裏表紙に書いてある概要、『平和を愛さない人はいないだろう、だが平和主義となるとどうだろう
か。今日では単なる理想論と片付けられがちだが、実はその思想や実践は多様である。本書は、
「愛する人が襲われても無抵抗で良いのか」「正しい戦争もあるはず」「平和主義は非現実的だ」
「虐殺を武力で止めないのは無責任」といった批判に丁寧に答え、説得力のある平和主義の姿を
探る。感情論やレッテル貼りに陥らず、戦争と平和について明晰に考えるために。』に惹かれて読
んでみました。
政治哲学として考えるという副題がついていますが、白熱教室のサンデル教授の様に、平和主義
者の視点、非平和主義者の視点の両面から考えるという姿勢の本になっています。
いままで、ぼんやり平和主義=反戦主義とイメージしていましたが、実は色々なケースと考え方が
ある事が系統的に語られています。この本を読んで、初めて「平和」に関しての様々なロジックがア
カデミックに少し整理された気持ちになれました。戦争と平和に関してモヤモヤしている方にお薦め
の一冊です。
内容が豊富な本なので、どれだけ簡単に紹介できるか自信がありませんが、ポイントと思えた点を
書いてみます。
まづ「平和主義」とは、平和的手段=非暴力的手段を持って平和という目的を達成しようとする主
義主張となる。
①愛する人が襲われたらという問いが平和主義を批判する時に使われる事がある。「たとえば凶
悪な男が銃を構えて、君の奥さんを、、殺そうとしているとする。さあ、君はどうするかね。」大半の
人はそれを黙って見過ごす事は不可能な選択肢である。批判者からすると、それ見たことか平和
主義は現実離れした考え方だ。というロジック。
この問いには色々なトリックが隠されているが、まづは「無条件平和主義」と「条件付き平和主義」
を区別する事が重要になる。多くの平和主義者は条件付き平和主義であり、その立場は、非暴力
は原則であって、原則には例外がある。非暴力の教えをある種の偶然性に委ねる。例えば、非暴
力を貫くことの被害が計り知れない程甚大ならば、その状況を勘案して、個別的に暴力手段を用
いる事も場合によっては容認しうる。但し、同時に大半の場合、暴力手段に訴えることは暴力の連
鎖を生むので、賢明な手段ではない。
二番目は、個人=私的場面と公的=国等場面では、区別する事が必要である。
私的場面では非暴力に徹する訳ではない(自己防衛)が、公的場面での暴力手段は拒絶する=反
戦というのを公的平和主義と呼ぶ。公的平和主義が禁止するのは、平和主義者が政治集団の1員
として暴力を用いる事である。
戦争と警察の違いは、暴力行為の「正統性」の有無である。ある国家が別の国家に戦争を仕掛け
るとき、前者の政府が後者の国民に対して、あらかじめ武器使用の同意を得ている事はありえそう
にない。それに対して、正統な政府は強制力を用いる事の同意を、通常あらかじめ制定された法
律を通して国民から調達している。
公的平和主義者(反戦主義者)が、「愛する人は力づくで助けるが、国策としての戦争には依然と
して賛成できない」と答える事は矛盾がない。
平和主義は大別して2種類の傾向がある。絶対平和主義と平和優先主義。
②戦争の殺人は許されるのか?
義務論と帰結主義がある。義務論者は、たとえそれが幾多の有利な帰結をもらたそうとも、その性
質に鑑みて、殺人という行為それ自体を忌避する。帰結主義者は、その行為によって引き起こされ
た事態から判断する。
サンデル教授の問いに、5人の人を助ける為に別な1人を死に至らしめるのは良いか?という物が
ある。帰結主義者はよりましな帰結として1人を犠牲にして5人を助ける選択肢をとるだろう。
殺人を禁止する事は、今日道徳的のみならず法律的にも、ほぼあらゆる文明国で原則化されてい
る。この原則に反した者は、道徳的に非難されるだけでなく、法律的にも処罰の対象となる。ただ
し、正当防衛という例外が設けられている。この例外は 権利と責任の2面から説明される。正当防
衛の殺人は、生存権が脅かされ、相手がその状況を生み出した責任がある時のみに適用される。
戦争に於いては、殆どが自衛の為の戦争と自称する。
そして、空爆などで多くの犠牲を強いられるのは民間人である。民間人にその状況を生み出した責
任があるのか? 戦争開始の決定に、犠牲になった民間人が影響を与えた責任は
政府や政府高官に比べて非常に少ない。これは、正当防衛という事は難しい。
それに対して、攻撃者が正当な軍事目標を攻撃したが、意図せざる偶然の結果として民間人を殺
害しても免責される。というロジックを言う人がいる。これを2重結果説と言う。
問題は、2重結果説は行為者の意図という曖昧で実測しがたい要素に依拠して、行為の道徳判断
を行おうとする点にある。殺人行為者は免罪符として活用する。どういう意図だったかは、結局のと
ころ本人しか知りえない事だから。 そこで、少なくとも近現代戦争に於いて、2重結果説を用いる
事には懐疑的であるべきだというのが筆者の考えである。
兵士には責任があるか? 戦争決定への関与度は民間人とさほど変わらないが、民間人に比べ
て戦争という犯罪の一端を担っているので責任があるという解釈がある。本人の生命をかけた個
別戦闘中ならば殺人も正当防衛性を持つが、戦闘中でない兵士を空爆やミサイル攻撃で殺害する
事は免責しがたい殺人が含まれている事になる。
③戦争はコストに見合うか
非暴力の帰結主義者は「最大多数の最大幸福」を求めるという事になる。功利主義者のベンサム
は、それに照らすと戦争は誰がどう見ても不合理としか考えようがないと言う。
コスト:戦争や準備に使うコストとそれだけを別な事に使ったら何が出来るかと比較する事が必要。
又、戦争は、さらに暴力は次の憎しみを生み暴力につながるという火種を残す。
最大多数:戦争は国民の多くに災害が降りかかる。又、兵士も貧しい若者とその家族などの狭い
層に最も負担が集中する。戦争は資本主義や帝国主義的野心の為になされる事が多く、どのよう
な大義を振りかざそうとも、本質的には資本家階級が労働者階級を食い物にする政策にすぎな
い。戦争によって資本家階級は利益を得、労働者階級は負担を被る搾取の一形態である。
帰結を考慮して物事の合理性を考えれば考えるほど、自ずと人々は戦争を避けてそれ以外の方
法を選ぶ事になるだろう。
④正しい戦争はありうるのか?
戦争に正しい戦争と不正な戦争があるという正戦論がある。自衛/侵略の2つに分ける考えた方。
個人の正当防衛にあたる戦争が国家でもあるかという事がポイントになる。
国際社会での国家が、国内社会の個人と同様の権利を持っているという思考。
・自衛戦争は正戦か? 国家がその身を守ろうとするのは、ひとえに個人の身を守るためである。
個人の権利はそれ自体で価値があるが、国家の権利はそうではない。それは束の間の契約に基
づいて成立しているにすぎない。
・国家の死は個人の死と同類か? その国の政府は追放されるが、国民の権利は保全されるとい
う事はある。国民が、他の政府を望む事も起こり得る。国の死と個人の死は同じではない。
・正戦を知り得るか? どの国も戦争するときは以下の10のプロパガンダを国民に対して行う。
「我々は戦争をしたくない・しかし敵側が一方的に戦争を望んだ・敵の指導者は悪魔の様な人間
だ・我々は領土や派遣の為ではなく、偉大な使命のために戦う・我々も誤って犠牲を出すことがあ
る。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる・敵は卑劣な兵器や戦略を用いている・我々の受けた
被害は小さく、敵に与えた被害は甚大・芸術家や知識人も正義の戦いを支持している・我々の大
義は神聖なものである・この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
戦後 国際関係の歴史は、自称「自衛戦争」のリストで満ちている。よって、何が正戦かは一般市
民には判別できない。
但し、正戦論者は、戦争が悲惨であり避けられるべきだという基本的な考えは、平和主義者と共有
している。
そして、今日の国際関係論では、正戦論でも平和主義でもなく、現実主義こそが支配的学説になっ
ている。
⑤平和主義は非現実的か?
現実主義の論理構成4つ。
・世界は中央政府が存在しない無政府状態である。(⇒正戦と判断する基準がない)
・国際関係におけるアクター(行為主体)は国家である。
・無政府世界において、国家の最大の目的は生き残りとなる。したがって、国家安全保障は国際関
係の最優先課題となる。
・パワーは、この目的を達成するための重要かつ、必要手段である。
現実主義とは、「国際関係を各国の安全保障をめぐる権力闘争として描こう」とする世界観の一種
と言える。
安全保障のジレンマがある。勢力均衡を図ろうとパワーを増強すればするほど、相手から見ての
脅威になり、パワー競争が永遠に続く。ジレンマを解く考え方としては、政治・文化・経済の信頼関
係の成立がある。アメリカの軍事増強はキューバには脅威だが、カナダには脅威ではない。安全
保障は武力だけが唯一の方策ではない。
外を強盗が横行している以上、戸締りをするのは常識。という戸締り論があるが、戸締り論では欠
けている思想がある。そもそも、強盗が横行しない世界を作るといおう事。隣人は敵にもなり、味方
にもなるかもしれない。
⑥救命の武力行使は正当か
大規模な人権侵害が起こった時に、それを阻止する為に軍事干渉を行う事態が冷戦以降増えてき
ている。PKOは当事国からの同意を前提としたが、最近は人道介入主義として同意無での介入が
出てきている。
考え方としては、前述の2重結果説を唱える人がいる。もう一つは「よきサマリア人」説がある。例え
ば飛行機の中で心臓発作の人が出て、医師がいなかったので歯医者が治療を試みたが死んでし
まったケース。そのまま放置するより、とにかくトライしてみる、それで死んでも歯医者に罪は無いと
いう物。一方で、死を免れない患者に対して、薬を投与して安楽死させる積極的安楽死は罪にな
り、延命治療を止めて自然に死ぬのを見守るという消極的安楽死は罪にならないという場面もあ
る。
積極的な介入の判断は難しい。
ただし、武力による介入以外にも介入の方法はある。人道的介入と平和主義は相いれない物では
ない。軍事介入できる事が”普通の国”ではない。
⑦筆者の主張
筆者の結論は、自由主義・功利主義・社会主義をルーツとし、19世紀以降発展してきた平和優先
主義のタイプが、国際関係の指針として魅力的かつ説得的な代替案になりうる。
以上が本書のポイント抽出ですが、私としては、人道介入も含めて武力による軍事は病気でいう
対症療法であり、本当に健康=平和を続けて行くための本質的で予防医学的な取組が重要なの
だと感じました。
病気予防にどれだけ真剣に向き合えるかが、市民全体を幸せに向かわせる人類の知恵の方向だ
と思います。