空家になっていた実家を建て替えて移住する事に決めました。
私は今まで、中古マンションを買った事はありますが、家を建てるという事は無く、全くゼロからのスタートです。
試行錯誤で創って行った中で考えた事を書いてみようと思います。
あれこれ悩む事もありましたが、基本的には自分の希望を具体的に実現していくというワクワクした楽しみが一杯でした。
そういう楽しさもお伝えできればいいなと思います。
まず、どういう家にしたら良いのか考え始めました。
私の住まいに関する経験で、これはイヤだなと思った事が何点かありました。
寒い家:
実家は40年以上前に2x4という方式で建てた家でしたが、冬が寒い。部屋の中で吐く息が白くなります。朝ベッドから起きるのが苦痛。そこで、エアコン暖房をつけて寝ると、喉がガラガラになってしまいました。
結露とカビ:
マンションに住んでいた時に、アルミサッシ廻りや冷蔵庫の後ろの壁などカビがビッシリ生えてしまった事がありました。
陽当りの悪い部屋:
直近の17年間住んでいたマンションの部屋が、斜面に建っていたので、すぐ目の前に土の斜面があり、リビング含めて部屋が暗くて、昼でも電灯を点ける必要がありました。
虫や生き物が入る家:
そのマンションの部屋は庭付きだったのですが、部屋の床面が地面とほぼ同じ高さで、ハサミムシやアリなどが入ってきました。ある時は蛇まで入ってきました。
これは辛い。
こういう事は無い家にしたい。 というのが最初に頭に思い浮かんだ事です。
さらに、阪神大震災の時にちょうど関西で暮らしていて、その恐さを肌で感じましたので、地震対策はしっかりする必要があるとも強く思っていました。
取り敢えず、家造りってどいう事なのかを知る為に図書館で30冊以上の関連本を借りて読みました。
その中で気が付いたのは、殆どが設計事務所の人や、工務店の社長、建材メーカーの人、ハウスメーカーの人、建築学者が著者という事。
つまり、「作る側の人」が書いた本ばかりだという事です。
しかも、素晴らしい家が自分の提唱する方法ならば実現できる。他のxx方式にはこういう欠点がある、、、という様な内容が非常に多い様に感じました。
そこにはその方法で住まわれている人の感想やアンケートなども出ていますが、「以前に住んでいた家に比べて素晴らしい。快適」という声ばかり。
うがった見方をすれば、本という形をとって、ライバル工法をこき下ろし、集客しようとしている様にも見えます。
この傾向は、ネット上の情報も同様で、自分に都合の良い所(セールスポイント)だけを謳っている情報が建築関係は本当に多い気がしました。一般ユーザーを装った、サクラ ブログやサクラ 口コミと思われるものも多い気がします。
勿論、良心的かつ公平に書こうとされているのが感じられる本もありますし、建築は一つの地方工務店で多種多様な経験を持てるはずもないので、自分から見てベストと思っている方法を善意で勧めていると見る事もできます。
でも私の結論は、建築分野に於いては本やネットなどに書かれている事を鵜呑みにして信じる事はしないで、自分で考えて納得できた事だけを採用していこうと決めました。
とは言っても、私には専門知識がある訳では無いので、学校で習った物理・化学などの知識と、実際に現物を確かめて感じるという行動、さらに、出来るだけ多角的なメリット・デメリット情報を収集して考えていく事にしました。
2018年11月12日月曜日
2018年11月11日日曜日
【本】2001年宇宙の旅 アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫
なんで今どき「2001年宇宙の旅」?と思われるでしょう。
1968年に映画が大ヒットした非常に有名なSFです。
1968年といえばちょうどアポロ計画でアポロ8号が人類史上初めて有人飛行で月を回ってきた時期。翌年の69年にアポロ11号でアームストロング船長が月面に1歩を踏み出しました。
つまり宇宙に全世界の関心が集まっていた時期の作品です。
コンピュータもIBMのSYSTEM/360というメインフレームという中央処理で何でもこなすシステムが普及始めていて、これからは何でもコンピュータで制御していける世界になるのではという気運が高まっていました。パソコンは70年代にならないと出てきません。
私も当時小中学生で、映画を見てちょっと難しいけれど、とにかくスゴイ映画だと強く感動した事を今も鮮明に覚えています。
宇宙ステーションや無重力の世界はこんななのかという面白さと同時に、HAL9000という艦載コンピュータとの音声応答を使ったスリリングな対決に恐怖を覚えたのと、最後のワームホールの所はよく意味わかんない、、 という印象でした。
今回、たまたま立ち止まった書棚にこのシリーズが並んでいるのを見つけて、思わず手にとってしまいました。
映画は見たけれど、本は読んでいなかったのです。
大抵、映画と同じ題の本は映画の後にノベライズされた物だから大して面白くない、、というのが一般的な私の認識でした。
でも、この本は違っていました。
「2001年宇宙の旅」はこの小説を書きながら、そこから映画のシナリオを作っていったとの事。
小説を映画ではメディアの特性で、演出すべき所が違いますので、小説とは粗筋も含めてアレンジが加えられている事が分かりました。(映画はビジュアルと音がとても大事ですしね)
元となるこの小説はとても面白く、ぐいぐい引き込まれてしまいます。読み始めたら止められない感じ。
読んで初めて、「2001年宇宙の旅」という話は映画を含めてどういう全体像だったのか分かりました。
2018年という今、この本を読んでみると、モノリスやワームホールはまだ小説の世界だと思えますが、AIコンピュータとの闘いについてはあと5~10年でこういう危険が本当に起こって来る実感があって、新たな衝撃を受けました。
この数年 急激に進化しつつある機械学習(AI)は、その特徴が今までのプログラミングとは異なり、AIの出した答えがどういうロジックで出されたかが人間には分からない、解析できないという事。
教育データを沢山 読み込ませても、AI側がどういう解釈をして理解しているのかが分からない。
誰かが、知らない間に別のデータを学習させていたら、それがどう組み込まれてしまっているかもわからない。
でも、きっとIoTと騒ぎながら、企業や政治家はAI機能に全部任せれば安心・便利・お得 です。という方向に社会を進め様としていくのでしょう。
ユーザーはAIの出す答えに慣らされて、自己判断能力がどんどん奪われていく。
でも、AIを悪用する者は必ず現れるし、善意でもAIが誤解する場面や判断できずにフリーズする場面は必ず出てきます。
以前に書いた 人造マンモス のDNA改変技術では人間の脳を持ったドーベルマンやシャチ等も出来てくるかもしれません。
技術と営利主義、自己主義だけが暴走していくと、この先とても生きにくい世界になってしまいそうで、とても恐ろしさを感じました。
この本が50年も前に書かれているという事もスゴイ。
今こそ「2001年宇宙の旅」本は読むのに良い時期なのかもしれません。
続編の2010年宇宙の旅等もあるので、順次読んで行きたいと思います。
1968年に映画が大ヒットした非常に有名なSFです。
1968年といえばちょうどアポロ計画でアポロ8号が人類史上初めて有人飛行で月を回ってきた時期。翌年の69年にアポロ11号でアームストロング船長が月面に1歩を踏み出しました。
つまり宇宙に全世界の関心が集まっていた時期の作品です。
コンピュータもIBMのSYSTEM/360というメインフレームという中央処理で何でもこなすシステムが普及始めていて、これからは何でもコンピュータで制御していける世界になるのではという気運が高まっていました。パソコンは70年代にならないと出てきません。
私も当時小中学生で、映画を見てちょっと難しいけれど、とにかくスゴイ映画だと強く感動した事を今も鮮明に覚えています。
宇宙ステーションや無重力の世界はこんななのかという面白さと同時に、HAL9000という艦載コンピュータとの音声応答を使ったスリリングな対決に恐怖を覚えたのと、最後のワームホールの所はよく意味わかんない、、 という印象でした。
今回、たまたま立ち止まった書棚にこのシリーズが並んでいるのを見つけて、思わず手にとってしまいました。
映画は見たけれど、本は読んでいなかったのです。
大抵、映画と同じ題の本は映画の後にノベライズされた物だから大して面白くない、、というのが一般的な私の認識でした。
でも、この本は違っていました。
「2001年宇宙の旅」はこの小説を書きながら、そこから映画のシナリオを作っていったとの事。
小説を映画ではメディアの特性で、演出すべき所が違いますので、小説とは粗筋も含めてアレンジが加えられている事が分かりました。(映画はビジュアルと音がとても大事ですしね)
元となるこの小説はとても面白く、ぐいぐい引き込まれてしまいます。読み始めたら止められない感じ。
読んで初めて、「2001年宇宙の旅」という話は映画を含めてどういう全体像だったのか分かりました。
2018年という今、この本を読んでみると、モノリスやワームホールはまだ小説の世界だと思えますが、AIコンピュータとの闘いについてはあと5~10年でこういう危険が本当に起こって来る実感があって、新たな衝撃を受けました。
この数年 急激に進化しつつある機械学習(AI)は、その特徴が今までのプログラミングとは異なり、AIの出した答えがどういうロジックで出されたかが人間には分からない、解析できないという事。
教育データを沢山 読み込ませても、AI側がどういう解釈をして理解しているのかが分からない。
誰かが、知らない間に別のデータを学習させていたら、それがどう組み込まれてしまっているかもわからない。
でも、きっとIoTと騒ぎながら、企業や政治家はAI機能に全部任せれば安心・便利・お得 です。という方向に社会を進め様としていくのでしょう。
ユーザーはAIの出す答えに慣らされて、自己判断能力がどんどん奪われていく。
でも、AIを悪用する者は必ず現れるし、善意でもAIが誤解する場面や判断できずにフリーズする場面は必ず出てきます。
以前に書いた 人造マンモス のDNA改変技術では人間の脳を持ったドーベルマンやシャチ等も出来てくるかもしれません。
技術と営利主義、自己主義だけが暴走していくと、この先とても生きにくい世界になってしまいそうで、とても恐ろしさを感じました。
この本が50年も前に書かれているという事もスゴイ。
今こそ「2001年宇宙の旅」本は読むのに良い時期なのかもしれません。
続編の2010年宇宙の旅等もあるので、順次読んで行きたいと思います。
2018年10月16日火曜日
【本】マンモスを再生せよ ベン メズリック 文藝春秋
この本は、今年の7月に発売された翻訳本です。
読んでいて、非常に恐しくなりました。怒りも覚えます。
ハーバード大学で現在進行中のプロジェクトの「ノンフィクション小説」です。
ハーバードの天才教授ジョージ チャーチ氏とその研究グループが主人公。バイプレーヤーとして韓国のファン ウソク生命工学研究所所長が登場します。全て、実在の人物です。
大まかなストーリーは、ヒトゲノム全読み取りプロジェクトを推進、成功させたチャーチ氏が、最新の遺伝子工学を用いて、アジアゾウをベースに、絶滅したマンモスの性質を発現する人造細胞を作り、新マンモスを創り上げようとして推進しているプロジェクトの話です。
つい、数ヶ月前も 現実のネットニュースでこのプロジェクトの話題が日本でも流れていました。
新マンモスを作り、温暖化により永久凍土が溶け始めてメタンガスを大量放出するツンドラを、地面を踏み固める事等で地温を下げてメタン放出を回避しようという「氷河パーク」構想の為との事。
韓国のファン氏はES細胞の論文ねつ造事件で、大きく評判を落としたが、今はクローン犬ビジネスを10数年前から始めている。そして、ロシアで発見された保存状態の良いマンモス死体から細胞を取り、マンモスをクローン再生させようと現在取り組んでいるとの事。
この本が、フィクション小説ならば昔のジュラシックパークを読んだ時の様な、非常に面白いスペクタクル小説として楽しめると思います。
ですが、これは「ノンフィクション」。
チャーチ氏の業績は、ノーベル賞級の科学界にインパクトを与える内容なのだとは思います。ただ、彼がやっているのは 人造細胞⇒人造生物 を作るという事。
(「合成生物学」と言うらしい)
いみじくも彼が言っている様に、遺伝子を読むのではなく、彼は遺伝子を書き、組み込むのが仕事との事。
人に移植可能な臓器を持つ豚を作るという応用も研究しているとの事ですが、このマンモスプロジェクトは全くニュータイプの動物を作りそれを野に放して野生化させようという物。
不妊の蚊を作って、マラリア予防をしようという様な取り組みは既に世界で行われていますが、それらは人間の為。
でも、この新マンモス創造プロジェクトは、新生物を作る為の行動です。”温暖化対策の為”というのは自分達が研究開発をするための「大義名分」なだけに見えます。
韓国のファン氏の話も、私には同じぐらいのショックでした。
既に、クローン犬が商業的に作られて売買されているとの事。
亡くなったペットを悲しむセレブから注文を受けて、500~1000万円/匹程度でクローンを作って売っています。
有名なバーブラ・ストライサンドさんはクローン犬2匹を飼っている事を公表しているらしい。
今年の1月 中国ではサルのクローンが作られて、人間もクローンできる技術レベルになったと公表されました。
でもきっと、非公表でクローン人間も既に出来ているのではと感じられます。どこかの国はやっていると思います。
チャーチ氏、ファン氏を 私はマッド科学者だと思いますが、たとえ彼らが存在しなくても、きっと他の誰かが同じ事を始めるのだろうと思います。
そういう時代になって来ていると考えなくてはいけません。
この本の解説を 東京工業大学の准教授が書いていますが、彼はこの本に書かれている行間のとてつもなく大変な実験に感心したり、最先端科学だとして「この現代生物学の光と闇との両面を自分事として考えることが、合成生物学という新たな時代に否が応でも突入する人類の幸福につながると信じている。」としています。
彼はゲノム合成国際プロジェクト(Genome Proj.-write)に参画し、チャーチ氏とも面識があるとの事で、遺伝子を「書き込む」研究をしているらしく、
この流れを止めようとはせず、光と闇を分かっていながらも進めようとする 科学自己中心主義だと思いました。
過去も、こういう考え方が 核兵器や、化学兵器、ネット闇社会を作ってきていると感じます。
この本を読んで、 またか という想いと、「可能だが、やってはいけない」と止められる理性を今回こそは働かせないといけないという危機感で 気持ちが重くなってしまいました。
人間がこんな領域に踏み込んでも良いのか、、、マッドサイエンスなのではないか
多くの人に読んで、知ってもらいたい本です。
読んでいて、非常に恐しくなりました。怒りも覚えます。
ハーバード大学で現在進行中のプロジェクトの「ノンフィクション小説」です。
ハーバードの天才教授ジョージ チャーチ氏とその研究グループが主人公。バイプレーヤーとして韓国のファン ウソク生命工学研究所所長が登場します。全て、実在の人物です。
大まかなストーリーは、ヒトゲノム全読み取りプロジェクトを推進、成功させたチャーチ氏が、最新の遺伝子工学を用いて、アジアゾウをベースに、絶滅したマンモスの性質を発現する人造細胞を作り、新マンモスを創り上げようとして推進しているプロジェクトの話です。
つい、数ヶ月前も 現実のネットニュースでこのプロジェクトの話題が日本でも流れていました。
新マンモスを作り、温暖化により永久凍土が溶け始めてメタンガスを大量放出するツンドラを、地面を踏み固める事等で地温を下げてメタン放出を回避しようという「氷河パーク」構想の為との事。
韓国のファン氏はES細胞の論文ねつ造事件で、大きく評判を落としたが、今はクローン犬ビジネスを10数年前から始めている。そして、ロシアで発見された保存状態の良いマンモス死体から細胞を取り、マンモスをクローン再生させようと現在取り組んでいるとの事。
この本が、フィクション小説ならば昔のジュラシックパークを読んだ時の様な、非常に面白いスペクタクル小説として楽しめると思います。
ですが、これは「ノンフィクション」。
チャーチ氏の業績は、ノーベル賞級の科学界にインパクトを与える内容なのだとは思います。ただ、彼がやっているのは 人造細胞⇒人造生物 を作るという事。
(「合成生物学」と言うらしい)
いみじくも彼が言っている様に、遺伝子を読むのではなく、彼は遺伝子を書き、組み込むのが仕事との事。
人に移植可能な臓器を持つ豚を作るという応用も研究しているとの事ですが、このマンモスプロジェクトは全くニュータイプの動物を作りそれを野に放して野生化させようという物。
不妊の蚊を作って、マラリア予防をしようという様な取り組みは既に世界で行われていますが、それらは人間の為。
でも、この新マンモス創造プロジェクトは、新生物を作る為の行動です。”温暖化対策の為”というのは自分達が研究開発をするための「大義名分」なだけに見えます。
韓国のファン氏の話も、私には同じぐらいのショックでした。
既に、クローン犬が商業的に作られて売買されているとの事。
亡くなったペットを悲しむセレブから注文を受けて、500~1000万円/匹程度でクローンを作って売っています。
有名なバーブラ・ストライサンドさんはクローン犬2匹を飼っている事を公表しているらしい。
今年の1月 中国ではサルのクローンが作られて、人間もクローンできる技術レベルになったと公表されました。
でもきっと、非公表でクローン人間も既に出来ているのではと感じられます。どこかの国はやっていると思います。
チャーチ氏、ファン氏を 私はマッド科学者だと思いますが、たとえ彼らが存在しなくても、きっと他の誰かが同じ事を始めるのだろうと思います。
そういう時代になって来ていると考えなくてはいけません。
この本の解説を 東京工業大学の准教授が書いていますが、彼はこの本に書かれている行間のとてつもなく大変な実験に感心したり、最先端科学だとして「この現代生物学の光と闇との両面を自分事として考えることが、合成生物学という新たな時代に否が応でも突入する人類の幸福につながると信じている。」としています。
彼はゲノム合成国際プロジェクト(Genome Proj.-write)に参画し、チャーチ氏とも面識があるとの事で、遺伝子を「書き込む」研究をしているらしく、
この流れを止めようとはせず、光と闇を分かっていながらも進めようとする 科学自己中心主義だと思いました。
過去も、こういう考え方が 核兵器や、化学兵器、ネット闇社会を作ってきていると感じます。
この本を読んで、 またか という想いと、「可能だが、やってはいけない」と止められる理性を今回こそは働かせないといけないという危機感で 気持ちが重くなってしまいました。
人間がこんな領域に踏み込んでも良いのか、、、マッドサイエンスなのではないか
多くの人に読んで、知ってもらいたい本です。
2018年9月30日日曜日
【本】沖縄生活誌 高良勉 岩波新書
沖縄にはまだ行った事がありません。
ニュースやバラエティなどで沖縄の事を聞く事は多いので、一度は訪れてみたいと思っています。
戦争、青い海とサンゴ礁、独特の文化や食べ物、縄文、政治に苦しめられている事、言葉など 沖縄という名前からは沢山の切り口が連想されます。
そこに住む人はどういう気持ちで、どういう風に暮らしているのか知りたくて、この本を読みました。13年前の本なので今は更に変化しているのだと思いますが、近代史や伝統も含めて沖縄の人の気持ちを少し知る事が出来た気がします。
琉球から連なる歴史の中でたまたま今は「沖縄」という立場になっているという理解が必要だと感じました。
正月から12月まで、季節季節の伝統行事等を含めてどういう楽しみ方、過ごし方をして来たのかがつづられています。
幾つか思った事を書きだしてみます。
日本復帰前と後では、伝統行事などがかなり変わってきてしまっている。
家族や知り合いをとても大事にして、助けあって生きていくしくみがあった。
それらは、地理上 日本、中国、米国などに植民地化されて圧政に耐えてき(自治・自立を奪われてきた)た歴史から生まれた知恵なのだろうと感じる。
基地問題を語る章の中に、沢山の米軍起因の事件や事故が多く、”その被害者の圧倒的大多数は、子どもであり女性たちなのです。
もし、「今日の日本は日米安保条約や在日米軍基地のおかげで繁栄している」と言う人がいたら、その人は沖縄の女性や子どもたちを米軍の生贄にしてきた歴史的事実を直視すべきです。”
”これでは。「沖縄差別政策」の表れだと批判されてもしかたがありません。”
という文があり、心に刺さりました。
一方、八重山諸島は近代にブラジルなどと同様に「開拓団」が派遣されて開かれていったとの事。
又、宮古諸島は沖縄島の琉球王国に併合されていったという歴史があり、近年まで宮古出身者は「宮古差別」に苦しめられてきたとの事。
人間というものは、差別の連鎖構造がどこまでも続くのだろうか、、と思わざるを得ません。
沢山の風習やそれに連動する食べ物や唄、踊りなどが紹介されています。
例えば、エイサー。
今は日本全国で踊られていますが、元々は沖縄のお盆行事の一つだったそうです。
”お盆につきものなのが、青年団によるエイサー踊りです。男子青年は歌・三線や太鼓と踊り、女子青年は踊りという役割構成でした。青年団はムラ中の家を一軒一軒廻り、その庭で祖霊をなぐさめ一家の繁栄を祈り、踊りを奉納するのです。したがって「仲順流れ」と「酒二合」の曲による踊りが必ず演じられました。
そのお礼に、青年団は各家庭からお酒と餅やご馳走をいただいていました。”
それ以外にも、島唄や沖縄芝居などもその背景が良くわかります。
この本を読んで、本来は南国の楽園として暮らしていけれても良いはずの沖縄諸島ですが、哀しさが先に立ちます。
誰かに不都合を押し付け合うのではなく、もっと皆が生きやすい社会に日本は進化変化させてていければと思います。
ニュースやバラエティなどで沖縄の事を聞く事は多いので、一度は訪れてみたいと思っています。
戦争、青い海とサンゴ礁、独特の文化や食べ物、縄文、政治に苦しめられている事、言葉など 沖縄という名前からは沢山の切り口が連想されます。
そこに住む人はどういう気持ちで、どういう風に暮らしているのか知りたくて、この本を読みました。13年前の本なので今は更に変化しているのだと思いますが、近代史や伝統も含めて沖縄の人の気持ちを少し知る事が出来た気がします。
琉球から連なる歴史の中でたまたま今は「沖縄」という立場になっているという理解が必要だと感じました。
正月から12月まで、季節季節の伝統行事等を含めてどういう楽しみ方、過ごし方をして来たのかがつづられています。
幾つか思った事を書きだしてみます。
日本復帰前と後では、伝統行事などがかなり変わってきてしまっている。
家族や知り合いをとても大事にして、助けあって生きていくしくみがあった。
それらは、地理上 日本、中国、米国などに植民地化されて圧政に耐えてき(自治・自立を奪われてきた)た歴史から生まれた知恵なのだろうと感じる。
基地問題を語る章の中に、沢山の米軍起因の事件や事故が多く、”その被害者の圧倒的大多数は、子どもであり女性たちなのです。
もし、「今日の日本は日米安保条約や在日米軍基地のおかげで繁栄している」と言う人がいたら、その人は沖縄の女性や子どもたちを米軍の生贄にしてきた歴史的事実を直視すべきです。”
”これでは。「沖縄差別政策」の表れだと批判されてもしかたがありません。”
という文があり、心に刺さりました。
一方、八重山諸島は近代にブラジルなどと同様に「開拓団」が派遣されて開かれていったとの事。
又、宮古諸島は沖縄島の琉球王国に併合されていったという歴史があり、近年まで宮古出身者は「宮古差別」に苦しめられてきたとの事。
人間というものは、差別の連鎖構造がどこまでも続くのだろうか、、と思わざるを得ません。
沢山の風習やそれに連動する食べ物や唄、踊りなどが紹介されています。
例えば、エイサー。
今は日本全国で踊られていますが、元々は沖縄のお盆行事の一つだったそうです。
”お盆につきものなのが、青年団によるエイサー踊りです。男子青年は歌・三線や太鼓と踊り、女子青年は踊りという役割構成でした。青年団はムラ中の家を一軒一軒廻り、その庭で祖霊をなぐさめ一家の繁栄を祈り、踊りを奉納するのです。したがって「仲順流れ」と「酒二合」の曲による踊りが必ず演じられました。
そのお礼に、青年団は各家庭からお酒と餅やご馳走をいただいていました。”
それ以外にも、島唄や沖縄芝居などもその背景が良くわかります。
この本を読んで、本来は南国の楽園として暮らしていけれても良いはずの沖縄諸島ですが、哀しさが先に立ちます。
誰かに不都合を押し付け合うのではなく、もっと皆が生きやすい社会に日本は進化変化させてていければと思います。
2018年9月23日日曜日
【本】緑の哲学 農業革命論 福岡正信 春秋社
「わら一本の革命」の内容をもう少し分かり易く、具体的に書いた本だと思いました。
農業を「経済」の商品と見る世の中の考え方が道を踏み外す大本になっていると喝破されています。
福岡さんを知りたかったら、まずはこちらの本から入るのが分かり易そうです。
農業を「経済」の商品と見る世の中の考え方が道を踏み外す大本になっていると喝破されています。
福岡さんを知りたかったら、まずはこちらの本から入るのが分かり易そうです。
【本】わら1本の革命 福岡正信 春秋社
世界の砂漠を粘土団子で緑化して、各種の賞を受賞された人という事を知って、福岡さんの本を読んでみました。
不耕起栽培を徹底して追及し、米と麦を無肥料、無農薬、不耕起で大量収穫できる手法にたどり着いた方です。
麦わらを地面にバラ撒いておいて稲を栽培し、収穫前に麦の種もバラバラと撒いていく。
刈り取った稲からでた稲わらを今度は地面に撒き、そこで麦を育てる。麦の収穫の前に稲の籾をバラバラ撒き、、 という事を繰り返していくらしい。
クローバーで地面を多い、窒素も根粒菌で土に入れていく。
福岡氏は、農薬や肥料やトラクタなどを使う「科学的農業」は、自然の力を阻害する悪い環境を作り、それへの対症療法ばかり追いかける間違ったやり方だと断じています。
人間が自然をコントロールするのではなく、人間は自然の一部だという事で生きるのが正しいという思想。国民が全員小さな農業をして、自分達の食べる分だけ作るという事を提唱しています。
私には全く違和感のない話でした。
農業というよりも、人類の生き方について真正面から問う本だと思います。
不耕起栽培を徹底して追及し、米と麦を無肥料、無農薬、不耕起で大量収穫できる手法にたどり着いた方です。
麦わらを地面にバラ撒いておいて稲を栽培し、収穫前に麦の種もバラバラと撒いていく。
刈り取った稲からでた稲わらを今度は地面に撒き、そこで麦を育てる。麦の収穫の前に稲の籾をバラバラ撒き、、 という事を繰り返していくらしい。
クローバーで地面を多い、窒素も根粒菌で土に入れていく。
福岡氏は、農薬や肥料やトラクタなどを使う「科学的農業」は、自然の力を阻害する悪い環境を作り、それへの対症療法ばかり追いかける間違ったやり方だと断じています。
人間が自然をコントロールするのではなく、人間は自然の一部だという事で生きるのが正しいという思想。国民が全員小さな農業をして、自分達の食べる分だけ作るという事を提唱しています。
私には全く違和感のない話でした。
農業というよりも、人類の生き方について真正面から問う本だと思います。
【美術】ミケランジェロと理想の身体
上野の国立西洋美術館で企画展示されている表記展示を見てきました。
国立西洋美術館は以前から大好きな美術館で何回も訪れた事があります。
特に、常設展のロセッティやルノワールの絵画、ロダンの考える人等はお気に入りでした。
今回は、企画展を見てから常設展という順番で回りました。
いきなりミケレンジェロの彫刻群を見て、その肌のすべすべ感、筋肉や脂肪、筋・骨の表現に圧倒されました。
硬い大理石を削ってこういう造形を作れるという事にまず感動。
彫刻を360度グルリと回り、表も裏も、見上げたり近づいたりしてジックリ見ました。
その技術の高さ、精緻さに加えて、圧倒的な迫力や存在感が伝わってくる事にビックリしました。
殆どは男性の裸姿(子供から老人まで)の彫刻の数々です。筋肉の表現という意味では男性の方が興味深かったのでしょうか。
理想的な美しい顔の彫刻という所では、男にも女にも見える中性的な顔が作られていました。
ルーブルで見た、古代ギリシャのミロのビーナス等も美しさや精緻さはかなりな物でしたが、このミケランジェロの像からは、「力」や「勢い」、「動き」が感じられます。
時々、ミケランジェロが描いた絵画も展示されていますが、やはり2次元のものと3次元のものでは伝えられる迫力が全く違うという事をとても良く感じられました。
ミケランジェロが、「自分は彫刻家であって画家ではない」と言っていた意味がハッキリ分かりました。
ミケランジェロの「デルフォイの巫女」は私の最も好きな絵画の一つですが、ミケランジェロはそれを本当は彫刻で作りたかったのではないかと思います。
これを見てしまってから常設展に行くと、ロダンの像が粗っぽい作品に見えてしまいました。絵画達も、2次元の限界を感じるだけの見学になってしまいました。
恐るべしミケランジェロの彫刻。
この企画展を見てしまった事が、今後の自分にとって幸せだったのか(今後 絵画を楽しめなくなる?)悩みつつ帰ってきました。
国立西洋美術館は以前から大好きな美術館で何回も訪れた事があります。
特に、常設展のロセッティやルノワールの絵画、ロダンの考える人等はお気に入りでした。
今回は、企画展を見てから常設展という順番で回りました。
いきなりミケレンジェロの彫刻群を見て、その肌のすべすべ感、筋肉や脂肪、筋・骨の表現に圧倒されました。
硬い大理石を削ってこういう造形を作れるという事にまず感動。
彫刻を360度グルリと回り、表も裏も、見上げたり近づいたりしてジックリ見ました。
その技術の高さ、精緻さに加えて、圧倒的な迫力や存在感が伝わってくる事にビックリしました。
殆どは男性の裸姿(子供から老人まで)の彫刻の数々です。筋肉の表現という意味では男性の方が興味深かったのでしょうか。
理想的な美しい顔の彫刻という所では、男にも女にも見える中性的な顔が作られていました。
ルーブルで見た、古代ギリシャのミロのビーナス等も美しさや精緻さはかなりな物でしたが、このミケランジェロの像からは、「力」や「勢い」、「動き」が感じられます。
時々、ミケランジェロが描いた絵画も展示されていますが、やはり2次元のものと3次元のものでは伝えられる迫力が全く違うという事をとても良く感じられました。
ミケランジェロが、「自分は彫刻家であって画家ではない」と言っていた意味がハッキリ分かりました。
ミケランジェロの「デルフォイの巫女」は私の最も好きな絵画の一つですが、ミケランジェロはそれを本当は彫刻で作りたかったのではないかと思います。
これを見てしまってから常設展に行くと、ロダンの像が粗っぽい作品に見えてしまいました。絵画達も、2次元の限界を感じるだけの見学になってしまいました。
恐るべしミケランジェロの彫刻。
この企画展を見てしまった事が、今後の自分にとって幸せだったのか(今後 絵画を楽しめなくなる?)悩みつつ帰ってきました。
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