2016年に発刊の本です。
日本としてずっと禁止してきた武器輸出を、換骨奪胎して推進しようとする政治家、官僚のやり口。それにどんどん引きずりこまれ、追い込まれていく大学や研究者。一方、少し冷静にみている企業側という構図が良く分かりました。
経済とパワーポリティクスだけしか考えない指導者?達により、崩されていく日本社会の姿がここにも表れている気がします。
IR法でも同じ様な匂いがしますね。
なるほどと思ったポイントを書いてみると、
<米国>
・有名な米国の「軍産複合体」は、第2次大戦前はなかった。
・原水爆を作ったマンハッタン計画で、科学者と国防総省、軍事企業との結びつきが生まれた。
・マンハッタン計画の科学者は米国の有名大学に散り、結びつきは大学がらみになっていく。東西冷戦において、それらがどんどん発展して「軍産複合体」になっていった。
・「軍産複合体」は莫大な資金で政府・行政にも影響を持つようになっていく。
・とは言え、まだ科学者は軍事に科学を使う事に抵抗があったが、ソ連の脅威を強調したレーガンの戦略防衛構造(SDI)が始まると、科学者も国防総省からの研究資金を受けることに抵抗感が減り、巨額の金が科学者に流れ込むようになった。
・ソ連の崩壊で冷戦が終わると、クリントンは国防費の削減を打ち出した。それに併せて、軍事的な研究成果を民需に転換するスピンオフや、逆に民需の研究成果を軍需に応用するスピンオンの政策を推し進めて、「デュアルユース」(軍民両用)という言葉を多用することになった。
・結果、国防予算を縮小しても軍事開発費そのものは拡大していくことになった。
・今も膨大な武器輸出を米国はしている。(紛争を起こして 需要を作る という事も、、)
<日本>
・戦後、武器と関連物の輸出はしないという武器輸出三原則を決めて、政府を含め国として堅持してきた。
(地雷発見機など、個別には例外規定を作る事はあったが、弾薬など殺傷品の輸出は無い)
・経団連が武器輸出を政府に求め始める。
・自衛隊向けだけでは市場規模小さい。企業は競争力のある武器は作れない。できれば防衛関連のビジネスはしたくないのが本音。
・第2次安倍内閣で、輸出容認に転換する「防衛装備移転三原則」を閣議決定。
一定の審査を通れば輸出が可能な仕組みとなり、従来の三原則での「紛争当事国になる恐れのある国」は禁輸の対象から外された。
韓国に弾薬を輸出をした。
・防衛装備庁という組織を作って、武器輸出をさせようと企業に働きかけ開始。日本の武器(自衛隊向け)は国際競争力なく、企業側は乗り気では無い所が多いが、無理やりでも巻き込もうとしている。
・大学等の研究者に対しては、文科省からの交付金を減らしていって、政府が望む方向の研究には金を出すという競争的資金(皆が応募して政府側が誰に金を出すか決める)獲得に走らざるを得なくなる状況を作った。又、民需用の技術開発という表面上の名目で、防衛省がらみや、米国の軍事がらみからの資金で研究する場を設けて研究者を呼び込み。そこから有望な技術はデュアルユースという名目で軍事に使おうと考えている。
・東大はずっと軍事に使われる科学技術研究はしないと決めてきたが、2015年浜田総長は軍事研究も解禁した。(学内からは反対が声が多数あった)
・現在 軍事関係資金を使って研究している研究者は、私は科学技術を極めることが目的。それをどう使うかは、使う側が決める事と開き直っている人も増えてきている。本人は好きな研究ができて面白いのだろう。
・研究者個人個人の倫理に頼るのには限界がある。
という感じでしょうか。
昔の政治家、官僚は もう少し 国民の為という視点や非戦争 の意識があったと思いますが、どんどんおかしな方向に進んでいると思います。
米国流の ”力で脅し、戦争で儲ける” というのが日本の「美しい国」の姿と思っているのでしょうか。
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