1次世界大戦後の窮乏にあえぎ、ベルサイユ条約で重い賠償請求を突き付けられたドイツ国民が、選挙という合法的な手段で、ナチスを政権につけたいきさつ、そしてナチスが、人種イデオロギーに基づいて周辺諸国に与えた被害が、いかに甚大だったかがわかりやすく説明されている。
・歴史の授業は「暗記」ではなく「討論」が中心
ドイツでは歴史的事実をどう解釈するか、そして自分の言葉で考えを表現して討論することが重視されている。
歴史の授業を通じて、若者たちにナチスの犯罪と取り組ませることは、「過去との対決」の中で最も重要な部分の一つである。こうした教育の結果、大半のドイツ市民の間には、ナチスの思想や軍国主義、武力による紛争解決を嫌悪し、平和を愛する心が深く根付いている。こうした現代史を学ぶ事は、被害を受けた周辺諸国に安心感を与える原因の一つになっている。
・国際教科書会議
1945年から1965年までドイツが他国と開いた教科書会議の数は146回。そのうち83回が二か国間会議との事。最も多く教科書会議を行ったのはフランスとポーランドとである。現在までほの毎年教科書会議が開かれている。
2006年にドイツとスランスの歴史学者たちが、初めて共同で歴史教科書を執筆し、発行した。ドイツ語とフランス語で書かれた同じ内容の教科書が、両国の高等学校で使われる。
・加害責任の追及に積極的なマスコミ報道
ドイツに暮らしていると、戦争が終わってから60年以上経った今でも、テレビ番組や新聞記事、本、雑誌、映画のテーマとして、ナチスの犯罪や第二次世界大戦が頻繁に取り上げられる事に気が付く。
こうした情報に触れて、さらに知識を深めたいと思った若者は、政府から情報を簡単に取り寄せることができる。ドイツ政府とマスコミは、犯罪が繰り返されることを防ぐには、ナチズムの邪悪性について、国民に積極的に情報を与えなくてはならないと考えているのだ。政府とマスコミが繰り返し、ナチスの犯罪についての注意を喚起するため、戦争中の記憶の風化の度合は日本よりも低い。
<司法面>
・アウシュビッツ裁判
1963年12月から2年間に行われた「アウシュビッツ裁判」で、西ドイツの多くの国民が、絶滅収容所におけるドイツ人の蛮行のディテールに初めて触れ、大きな衝撃を与えた。
この裁判が、過去との対決を一種の社会運動にし、歴史を心に刻む姿勢を、市民のアイデンティティーとする上で、大きな役割を果たした。
・ナチス犯罪追及センター
1958年に検察庁が「ナチス犯罪追及センター」を設置し、10万人以上の容疑者を捜査した。 2000年に役目を終えた。
・障害者安楽死計画
ヒトラーが、病気や障害の治療が不可能と診断された市民を殺すよう命じている。介護費用を節約しようと考えた。関連して1987年に2人の老人に有罪判決をくだした。
被告の弁護士は、「ナチスに騙されて、犯罪に加担させられたのであり、大きな機械の中の歯車の一個にすぎません。彼は良心の呵責に悩みましたが、ヒトラーが命令したのだから、殺害は合法だと考え、義務を遂行しただけです」と述べた。これに対して、判決を下した裁判官は、「二人は狂信的なナチスではなく、もともと道徳心を持った人間でした。しかし、”どんな場合でも人を殺してはならない”という自然法を無視しました。義務だからという理由で、殺人に加担することは許されません。だから私は彼らを有罪にしたのです」と語った。
ドイツの司法界や社会は、「ナチスの時代に生きた、ドイツ市民全員に罪がある」という集団責任は否定している。裁きの基準になるのは、個人が「どんな状況でも、人を殺してはならない」という自然法に違反したかどうかである。
もちろん、当時は戦争が行われていたのだから、いわるゆ軍事作戦中の戦闘行動には、この自然法はあてはまらない。いわゆる人道に対する罪を犯したかどうか、また捕虜の射殺や虐待を禁止しているジュネーブ協定に違反する行為をしたかどうかである。
つまり、「個人の罪」を追求する。
このドイツの原則は大変は勇気を必要とする。戦後に生まれた我々は「命令に背くべきだった」と簡単に批判できるが、実際に、戦争という異常事態に直面した人々にとって、上官の命令にそむいても、自分の道徳心に従うということは、大変な勇気を必要としたに違いない。
だが戦後、西ドイツの司法が「集団の罪」を否定し、「個人の罪」という概念を使ったことは、「西ドイツは、ナチス体制と完全に決別した、新しい国である」という線引きを行う上でも大いに役立った。ドイツ人全員が悪人だったわけではないという論理を使えば、「一億総懺悔」は必要なく、再出発は比較的容易になる。
ドイツと異なり、わが国では戦前・戦中の日本を「絶対悪の体制」とみる考え方は主流ではない。このことは、ドイツと日本の「過去との対決」が、大きく異なる道を歩んできたことの原因の一つとなっている。
・時効廃止で、一生追及されるナチスの戦犯
<民間の取り組み>
・賠償基金「記憶・責任・未来」
2000年8月ドイツ政府50%、企業50%で総額5000億円の表記基金を立ち上げた。
ウクライナ、ロシア、ポーランドなどに住む165万人の強制労働者に対して、また強制収容所で人体実験の被害者ら、財産の没収などで経済的な損害を受けた人、生命保険が支払われていなかった人などに賠償金が支払われた。
1998年に米国に住む強制労働者がシーメンス、VW,ベンツなどの大手企業に対して損害賠償の集団訴訟を提起した。それ以降、米国の原告弁護士が大手企業に次々と訴状を送り、欧米のマスコミがドイツやスイスの企業がナチス時代に果たした役割について、集中的に報道し、企業にとって不利な事実が次々と明るみに出てきた。
ドイツ企業は、経済のグローバル化が進む中、訴訟の標的となることによって、特に米国での活動に支障が出ることを恐れ、政府に協力して、賠償基金に出資することを決めた。 ドイツのメーカーの70%、保険会社、銀行の90%、小売企業とサービス企業の60%が出資している。
・元被害者との交流・支援を行うNGO「償いの証」
ドイツの若者に元被害者の生の話を聞かせる場を提供するなど。
<過去との対決。今後の課題>
・極右勢力の伸長
旧東ドイツでは、「過去との対決」が不十分だった。又、手に職を持った人などはみな西ドイツに移ってしまい、旧東ドイツ地域では失業率も高い。そういうところでナオナチなど極右勢力が伸長してきている。
抜粋は以上です。
ドイツは「ナチスがドイツの名のもとでひどいことをした」。ナチスの罪は徹底的に追及するとともに、二度と繰り返さないように心に刻む。悪いのはナチスとそれに従った個人であり、ドイツ市民全体に罪はない。というスタンス進められているという事をこの本で初めて知りました。ナチスに対する反省という形で、戦争行為を包含させた。
日本の現在の考え方との違いに驚くと共に、考えさせられます。
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