・41才 女 出版社勤務
韓国は海外旅行ブームで、突出して日本旅行が多い。韓国ウォンと円の為替が後押ししている。こうした日本旅行熱は和食人気を高め、日本語の看板を掲げる日本料理店が急増している。
「韓国で一番人気がある日本の都市は大阪、次に福岡や東京が並ぶ。大阪は安いLCCが増えた事、テレビで大阪のストリートグルメ紹介が良い、USJや京都奈良へのアクセスも良くて、若者が大好きなグルメも遊びも満足できて、なおかつ安く行けるから。
慰安婦問題について
「慰安婦問題はこれから外交的に解決されなくてはいけない問題ですし、私もそれを願っています。日本からきちんとした謝罪があってしかるべきだと。そうした考えも明確に持っています。」「少女像についてですか? 世界各地にたてられているのがやりすぎという声があるようですが、私はそうは思いません。ドイツのアウシュビッツ強制収容所は、同じ過ちを繰り返さないという決意の象徴として保存されているでしょう。慰安婦問題も韓国だけでなく世界全体の歴史として、記憶していくべきだと思います。それは韓国がかつてベトナムでやったことも同じです。韓国政府はきちんと謝罪、賠償すべきでしょう。同じように私たちもかつて慰安婦だった人たちの後継としてその名誉回復に努めていくべきだと思います。」
・43才 男 アンティーク商
「子供の時は、日本に愛してい否定的なイメージがありました。過去の歴史、侵略とか。そういう境域がありますからね。日本は何かあるたびに謝っていると言いますが、真摯な謝罪とはほど遠い。いったいなぜそうなのか、そんなことをたくさん考えたりもしていました。」「韓国人が日本について否定的に考える要因は、いま大きく2つあると思います。一つは靖国。なぜ分祀しないのか。もう一つが慰安婦問題」「何年か前、日本が元慰安婦のおばあさんたちにお金を払うという話があったでしょう。あの時、韓国人の反発がすごかったんです。ちゃんとした謝罪と賠償がなくてはいけないのに、政府同士がいくらで手を打ちましょう、申し訳ないという言葉もないまま、これでフタをしてしまいましょうと勝手に決めてしまう、そんなやり方でいいのかと。。。」
「私が思うにはこれは金銭的な問題ではなく、まず首相なり立場の高い人が来て、きちんとしたお詫びをすればいいのではないかと。そしてそんなに大きな金額でなくてもかまわないので、所定の補償が行われたら、韓日関係がいい方向いいくのではないでしょうか。いまいつ慰安婦のおばあさんたちも、多くは望んでいないのではと思います。10年もすれば多くがなくなられるでしょう。その前にそんな謝罪があれば、両国の友情がいまよりずっと深まると思います」
こどもの時は日本製とは知らずにアニメを見て、プラモデルで遊んでいました。大人になって「あ、これも日本製だったのか」と、我々世代はそうした驚きを経て、日本への憧れを少し抱くようになったものです。
・51才 男 日本の大学での教員 イさん
妓生観光=買春観光が盛んだった1970年代、80年代。イさんはソウル育ちの大学生。ラジオでオールナイトニッポンを聴いたり、薬師丸ひろ子のファンだったりした。
慰安婦問題について
イさんは大学時代、日本人観光客の妓生パーティーを見た事がある。通訳のアルバイトをしていた恋人がそこに同席する事になり、頼まれてついて行ったそうだ。場所は現在も各国からの観光客で賑わうソウルの観光地、仁寺洞たっだ。「その時、私は日本人に対する反感というのはありませんでした。妓生とはそういうものだと思っていましたから。これは朝鮮王朝時代からずっとそうだったんですが、中央政府の官僚が地方へ視察に行くとするでしょう。すると各地の地方官史が妓生を動員して、接待するわけです。こうした習慣、伝統は根深く、私が学生の頃も普通に残っていいました。主な宿場町にはそんな妓生たちがいたんです。少なくとも1980年代くらいまでは、そのほか人心売買とか、身売りのようなこともまだ横行している時代でした。」
「売春をする女性たちに対する視線も、当時は違っていました。いまなら借金で仕方なくという事情もあったりするにせよ、結局は自分の意思でやっていることでしょう。でも昔は儒教的な道徳のせいで、一度汚れてしまった女性はもう普通の生活に戻れないという社会通念があった。そうした女性たちが社会に受け入れられず、売春婦となるしかなかったわけです。」「つまり韓国では、こうした一連の文化が最近まで受け継がれてきた歴史がある。それを棚に上げて、慰安婦問題をあそこまで非難できろのだろうか。当時みんなあれを黙認していたはずなんです。なのにああいったアンダーグラウンドで生きて来た人達の歴史を、なかったことにしていいのか、と。もちろん慰安婦問題には私もシンパシーを感じますが、こう考えると複雑な気持ちになります。」
・49才 女 旅行会社経営
日本に留学し、そのまま日本に骨を埋めるつもりの人。
両国関係について
「韓国が歴史問題か何かで日本に執着しているように見えるとしたら、それは政治とメディアのせいだと思います。特に若い層にとって歴史問題は子供の頃に教科書で習った話にすぎないし、さほど関心もありません。」「もちろんそこを突き詰めて言えば、こんな考えもあります。被害を与えた加害者は、一度誤ればそれで済んだ気になれますよね。でも取り返しのつかに傷を負った被害者の側は、トラウマのように一生背負いながら生きていくのが普通でしょう」「でもそれが歴史問題として騒がれる時、私は政治家たちが自分に都合よく利用している部分があるのではないかと思います。対立を煽って国民を結束させるのは、自分たちの支持率を上げるのに役立つでようから。こうした意味で私は、韓国の政治家も日本の政治家も両方問題があると思っています。」
北朝鮮について
「北朝鮮には地下資源が沢山あるでしょう。また統一すれば釜山からヨーロッパまで鉄道でつながるので、物流コストも安くなるんじゃないでしょうか。それに北朝鮮のインフラ建設も必要ですから、建設業界も潤うのではないかと思います。そのほか観光開発もできますしね。」「さらに韓国は日本と同様、人口問題を抱えています。私の時代は小学校1クラス60~70人くらいいました。それが今では30人程度。韓国もこれから労働人口の減少など、難しい問題に直面していくことになります。でも北朝鮮と一つになれば、労働人口が増えるというメリットがある。やはり国が大きく成長していくには、人口が必要だと思うんです。」
・42才 女 公企業勤務 日本とのかかわりの深い業務を担当。
対日感情は多面的だ。「日本の政治家や右翼がやっていることに対して、嫌悪する感情は確かにあります。熱にいつもそんなことを深く考えているわけではありませんが、、。でも独島問題、歴史認識問題、旭日旗の問題などで日本がやってくること、そのほか安倍首相がやっているようなことを見て、あれは間違っている。日本は歴史を正確に認識する必要があると、こんな思いはなっきりとあります。」「学校で韓国史を習うと、植民地時代の話が当然出てくるでしょう。そこから高校の時、日本や近隣国の歴史に関心を持つようになって、大学に入ってからは日本語を学んでみたりもしました。大学ではまた日本が韓国に対してとても大きな過ちを犯した歴史も学んで、、。ですから当時は日本という国に対しては、いい感情を持っていませんでした。もっともそれは実際に日本へ行ってみたこともなく、日本人と会って対話したりしたこともなかった時期の話です。社会人になってからは実際に日本を訪れ、日本人の友達もできて、また違った認識が深まっていきました。」
慰安婦問題について
「少女像が世界各地に作られるのも、そういう状況を自ら作り出したのは日本だと思います。ある国が別のある国を侵略して、よくないことが沢山起これば、それに関心を持つのは当然のことでしょう」「慰安婦問題にしても韓国が、日本がという立場を離れて、ちゃんとした謝罪があって然るべきだという部分について、多くの女性たちが共感しています。実際に米国や中国など海外の女性たちが元慰安婦の女性たちに共感したからこそ、その体験が忘れ去られてはいけないと。各地に記念碑を建てるようになったわけでしょう」「温かく誠意を持って向き合えばいいだけなのに、彼女たちが声を上げるのを防ごうとしたりとか、知らないふりをしたりとか、、。これでは私たちがもっと関心を持たなくては、と思うのも無理はありません」「領土問題もそうです。日本も尖閣諸島を巡って、韓国にとっての独島のような問題を抱えているでしょう。なのにどうして韓国に対していちいち敏感に反応するのか、、。そこは立場を逆にして考えたら、韓国の気持ちも分かる様になるんじゃないでしょうか」「慰安婦問題がなかったかのように宣伝する歴史修正主義は、自国の若い世代に歪曲された歴史を刷り込むことになり、虚しい憎悪や反感を招く結果にしかなりません。韓国でも軍事独裁とか、ベトナムでの”蛮行”とか、恥ずかしい歴史が沢山あります。自国に都合のいい歴史だけを教えても、そんな教育を受けた世代の将来が心配ですよね。何も知らずに育って大人になってから事実を知った時、自国に対する自負心が傷つくのではないでしょうか」
・52才 男 出版社代表 灰谷健次郎の著書を多数韓国語に翻訳して出版している
「韓国人が日々の生活の中で、日本に何か特別な感情を持っていることはあまりありません。ただし私が思うに、政治的、歴史的な話になると、韓国人の多くが日本に対して否定的な感情を抱いています。それは実のところ日本がどうこうといういうよりも、韓国国内の事情でそうなったのではないかという思いもあるんです。なぜなら早い時期から日帝時代に関する歴史を通じて、否定的な教育を受けていますから。だから本人もそうと気づかないうちに、日本に対して否定的な感情を抱くようになるんだと思います。」「今でも年配の人は特にその傾向が強いですね。私が中学生、高校生の頃もそうした教育が盛んでした。でもいまは教育も変わり、若い人は以前ほど否定的に考えないようです。うちの娘はダンスをしているのですが、その勉強のため1ヶ月日本で過ごしてきました。これも教育が変化したおかげといえるでしょう」 否定的な感情は3つの要因がある。「解放後に樹立された李承晩政権は、植民地地時代の対日協力者を大勢起用して要職に就かせました。彼らは理研を通じて裕福な暮らしを送った一方、独立運動家らは冷遇されました。つまり韓国はきちんと植民地時代に審判を下して精算する、過去を断ち切って新しく出発する事ができず、社会が間違った道へ進んでしまったんです。それがとりわけ進歩的な人々の間で問題視されており、いまの政界でも『親日残滓』の精算を求める声は小さくありません」 3つ目は”日本政府がちゃんとした謝罪をしていない”ということ。
元慰安婦女性のカミングアウトと日本政府を相手取った提訴をきっかけに、1991年から慰安婦問題が両国間の重要懸案として浮上。日本政府は日韓基本協定と付属協定に基づいて日本側に追加補償の義務はないとの立場に立ちつつ、反省と謝罪を繰り返した。韓国政府も当初は同じ認識に立っていたが、1992年から慰安婦問題を請求権問題の例外として補償を要求する方針に転換。そして日本がこれに応じなかったことが、韓国ではそれまでの反省や謝罪に矛盾すると受け止められた。こうして、「『日本の謝罪は見せかけだけであり誠意がない』という理解が定着する。そしてさらに歴史認識問題の解決には『日本が反省していることを示す、真の謝罪が必要だ』という世論が形成されていった。
否定的な感情の裏側に、「韓国メディアと教育が日本に対して非常に批判的な事」も関わっている。日本に関する問題でメディアが敏感に反応する裏側には、裏切者と非難されないように「安全でいたい」という心理が関わっているようだ。そのには批判以外を許さない社会の圧力も関わっている。
慰安婦問題について
「記念館のようなものは必要だと思います。私たちは慰安婦の歴史を学ばなくてはいけませんから。でもそれは相手を憎むことが目的ではありません。再びその歴史が繰り返さないようにするためです。競い合うかのように対立の構図を作り出すのは、賢明とは言えません。しかし、私が見る限り、扇動やプロパガンダのような部分もあるのではないかと思います。」「韓国もベトナムで、非常に大きな過ちを犯したでしょう。ベトナム戦争に参加し、多くの無辜の市民に被害を与えました。だから私たちもベトナムへ行って謝罪し、そんな歴史を繰り返さないよう努めなくてはいけない。実際のところ、日本でもそうやっている方たちは沢山います。」
「より多くの人が研究して話し合い、二度と繰り返さないよう決意する。こうしてこそ問題が完結されるのではないかと思います。その意味で例えばドイツで行われているやり方は、とてもうまくいっているのではないでしょうか。彼らは過ちを二度と繰り返さないという誓いを繰り返しており、それは信頼に足るものです。私たち韓国と日本も、いずれそういう関係になれればいいと思います」
・57才 男 「ナヌムの家」(一部の元慰安婦女性が暮らす老人福祉施設)アン所長
アンさんが目指すのは”正しい歴史”を取り戻すことだ。「日本に対して肯定的な考えも沢山ある一方で、歴史的に整理すべきことは整理しなくてはいけに。といってもそれは、誰かを捕まえて処罰しようということではありません。おばあさんたちを取れて行った人たちをつかめて処罰するとか、そんなことがいまの私たちにできるはずもないでしょう。そうではなく、事実を記録して”正しい歴史”を打ち立てる。これが私たちがやらなくてはいけないことなんです。」「1965年の対日請求権は朝鮮半島の植民地市販で発生した財産権を巡る問題についてであり、各地の戦場で発生した慰安婦の被害は含まない、また戦争犯罪に時効はないというのが私たちの立場です。しかし日本大使館の関係者とも非公式で3~4回は無しをしたことがありますが、彼らはおばあさんたちの請求権は1965年の国交正常化と同時に消滅したという立場で一貫していました。これでは話にならない。ではどうするかというと、第3国に知らせていくしかない。そこで2011年にアメリカのニュージャージー州に建てられた記念碑を皮切りに、グレンデール市をはじめ各地に建てられていったんです。」「日本はいま平和に暮らしていますが、例えばアフリカの内戦のように女性に対する人身売買や性暴力の被害は現代にも続いている問題です。以前ここを見学に来た外国人が「ナヌムの家」をベンチマークにして、アフリカで被害にあった女性のシェルターを運営している例もあります。そうした視点から考えた時、日本がいまからでも問題を認めて、”本当の謝罪”をすることには、大きな意義があると思います。そうしてこそ日本は国際社会から支持され、リーダーシップを発揮できるようになるのではないのでしょうか」
抜粋は以上
読んでみて、最後のアン氏は政治的な匂いも感じますが、他の方々は まじめで正直な人々という印象を受けました。まじめであるからこそ、教育やマスコミ報道によって知らないうちに常識が作られていきます。これは日本も勿論同じで、まじめにテレビニュースや新聞、政府発表を良く勉強する人ほど刷り込まれていくように思えます。日本人の方が、近代史を殆ど学習していないので、より刷り込まてやすいかもしれません。一方、韓国の人は、意外に冷静な見方をしているなという印象もありますね。
この本でインタビューを受けた人は、なんらか日本と関わりの深い人ばかりなので偏っているのだとは思いますが、それでも市民の感覚はこういう感じなのかという事が分かる面白い本でした。
今回の日韓問題も、政治とそれを煽るマスコミによって作られる劇の様な面があると思います。
韓国=約束を守らない国 という日本人の新常識にならんとしている感覚(マスコミや政府発表の記事から作られている)も、冷静に自分を見て行く必要がありそうに思いました。
2019年8月1日木曜日
【本】日本コンプレックス(1) 高月靖 バジリコ株式会社
副題が「韓国人の対日意識の深層」
この本で使う”コンプレックス”という単語は、「劣等感」ではなく「複雑な」の方の意味との事。
2019年1月末 発刊の本なので、この数ヶ月の輸出規制対立フィーバーの直前の若い世代から中年までの韓国人男女が、日本に対してどういう意識を持っているのかのインタビューの本です。
まずは、戦後から国交正常化を挟んで現在に至る過程の振り返りが載っています。
その部分を抜粋します。
歴史経緯
日本の敗戦=光復を経て朝鮮半島では朝鮮人民共和国が発足するが、米国はこれを否認し軍政を開始。やがて1948年8月及び9月に、それぞれ南の大韓民国政府、北の朝鮮民主主義人民共和国政府が樹立される。米軍政庁をバックに韓国で初代大統領に就任した李承晩は、それまで33年を米国で過ごした亡命家だ。
李承晩は日本統治時代の下級管史約7万人の対日協力者=「親日派」を行政の実務者として起用。一方で、反日ナショナリズムを政権のイメージ強化の手段としてアピールしつつ、日本を中心とした経済圏に韓国を組み込もうとする米国にも反発する。
そうした中、1951年より日韓国交正常化交渉が始まるが、対立が続き進呈がない。1960年4月 李政権の独裁政治、不正選挙に対する市民や学生の大規模な蜂起が発生し、李は退陣しハワイへ亡命した。
1961年5月に陸軍少将だった朴正煕を中心としたクーデターが起こり63年に大統領となる。朴は日本の陸軍士官学校を卒業した元帝国軍人。朴は反共と経済開発をクーデターの大義名分とした。経済開発の為に日本との協力を探りはじめた。
懸案とされた請求権問題は1962年10月、大平正芳外相との会談で妥結。、日本が有償及び無償の経済協力と民間投資を行う代わりに、両国間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」ことが確認された。一方で竹島問題を巡っては双方の主張が平行線のまま解決が見送られ、国交正常化後に話あう事で合意。朴は又、ベトナム戦争への派兵をして米国から累計10億ドル近い見返りを手にした。これらを土台に、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長へ突き進んでいく。
日本で観光目的の海外渡航が自由化されたのは1964年。韓国では1989年に完全自由化。こうした不均衡は1970年代に入り、日本人男性による買春ツアー=妓生観光としてクローズアップされていく。
朴は1979年10月暗殺され、又クーデターで全斗換が大統領に。全政権は、日本と両首脳の公式相互訪問を実現。
日本では1988年のソウル五輪をまたいで韓国ブームが起こる。
1988年に盧泰愚政権の民主化政権が発足。冷戦崩壊と共に日韓の結びつき圧力も弱まる。1993年からの金泳三政権では歴史認識問題(歴史教科書、靖国参拝、竹島、慰安婦)が新しい日韓の懸案事項として浮上。かつて強権的な政治体制下で「解決積み」とされてきた歴史認識のわだかまりが民主化によって溢れ出た格好。
1998年からの金大中政権では、歴史問題に区切りをつけて未来を志向する「日韓共同宣言」が署名された。しかし続く廬武鉉政権、李明博政権で竹島及び慰安婦問題が改めて争点化。両国の首脳がお互いに訪問しあうシャトル外交は朴槿恵政権から途絶えた。
これらの経緯を分かった上で、現在の韓国人の意識を色々聞いた。
・49才男 貿易会社経営キムさん
1960年代生まれの韓国人は祖父母が日本統治時代に青年期を過ごした世代。
「日本が嫌いという韓国人も沢山います。主な理由は歴史のせいでしょう。一定世代より上はそうした教育を受けたりもしましたし、その両親の世代が体験したことを直に聞かされたりしますから。どうしても拒否感を感じるんです。いまの40代以上がそうですね」
一方、キムさん世代は、日本に対して全く別の感情を抱いた人も少なくない。彼らが若者だった1980~90年代に韓国で日本文化ブームが沸き起こっていたから。その時代、キムさんはよく東京に遊びに出かけたという。日本文化と聞いて何を連想するか、韓国人に聞けばおおむね同じ答えが返って来るでしょう。マンガ、アニメ、映画、音楽、AV。
両国間の摩擦について。
「両国の政治家が、自分たちの立場のために韓日の問題を利用する傾向がありますよね。核の脅威をもてあそぶ北朝鮮、靖国参拝など日本の内政にいちいち干渉してくる韓国、、これらは政治家が作り出したプロパガンダなんですよ。それぞれの側が、こういた問題を政治的に利用している。その気になれば簡単に解決できるのに、お互いが問題化させ続けようとしている部分があると思います。韓国人が日本人と友人として会う時、普通はこうした問題は関係ありません。でも慰安婦問題とか歴史問題について話し合うとなれば、敏感にならざるを得ない。国民としての立場がありますから。そうなると宗教的な問題みたいで、もうどうしようもありませんよね」
・17~21歳 男 オタク少年たちの日韓関係 キム、シン、チェ、チョン、パクの5人
戦後は日帝残滓として排除が求められた韓国語中の日本語。だが最近になって新しくまた韓国に根付いた日本語もある。その代表例が「オタク」だ。5人の海外文化全般への関心に占める日本の比重がどれくらいか聞くと、キム 100%,シン50% ,チェ 80%。韓国では日本旅行が盛んに行われている事への認識は、手近に行けるし、安くいける、食事も口にあうからぐらいではないかとのこと。物価も安いし。
「アメリカのアニメに対して日本のアニメは雰囲気やイメージが理解できて、共感できる。例えば桜の花びらが舞うといったシーンも、韓国に似た情景がありますから。近くにあってよく似た国同士だから、日本アニメのほうが共感しやすいんだと思います。」
中国の印象は、「あまり好きではない」。
歴史問題について
慰安婦は気の毒と思うので取り上げて話題にする事自体は良いと思うが、韓国も自身がベトナムでやった事への謝罪も考えるべきだと思う。政治と国民や文化は分けて考えるのが良いのでは。「韓国の反日デモ?ほとんどないんじゃないですか。反日感情を持っている人はいますよ。でもだからって、日本人が嫌いというわけじゃない。慰安婦問題とかそういう問題に接して、ただ何となく日本が悪い。嫌いだと言っているだけ。周りがそういう感情を持っているから、ただ何となく自分も同調しているという人が多いんじゃないでしょうか」
この本で使う”コンプレックス”という単語は、「劣等感」ではなく「複雑な」の方の意味との事。
2019年1月末 発刊の本なので、この数ヶ月の輸出規制対立フィーバーの直前の若い世代から中年までの韓国人男女が、日本に対してどういう意識を持っているのかのインタビューの本です。
まずは、戦後から国交正常化を挟んで現在に至る過程の振り返りが載っています。
その部分を抜粋します。
歴史経緯
日本の敗戦=光復を経て朝鮮半島では朝鮮人民共和国が発足するが、米国はこれを否認し軍政を開始。やがて1948年8月及び9月に、それぞれ南の大韓民国政府、北の朝鮮民主主義人民共和国政府が樹立される。米軍政庁をバックに韓国で初代大統領に就任した李承晩は、それまで33年を米国で過ごした亡命家だ。
李承晩は日本統治時代の下級管史約7万人の対日協力者=「親日派」を行政の実務者として起用。一方で、反日ナショナリズムを政権のイメージ強化の手段としてアピールしつつ、日本を中心とした経済圏に韓国を組み込もうとする米国にも反発する。
そうした中、1951年より日韓国交正常化交渉が始まるが、対立が続き進呈がない。1960年4月 李政権の独裁政治、不正選挙に対する市民や学生の大規模な蜂起が発生し、李は退陣しハワイへ亡命した。
1961年5月に陸軍少将だった朴正煕を中心としたクーデターが起こり63年に大統領となる。朴は日本の陸軍士官学校を卒業した元帝国軍人。朴は反共と経済開発をクーデターの大義名分とした。経済開発の為に日本との協力を探りはじめた。
懸案とされた請求権問題は1962年10月、大平正芳外相との会談で妥結。、日本が有償及び無償の経済協力と民間投資を行う代わりに、両国間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」ことが確認された。一方で竹島問題を巡っては双方の主張が平行線のまま解決が見送られ、国交正常化後に話あう事で合意。朴は又、ベトナム戦争への派兵をして米国から累計10億ドル近い見返りを手にした。これらを土台に、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長へ突き進んでいく。
日本で観光目的の海外渡航が自由化されたのは1964年。韓国では1989年に完全自由化。こうした不均衡は1970年代に入り、日本人男性による買春ツアー=妓生観光としてクローズアップされていく。
朴は1979年10月暗殺され、又クーデターで全斗換が大統領に。全政権は、日本と両首脳の公式相互訪問を実現。
日本では1988年のソウル五輪をまたいで韓国ブームが起こる。
1988年に盧泰愚政権の民主化政権が発足。冷戦崩壊と共に日韓の結びつき圧力も弱まる。1993年からの金泳三政権では歴史認識問題(歴史教科書、靖国参拝、竹島、慰安婦)が新しい日韓の懸案事項として浮上。かつて強権的な政治体制下で「解決積み」とされてきた歴史認識のわだかまりが民主化によって溢れ出た格好。
1998年からの金大中政権では、歴史問題に区切りをつけて未来を志向する「日韓共同宣言」が署名された。しかし続く廬武鉉政権、李明博政権で竹島及び慰安婦問題が改めて争点化。両国の首脳がお互いに訪問しあうシャトル外交は朴槿恵政権から途絶えた。
これらの経緯を分かった上で、現在の韓国人の意識を色々聞いた。
・49才男 貿易会社経営キムさん
1960年代生まれの韓国人は祖父母が日本統治時代に青年期を過ごした世代。
「日本が嫌いという韓国人も沢山います。主な理由は歴史のせいでしょう。一定世代より上はそうした教育を受けたりもしましたし、その両親の世代が体験したことを直に聞かされたりしますから。どうしても拒否感を感じるんです。いまの40代以上がそうですね」
一方、キムさん世代は、日本に対して全く別の感情を抱いた人も少なくない。彼らが若者だった1980~90年代に韓国で日本文化ブームが沸き起こっていたから。その時代、キムさんはよく東京に遊びに出かけたという。日本文化と聞いて何を連想するか、韓国人に聞けばおおむね同じ答えが返って来るでしょう。マンガ、アニメ、映画、音楽、AV。
両国間の摩擦について。
「両国の政治家が、自分たちの立場のために韓日の問題を利用する傾向がありますよね。核の脅威をもてあそぶ北朝鮮、靖国参拝など日本の内政にいちいち干渉してくる韓国、、これらは政治家が作り出したプロパガンダなんですよ。それぞれの側が、こういた問題を政治的に利用している。その気になれば簡単に解決できるのに、お互いが問題化させ続けようとしている部分があると思います。韓国人が日本人と友人として会う時、普通はこうした問題は関係ありません。でも慰安婦問題とか歴史問題について話し合うとなれば、敏感にならざるを得ない。国民としての立場がありますから。そうなると宗教的な問題みたいで、もうどうしようもありませんよね」
・17~21歳 男 オタク少年たちの日韓関係 キム、シン、チェ、チョン、パクの5人
戦後は日帝残滓として排除が求められた韓国語中の日本語。だが最近になって新しくまた韓国に根付いた日本語もある。その代表例が「オタク」だ。5人の海外文化全般への関心に占める日本の比重がどれくらいか聞くと、キム 100%,シン50% ,チェ 80%。韓国では日本旅行が盛んに行われている事への認識は、手近に行けるし、安くいける、食事も口にあうからぐらいではないかとのこと。物価も安いし。
「アメリカのアニメに対して日本のアニメは雰囲気やイメージが理解できて、共感できる。例えば桜の花びらが舞うといったシーンも、韓国に似た情景がありますから。近くにあってよく似た国同士だから、日本アニメのほうが共感しやすいんだと思います。」
中国の印象は、「あまり好きではない」。
歴史問題について
慰安婦は気の毒と思うので取り上げて話題にする事自体は良いと思うが、韓国も自身がベトナムでやった事への謝罪も考えるべきだと思う。政治と国民や文化は分けて考えるのが良いのでは。「韓国の反日デモ?ほとんどないんじゃないですか。反日感情を持っている人はいますよ。でもだからって、日本人が嫌いというわけじゃない。慰安婦問題とかそういう問題に接して、ただ何となく日本が悪い。嫌いだと言っているだけ。周りがそういう感情を持っているから、ただ何となく自分も同調しているという人が多いんじゃないでしょうか」
2019年7月28日日曜日
【本】日本と朝鮮の100年史 和田春樹 平凡社
日韓の関係を理解していく上で、両国の近代史での関係をちゃんと知る必要があるなと思い。この本を手にとりました。2010年発行の本です。
この本の著者は東大名誉教授で、ロシア・ソ連史が専門。満州や北朝鮮もソ連下の話が多いので、必然的にそれらも調べて専門家になっていったとの事。マスコミ情報や一般的に流布されている情報からではなく、日本、韓国、北朝鮮、中国、そしてロシア・ソ連の内部文書などを学者として比較分析する事で何が起こっていたのかを解き明かしており、歴史の事実を知るには中立的にとても良い本ではと感じました。
これを読んで、私がいかに無知であったかを知り驚きました。
受験勉強で、近代史を年表的には見ているハズですが、全然 理解できていませんでした。
そういう流れの連鎖だったのか、、という事を書きだしてみたいと思います。
・1871明治4年 日本新政府は日清修好条規
これは、李氏朝鮮(朝鮮半島の王国)の宗主国の清と日本で対等条約を結んでおくため。
この当時 李氏朝鮮は鎖国状態。
・1876明治9年 日朝修好条規
江華島事件を起こし、朝鮮に不利な不平等条約。開国させた。
ペリーが日本にしたのと同じ事を、日本が朝鮮王国に対して行った。
・1885明治18年 天津条約(日本と清の間)
朝鮮王国内でクーデター勢力を日本が応援したした事件が幾つか起こり、清の朝鮮支配とぶつかる。
天津条約(日清両国兵の撤兵、出兵の時は相互に通知する)を締結。
・1894 日清戦争
日清戦争と言っても、日本と清が直接戦ったというよりも、朝鮮の支配権を清から日本が横取りしようとし起こしたという感じ。
朝鮮の内乱(東学党の乱)を鎮めるために、朝鮮から依頼があったという形で清が兵を送った。
天津条約を理由に、日本は頼まれていないのに出兵。仁川に上陸し、王宮に侵入し占領。
国王の父を擁立して、新政権を立ててクーデターを起こさせる。
国王と朝鮮新政府に「清から独立」「清の軍を追い出して欲しい」と日本に依頼せよと迫る。
結果、「清国からの独立」を宣言。追い出し要請は出されなかったが、勝手に日本軍は清軍を攻撃。
→日清戦争の勃発
平壌を落とし、南満州と中国の旅順まで日本が制圧。
・1895.4 下関条約 (日本と清)
日本の要求は、朝鮮から清の退去(独立を認めよ)、遼東半島、台湾の移管、賠償金。
但し、三国干渉(ロシア、ドイツ、フランス)により、遼東半島まで日本が取るのはダメという
横やりが入り、遼東半島は清に返却。
三国干渉で日本をヘコませたという事で、中国、朝鮮でのロシア株が上昇。
中国はロシアに満州に鉄道建設を許す。朝鮮は国王(高宗)と王妃(閔妃)がロシアに接近。
・1895.10 閔妃殺害、
高宗はロシア公館に逃げ込みクーデター。日本の朝鮮支配の企てが崩れる。
日本はロシアと交渉するも不調。但し、ロシアの関心が朝鮮にはあまり無いと理解した。
・1897 高宗は王宮に戻り、「大韓帝国」を宣言して皇帝になる。独立国を内外に示す。
・1900 中国の義和団事件があり、ロシア、日本含め連合軍が出兵して乱を鎮める。
ロシアは満州を占領。
ロシアが清の満州を取るなら、日本は朝鮮を取るという 満韓交換論が日本で出てくる。
高宗は中立国になりたいと考え、ロシアと組んで日本に承認を求めるが、日本は拒否。
・1902 日英同盟
日本がどこか(ロシアや朝鮮など)と戦争しても英は中立を守る。
もし第3国がロシア側について戦争になったら、英は日本側について戦争する。という内容
これを持って、日本はロシアと交渉。
・1904 日露戦争
韓国は中立を宣言していたが、日本は上陸しソウルを占領。
日韓議定書(日本の保護を受け入れる、日本の戦争に協力する、朝鮮の地は日本が戦争の為に接収しても構わない)に調印させる。
→日本が朝鮮を完全占領。
続いて日本軍は満州に入り、満州戦争、日本海海戦へ。
・1905 ポーツマス講和会議 (日本とロシア)
日本が韓国を完全に自由に処分する事をロシアに認めさせた。他に遼東半島、南満州、南樺太を割譲。
★司馬遼太郎の「坂の上の雲」などに出てくるロシアの脅威に立ち向かうための戦いというのは、虚構。当時のロシアはロシア革命の直前で弱体化しており、東征などの意思はなかった。
・1905 第2次日韓協約
韓国は全ての外交権を失う(日本が外交する)
・1907 第3次日韓協約
高宗は退位、全て内政を日本の統監握る事にした。
・1910 韓国併合条約に署名させる
韓国皇帝が統治権を日本天皇に譲与する。日本天皇は、これを受け取り併合に同意する。という内容。
→「大韓帝国」は消え、日本の植民地となる。
・第2次大戦
1945.6 沖縄戦
1945.7 ポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)米、中、英
1945.8 広島原爆
1945.8 ソ連対日宣戦布告
1945.8 長崎原爆
1945.8 ポツダム宣言受諾、
1945.8.15 玉音放送
1945.9 正式降伏
・1945.8.15 トルーマンがスターリンに朝鮮の38度線分割占領を提案
・1948.8 大韓民国成立(憲法に領土は朝鮮半島全土と記載)
1948.9 朝鮮民主主義人民共和国成立(憲法に、首都はソウルと記載)
大韓民国も北朝鮮もどちらも朝鮮全土制覇は目指して国作り。
1949.10 中華人民共和国成立
・1950.6 朝鮮戦争
国力の高い北朝鮮の金日成がスターリン、毛沢東の事前承諾を得た上で韓国に進撃。半島武力統一を狙う。
北朝鮮を中国。ロシアが支援。地上では中国軍と米軍の戦い。空中ではソ連軍(パイロットはソ連、機体はミグ)と米軍の戦いになった。
(金日成はキリスト教徒、父のいる満州で行き中国共産党に入る。満州事変等 抗日武装闘争=パルチザン活動を行う。当時、ソ連・中国・朝鮮人が一緒になって抗日パルチザンをしていた。1945.5中国共産党朝鮮工作団団長。1945.9朝鮮の本山へ上陸)
・1953.7 朝鮮戦争休戦協定
・金正日
北朝鮮は設立の時から「抗日遊撃隊国家」というスローガンで来た。日本は戦っていくべく相手。
金正日の2人目の奥さんは大阪生まれの在日朝鮮人。
金正日の時代になって、遊撃隊国家から正規軍国家に変えて行った。狙いは強盛国家(政治大国、軍事大国、経済大国)。
開国方針に舵を切る。小国として大国の狭間を切り抜けて独立を保つのが自分たちの道だと考える。
小泉首相との会談。金正日は日本からのプラント導入をしたく国交正常化に持っていきたかった。拉致者5人を一時帰国させたが、日本は返さないかった(安倍晋三)。これで日朝断絶状態に。これは金正日の汚点になっている。2度目の小泉訪朝。今度こそはという感じだったが、今回も約束が覆る様な事になれば、もう小泉さんとは付き合えないという状態。しかし、持ち帰った横田めぐみさん遺骨のDNA鑑定が、警視庁は結果不明、帝京大学は別人という結果を出した。それで細田官房長官は他人と判断し、北朝鮮との関係を再度遮断した。(火葬した骨のDNA鑑定って本当に出来るのか??)
金正日からすると2度も小泉首相との約束が破られるという結果になったと見える。大きな政治的負担となった。
福田首相の時代になって、再度北朝鮮から交渉のアプローチがあったが、短命首相だったために実現しなかった。
以上 ですが、明治から昭和に於ける日本の朝鮮半島、朝鮮の人達に対して国が行った行為と大きな流れをしっかり理解してから、関係性を見る必要があると感じました。
こういう歴史を理解している日本国民ってあまりいないのではないかと思いました。
この本の著者は東大名誉教授で、ロシア・ソ連史が専門。満州や北朝鮮もソ連下の話が多いので、必然的にそれらも調べて専門家になっていったとの事。マスコミ情報や一般的に流布されている情報からではなく、日本、韓国、北朝鮮、中国、そしてロシア・ソ連の内部文書などを学者として比較分析する事で何が起こっていたのかを解き明かしており、歴史の事実を知るには中立的にとても良い本ではと感じました。
これを読んで、私がいかに無知であったかを知り驚きました。
受験勉強で、近代史を年表的には見ているハズですが、全然 理解できていませんでした。
そういう流れの連鎖だったのか、、という事を書きだしてみたいと思います。
・1871明治4年 日本新政府は日清修好条規
これは、李氏朝鮮(朝鮮半島の王国)の宗主国の清と日本で対等条約を結んでおくため。
この当時 李氏朝鮮は鎖国状態。
・1876明治9年 日朝修好条規
江華島事件を起こし、朝鮮に不利な不平等条約。開国させた。
ペリーが日本にしたのと同じ事を、日本が朝鮮王国に対して行った。
・1885明治18年 天津条約(日本と清の間)
朝鮮王国内でクーデター勢力を日本が応援したした事件が幾つか起こり、清の朝鮮支配とぶつかる。
天津条約(日清両国兵の撤兵、出兵の時は相互に通知する)を締結。
・1894 日清戦争
日清戦争と言っても、日本と清が直接戦ったというよりも、朝鮮の支配権を清から日本が横取りしようとし起こしたという感じ。
朝鮮の内乱(東学党の乱)を鎮めるために、朝鮮から依頼があったという形で清が兵を送った。
天津条約を理由に、日本は頼まれていないのに出兵。仁川に上陸し、王宮に侵入し占領。
国王の父を擁立して、新政権を立ててクーデターを起こさせる。
国王と朝鮮新政府に「清から独立」「清の軍を追い出して欲しい」と日本に依頼せよと迫る。
結果、「清国からの独立」を宣言。追い出し要請は出されなかったが、勝手に日本軍は清軍を攻撃。
→日清戦争の勃発
平壌を落とし、南満州と中国の旅順まで日本が制圧。
・1895.4 下関条約 (日本と清)
日本の要求は、朝鮮から清の退去(独立を認めよ)、遼東半島、台湾の移管、賠償金。
但し、三国干渉(ロシア、ドイツ、フランス)により、遼東半島まで日本が取るのはダメという
横やりが入り、遼東半島は清に返却。
三国干渉で日本をヘコませたという事で、中国、朝鮮でのロシア株が上昇。
中国はロシアに満州に鉄道建設を許す。朝鮮は国王(高宗)と王妃(閔妃)がロシアに接近。
・1895.10 閔妃殺害、
高宗はロシア公館に逃げ込みクーデター。日本の朝鮮支配の企てが崩れる。
日本はロシアと交渉するも不調。但し、ロシアの関心が朝鮮にはあまり無いと理解した。
・1897 高宗は王宮に戻り、「大韓帝国」を宣言して皇帝になる。独立国を内外に示す。
・1900 中国の義和団事件があり、ロシア、日本含め連合軍が出兵して乱を鎮める。
ロシアは満州を占領。
ロシアが清の満州を取るなら、日本は朝鮮を取るという 満韓交換論が日本で出てくる。
高宗は中立国になりたいと考え、ロシアと組んで日本に承認を求めるが、日本は拒否。
・1902 日英同盟
日本がどこか(ロシアや朝鮮など)と戦争しても英は中立を守る。
もし第3国がロシア側について戦争になったら、英は日本側について戦争する。という内容
これを持って、日本はロシアと交渉。
・1904 日露戦争
韓国は中立を宣言していたが、日本は上陸しソウルを占領。
日韓議定書(日本の保護を受け入れる、日本の戦争に協力する、朝鮮の地は日本が戦争の為に接収しても構わない)に調印させる。
→日本が朝鮮を完全占領。
続いて日本軍は満州に入り、満州戦争、日本海海戦へ。
・1905 ポーツマス講和会議 (日本とロシア)
日本が韓国を完全に自由に処分する事をロシアに認めさせた。他に遼東半島、南満州、南樺太を割譲。
★司馬遼太郎の「坂の上の雲」などに出てくるロシアの脅威に立ち向かうための戦いというのは、虚構。当時のロシアはロシア革命の直前で弱体化しており、東征などの意思はなかった。
・1905 第2次日韓協約
韓国は全ての外交権を失う(日本が外交する)
・1907 第3次日韓協約
高宗は退位、全て内政を日本の統監握る事にした。
・1910 韓国併合条約に署名させる
韓国皇帝が統治権を日本天皇に譲与する。日本天皇は、これを受け取り併合に同意する。という内容。
→「大韓帝国」は消え、日本の植民地となる。
・第2次大戦
1945.6 沖縄戦
1945.7 ポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)米、中、英
1945.8 広島原爆
1945.8 ソ連対日宣戦布告
1945.8 長崎原爆
1945.8 ポツダム宣言受諾、
1945.8.15 玉音放送
1945.9 正式降伏
・1945.8.15 トルーマンがスターリンに朝鮮の38度線分割占領を提案
・1948.8 大韓民国成立(憲法に領土は朝鮮半島全土と記載)
1948.9 朝鮮民主主義人民共和国成立(憲法に、首都はソウルと記載)
大韓民国も北朝鮮もどちらも朝鮮全土制覇は目指して国作り。
1949.10 中華人民共和国成立
・1950.6 朝鮮戦争
国力の高い北朝鮮の金日成がスターリン、毛沢東の事前承諾を得た上で韓国に進撃。半島武力統一を狙う。
北朝鮮を中国。ロシアが支援。地上では中国軍と米軍の戦い。空中ではソ連軍(パイロットはソ連、機体はミグ)と米軍の戦いになった。
(金日成はキリスト教徒、父のいる満州で行き中国共産党に入る。満州事変等 抗日武装闘争=パルチザン活動を行う。当時、ソ連・中国・朝鮮人が一緒になって抗日パルチザンをしていた。1945.5中国共産党朝鮮工作団団長。1945.9朝鮮の本山へ上陸)
・1953.7 朝鮮戦争休戦協定
・金正日
北朝鮮は設立の時から「抗日遊撃隊国家」というスローガンで来た。日本は戦っていくべく相手。
金正日の2人目の奥さんは大阪生まれの在日朝鮮人。
金正日の時代になって、遊撃隊国家から正規軍国家に変えて行った。狙いは強盛国家(政治大国、軍事大国、経済大国)。
開国方針に舵を切る。小国として大国の狭間を切り抜けて独立を保つのが自分たちの道だと考える。
小泉首相との会談。金正日は日本からのプラント導入をしたく国交正常化に持っていきたかった。拉致者5人を一時帰国させたが、日本は返さないかった(安倍晋三)。これで日朝断絶状態に。これは金正日の汚点になっている。2度目の小泉訪朝。今度こそはという感じだったが、今回も約束が覆る様な事になれば、もう小泉さんとは付き合えないという状態。しかし、持ち帰った横田めぐみさん遺骨のDNA鑑定が、警視庁は結果不明、帝京大学は別人という結果を出した。それで細田官房長官は他人と判断し、北朝鮮との関係を再度遮断した。(火葬した骨のDNA鑑定って本当に出来るのか??)
金正日からすると2度も小泉首相との約束が破られるという結果になったと見える。大きな政治的負担となった。
福田首相の時代になって、再度北朝鮮から交渉のアプローチがあったが、短命首相だったために実現しなかった。
以上 ですが、明治から昭和に於ける日本の朝鮮半島、朝鮮の人達に対して国が行った行為と大きな流れをしっかり理解してから、関係性を見る必要があると感じました。
こういう歴史を理解している日本国民ってあまりいないのではないかと思いました。
2019年7月20日土曜日
【本】韓国人が身勝手にみえる理由 中村欽哉 三交社
最近の日韓関係はかなり悪くなっています。日本と韓国のマスコミ報道や政府の発表を見ていると、お互いに想定していた相手の反応と異なる反応の応酬で、収拾の切り口が見えない様です。
日本人の私から見ると、珍しく政府の言う「約束を守らない信用できない韓国」という話に共感を覚えます。約束を破ったのに何故ゴメンの一言も無いのだろうかとの疑問もわきます。但し、日本のマスコミや政治家の対立を煽る報道は大人気ない様に思えます。
一方、韓国政府と韓国マスコミの報道は、良く調べないままに色々な事を感情的に言いふらしている様に見えます。又、日本からの提起している問題を、挙国一致の反日プロパガンダにすり替えようとする動きに見えます。しかも、それを韓国国民も疑いもせずに賛同しているような印象です。
あまりにチグハグな成り行きに、兎に角、同じ事実や状況に対して、日本人の解釈と韓国人の解釈が根本的に異なっているのだろうと感じました。
そこで、韓国人(朝鮮民族?)の感じ方はどういう風になっているのかを知りたくて、 韓国人の感じ方について、少し前の時代の本、現在(昨年)の本、そして朝鮮民族のベースになっている儒教とはどんな考え方なのかの本を読んでみる事にしました。
この本はその1冊目。1996年発刊の本ですので、日本でいうと昭和末~平成初の頃にあたる、少し前の時代の韓国人についての本です。やっぱり、色々と基本的な文化や生活風習、常識の違いがあるようです。
こういう考え方、こういう事を大事にする人達なのか という事を理解するのがよさそうです。
以下 ナルホドと思ったポイントの抜粋をします。
1.身勝手にみえる韓国人
・コリアン・タイム:
定められた時間より遅れて会議や行事が始まったり、約束した時間に遅れてやってくる事を意味します。
韓国人の時間感覚は、約束の時間に15分遅れは会釈だけ、30分までなら軽い詫び言ですむ。1時間以上遅れたら、相手を納得させるだけの遅れた理由がなければならない。但し、謝らないで、相手に遅れた理由を説明する必要がある。との事。
これは、よくいえば個人主義、普通に言えば自分勝手な行動様式である。相手のことなどは考えない。相手をまたせること等に心の痛みは少しも感じない。感じるほうが不思議なのである。
日本人は約束の時間を守る事が大事だと考える。相手を15分とか待っても来ない時は帰ってしまう事もある。韓国人は時間よりも会う事が大事だと考える。相手がいくら遅れても先に帰ってしまうという事はない。
歴史的な時間感覚も違う。日本人には遠い過去と思われるようなことがらについても、韓国人は、つい昨日のような感覚で話かけてくる。500年ほども昔になる豊臣秀吉の朝鮮侵略が、今でも数年前のことのように生々しく語られる要因の一つには、この時間の感覚にあるのではなかろうかと思われる。
・チームプレーが出来ない韓国人:
1910年~1945年までのあしかけ36年間、日本は朝鮮半島を植民地支配した。
その時代を韓国人は「日帝時代」とか「強占時代」と呼んでおり、日本に対する憎悪がぎっしりと缶詰のようにつみこまれた時代と感じている。
その間、朝鮮人はつねに日本からの独立を思い続け、実施に独立闘争を繰り返し行ってもきた。その頃、朝鮮人の教師たちは、次のようなことを密かに生徒に教えていた。「1対1の勝負なら、ならず朝鮮人は日本人に勝つ。しかし、3対3の勝負となれば、かならず日本人が勝ってしまう。なぜ集団になると負けてしまうのかを良く考えなければならない。」
韓国企業では、仲間や部下に教える様に指導すると、「ここは会社で仕事をするところです。教えるところではありません。学校へ行くか、自分一人で勉強すればいいんです。」と答え、まわりにいた韓国人も、その答えに同調した人が多かったという。
但し、単に自分本位という事ではなく、一度仲間意識が出来、一人ひとりの役割分担が明確に理解されるとスゴイ組織力を出す。
・韓国人は職人や汗をかく仕事を差別する
肉体労働蔑視は続いており、日本で大学を卒業した人が寿司職人になるなどと聞くとビックリする。
韓国では料理屋は長続きしない。日本で3代続て100年になるおでん屋がある事に韓国人女性料理店経営者は驚いた。”韓国では食べ物商売の社会的評価が低いのです。経営者も従業員もあまりよくみられません。”とのこと。
・年下にはぞんざいな言葉で
韓国人にとって年齢は大切だ。年をとっているだけでも「尊敬」の対象となるから。
一家内の序列は 祖父→父→兄→自分 となる。
家の外では年上や上役、家の中では父親、母親、兄には必ず丁寧語を使わなければならない。父親は子供に対して絶対君主であり、長男は弟達に対して専制者のような存在である。この中に姉妹は含まれない。形式的には、女性は「出て行く者」として家族の成員としてあつかわれていなかったから。
朝鮮王朝時代の身分制度はもう存在しないが、社会的身分(職業の差や職制の差)および年齢による上下関係が複雑にからみあって、序列の決まりが現在の韓国人社会に強く残っている。
だから、いつでも自分がどの位置にいるのかという事が一番気がかりになる。
韓国人は上昇志向が極めて強い民族であるといえる。
自分を目立たせる。積極的に自分を売り込む。大きな声で話す。自分の力で出来ないことでも、出来ないとはいわない。仲間と協調しない。などはいかにして自分を高い位置にいると見られたいかという努力の表れ。
2.ウリ(われわれ)は韓国理解のキーワード
・ウリは共同体意識を表す言葉。
韓国人は「私の家」「私の国」「私のお母さん」「私の先生」というような言い方はできない。全て、ウリをつけて「我々の家」「我々の国」「我々のお母さん」「我々の先生」という言い方をしないといけない。
そして、ウリ意識は入れ子の構造になる。
・第1ウリ集団 家族
韓国では8親等までが家族と考えられる。意識の上では大家族になる。
家族内は一心同体にならなくてはいけない。
・第2ウリ集団 会社の部や課=コネ集団
非常に親しい人間関係になる。新人も基本はウリ内の人とのコネを持っている人が入って来る。
・異なるウリとウリは交じり合わない。
韓国人は未知の相手にはとんでもなく無愛想である。すぐ目の前に壁を作ってしまう。だが、その壁が崩れるとお互いにベタベタした関係を望んでいる。壁が無くなると、次は奥座敷に土足で踏み込む様な付き合いをしなければならない。
3.ウリよがりの韓国人
・強力な家族意識
「同本同姓は結婚できない。」韓国の金海金氏は300万人をこす大集団だが、この300万人同士は結婚できない。
「同族経営は会社の基本理念。」
・「親は子より大事」=儒教の「考=先祖を敬う」が最も大事
日帝時代に日本の支配者たちは、そういう「考第一」意識をもっていた朝鮮人に、何よりもまず優先させるべきこととして、天皇への「忠」を押し付けた。これは彼らから見るととんでもない事。
・「ありがとう」と「ごめんなさい」 軽々しく礼をしてはいけない
韓国では家族の間では、「うれしい」は使うが「ありがとう」は使わない。当然なされるべき行為にたいしては「ありがとう」という感謝を意味する言葉は必要ないという。
よって、レストラン等でもウエイトレスやウエーターに何か用事を頼んでも「ありがとう」という言葉を使ってはいけない。
「ありがとう」「すみません」「ごめんね」という言葉を韓国人は気軽には使えない。本当に感謝しなければならないとき、本当に謝罪しなければならないときにしか使えないのだ。
この習慣のちがいを知らずにいると、日本人側からは、「韓国人はお礼を言わない、謝る事を知らない、なんと尊大な民族なのだ」という見方になってしまう。
韓国人からは、「日本人は謝ってばかりいる軽薄な人間」と見えてしまうのだ。その気軽に謝る軽薄な日本人が、一番大きな過ちである日帝時代の朝鮮支配にたいしては、すこしも謝ろうとしないのだから、韓国側から反省を促す声が、ますます大きくなっていることも理解できるだろう。
・馴染みなると損する 通うほど高くなる寿司屋
ウリ内に入ってしまうと、助け合うのが当然と考えられてしまうので、馴染み客=ウリになると、お店の利益アップに貢献するように高い値段を言われても当然という意識になる。
・一族
血筋をこの上もなく大切にする韓国社会では、過去における一族の尊厳は現在生きている一族の尊厳と同じように、まもらなければならないのである。
以前、大昔の事についての文を書いたら、その登場人物の十数代もの子孫たちの猛烈な抗議にあきれてしまった。韓国で誰もが一族の名誉を大切にし、それを誇りにする。それが李朝時代の儒教思想にもとづいているのはいうまでもない。
4.韓国人の差別構造
・在韓中国人を差別、在日韓国人はもはや韓国人ではない =ハングルが不自由だから
・唯日史観
物事がうまくいったのは自分に能力があったからだと韓国人は考える。上手くいかなかったのは、誰かが悪かったのだと他人のせいにする。又、「運が悪かった」と運勢に責任をおわせるのも韓国人の口癖である。
他人に責任を押し付ける身勝手な癖は、日本を相手に責任をなすりつける時などは舌鋒が鋭くなる。韓国に存在するネガティブなものは、すべて日本のせいであるという解釈法を「唯日史観」という。韓国で一時はやっていた言葉で、韓国の知識人たちは自嘲をこめて使っている。
一方、日本を追いかけ打ち負かす「克日」という言葉もあった。
なかなか「克日」が出来ないので、「離日」という言葉が流行るようになった。日本は世界の中の一つの国にすぎない。先進国は日本ばかりではない。アメリカ、ドイツ、フランスなどからも技術を導入しようという発想。
抜粋は以上
上記 外にも色々と韓国人の感じ方が書かれているが、今日はここまで。
勿論、日本で発刊された本なので、日本人が読んで気持ちよくなるような演出をしてある本でしょうから鵜呑みにはできませんが、
韓国人の風習、考え方を頭において、現在の日韓のお互いの反応を見ていると、現在の韓国マスコミ、政府の言い方はこういう文化ルーツがあって言っているのか、と考える切り口にはなりそうです。
日本人の私から見ると、珍しく政府の言う「約束を守らない信用できない韓国」という話に共感を覚えます。約束を破ったのに何故ゴメンの一言も無いのだろうかとの疑問もわきます。但し、日本のマスコミや政治家の対立を煽る報道は大人気ない様に思えます。
一方、韓国政府と韓国マスコミの報道は、良く調べないままに色々な事を感情的に言いふらしている様に見えます。又、日本からの提起している問題を、挙国一致の反日プロパガンダにすり替えようとする動きに見えます。しかも、それを韓国国民も疑いもせずに賛同しているような印象です。
あまりにチグハグな成り行きに、兎に角、同じ事実や状況に対して、日本人の解釈と韓国人の解釈が根本的に異なっているのだろうと感じました。
そこで、韓国人(朝鮮民族?)の感じ方はどういう風になっているのかを知りたくて、 韓国人の感じ方について、少し前の時代の本、現在(昨年)の本、そして朝鮮民族のベースになっている儒教とはどんな考え方なのかの本を読んでみる事にしました。
この本はその1冊目。1996年発刊の本ですので、日本でいうと昭和末~平成初の頃にあたる、少し前の時代の韓国人についての本です。やっぱり、色々と基本的な文化や生活風習、常識の違いがあるようです。
こういう考え方、こういう事を大事にする人達なのか という事を理解するのがよさそうです。
以下 ナルホドと思ったポイントの抜粋をします。
1.身勝手にみえる韓国人
・コリアン・タイム:
定められた時間より遅れて会議や行事が始まったり、約束した時間に遅れてやってくる事を意味します。
韓国人の時間感覚は、約束の時間に15分遅れは会釈だけ、30分までなら軽い詫び言ですむ。1時間以上遅れたら、相手を納得させるだけの遅れた理由がなければならない。但し、謝らないで、相手に遅れた理由を説明する必要がある。との事。
これは、よくいえば個人主義、普通に言えば自分勝手な行動様式である。相手のことなどは考えない。相手をまたせること等に心の痛みは少しも感じない。感じるほうが不思議なのである。
日本人は約束の時間を守る事が大事だと考える。相手を15分とか待っても来ない時は帰ってしまう事もある。韓国人は時間よりも会う事が大事だと考える。相手がいくら遅れても先に帰ってしまうという事はない。
歴史的な時間感覚も違う。日本人には遠い過去と思われるようなことがらについても、韓国人は、つい昨日のような感覚で話かけてくる。500年ほども昔になる豊臣秀吉の朝鮮侵略が、今でも数年前のことのように生々しく語られる要因の一つには、この時間の感覚にあるのではなかろうかと思われる。
・チームプレーが出来ない韓国人:
1910年~1945年までのあしかけ36年間、日本は朝鮮半島を植民地支配した。
その時代を韓国人は「日帝時代」とか「強占時代」と呼んでおり、日本に対する憎悪がぎっしりと缶詰のようにつみこまれた時代と感じている。
その間、朝鮮人はつねに日本からの独立を思い続け、実施に独立闘争を繰り返し行ってもきた。その頃、朝鮮人の教師たちは、次のようなことを密かに生徒に教えていた。「1対1の勝負なら、ならず朝鮮人は日本人に勝つ。しかし、3対3の勝負となれば、かならず日本人が勝ってしまう。なぜ集団になると負けてしまうのかを良く考えなければならない。」
韓国企業では、仲間や部下に教える様に指導すると、「ここは会社で仕事をするところです。教えるところではありません。学校へ行くか、自分一人で勉強すればいいんです。」と答え、まわりにいた韓国人も、その答えに同調した人が多かったという。
但し、単に自分本位という事ではなく、一度仲間意識が出来、一人ひとりの役割分担が明確に理解されるとスゴイ組織力を出す。
・韓国人は職人や汗をかく仕事を差別する
肉体労働蔑視は続いており、日本で大学を卒業した人が寿司職人になるなどと聞くとビックリする。
韓国では料理屋は長続きしない。日本で3代続て100年になるおでん屋がある事に韓国人女性料理店経営者は驚いた。”韓国では食べ物商売の社会的評価が低いのです。経営者も従業員もあまりよくみられません。”とのこと。
・年下にはぞんざいな言葉で
韓国人にとって年齢は大切だ。年をとっているだけでも「尊敬」の対象となるから。
一家内の序列は 祖父→父→兄→自分 となる。
家の外では年上や上役、家の中では父親、母親、兄には必ず丁寧語を使わなければならない。父親は子供に対して絶対君主であり、長男は弟達に対して専制者のような存在である。この中に姉妹は含まれない。形式的には、女性は「出て行く者」として家族の成員としてあつかわれていなかったから。
朝鮮王朝時代の身分制度はもう存在しないが、社会的身分(職業の差や職制の差)および年齢による上下関係が複雑にからみあって、序列の決まりが現在の韓国人社会に強く残っている。
だから、いつでも自分がどの位置にいるのかという事が一番気がかりになる。
韓国人は上昇志向が極めて強い民族であるといえる。
自分を目立たせる。積極的に自分を売り込む。大きな声で話す。自分の力で出来ないことでも、出来ないとはいわない。仲間と協調しない。などはいかにして自分を高い位置にいると見られたいかという努力の表れ。
2.ウリ(われわれ)は韓国理解のキーワード
・ウリは共同体意識を表す言葉。
韓国人は「私の家」「私の国」「私のお母さん」「私の先生」というような言い方はできない。全て、ウリをつけて「我々の家」「我々の国」「我々のお母さん」「我々の先生」という言い方をしないといけない。
そして、ウリ意識は入れ子の構造になる。
・第1ウリ集団 家族
韓国では8親等までが家族と考えられる。意識の上では大家族になる。
家族内は一心同体にならなくてはいけない。
・第2ウリ集団 会社の部や課=コネ集団
非常に親しい人間関係になる。新人も基本はウリ内の人とのコネを持っている人が入って来る。
・異なるウリとウリは交じり合わない。
韓国人は未知の相手にはとんでもなく無愛想である。すぐ目の前に壁を作ってしまう。だが、その壁が崩れるとお互いにベタベタした関係を望んでいる。壁が無くなると、次は奥座敷に土足で踏み込む様な付き合いをしなければならない。
3.ウリよがりの韓国人
・強力な家族意識
「同本同姓は結婚できない。」韓国の金海金氏は300万人をこす大集団だが、この300万人同士は結婚できない。
「同族経営は会社の基本理念。」
・「親は子より大事」=儒教の「考=先祖を敬う」が最も大事
日帝時代に日本の支配者たちは、そういう「考第一」意識をもっていた朝鮮人に、何よりもまず優先させるべきこととして、天皇への「忠」を押し付けた。これは彼らから見るととんでもない事。
・「ありがとう」と「ごめんなさい」 軽々しく礼をしてはいけない
韓国では家族の間では、「うれしい」は使うが「ありがとう」は使わない。当然なされるべき行為にたいしては「ありがとう」という感謝を意味する言葉は必要ないという。
よって、レストラン等でもウエイトレスやウエーターに何か用事を頼んでも「ありがとう」という言葉を使ってはいけない。
「ありがとう」「すみません」「ごめんね」という言葉を韓国人は気軽には使えない。本当に感謝しなければならないとき、本当に謝罪しなければならないときにしか使えないのだ。
この習慣のちがいを知らずにいると、日本人側からは、「韓国人はお礼を言わない、謝る事を知らない、なんと尊大な民族なのだ」という見方になってしまう。
韓国人からは、「日本人は謝ってばかりいる軽薄な人間」と見えてしまうのだ。その気軽に謝る軽薄な日本人が、一番大きな過ちである日帝時代の朝鮮支配にたいしては、すこしも謝ろうとしないのだから、韓国側から反省を促す声が、ますます大きくなっていることも理解できるだろう。
・馴染みなると損する 通うほど高くなる寿司屋
ウリ内に入ってしまうと、助け合うのが当然と考えられてしまうので、馴染み客=ウリになると、お店の利益アップに貢献するように高い値段を言われても当然という意識になる。
・一族
血筋をこの上もなく大切にする韓国社会では、過去における一族の尊厳は現在生きている一族の尊厳と同じように、まもらなければならないのである。
以前、大昔の事についての文を書いたら、その登場人物の十数代もの子孫たちの猛烈な抗議にあきれてしまった。韓国で誰もが一族の名誉を大切にし、それを誇りにする。それが李朝時代の儒教思想にもとづいているのはいうまでもない。
4.韓国人の差別構造
・在韓中国人を差別、在日韓国人はもはや韓国人ではない =ハングルが不自由だから
・唯日史観
物事がうまくいったのは自分に能力があったからだと韓国人は考える。上手くいかなかったのは、誰かが悪かったのだと他人のせいにする。又、「運が悪かった」と運勢に責任をおわせるのも韓国人の口癖である。
他人に責任を押し付ける身勝手な癖は、日本を相手に責任をなすりつける時などは舌鋒が鋭くなる。韓国に存在するネガティブなものは、すべて日本のせいであるという解釈法を「唯日史観」という。韓国で一時はやっていた言葉で、韓国の知識人たちは自嘲をこめて使っている。
一方、日本を追いかけ打ち負かす「克日」という言葉もあった。
なかなか「克日」が出来ないので、「離日」という言葉が流行るようになった。日本は世界の中の一つの国にすぎない。先進国は日本ばかりではない。アメリカ、ドイツ、フランスなどからも技術を導入しようという発想。
抜粋は以上
上記 外にも色々と韓国人の感じ方が書かれているが、今日はここまで。
勿論、日本で発刊された本なので、日本人が読んで気持ちよくなるような演出をしてある本でしょうから鵜呑みにはできませんが、
韓国人の風習、考え方を頭において、現在の日韓のお互いの反応を見ていると、現在の韓国マスコミ、政府の言い方はこういう文化ルーツがあって言っているのか、と考える切り口にはなりそうです。
2019年7月6日土曜日
【本】系外惑星と太陽系 井田茂 岩波新書
何で、地球にはプレートテクトニクスがあるのに火星や金星には無いのかを知りたくて、何冊かプレートやマントル対流、太平洋に関する科学啓蒙書を読んでみましたが、よく分かりませんでした。既に分かっている事や歴史しか書いていなかったり、同じ現象を違う内容で説明していたりする事が分かりました。
つまり、研究者の著者の皆さんは狭い範囲での知見、又は、学説の進化がこの10年でもかなり早い分野なのだなという印象です。
そんな中、やっとこの本を読んで腑に落ちた気がします。2017年に発刊の本なので、2019年の今ではもう古い内容なのかもしれませんが、分かっていない事は分かっていないとはっきり書いてくれています。又、天文学と地球物理の分野としての違い、それを両方俯瞰しないと理解できない事があるという事を知りました。(一般の人は、その違いが分かっていません。。)
そういう意味では、何冊か読んだ本は地球物理学者の書かれた本だけだったかもしれません。
この本の著者は、たまたま両ジャンルの経験を持っていた事で、俯瞰が出来た様です。
・マントル対流自身は、水星、金星、火星でも起きているはずであるが、これらの惑星ではプレートテクトニクスは確認されていない。なぜ地球だけ表面が動くのかは大きな謎である。
・金星は地球の80%の質量のある惑星だが、その大気は90気圧もあり、惑星質量に応じた大気量になっていない。組成も、地球は窒素78%、酸素21%、アルゴン1%。地球本体も含め地球全体で考えると、窒素は太陽組成に比べて何ケタも少ないのだが、大気中では主成分になっている。地球では大気の質量は全体に比べて非常に小さくて、窒素は大気に集まっているから。酸素は極めて反応性が高く、化学平衡的には平衡と言えない。岩石や海と反応して酸素が取り除かれるのに、負けじと光合成生物がどんどん生産している。金星の大気は二酸化炭素96.5%、窒素3.5%。光合成生物がいない事で酸素は無く、プレートテクトニクスが働かない為、二酸化炭素がそのまま残っている。
・なぜ地球に磁場があるのかも分かっていない。地球の磁場はコア(Fe等が液体になっている外核部分)で発生している。熱により対流すると考えられてきたが、一番小さくコアが冷めやすいはずの水星と地球が磁場を持っており、火星、金星の磁場を持っていない。木星・土星のガス惑星、天王星・海王星の氷惑星も強い磁場を持つが、それらは水素層の流動で作られていると考えられている。
・1995年から太陽系外で惑星が見つかりだした。(系外惑星)
そのデータから、太陽系をは大違いで、水星軌道よりも太陽に近いような領域で、木星的な巨大惑星がいくつも観測されている。これにより、太陽系のイメージとは異なる惑星系が宇宙には沢山ありそうという事が分かってきた。
ちなみに、系外惑星の検出ではデータは1980年代から取れていたのだが、それがまさか恒星にごく近い距離の巨大惑星を表しているとは想像できなかった。一度、そういう太陽系ライクという思い込みを捨てたら、沢山の系外惑星が見つかりだした。既に数千の数になっている。但し、検出方法まだまだ発展途上で、今の方法だと太陽系の構成を遠くから見つける事はできそうもないレベル。
(ドップラー効果を使う視線速度法、惑星の影を使うトランジット法、惑星重力による空間の歪みを使うマイクロレンズ法。)
・系外惑星の実体より、過去に正しいと考えられてきていた惑星形成モデルでは通用しない事が分かってきた。
但し、円盤仮説は観測で沢山発見されて裏付けられた。一方、発見された惑星の中には、水素・ヘリウムよりも軽く見えるものや、木星クラスの巨大惑星なのに岩石で出来ているような質量と思えるものがある。
・発見された系外惑星では、楕円軌道を描いているものもかなりある。これは、大きなガス惑星が3以上誕生すると、その相互作用が起こる。3つだと1つは系外に飛び出させられ、残りの2つは恒星近くと遠くで楕円軌道になる。
よって、宇宙空間をさまよっている浮遊惑星は沢山できる。実際に重力マイクロレンズ観測によって木星質量クラスの光を発しない天体が多数、銀河系内をさまよっていることが発見されている。
・ハビタブルな星が、「水が液体で表面にいられる」という事ならば、浮遊惑星でもそういう状態の可能性はある。
地球の地熱の半分はマグマオーシャン時代の熱、半分は放射性物質の崩壊熱。 厚い温室効果被膜(大気など)があり、地熱があれば水が液体でいられる星は、恒星の熱が無くても成り立つ可能性がある。
上記以外でも色々な常識が覆る事が満載の本ですが、観測力の向上によって色々な事が分かるにつれ、ますます現状の宇宙はどうやって作られてきたのか、地球や太陽系はどうやって作られたのか、生命は、、という謎がますます深まってきています。今まで学校で教わってきた事はガラガラと音をたてて崩れつつあるようです。
しかも毎年毎年謎が深まっているという実態が良く分かり、とても面白いと思いました。とてもHOTだし、これからもっともっとエスカレーションしていくでしょう。
人類は、次の100年で太陽系開拓に入ると思いますが、それを考えて行くにもこの分野目が離せません。
また、色々と想像の羽根を広げる余地もありそうです。
つまり、研究者の著者の皆さんは狭い範囲での知見、又は、学説の進化がこの10年でもかなり早い分野なのだなという印象です。
そんな中、やっとこの本を読んで腑に落ちた気がします。2017年に発刊の本なので、2019年の今ではもう古い内容なのかもしれませんが、分かっていない事は分かっていないとはっきり書いてくれています。又、天文学と地球物理の分野としての違い、それを両方俯瞰しないと理解できない事があるという事を知りました。(一般の人は、その違いが分かっていません。。)
そういう意味では、何冊か読んだ本は地球物理学者の書かれた本だけだったかもしれません。
この本の著者は、たまたま両ジャンルの経験を持っていた事で、俯瞰が出来た様です。
・マントル対流自身は、水星、金星、火星でも起きているはずであるが、これらの惑星ではプレートテクトニクスは確認されていない。なぜ地球だけ表面が動くのかは大きな謎である。
・金星は地球の80%の質量のある惑星だが、その大気は90気圧もあり、惑星質量に応じた大気量になっていない。組成も、地球は窒素78%、酸素21%、アルゴン1%。地球本体も含め地球全体で考えると、窒素は太陽組成に比べて何ケタも少ないのだが、大気中では主成分になっている。地球では大気の質量は全体に比べて非常に小さくて、窒素は大気に集まっているから。酸素は極めて反応性が高く、化学平衡的には平衡と言えない。岩石や海と反応して酸素が取り除かれるのに、負けじと光合成生物がどんどん生産している。金星の大気は二酸化炭素96.5%、窒素3.5%。光合成生物がいない事で酸素は無く、プレートテクトニクスが働かない為、二酸化炭素がそのまま残っている。
・なぜ地球に磁場があるのかも分かっていない。地球の磁場はコア(Fe等が液体になっている外核部分)で発生している。熱により対流すると考えられてきたが、一番小さくコアが冷めやすいはずの水星と地球が磁場を持っており、火星、金星の磁場を持っていない。木星・土星のガス惑星、天王星・海王星の氷惑星も強い磁場を持つが、それらは水素層の流動で作られていると考えられている。
・1995年から太陽系外で惑星が見つかりだした。(系外惑星)
そのデータから、太陽系をは大違いで、水星軌道よりも太陽に近いような領域で、木星的な巨大惑星がいくつも観測されている。これにより、太陽系のイメージとは異なる惑星系が宇宙には沢山ありそうという事が分かってきた。
ちなみに、系外惑星の検出ではデータは1980年代から取れていたのだが、それがまさか恒星にごく近い距離の巨大惑星を表しているとは想像できなかった。一度、そういう太陽系ライクという思い込みを捨てたら、沢山の系外惑星が見つかりだした。既に数千の数になっている。但し、検出方法まだまだ発展途上で、今の方法だと太陽系の構成を遠くから見つける事はできそうもないレベル。
(ドップラー効果を使う視線速度法、惑星の影を使うトランジット法、惑星重力による空間の歪みを使うマイクロレンズ法。)
・系外惑星の実体より、過去に正しいと考えられてきていた惑星形成モデルでは通用しない事が分かってきた。
但し、円盤仮説は観測で沢山発見されて裏付けられた。一方、発見された惑星の中には、水素・ヘリウムよりも軽く見えるものや、木星クラスの巨大惑星なのに岩石で出来ているような質量と思えるものがある。
・発見された系外惑星では、楕円軌道を描いているものもかなりある。これは、大きなガス惑星が3以上誕生すると、その相互作用が起こる。3つだと1つは系外に飛び出させられ、残りの2つは恒星近くと遠くで楕円軌道になる。
よって、宇宙空間をさまよっている浮遊惑星は沢山できる。実際に重力マイクロレンズ観測によって木星質量クラスの光を発しない天体が多数、銀河系内をさまよっていることが発見されている。
・ハビタブルな星が、「水が液体で表面にいられる」という事ならば、浮遊惑星でもそういう状態の可能性はある。
地球の地熱の半分はマグマオーシャン時代の熱、半分は放射性物質の崩壊熱。 厚い温室効果被膜(大気など)があり、地熱があれば水が液体でいられる星は、恒星の熱が無くても成り立つ可能性がある。
上記以外でも色々な常識が覆る事が満載の本ですが、観測力の向上によって色々な事が分かるにつれ、ますます現状の宇宙はどうやって作られてきたのか、地球や太陽系はどうやって作られたのか、生命は、、という謎がますます深まってきています。今まで学校で教わってきた事はガラガラと音をたてて崩れつつあるようです。
しかも毎年毎年謎が深まっているという実態が良く分かり、とても面白いと思いました。とてもHOTだし、これからもっともっとエスカレーションしていくでしょう。
人類は、次の100年で太陽系開拓に入ると思いますが、それを考えて行くにもこの分野目が離せません。
また、色々と想像の羽根を広げる余地もありそうです。
2019年6月29日土曜日
【本】地球46億年気候大変動 横山祐典 講談社 ブルーバックス
地球が誕生してから、その表面の気候は絶えず変化を遂げてきた。それを、最新(2018年発刊)の知見で説明してくれる本です。
隕石が絶え間なく降り注ぐマグマオーシャンから始まって、全球凍結したスノーボールアースなどを経て、現時点はどういうタイミングになるのか。
どうやって大昔の事を推測するのか等、科学知見の辿った筋道含めて説明してくれています。
何故 地球には酸素があって、火星や金星には無いのかなどは、今までは生物が誕生できる水の問題かと漠然と思っていましたが、それだけではない(火星にも以前 水はあったし)という理屈を初めて知りました
へー と思った点を書き出してみます。
・気候を考えていく上で、数百万年までの短い(!)時間スケールで重要な大気海洋雪氷圏を「エキソジェニックシステム」と呼び、1000万年を超える超長期スケールで、バックグラウンドで気候の形成を担っている固体地球(核、マントル、地殻など含む)を「エンドジェニックシステム」と呼んでいる。
この2つの作用がいつも同時に働いている。
・過去の気温もある程度分かってきている。
46億年~25億年前の太古代、20億年前の頃、10億~5億年前のカンブリア紀、おルドビス紀、4億年前デボン紀、1億年前白亜紀(恐竜がいた)などは、現在よりも10度ぐらい気温が高かった。
直近の過去65万年では、気温の上下は色々あるが、氷期と氷期の間に間氷期が短くあり、現在は第5番目の間氷期。
・地球を「生命の星」にした2回の酸化イベント(GOEとNOE)があった。
金星、火星の大気には酸素はほとんど無く、二酸化炭素が95%以上を占めている。
地球も40億年前は酸素濃度は現在の10万分の1だった。
それが、GOE(great oxidation event)が25~20憶年前の期間に起こって一気に現在の100分の1のレベルまで増加した。次は5~7憶年前にNOE(Neoproterozoic Oxygenation Event)が起こり、ほぼ現在の酸素濃度になった。
GOEは、プレートテクニクスによって引き起こされた。
プレートテクニクスは金星、火星では起こっておらず地球独特のメカニズム。
地殻がマグマから出来た時は、苦鉄質岩(玄武岩)だった。それは鉄やマグネシウムを多く含むので、シアノバクテリアが発生する酸素も直ぐに酸化反応で地殻に取り込まれてしまう。ところが、プレートテクトニクスでプレートが沈み込むと同時に大量の水をマントルに運び込むのでマントルにて苦鉄質岩からケイ素や酸素に富んだケイ長質岩(花崗岩や流紋岩)が生成され、大陸地殻がケイ長質岩にとって変わられた事で岩による酸素吸着が急速に減少したため。
NOEもプレートテクトニクスによって、大陸とその周りの広い浅瀬が出来た事により有機物が分解せずに地表近辺に蓄積され、そこから二酸化炭素が沢山供給される事でさらに光合成が活性化されて起こった。
・NOEが終わり大気に酸素が増えた5億年前に、生物進化が一気に加速するカンブリア爆発が起こった。
・恐竜の時代は超温暖化時代だった。南極にも北極にも氷がないグリーンハウス・アース状態。炭酸ガス濃度は現在の3~6倍。
白亜紀は特異的に火山活動が活発な時期だった事が海底火山で分かる。その火山性炭酸ガス。又、海面が上がっていたために非常に広い浅瀬地域が出来、そこで作られた炭酸塩岩(サンゴなどから)が、マグマと合わさって炭酸ガスの放出もある。
・でもその後、急激な寒冷化が始まった。
これも地殻変動で、造山活動によりできた新しい岩達の風化により二酸化炭素が吸収された為と考えられる。
・ミランコビッチサイクルーーこれは有名な話なのでここでは割愛。
地球公転軌道の離心率、自転軸の傾き、歳差運動により、2,4,10年サイクルで気候に変動を与える。
・海は熱輸送だけでなく、二酸化炭素を捕集しておく大きな器。
深層海流などで熱の分配がおこり気候に影響を与えている。(熱塩循環)
グリーンランド沖と南極近郊で海水が冷やされ+塩分濃度アップ=比重アップで海水が深層に流れ込む滝を作っている。
グリーンランドの氷河が溶けて、真水が沢山供給されるとこの熱塩循環が弱まり、北半球は寒冷化、、南半球は温暖化 が起こる。
以上
現在の気候や酸素生命圏を生み出しているのがプレートテクトニクスの作用だというのは面白いと思いました。
一方で、なぜ地球だけにプレートテクトニクスが起こったのか、起こり続けているのかも知りたくなりました。月の存在が関係するのかな?
隕石が絶え間なく降り注ぐマグマオーシャンから始まって、全球凍結したスノーボールアースなどを経て、現時点はどういうタイミングになるのか。
どうやって大昔の事を推測するのか等、科学知見の辿った筋道含めて説明してくれています。
何故 地球には酸素があって、火星や金星には無いのかなどは、今までは生物が誕生できる水の問題かと漠然と思っていましたが、それだけではない(火星にも以前 水はあったし)という理屈を初めて知りました
へー と思った点を書き出してみます。
・気候を考えていく上で、数百万年までの短い(!)時間スケールで重要な大気海洋雪氷圏を「エキソジェニックシステム」と呼び、1000万年を超える超長期スケールで、バックグラウンドで気候の形成を担っている固体地球(核、マントル、地殻など含む)を「エンドジェニックシステム」と呼んでいる。
この2つの作用がいつも同時に働いている。
・過去の気温もある程度分かってきている。
46億年~25億年前の太古代、20億年前の頃、10億~5億年前のカンブリア紀、おルドビス紀、4億年前デボン紀、1億年前白亜紀(恐竜がいた)などは、現在よりも10度ぐらい気温が高かった。
直近の過去65万年では、気温の上下は色々あるが、氷期と氷期の間に間氷期が短くあり、現在は第5番目の間氷期。
・地球を「生命の星」にした2回の酸化イベント(GOEとNOE)があった。
金星、火星の大気には酸素はほとんど無く、二酸化炭素が95%以上を占めている。
地球も40億年前は酸素濃度は現在の10万分の1だった。
それが、GOE(great oxidation event)が25~20憶年前の期間に起こって一気に現在の100分の1のレベルまで増加した。次は5~7憶年前にNOE(Neoproterozoic Oxygenation Event)が起こり、ほぼ現在の酸素濃度になった。
GOEは、プレートテクニクスによって引き起こされた。
プレートテクニクスは金星、火星では起こっておらず地球独特のメカニズム。
地殻がマグマから出来た時は、苦鉄質岩(玄武岩)だった。それは鉄やマグネシウムを多く含むので、シアノバクテリアが発生する酸素も直ぐに酸化反応で地殻に取り込まれてしまう。ところが、プレートテクトニクスでプレートが沈み込むと同時に大量の水をマントルに運び込むのでマントルにて苦鉄質岩からケイ素や酸素に富んだケイ長質岩(花崗岩や流紋岩)が生成され、大陸地殻がケイ長質岩にとって変わられた事で岩による酸素吸着が急速に減少したため。
NOEもプレートテクトニクスによって、大陸とその周りの広い浅瀬が出来た事により有機物が分解せずに地表近辺に蓄積され、そこから二酸化炭素が沢山供給される事でさらに光合成が活性化されて起こった。
・NOEが終わり大気に酸素が増えた5億年前に、生物進化が一気に加速するカンブリア爆発が起こった。
・恐竜の時代は超温暖化時代だった。南極にも北極にも氷がないグリーンハウス・アース状態。炭酸ガス濃度は現在の3~6倍。
白亜紀は特異的に火山活動が活発な時期だった事が海底火山で分かる。その火山性炭酸ガス。又、海面が上がっていたために非常に広い浅瀬地域が出来、そこで作られた炭酸塩岩(サンゴなどから)が、マグマと合わさって炭酸ガスの放出もある。
・でもその後、急激な寒冷化が始まった。
これも地殻変動で、造山活動によりできた新しい岩達の風化により二酸化炭素が吸収された為と考えられる。
・ミランコビッチサイクルーーこれは有名な話なのでここでは割愛。
地球公転軌道の離心率、自転軸の傾き、歳差運動により、2,4,10年サイクルで気候に変動を与える。
・海は熱輸送だけでなく、二酸化炭素を捕集しておく大きな器。
深層海流などで熱の分配がおこり気候に影響を与えている。(熱塩循環)
グリーンランド沖と南極近郊で海水が冷やされ+塩分濃度アップ=比重アップで海水が深層に流れ込む滝を作っている。
グリーンランドの氷河が溶けて、真水が沢山供給されるとこの熱塩循環が弱まり、北半球は寒冷化、、南半球は温暖化 が起こる。
以上
現在の気候や酸素生命圏を生み出しているのがプレートテクトニクスの作用だというのは面白いと思いました。
一方で、なぜ地球だけにプレートテクトニクスが起こったのか、起こり続けているのかも知りたくなりました。月の存在が関係するのかな?
2019年6月27日木曜日
【心と身体】コーヒーショップだと集中して読める。 BGMの効果
以前から、家の自室で本を読むのと街のコーヒーショップで本を読むのでは、コーヒーショップの方がはるかに集中して、早く読める事を感じていました。
自室で読んでいると、もっと楽な姿勢があるのでは?とか、ついスマホやパソコンに逸れてしまったり、コーヒーもがぶ飲みしてしまったりとか、兎に角 1冊の本を一度に読み切ってしまう事がなかなかできません。
でも、コーヒーショップだと、1-2時間で1冊以上読み終わってしまう事も。
自分はケチだから、料金を払っているお店では元を取らなくてはと潜在意識の中で思っているのでは? などど分析してみたりしていました。
でも、ある時フト、これはカフェの雑音が逆に集中力を上げてくれているのでは?と考えました。
そこで、ユーチューブで日本のカフェの音という動画があるので(本当にユーチューブには色々な物がありますね9、それを自室で再生しながら本を読んでみました。
すると、、、集中力が上がるのです。
途中で、他の事に気を取られる事も少ない。
それが分かってからは、もうお金を払ってカフェで本を読むのではなく、自室で自分で好きに入れたコーヒーを飲みながら、カフェの音を流して読むようになりました。
BGMの効果は凄いです。
寝る時も、海岸の波の音(これもユーチューブ)を耳元で小さく流すと、本当に1分もたたないうちに寝てしまいます。
色々なシーンで、どういう音が効果を出すのか 今後も見つけていけるかもしれませんね。楽しみです。
自室で読んでいると、もっと楽な姿勢があるのでは?とか、ついスマホやパソコンに逸れてしまったり、コーヒーもがぶ飲みしてしまったりとか、兎に角 1冊の本を一度に読み切ってしまう事がなかなかできません。
でも、コーヒーショップだと、1-2時間で1冊以上読み終わってしまう事も。
自分はケチだから、料金を払っているお店では元を取らなくてはと潜在意識の中で思っているのでは? などど分析してみたりしていました。
でも、ある時フト、これはカフェの雑音が逆に集中力を上げてくれているのでは?と考えました。
そこで、ユーチューブで日本のカフェの音という動画があるので(本当にユーチューブには色々な物がありますね9、それを自室で再生しながら本を読んでみました。
すると、、、集中力が上がるのです。
途中で、他の事に気を取られる事も少ない。
それが分かってからは、もうお金を払ってカフェで本を読むのではなく、自室で自分で好きに入れたコーヒーを飲みながら、カフェの音を流して読むようになりました。
BGMの効果は凄いです。
寝る時も、海岸の波の音(これもユーチューブ)を耳元で小さく流すと、本当に1分もたたないうちに寝てしまいます。
色々なシーンで、どういう音が効果を出すのか 今後も見つけていけるかもしれませんね。楽しみです。
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