山歩きする時は、エネルギー切れにならないように途中で飴やお菓子などを時々食べて登っていきます。行動食って言う様です。
でも、山頂や峠の休憩などで、お昼ご飯も食べます。
普通のおにぎりでも、山で景色を見ながら食べると とても美味しいです。
秋には、お湯を持参してカップ麺も食べました。これも、沁みる様に美味しい。
青空を見ながらだからなのか、身体を動かしたからなのか、仲間と食べるからなのか、
同じ物を家で食べるのの数倍は美味しく感じる。
これが、山歩きの大きな魅力ですね。
山歩きする時は、エネルギー切れにならないように途中で飴やお菓子などを時々食べて登っていきます。行動食って言う様です。
でも、山頂や峠の休憩などで、お昼ご飯も食べます。
普通のおにぎりでも、山で景色を見ながら食べると とても美味しいです。
秋には、お湯を持参してカップ麺も食べました。これも、沁みる様に美味しい。
青空を見ながらだからなのか、身体を動かしたからなのか、仲間と食べるからなのか、
同じ物を家で食べるのの数倍は美味しく感じる。
これが、山歩きの大きな魅力ですね。
山に行ってみる第1歩として、3月の日曜日に様子見気分であの有名所に行ってみました。
高尾山です。
高尾山に登るの初体験。
家にあった普通のリュックをしょって、通勤用に使っているウォーキングシューズ(一応防水)でという出で立ちです。
午後1時。京王高尾山口駅に到着すると、沢山の人にびっくりしました。
駅前の蛇口で登山靴を洗っている人もいて、それらしいムードはあるのですが、
登山の格好をしている人もいるし、市街地歩きの格好をしている人も沢山います。
高尾山は登るルートが何種類もありますが、もっとも自然に近そうな沢沿いに登るルートにしました。
結果、大変でした。 散歩気分では甘かった!
1.前日の雨で土が泥化していて、滑る。
2.石がゴロゴロしている所は、足元不安定
3.沢を渡る時に、どうしても水に踏み込まなくてはならない。
という事で、極力 安全そうな足の踏み場を1歩1歩捜しながら緊張して歩きました。
転びはしませんでしたが、頂上に着く頃には、靴は泥だらけ、気分はヘトヘト。
1時間半程度の登山でしたが、すっかり嫌気がさして、舗装路だけのルートで下りました。
反省を踏まえ、スポーツ店でトレッキングシューズを購入。
再度 同じルートを登ってみたら、不整地(凸凹や石ゴロゴロなど)での安定感や水の中もジャブジャブ入っていける安心感が凄い事を実感しました。
安心して、大抵の場所に足を置けるという事になると、1歩1歩の踏み場捜しの緊張は殆どなくて良く、とても気持ちよく登れました。
山登りにはトレッキングシューズの重要性を本当に実感しました。
題名もPOPな表紙にもひかれました。
みずみずしい感性と、分かりやすい文体で 今のインドの状況を伝えてくれます。
インドや人に対して自然に持っていた常識を本当にぶっ壊してくれます。
そうだったのか。と目からウロコの気持ちがしました。
でも、それだけではなく、インドの影の部分 特に子供の貧困を見て見ぬ
ふりはダメ。何かできないかと考え行動する、若々しく純粋な気持ちがまっすぐに伝わってきます。
数十年前に私がネパールに行った時、空港のゲートを出たとたんに小さな子供たちが寄ってきて、口々に何か恵んでと言ってこられ、どうしたら良いのか困惑してしまった事を思い出しました。
インドでは、街中の交差点で信号停車する同様に、ストリートチルドレンが寄ってきて窓ガラスをたたくという事が今もあるとのこと。
著者はそいう現実から目をそらすのではなく、どうするのが良いのか、何をしたら良いのか悩んで、半歩前進しようとされています。
そんなストリートチルドレンの保護や支援を行っている団体の、本人も元ストリートチルドレンの女の人の話で、子供の貧困の現実が語られています。
子どもたちの多くはもとから路上生活していたわけではない。
家から逃れるために路上に出てきてしまった子たちなのです。
親や家族から暴力や性的虐待を受けたり、必死に稼いできてもそれを取り上げるアル中の父親だったり。。
路上に出てきてしまった彼らは、生きるのに必死なのに、物乞いしてせっかくお金を稼いでも、他の大人や子供に奪われたり、喧嘩になったり、人身売買の危険にあうことも。
そんな彼らが窓ガラスをたたいてきたら、どうするのが良いのか。
お金をあげるのはだめ。食べ物をあげる場合もなんでも良いのではない。
本には理由や、考え方、子どもたちの現実が語られています。
そんな貧困に直面している子どもたちですが、著者が接している中で、子どもたちに上向きな力を感じ、逆に色々な気づきを得られたとのこと。
インドの現実に圧倒されるとともに、そういう現実を正面から向き合おうとする熊谷さんの姿勢に感動しました。
私たちも現実から目を背けるのではなく、出来る事を少しづつでもやっていかなければ という気持ちになりました。
コロナ禍で、あまり出歩かない生活が2年続きました。
そのせいで、すっかり運動不足を感じました。
そこで、人も少ない(と思っていた)山歩きを今年から始めてみました。
山は小学生の時に、父に奥多摩に何回か連れられて行っていたようです。
本人はあまり覚えていないのですが、アルバムに写真があります。
でも、その後の50年以上、全く山とは無縁の生活。
山歩きの知識も経験もゼロでしたが、とにかく始めてみました。
3月から12月頭までやってみて、とっても好きになりました。
非日常、自然の中を歩くのは、気持ち良いし、リフレッシュできます。
身体が良い方向に変化していくのも分かるし、全く知らなかった事を沢山知ることもできました。
65歳から始めるのでも、十分楽しめます。
来春からの山歩き再始動が楽しみです。
自分にとって新発見ばかりでしたので、これから少しづつ書いていきたいと思います。
事件での目撃証言や被害者証言は正しいのか?
もし、自分の記憶が書き換えられていたら??
映画のような事は本当に起こりえるのか?
元科捜研で現在大学心理学科教授の著者が、「記憶」の不確かさを研究データに基づき、科学的に説明してくれている本です。
表題に興味を惹かれて、読んでみたら 少し私の世界が変わりました。
・目撃証言について
目撃証言は必ずしも正確ではない。
事件後に見たものや、例えば刑事からの質問のされ方で記憶は容易に変容してしまうらしい。
また、頭の中で自分で何度も想像(イメージ)していると、元の記憶が上書きされるなど変容する。
目撃者の自信(確信度)は正確性を保証しない。
・実際には体験していない出来事の記憶(フォールスメモリー)
実際には存在しなかった出来事の記憶を人に植え付ける事が可能とのこと。
それは、その記憶がもっともらしい出来事とその人に思わせられる内容で、かつ、さまざまな記憶の断片をその人が再構成し、視覚的イメージとして反復想起させる。
植え付けられやすい人(暗示にかかりやすい人)がいる。
この種の実験の参加者は、記憶を植え付けられたあと、実はそれが架空のものだったと種明かしされると、大体は非常に困惑してしまうとのこと。
・生まれた瞬間という記憶は本物か?
人間はまだエピソード記憶ができないので、誰でもほとんど3歳よりも幼い記憶は持てない。
催眠による年齢退行と言う話があるが、これは実際に記憶を想起しているのではなく、その様に催眠をかけられている人が振る舞う様になっただけ。
出生時の記憶は、フォールスメモリー現象の可能性が大きい。
・前世の記憶は本物か?
催眠によって前世の記憶を話だし、それが事実と合致した事例はいくつもある。
ただし、詳細に調べていくと、実は以前読んだ本などの内容を語っているだけだということが分かっている。
実験室でも、フォールスメモリーを形成しやすい人が、前世の記憶を想起しやすい事が分かっている。」
・エイリアンに誘拐された記憶
米国などでは、それを訴える人がかなり出た。
「未知との遭遇」など、エイリアン物の映画やマスコミがあると訴える人が急増する。
人々がエイリアン誘拐を語る理由のひとつは、自分が感じているさまざまな心理的な問題をエイリアンのせいにできるから。
・昔は良かったは本当か?
私たちの持つ「過去の私」の記憶は今の私の影響を受けている。
高齢者は自分の人生をよきものと考えるために、過去の出来事を良いとゆがめて思い出す。
のでは、
そして、記憶は過去の自分のアルバム(貯蔵庫)というよりも、現在の自分を支えたり、方向づけるために存在しているのではないか。
そのために、記憶を書き換えるということは、自然で正常な機能のひとつかもしれないとのこと。
現代は、容易に動画や写真をデジタルで残せる様になったので、特にこの10年ぐらいはそういう記録が身近に沢山あります。
少し前の記憶を思い出しながら、動画を見直してみると、一部しか覚えていなかったとか、結論が微妙に違う という事が感じる時がありました。
この本を読んで合点がいくと同時に、陰謀論や洗脳などが容易に起こっていく事があるしくみも分かった気がします。
人は、思い出したくない体験も背負って人生を歩かなければならないので、こういう記憶の柔軟性は著者が言われるように、重要な生命現象として備わっている機能なのかもしれませんね。
立花氏の本を読むといつも、私の持っている個別知識の点と点の間の埋めてくれる情報を教えてくれると感じて面白いです。
今回の本は1996年に東大で行った講義録という事ですが、立花氏が亡くなる前月に発刊されています。最後の新刊本。
内容はかなり盛沢山だが、一貫しているのは、全世界は進化(変化)の途中であるという視点が重要という事。
物質も進化中、生物も進化中、人類も進化中 という意識で過去・現在・未来を見る。
立花氏が何かの結論を出そうとしているのではなく、その視点につらなる事柄、人物を紹介していく。
特に テイヤール・ド・シャルダンという、神父でありながら古生物学者で科学哲学者の人を紐解く中で、科学と宗教との関係や、彼の考える人類の今後の進化について紹介してくれる。
彼の考え方が、ガイアという思想や、アシモフの小説、EEスミスの小説などにも影響を与えているのかなと感じました。
現在の日本の政治などを見ていると、良き時代を取り戻せ 的な発想でいる人、 過去の歴史に学んで繰り返さないように進化させていきたいという発想でいる人、という点は、同時代に生きていたネアンデルタール人(力で戦う)とクロマニオン人(知恵で戦う)を見ているように感じる。
人類も進化をしていかないといけない。旧人は消え去る事は歴史が教えてくれる。
シャルダン氏は人類の次の段階は、個々人皆が繋がって有機的に、人間中心から人類中心へ変わるだろうと言っている。
科学も精神も手を取り合って進化していくとのこと。
この100年間の通信や放送技術の進化や、の今のネットを使ったSNSなど、科学技術は名違いなくその方向に動いている。
人間も徐々にそういう行動にうつりつつあるように感じる。
地球温暖化対策などは、全地球視点・全人類で未来を考えて行動するという良いキッカケになりつつあるようにも思える。
この本を読んで、地球温暖化対策の取り組み方次第では、個別のナショナリズム政治ではなく、全地球政府というような形に進化させていく事ができるかもしれないという希望を感じられました。
マンデラ氏(2013年死去)は現代の偉人として知られています。
南アフリカのひどい人種差別(アパルトヘイト)を解いた人だと。
どういう対立をどうやって解く事ができたのか、改めて関連本を読んでみました。
南アフリカ共和国の大きな成り立ちは、
・アフリカの現地人が暮らしていたところに、17世紀 東インド会社が喜望峰は航海上の要所として中継基地を作り、オランダ人の移民が始まった。
・オランダ人は植民地を作り、現地人を侵略。奴隷制を行っていった。
・18世紀末に金が埋蔵されている事が知られ、英国が出てきてケープタウンを占領した。以降 植民オランダ人と何度か戦争し、英国が支配するようになり、植民オランダ人は2級国民という扱いをされる事になる。(現地人はさらに3級)
・徐々に英国は経済的利権等は確保しながら、その他の政治や運営面は植民オランダ人
にが行うように変化した。
・植民オランダ人は、20世紀中頃アパルトヘイト政策(白人と非白人との人種隔離政策)を実施。
・世界は脱植民地化のトレンドの中、アパルトヘイトのひどさを非難し、経済制裁を行ったが日本は取引を続けたため、日本人は”名誉白人”として処遇された。。。
・英国からもアパルトヘイト政策を非難されたため、英連邦を離脱。
・1990年代、デ・クラーク大統領(植民オランダ人政府)とマンデラ氏が組みアパルトヘイト政策撤廃。
・1993年 二人はノーベル平和賞を受賞。
・1994年 マンデラ氏が大統領に就任。
という事。
マンデラ氏自身は地方の首長の子として生まれ(現地人)、英国式教育を受けて育った。
原住民による現地人のための初めての弁護士事務所を開き、アパルトヘイトと闘う。
ANCという組織に属し、抵抗運動。 30年弱に及ぶ投獄をされる。
ANCという組織は、いわゆる民族主義の主張(現地人の国を作ろう等の)ではなく、現地人・植民アフリカ人、英国人皆で和を作る国を作ることを目指していたとのこと。
マンデラ氏は長い投獄中にオランダ語を勉強する事を自らに課して、収容所の役人達とも交渉や話合いができる様になっていく。
また、植民オランダ人たちも、すでにオランダに帰るという選択肢はなく、彼らの故郷もすでにアフリカである事を知る。(だから、追い出される恐怖を払拭するために、アパルトヘイト政策をとったりしている)
次第に、マンデラ氏は 現地人からの信頼に加えて、植民オランダ人からも、あいつとならば話ができるという信頼を得ていく。
そいう状況を作り出し、また国民内の気運を導き、デクラクーク氏とともにアパルトヘイトの終結に持ち込む事ができた。との事。
・対立する双方の心情を理解し、信頼を得る。
・また、双方が両立できる世界を目指したこと。
この2点が 対立を解いた 鍵だった様です。
なお、マンデラ氏は大統領になっても、権力に固執する事なく、1期で退任した。
(大統領時代では、白人と現地人の融和を行っていくキッカケにと、サッカーのワールドカップを南アフリカで開催したりしました。選手は白人でしたが、全国で応援するという事で)