2018年8月11日土曜日

【本】日本人はるかな旅 NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編 NHK出版

テレビで日本列島に南から黒潮に乗って人が渡って来たのでは、という検証で手作りボートを作り台湾(違ったか?)のあたりから人力で沖縄諸島に行けるか?という実験をしていました。


所が、黒潮の流れが強く、それを乗り越えるのは大変で、簡単ではないという事が分かったとの事。


それに触発されて、黒潮と日本人に関する事をもう少し知りたくて、本書を読みました。


私の知らなかった事が色々。

・7万年かあ1.4万年前までの氷河期では、高緯度
 地方に氷河が発達した事で海面が100mほど下が
 っており、今のマレー半島やボルネオ島、ジャワ島、
 スマトラ島などを含む広い海ののエリアがスンダ
 ランドと呼ばれる大きな陸地であった事。

 そこに住んでいた人々が、氷河期が終わり海面
 上昇=陸地減少に伴って各地に動いて行った事。

 その流れによりフィリピン辺りから琉球諸島へ
 同じ人種・文化が渡っていったと考えられる事。


・その人達が鹿児島に 上野原遺跡 と呼ばれる
 9500年前という日本で最も大きな定住集落を
 作った事。 しかし、その時代は縄文時代と呼
 ばれる年代で、まだ畑作をしらないので定住は
 難しいと考えられている時。その中で、一種の
 生活革命である「定住」を先駆けて実現してい
 た事。(その頃の鹿児島は、ちょうど温暖化の
 途中ですばらしい植生のエリアになっていた
 らしい)


・縄文文化と言われているが、琉球を含めて南
 から来たその文化は土器の模様は縄目ではなく
 貝で作った模様が付けられていた事。


・上野原遺跡は何千年も繁栄していたが、ある時
 突然終わった事。


・鹿児島の南 竹島のあたりの海底には、「鬼界
 カルデラ」と呼ばれる直径数十kmに及ぶ非常に
 巨大な火山噴火の跡があります。

 その鬼界カルデラが6300年前に大噴火を起こし
 ました。その噴煙や火砕流は九州にも押し寄せ
 て、それが上野原の壊滅になりました。


・縄文時代の日本列島(九州から北海道に至る
 まで)には、いわゆる縄文人と呼ばれる人
 が住んでいました。彼らは上野原に住んで
 いた人達と同じ南からきた人達が広がって
 いったものでした。

 彼らは顔つきは、四角く立体的で、目鼻立ち
 がくっきりしていて、口元が引き締まっており、
 背は低いが、四肢の末端が長く、筋肉質で、
 運動能力に優れていた。


・一方、北からきて中国・朝鮮方向から来た人
 達が後に入って来る。彼らは厳寒の気候に対応
 して、胴長短足の体形と皮下脂肪が多くのっぺ
 りした顔立ちを身に着けていた。農耕文化も
 もっていた。彼らが2300年前位に山口県あた
 りから日本列島に進入し(渡来人)、瀬戸内海
 から近畿地方へと拡散していき、弥生時代と
 なった。

・その結果、在来縄文人の子孫集団は、日本列島
 の両端の北海道と沖縄に分断されてしまった。
 北海道に残った集団がアイヌの人々となり、
 沖縄に残った集団が琉球人になったが、
 本土人は渡来人の影響がかなり強く(2/3程か)、
 アイヌは縄文人の影響が極めて強く、琉球人は
 その中間(半分半分か)と推定されている。

などなど。


今まで気が付きませんでしたが、言われてみると確かに沖縄出身の女優さんは彫が深い方が多いような気がします。

思わず、自分の顔を鏡でみてしまいました。

2018年8月5日日曜日

【実家の片づけ】8.コレクション

人により親がコレクターで何かのジャンルのコレクションをしていてそれが残っている事もあると思います。

私の親の場合は、一時 住んでいた事もあるネパール国について、色々な資料、民芸品、古くからの地図、写真、本、など現地でしか、しかもその時代にしか手に入らない物が、本棚1架分ありました。ネパールが王国だった頃の物も多く入っていました。

親の気持ちが入って集められた品々なので、単なるガラクタとして処理するのは忍びないという気持ちになります。

そこで、ネパールを研究対象としている先生のいそうな大学の図書館に寄贈できないか等を聞きました。

残念ながら、答えはNo.
そういう寄付本の管理は工数がかかるので嫌だという事か、その先生がご興味を持ってくれなかったという事。

最後は、通常の品物として廃棄処分をしなくてはなりませんでした。

時間が十分にあるならば、もっとニーズを探したり、ネットオークションに出してみる等の方法もあったのかもしれません。

こういうコレクションは、同様の興味を持っている人を見つけて引き継いでもらう事ができれば気持ちも楽になると思います。

【実家の片づけ】7.写真

昭和を生きてきた両親は、カメラの普及、進化とも連動して生きてきています。

2眼や白黒の戦前や戦後時代。カラーが出だした昭和中旬。コンパクトカメラの普及で、どこのお父さんも家族写真を沢山取り始めました。
家族のハレの日は、必ず撮って。家族アルバムに貼ってある。

そして、フィルム付きカメラ流行る時代では一人数台のカメラを使ったり、どこかに行った時に、現地で買って使ったり、と何でも写真を撮る時代。

DPE屋でくれるミニアルバムに何でもプリントを入れて、ミニアルバムが沢山溜まっていく。

次に、デジカメも出てきて。パソコンも覚えなくっちゃという事になり、ここでアナログ派とデジタル派に分かれたり。

デジタル派は画像をフロッピーに入れたりCDに入れたり、DVD、BDに、、

動画も8㎜フィルムでムービーを取りはじめ、テープ式のビデオ、そしてデジタルビデオとカメラが進化。

今はスマホで写真も動画も撮影する人が多いと思いますが、実家の片づけに於いては上記の進化に伴う数々の記録の蓄積と対面する事になります。

昭和を生きて来た世代は、写真好き。
非常に沢山のプリント等が残っています。
あらゆる旅行の写真、家族写真、仕事上の写真。

一応 全て目を通します。
自然や建物などだけが映っているのは捨てやすいですが、親や親せき家族などが映っている写真は捨てにくい。先祖のものもある。

そこで、どうしても残しておきたいものだけ。
自分の思い出用に取っておくが、あとは心を鬼にして燃えるゴミにします。

ネガフィルム(プリントの元となるデータ)も沢山出てきますが、これも廃棄。

連動して、額や写真立ても非常に多く出てきます。1-2個ならば残しておいても良いのですが、それ以上の物は廃棄に困ります。
ガラス板付きなどは特に燃えないゴミで出せるものと、粗大ゴミとして出さなければいけない物など分別します。

心理的な辛さという意味では、家族等が映った写真を廃棄と決める時は、かなり躊躇が生まれます。

「どうしても残したいものは10枚残す。」などと決めて選別すると、乗り越えていく事ができました。

動画の方は、音声も入っているので更に廃棄は心情的に難しく。できるだけ、これらは残す事にしました。


今の現役世代が亡くなる頃は、写真も動画もネットに保存されている、、という事になっている可能性あり、こういう苦労?はこの昭和を頑張った世代特有の物だと思います。
そういう意味では、出来るだけ残しておく方が良いのか、、とも自問自答しながら進めました。

古い写真のデジタル化などは、とても手間がかかるので、選択肢から私は外しました。

2018年7月29日日曜日

【本】家庭菜園の不耕起栽培 水口文夫 能文協

家の庭で小さな家庭菜園を始めようと思いました。

今まで野菜作りや植物育成など全くやった事が無いので、何をしたら良いやら分からないので、図書館何冊か本を借りた中で、コレだ!と思ったのが本書です。

「不耕起栽培」とは、その名の通り畑を耕さないで栽培するという方法。

畑で野菜作りと言えば、耕して、肥料をしっかり、農薬もというのが普通の(科学的な?)やり方かな、、とずっと思っていました。でも、人工的な肥料や農薬は使いたく無いという気持ちも強くあります。

一方で、「奇跡のリンゴ」の木村さんの様なやり方もあるのかしら、、とも思いましたが、「奇跡」という表題が付くのだから普通の人がやってもダメなのかな とも考えていました。


この本は農業指導員の方が書かれているのですが、野山の自然に近い状態を作る事で、植物や土地の生物系の生命力や免疫力を高めて、最終的には肥料も薬もいらない栽培を作るという物。


野山の植物は耕さずに、肥料も無いのに実をつけて健康に育っていますから、、、


どうして不耕起栽培が成り立つのか?、どうしたら収穫も上げて行けるのか? どういうルールで植物を接したら良いのか? などが丁寧に説明されています。

コレだ!と感じて、それ以降もう何回も読み返している私のバイブルです。

考え方は非常にシンプル。


早速、庭に畑領域を区切って、この不耕起栽培が出来る状況を3年後に作るべく、実施始めました。

まずは、土作りから。

緑肥作物を植えました。
今は畑にエンバクがわさわさ茂ってきました。

土中に根を沢山作り、地上部の葉や茎は有機物マルチに使っていくつもり。
ミミズが自然に集まってくるような環境にまで持っていければ成功です。

時間はかかりますが、畑にかける手間を最小にでき、かつ無農薬で活力にあふれる作物が出来るというズボラな私にはピッタリの手法です。


3年後が楽しみです。

2018年7月22日日曜日

【心と身体】定年すぎてフォークリフト免許取得

仕事の都合があって、フォークリフトを運転できるように講習(学科と実技試験あり)を受けました。


61歳。
乗用車は20年近く乗っていましたが、運転が好きな訳でもなく、娘の幼稚園卒園送り迎えが無くなった年に廃車にして、この18年ちかくはハンドルを握っていない。
眼も網膜剥離を患って、左右アンバランスな視力だし、暗い所では見えにくくなる。当然 老眼で小さい文字も見えない。

注意力も落ちてきていて、日常も一度に2つの事は出来ないし、忘れてしまう。有様。


本当に合格できるのだろうか???という不安を抱きながら、講習に向かいました。


平日のコースですが、8人の受講生。

当然、私が最長老。平均 40歳ぐらいでしょうか。


大型トラックのドライバの方や、実は無講習で少しフォーク動かしていたんだ、、という人など。


学科は、教室でテキストを1日説明受けて、夜にテスト。 これは、なんとか満点。(殆どの人が満点か1問間違えぐらいでクリア)


実技は、3日間。


今年の夏は記録的な猛暑。気温36度。

実技は体育館の様な屋内コースで行う教習所(雨が降ったら嫌だなと、こういう教習所を選んだ)。

1時間毎に休憩が入るが、屋内コースから外に出ると気温36度の外を涼しいと感じ(微風があるので)てしまう殆ど「ゆでガエル」状態。ボーとしてしまいます。


初めて触るフォークリフト機は、いかにも重そうで、しかも簡易な作りの運転席。

乗用車と異なり、後輪操舵かつほぼ90度まで曲がるタイヤ。
重心支点と駆動を前輪で行う。
リフトアップダウンレバー、チルトレバーなど、初体験の事がイッパイ。

ポピュラーではあるが、危険の多い重機なので、指さし点呼や、この位置でハンドルをどれだけ切るか、確認していく手順など、チェックや覚えて行く事が多い。


これをボーっとした中でやるのは、本当に覚えられない。
覚えたつもりでも、実技中に ポッカリと忘れて頭の中真っ白になってしまう。。



2日目の最後に、最終試験コースの練習をしたが、ドライバーの運ちゃんたちは7分台ノーミスで出来る所を、私は14分かつミス多数。

最終試験は10分以内という制限もあり、減点法で採点されるとの事。 
本当に どうしよう、、、と思いながら帰りました。

都合で2日間教習所に行けない日があるので、そこで何回もイメージトレーニングを繰り返す。


最終日。午前と午後に試験コースの練習を4回。
イメージトレーニングの効果もあり、なんと7分を切って、ほぼノーミスで出来る回も出てきました。


最後に、審査員と1対1での実技試験本番。
あれだけ、練習したのに、最後の方で勘違い動作をしてしまい大焦り。ダメか~と思いましたが。 減点はされたがなんとか合格。

(後で聞いたら、受講者の98%は合格するとか、、)

合格・不合格 という事よりも、40歳台の人と比べてあまりに不甲斐なくなっている自分にガックリきた講習でした。


年を取るというのは、こういう事か、、という事を良く自覚できました。

とは言え、運転資格はとれたので、時間がかかっても安全を確認して必要な作業に使っていきたいと思います。


一方で、年に合ったやり方をすれば、まだまだ色々な事ができる可能性はあるなとも感じた1週間でした。




【本】世界のエリートがやっている最高の休息法 久賀谷亮 ダイヤモンド社

”「脳疲労」がすぐ消えて、頭が冴える”という副題がついています。

イエール大で学び米国で18年診療してきた精神科医が著者。

疲労には「身体の疲労」と「脳の疲労」があるとの事。

以下 序文

身体を休める事 をすれば休息になると大抵の人は思い込んでいます。
でも、それだけでは回復しないのが脳の疲れ。

脳には脳の休め方がある。

米国では精神医療は大きく変わりつつある。

薬物療法は日本ではかなり一般的だが、米国では避けられる傾向にある。
脳を一つの臓器として扱う脳科学の発展により、薬物ではなくTMS磁気治療などで、副作用のある薬に頼らなくても心の不調を改善できる目途がたってきている。

もう一つが瞑想。ただのリラクゼーションではなく瞑想が脳によい変化をもたらす事が実証的に確認されている。

この本は主に瞑想ベースについて書いていく。


脳は身体の消費エネルギーの20%を使う「大食漢」。
でも、その大半はデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)という脳回路に使われている。

これは、意識的な活動をしていない時に働くベースラインの活動で、自動車のアイドリングの様なもの。

このDMNの活動を抑える脳構造を作っていかないと、あなたに真の休息は訪れない。

それをしていくのが、「マインドフルネス」(瞑想などを通じた脳の休息法の総称)。

スティーブジョブズの瞑想は有名ですが、グーグル、フェイスブック、シスコなどでも導入が進んでいる。

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本書は 米国のビジネス書によくあるスタイルの小説風物語でその導入法や効き方などを書いてあります。

簡単に言えば
過去や未来をクヨクヨ心配するよりも、「今、ここ」に集中する事。
というの様。雑念なども無くなって行けばDMNも下がる。

実施方法例は、
・身体意識・呼吸に注意を向ける。
  座っている時だけでなく、動いている時も。全身を意識スキャンする。
・何度も同じ雑念が出たら
  「もう十分!」と捨てる。例外を考える。賢者の目線で考える。
   良し悪しで判断しない。原因を探る。
・他人へのマイナス感情があるとき
   感謝する。愛情・慈しみを 心の中でフレーズを唱える。

など。


これらの事は、昔から色々な所で言われてきた事ですが、「脳疲労」という新しいキーワードを作ってまとめたという感じでしょうか。

欧米人には新鮮なのかな。。。?

2018年7月7日土曜日

【本】ラテンに学ぶ幸せな生き方 八木啓代 講談社+α新書

「ラテン系」な人と言うと、なんだかお気楽でノー天気な人というなんとなくネガティブな印象と、人生を楽しむ術を知っているというポジティブな印象が私の中では同居しています。

でも、実際に「ラテン」の人とはどいういう考え方や性質の人、振る舞いなのかはちゃんと知っていませんでした。

この著者は歌手・作家・エッセイストという多面的な顔を持ち、メキシコと東京の2拠点を行き来して暮らしている方との事。

読んでみると、人生に対するスタンスが今の日本(東京?)と真反対だけど、もしかしたら少し前までの日本もラテン系の考え方をかなりしていたのが、いつの間にかギスギスの競争、自分本位の社会になってきてしまったのではないかという気になりました。

沢山の ハッとする事が書かれているのですが、煎じ詰めると、ラテンの人達は「人と人のつながり」「家族」を人生で最も大切な事と考えている。


例え貧乏や弾圧を受けて困っても、仲間や家族とのつながりを信じていられるのでそれらにも負けずにポジティブに向かっていける。という事でしょうか。


連動して、経済的に成功する事よりも、人と人の繋がりを豊かにする事の方が価値があるという考えになるようです。


日本は非常に高い自殺率になっています。
それに比べてラテンの国の自殺率は桁違い少ないのが実情です。

生活満足度も高く、少なくとも日本人やアメリカ人よりは、ぶっちぎりに「幸福に生きている」という事はまぎれもない事実のようです。統計を見るまでもなく、ラテンアメリカに暮らした経験のある人なら、明らかにその事を体感しています。


面白い話が紹介されていました。

ブラジルで紹介されているイソップ童話は以下の様になっているそうです。
抜粋します。

’冬になって食物が無くなると、キリギリスはアリを訪ねます。
「私が汗水流して働いていた時にあなたは何をしていたの?」
アリの意地悪な問いに、キリギリスは答えます。
「私は歌ってみんなを楽しませ、元気づけていたのよ」
それを聞いた、働くことしか知らず、生きる喜びを感じた事のなかったアリは反省し、
「では、これからは踊って暮らしましょう」
とキリギリスを迎え入れて、食物を分けて一緒に踊りながら、楽しく冬を越したのです。’


この話を聞いて、なんだ、ただのご都合主義じゃないか、これじゃ怠け者用擁護じゃないか、なんて思う方もいらっしゃるかもしれません。

けれど、このアリは、決して自殺なんて考えないでしょう。歌うのも他人を楽しませるにも立派な仕事。そして、地味に孤独に働いてばかりいた人も、ちょっとした発想の転換で、一緒に幸せになれるという、ある意味 ずっと現代的な教訓がここにはあります。

そうです。ラテンの社会では、人を楽しませたり、感動を与えたりする事は、立派な仕事として認められているのです。

との事。


又、こんな例も出ています。

日本では、「お金が無いから結婚できない。」という話があるが、ラテンでは 「お金がないからこそ、あるいは就労状況が不安定だからこそ、結婚して二人分の収入で、生活費をシェアする方が現実的」と考えています。

個人主義で自己完結しないといけない日本。人との絆がセーフティネットになっているラテン。


軍事独裁政権を倒していくのも、音楽と歌によって国民が力を集結するという例も多いとの事。


この本を読みながら、ラテンの生き方にどんどん魅力を感じていく自分を発見しました。


もっともっと、ラテンを知りたい、浸かってみたい。

面白い本です。