2021年6月19日土曜日

【音楽】TSUZUKU いきものがかり

 先日、母親の死を迎えました。


大往生と言ってよい苦しまない亡くなり方だったので、良かったと思ったのですが、


存在がいなくなってしまうという事は大きな事実として心の中に沈み込んでいます。



たまたま、いきものがかりの新曲TSUZUKU を聞きました。



この曲で、とても気持ちが救われたという気がしています。


人生で、大切な思い出を抱いて前に進む必要のある時は沢山あるのだと思います。



それを、明るく前向きに歌ってくれる。


心の深い部分で共鳴するような気がしています。



このタイミングでこの曲に出会えた事は、とても幸せな事だったと思いました。

【音楽】小田和正さんとオフコース

 少し前になりますが、テレビで2019年の小田さんのコンサートが放映されました。


録画しておいてゆっくり見ました。


コロナ禍の前という事で、大勢の観客(ファン)が入っているコンサートです。


女性が多い(中年ぐらいでしょうか、勿論おじさん達もいますが)印象です。


小田さんの歌唱の合間に、お客さんの様子の映像が沢山出てきますが、涙を流している方もかなり多くて、非常に感動的かつ盛り上がっている事が良くわかります。


テレビの絵的にもとても美しい。


演奏される曲は様々ですが、どの曲も小田さん節。突き抜ける高音。


70歳前後になられていると思いますが、ずっと昔からの良さを保っておられます。


歳をとられてもキーも下がらないとは、スゴイです。



とても楽しいコンサートでしたが、ふと 思いました。



曲の中には、オフコース時代の名曲もでてきます。


私の中では、それらの曲の原形がオフコースの音として刷り込まれているので、現在のサポートメンバーの演奏との違いがあります。


現在の演奏はそれでとても良いと思いますが、どうしてもその音を聞きながら私の心の中ではオフコース(特に小田さんの相棒だった鈴木康さんの)でのハモりや演奏が同時に鳴っています。


コンサートを見終わったあと、昔のオフコースのCDを思わず取り出して聞いてしまいました。

やはり、すばらしい。



そして、オフコースのヒット曲達は1970年代後半から80年代前半の頃だった事に気が付きました。

つまり、40年近く前の曲達。


今回 2019年のコンサートに来られている観客の方々が30~50歳代がメインだとすると、彼らはオフコースを生体験しない年代層なんだという事になります。


つまり、ソロとなった後の小田和正さんの曲(「ラブ・ストーリーは突然に」以降)が原体験の方々なんだろうなと思います。


勿論、一度 ファンになったら遡ってオフコースも聞かれているのかとは思いますが、自分とは世代が違う。

今回のコンサートも懐メロコンサートではない。


長く愛される、いつも新しいファンを生む 小田さんの凄さを再認識すると共に、とても不思議な感じでした。

2021年6月6日日曜日

【人生】逝き方はピンピンコロリが理想ではなかった

 つい最近、母親が亡くなりました。


老人ホームでの最後になりました。95才以上の年齢なので、長寿と言ってよいでしょう。


老人ホームに入っていたのですが、新型コロナ禍の影響で1年以上も会いに行くことができませんでした。


ある日高熱が出、診てくれたお医者からは、余命が短いと言われました。。


食事も殆ど取らない様になってきて、胃ろうなど延命処置をするかと問われ、兄弟全員同意の上で延命処置はしない事にしました。本人も以前にそういう希望を述べていました。


その翌週、兄弟が一人ずつ ホームを訪れ各々20分ほど会う事ができました。


水分も口から飲む事をしなくなっていて、ゼリー飲料(Qooなど)を使って少しでも水分を口から採らせようとホームのスタッフの方ががんばってくれていました。

病院に入っていたら普通は点滴をされてしまう状態だと思います。


すっかり枯れてきているという感じです。


そして、1週間後、静かに苦しまずに逝きました。


ホームのスタッフの方の話では、前日には微笑んで、ハミングしていたとの事。


死亡の連絡を受けて、駆け付けましたが、全く苦しそうな表情はありませんでした。


今までは、なんとなくピンピンコロリが憧れの死に方の様な気に私はなっていましたが、肉親の自然で枯れるような老衰死に立ち会って、人間の本来の死に方はこういう事なのではないかと強く思いました。


人間は口から水分を摂れなくなると、1~2週間で亡くなるとの事ですが、こういう亡くなり方は徐々に身体の各機能を弱めていって止めるという事になるので、苦しんだりする事がなく、眠るように静かに亡くなる事が出来るそうです。 

本人の意識は、現世とあの世の境界をまどろんでいる感じです。


でも、点滴をされると身体機能の低下した状態に無理やり水分を注入するので、溺死のような感じの死になり、本人もかなり苦しい。


老衰死は、本人が苦しまない事に加えて、家族とも別れができます。又、家族側も徐々に弱る推移を見、自然な死として受け入れる心づもりが出来ます。苦しまない死は、遺族にとっても救いです。


母の場合も、天に召される時が来たんだなと自然と納得できた気がします。


そうなると、死は悲しい出来事というよりも、安らかに次のステップへ進んでいくんだと感じられました。


飢餓、脱水しての死は、自然が与えてくれた恵のメカニズムだと思います。それが、たとえ外から見ると苦しそうに見えても、、、


枯れる様に亡くなる老衰死が、私は最も望ましい死の形だと思うようになりました。

2021年5月14日金曜日

【美術】デルフォイの巫女と大坂なおみ選手

 以前にも何度か書きましたが、私はミケランジェロのデルフォイの巫女の絵がとても好きです。


巫女の若々しさと力強さを強烈に感じます。



ミケランジェロの作った彫刻を美術館の特別展で見る機会がありましたが、どれも筋肉の表現、力強さ、精緻さに圧倒されました。


彼は彫刻をメインとして芸術に取組んだ人の様です。



絵画のデッサンの様に、モデルを使って像作りをしていたとの事。


きっと、筋肉モリモリの男性モデルが多かったのだと思います。



デルフォイの巫女についても、男性の体に女性の頭を描いているという何方かの解説を読んだ事があります。


今までは、成程そう言われればそうかな と思っていました.




でも、最近の大坂なおみ選手を見ると、現代のデルフォイの巫女を見た気がします。


鍛え上げた肉体の力強さと若々しさ。




もし、ミケランジェロが彼女を見れたら、とても喜んだのではないでしょうか。

2021年3月22日月曜日

【縄文・本】いつでも、どこでも 縄文・室内陶芸 吉田明 双葉社

 縄文土器はこうして作ったのでは。陶芸家の吉田氏が色々試して納得の方法が。


日本の各地で発見されている縄文土器。


それらは、どう作られていたのか?


実際に彼らが入手できる材料で作ってみて分かったという画期的技法、その知恵に驚き。沢山の写真を交えて、作り方を示してくれる面白い本です。



・縄文土器は どんな土でも作る事が出来る。


・特別な道具もいらない。


・誰でも作ることができる。


・どこでも焼けて失敗しない。


・どんな大きなものでも焼ける。


そして、

・土器で調理した料理は、味がまろやかで美味しくなる。



縄文土器から、当時の人々の工夫・知恵と暮らし方が伝わってくる様に思いました。



どんな土でも砂を混ぜる事で、割れずに焼ける様になる。

土器は、窯が無くとも、焚火などの擱きを中に入れる内焼で、家の中でも焼ける。

型を使えば、簡単に作れて、一日で作り上げる事も可能。

灰をうまく活用すれば良い加工ができる。乾燥も効果的に出来る。

尖底土器も、灰の上に置いてクルクル回しながら作っていけば ろくろ いらずで作れる。



やっぱり 「縄文時代」は未知の魅力に溢れている気がします。

2021年3月13日土曜日

【ボーカル】声質とゾクゾク・ムズムズ感

 テレビを見ていると、最近 昭和の歌をカバーして歌う人が増えているようです。


ヒットした歌は、その歌手の個性や声と深く結びついて記憶されているので、他の人がカバーしても、ヒット時代を知っていると、どうしてもヒット当時の歌と比較して違和感を感じてしまう事が多い様に思います。


勿論、時々はこの人の歌い方だと新しい感じがするな、、と思える場合もあって、その時は曲自体の良さがヒットをけん引したんだなと思ったりもします。


ヒット曲と言っても楽曲と歌手の掛け算が色々あるのだと思います。


歌手の特徴として、声質というのは非常に大きな要素だと思います。


私には、その人の歌声を聞いているだけで、身体の中がゾクゾク・ムズムズしてしまう人が何人かいます。


以前も書いたかもしれませんが、太田裕美さんの声、ゆずの岩沢厚治さんの声、ノーランズのバーニーさん、クリストファークロスさんなどは、いつでも、ずっとでも聞いていたいという気になります。


南こうせつさんとか、マイケルジャクソンとか、桑田さんとか 声に特徴のある方は沢山おられて、普通の意味で曲を聞いていたいという事は勿論沢山あるのですが、前述した人たちの声はそういう「音楽」とは違う、「身体の神経が心地よく共鳴する」音という気がします。


周波数分析とかをすれば、もしかしたら高調波とか何かの物理的特徴があるのかもしれません。


視覚では、黄金分割が人間は心地よく感じるという事がありますが、聴覚でも黄金倍率などと言うものがあるのかもしれないなと思います。専門家の間では、とっくに解明済みの事なのかもしれませんが。


コードで言うと、通常の主コードに数音を加えると微妙に心地よい音を作れたりしますが、それのもっと絶妙な感じという感覚ですね。


面白いものです。


2021年3月6日土曜日

【縄文】なんとなく持っていた違和感

 私が学生の時にならった人類の歴史は、猿人、原人、ネアンデルタール人、クロマニヨン人、ホモサピエンスという流れで、日本は縄文時代から始まる印象を持っていました。


縄文時代の人々の説明は、狩猟と木の実などを採取して、粗末な衣服を付けた長髪の人たちが自然の中でただ生活している野生児という絵だったような気がします。


弥生時代は、稲作などの農業が発展したという事だけがイメージとしてあって、その後 急に 聖徳太子達の政治・文化・木造家屋の揃った時代へ飛んでいた印象。


私は聖徳太子の時代は殆ど太古の半分神話の様に感じていました。



それとは別に、三国志やローマ帝国など、かなり現在と似たような世界の歴史を何の疑問も持たずに読んでいました。ローマ帝国などは、中世ヨーロッパにそのままつながっている印象で、中世よりちょっと昔という印象でした。


中東のエジプトのピラミッドや、シュメール文明、エーゲ文明などは、ローマ時代のさらにひと昔前だけど、政治や社会の仕組みや文明がしっかりあったという気がしています。



でも、ふと 世界史の年表を見ると、聖徳太子は6世紀の人で、その時世界では既にローマ帝国は崩壊しています。三国志も2~3世紀の話ですし、エジプトのピラミッドは紀元前26世紀ぐらいの建造物。



こういう風にみると、日本の歴史は本当に不透明な時代が最近まで続いていたのだという事が分かります。



縄文時代は紀元前10世紀ぐらいまでと言われているようなので、海外で起こっているのと同様な文明、文化レベルは日本でも起こっていたのではと考える方が素直な気がします。

勿論、石材を使う文明と、木材等を使う文明では、木材等での文明は遺跡という意味では残りにくいので調べ難いという事はあるのでしょうが。



そういう目で縄文文化をを見てみると、全然 私の認識が変わってきました。



縄文文化の代表例は、言わずとしれた縄文土器です。



縄文土器の写真は小学校から見ているので、なんとなくそんな物かと疑問も持っていなかったのですが、縄文土器に関する本を読んでみて、世界で最も古い土器が縄文土器だという事。世界各地に土器があるが、器の上辺が摘まみ上げた様な形状のものは縄文以外殆どない。という事を知りました。又、上半分の方が大きく重心が高い土器が多いという事も。


現代でもお茶碗やお皿、カップなど陶磁器など普通に使っていますが、確かに、上辺は皆 平らになっている物が殆どです。平でないと使い難いですから。


そういう意味では、日本の縄文時代というのは、地球上の他の地域に比べて 独特の高い文化水準を持っていたのではないかという気がしてきました。

ゴテゴテ装飾したような、非実用的な土器は、芸術性や趣味的なこだわりをする余裕があった事を感じます。豊な生活が出来ていたという事でしょうか。



脱線ですが、旧石器人 という言葉は、昔のカップヌードルのCMの影響か、石斧を持ってマンモスを皆で狩る野蛮人というイメージがありますが、2万年前(200世紀前)ですでにラスコー画などは、高い芸術性や技術を持つ絵が描かれていますし、4万年前のブラッサムブーイのビーナスは今 自分でも作れないだろうなと思う しっかりした女性彫刻です。

人類は、相当 昔昔から現代人と変わらないような感性と思考をしていたのではないかと思えます。加工技術などは未発達ですが。



こういう事例を知れば知るほど、人類の奥深さを感じます。