最初は、アガサクリスティにしようと思い、オリエント急行殺人事件を久しぶりに読みました。面白いのは面白いですが、突然 読者に与えられていない情報を用いてポアロが推理したりする所ですっかり萎えてしまいアガサを使う事を止めました。
その図書館にあったペーパーバッグで次に目についたのは、トムクランシーとアシモフでした。
そんな訳で、このシリーズ1-3巻を図書館から借りてGWに読みました。
SFは学生の頃から好きなのである程度は色々な作品を読んでおり、アシモフのコレも書店の背表紙でも散々見ていたのですがまだ読んでいませんでした。
古典と言ってよい有名作品なので、内容は書きませんがとても面白く、第1巻だけを読んでみるつもりでしたが一気に3巻まで行ってしまいました。
物語の設定やスタイルが斬新(古典なのにこの表現はおかしいかもしれませんが)です。
物質科学と精神科学の2本柱の世界感は、どことなくEEスミスのレンズマンシリーズを連想させました。書かれた年を見ると、レンズマンシリーズに少し遅れて書かれた様なので、それに影響を受けたのか、又はその時代(第2次世界大戦前後)はこういう世界感がアメリカにはあったのでしょうか。
レンズマンシリーズが、正義の銀河連合対悪のボスコーンという対立構図は、執筆当時の第2次大戦の連合国軍対日独伊という構図をイメージ投影して書かれています。
しかし、ファウンデーションシリーズはそういう現実世界の投影ではなく、純粋SFとして書かれている様に思える所が差異かもしれません。
同時代のSF作家のアーサーCクラークと比べても、クラークが技術者的な書き方なのに比べて、アシモフは文科系的な書き方という見方も出来るかもしれません。
現実世界を見ると、遺伝子操作なども含めて科学技術はどんどん進んでしまうが、人間の精神的な進化は殆ど進んでいないのではないかと感じられます。
アシモフの言う第2ファウンデーションが人間性進化なのかは分かりませんが、少なくとも科学技術の進化をコントロールできるような人間の知恵や意識の進化という両輪が必要なのだろうと多くの人が感じているのではないでしょうか。
XX工業大学など科学技術の推進体制はありますが、人間性を進化させることを研究し進化させる開発体系(政治・経済学のような技術ではなく)も作る事が必要そうです。
すでに有るのかな?
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