2019年1月19日土曜日

【本】わたくしたちの旅のかたち 兼高かおる、曽野綾子 秀和システム

兼高かおるさんの訃報を聞き、とても悲しく思いました。

私が子供の時から大学を出るまで、「兼高かおる世界の旅」はいつもとても興味を惹かれる番組でした。

就職したての新人研修の時に各新人が自己紹介し、その時に尊敬する人物を言う事になっていました。私は兼高かおるさんと言った記憶があります。皆はケネディだ、エジソンだ、両親だ という様な感じで言っていましたが。

それぐらい、私には憧れの人でした。当時、もう50歳台になられていたのかと思いますが、いつも海外を颯爽と、かつ日本の礼儀正しさを体現しながら、世界の色々な階層の人達と接していく姿がテレビを通して、とてもまぶしく感じられたのを覚えています。

芥川さんとの上品かつきれいな日本語でのトークも、日本の良き伝統文化を聞いているようでとても心地よかったです。

多分、当時の多くの日本人は「兼高かおる世界の旅」を見て、海外に憧れを持ったのではないかと思います。

この本は、曽野綾子さんも海外に沢山 出ておられるとの事で、お二人の子どもの頃から、海外に出ていく所、そして現在までの経緯や思い、気づきなどが対談の形で書かれています。

これを読むと、久しく忘れていた当時の日本や日本人についても色々と思い出されました。

戦後、プライベートな海外旅行が出来る様になったのは、ジャンボジェットが登場して海外旅行代金が大幅に引き下げになった1970年代から。

当時の海外団体旅行を引っ張ったのは、農協のツアーですね。

数年前の中国からの旅行者の「爆買い」がニュースになりましたが、当時の農協の団体ツアーも爆買いツアーだった様に聞きました。

多くの日本人が初めて海外に旅行で行き始めたのです。同時に世界の人も、はじめて日本人観光客を見たのでしょう。

私も70年代の終わりに、格安チケットを買って大学の休みを使ってアメリカ旅行に行きました。学生がアルバイトのお金を貯めて海外旅行に行けるとう時代になったのですね。

チケットを買ったのはH.I.S.という旅行代理店でした。今は大規模になられましたが、当時はまだビルの1室を借りてやっている小さな代理店でした。
大韓航空の格安チケットを買ったら、オーバーブッキングでその便に乗れませんでした。
そんな時代。

アメリカ内もレンタカーを借りて内陸の方へ何日も走ると、泊まった安モーテルの受付の人から生まれて初めて日本人を見た、なんて言われた事も思い出しました。

本に話を戻します。
彼女らは何年にもわたり海外と日本を行き来してきたので、日本と海外のこの数十年の変容を目の当たりにしてこられました。

例えば当時の日本では、ご近所は殆ど顔見知りで、悪い人なんかいませんでした。そのつもりで海外に出ますと少々ショックを受けます。ニューヨークで聞いた話ですが、ある日本人が道を歩いていたら、目も前で老婦人が転んだそうです。そこで駆け寄って「大丈夫ですか?」と体に手を触れたら、いきない「泥棒!」と叫ばれてしまったそうです。
ただし、アメリカも50、60年代は、人の善意を素直に信じられました。

今は、日本もアメリカも、治安悪化や人への警戒心が非常に高くなったとの事。

面白いのは、一年の半分を海外で暮らし英語が堪能な兼高さんでも、日本でカタカナ表記の言葉がやたら増えて、しかもそれを短く省略してしまう。例えばコンビネーションを「コンビ」と省略するから、なんのことやら意味が分からない。馴染みのない英単語も増えて、”少しは英語がわかっているつもりでしたのに、日本に帰ってくると知らない単語がたくさん。わからないことだらけで、わたくし、まるで国から見捨てられた気分でした。”との事。


日本では英語圏で一般には使わないような単語を、「知識人や専門家」は使って流行らせているんですね。

それ以外にも、お二人の経験されてきた世界と日本の違いなど、沢山 面白可笑しく、又、彼女達の人柄がにじみ出る様な感じで語られています。

活字も大きく読みやすいですし、「兼高かおる世界の旅」を当時好きだった視聴者の方にお薦めの1冊です。

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