3つ程、面白い話を聞けましたので記します。
茅葺の古民家が沢山展示されています。又、幾つかは囲炉裏に火を燃やして、上がり込んで温まる事もできて、その民家が活躍していた時を感じる事もできます。
①屋根に花が咲く
江戸末期に日本を訪れた外国人の手記を見ると「江戸の町は清潔で美しい。日本人は庶民も皆花を愛でる人種だ。屋根の上にまで花を咲かせている。」という様な趣旨の事が書いている人がいます。
屋根に花? 少し前に流行った屋上緑化??
と少し不思議に思っていましたが、今回茅葺屋根の構造を学習して合点がいきました。
茅葺屋根は三角屋根のてっぺんの所は両側から積んできた茅の穂を織り込んでつなぐのですが、そこがほつれたり、雨に耐える様に棟というカバーをします。
棟の作り方は地方により色々あるとの事ですが、その中に、芝をはって菖蒲を植えるというのがあります。
芝の根が深く茅葺のなかに降りていく事で茅がほぐれてしまうのを止めるとの事。
菖蒲も同じ狙いです。屋根の上に植物を意識的に植える。よって、花も咲く。
②雪国の冬は、家の外壁の周りに茅で外套をまとわせる。厚さ10cmぐらいの茅の壁を作って、家の外壁との間の空気層もあるので、断熱と雪の吹込みを防止するとの事。
季節に応じて、付加断熱をしたり外したりする。
パッシブライフをしていたんですね。
③越中五箇山の秘密の塩硝
豪雪地帯にあった合掌造りの家は、高床になっており、囲炉裏の床下は土管の様な物が地面まで降りている。
当時、その家(村)では、囲炉裏下の地面を掘って、そこにヨモギや麻の葉、蚕のフンなどを混ぜて埋めて発酵させて、塩硝という火薬の原料を作っていたとの事。
特別なバクテリアにより、堆肥ではなく塩硝が作れるとの事。
この塩硝作りは、極秘の仕事でよそ者が来ない様に人里離れた隠れ里で作られていたとのこと。
鉄砲の火薬作りは、信長、秀吉、家康が独占していたとの事だが、加賀藩は独自にバクテリアを入手して隠れ里で塩硝を造り、それを城にて炭等と混ぜて黒色火薬を作り、裏で商売していたとの事。
加賀百万石はこうして作られたらしい。
ちなみに、秀吉は刀狩りはしたが、鉄砲狩りはしなかったので、当時の日本の各地に鉄砲は沢山出回っていたとの事。
それらに、専売の火薬を売って儲けようとしていたのだろう。
隠れ里にするために、川にも橋は掛けずに、渡る時は粗末な籠に人を載せて手動ロープウエイ方式で一人一人運んでいたとの事、その籠の展示もありました。
古民家も、そこに当時暮らしていた人達の事をリアルに想像しながら見ていくと、とても面白いものでした。
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