2018年7月7日土曜日

【本】ラテンに学ぶ幸せな生き方 八木啓代 講談社+α新書

「ラテン系」な人と言うと、なんだかお気楽でノー天気な人というなんとなくネガティブな印象と、人生を楽しむ術を知っているというポジティブな印象が私の中では同居しています。

でも、実際に「ラテン」の人とはどいういう考え方や性質の人、振る舞いなのかはちゃんと知っていませんでした。

この著者は歌手・作家・エッセイストという多面的な顔を持ち、メキシコと東京の2拠点を行き来して暮らしている方との事。

読んでみると、人生に対するスタンスが今の日本(東京?)と真反対だけど、もしかしたら少し前までの日本もラテン系の考え方をかなりしていたのが、いつの間にかギスギスの競争、自分本位の社会になってきてしまったのではないかという気になりました。

沢山の ハッとする事が書かれているのですが、煎じ詰めると、ラテンの人達は「人と人のつながり」「家族」を人生で最も大切な事と考えている。


例え貧乏や弾圧を受けて困っても、仲間や家族とのつながりを信じていられるのでそれらにも負けずにポジティブに向かっていける。という事でしょうか。


連動して、経済的に成功する事よりも、人と人の繋がりを豊かにする事の方が価値があるという考えになるようです。


日本は非常に高い自殺率になっています。
それに比べてラテンの国の自殺率は桁違い少ないのが実情です。

生活満足度も高く、少なくとも日本人やアメリカ人よりは、ぶっちぎりに「幸福に生きている」という事はまぎれもない事実のようです。統計を見るまでもなく、ラテンアメリカに暮らした経験のある人なら、明らかにその事を体感しています。


面白い話が紹介されていました。

ブラジルで紹介されているイソップ童話は以下の様になっているそうです。
抜粋します。

’冬になって食物が無くなると、キリギリスはアリを訪ねます。
「私が汗水流して働いていた時にあなたは何をしていたの?」
アリの意地悪な問いに、キリギリスは答えます。
「私は歌ってみんなを楽しませ、元気づけていたのよ」
それを聞いた、働くことしか知らず、生きる喜びを感じた事のなかったアリは反省し、
「では、これからは踊って暮らしましょう」
とキリギリスを迎え入れて、食物を分けて一緒に踊りながら、楽しく冬を越したのです。’


この話を聞いて、なんだ、ただのご都合主義じゃないか、これじゃ怠け者用擁護じゃないか、なんて思う方もいらっしゃるかもしれません。

けれど、このアリは、決して自殺なんて考えないでしょう。歌うのも他人を楽しませるにも立派な仕事。そして、地味に孤独に働いてばかりいた人も、ちょっとした発想の転換で、一緒に幸せになれるという、ある意味 ずっと現代的な教訓がここにはあります。

そうです。ラテンの社会では、人を楽しませたり、感動を与えたりする事は、立派な仕事として認められているのです。

との事。


又、こんな例も出ています。

日本では、「お金が無いから結婚できない。」という話があるが、ラテンでは 「お金がないからこそ、あるいは就労状況が不安定だからこそ、結婚して二人分の収入で、生活費をシェアする方が現実的」と考えています。

個人主義で自己完結しないといけない日本。人との絆がセーフティネットになっているラテン。


軍事独裁政権を倒していくのも、音楽と歌によって国民が力を集結するという例も多いとの事。


この本を読みながら、ラテンの生き方にどんどん魅力を感じていく自分を発見しました。


もっともっと、ラテンを知りたい、浸かってみたい。

面白い本です。

2018年7月4日水曜日

【自ら人体実験】白髪が黒くなってきた

何年も前に、花粉症が夫婦共に植物性乳酸機で治った事は書きました。

その時に、食べ物は身体に大きな影響を与えるのだという事を痛快しました。

今回、再び 夫婦揃って白髪が黒くなりつつなって、びっくりしています。

それもこの半年ぐらいで。

妻は染めるのを止めたら、真っ白な白髪になっていて、50歳代にも関らず電車で何度も席を譲られてしまう、、という状態でした。


私も年々白い部分が増えて、過半は白髪という感じでした。


それが、徐々に黒くなりつつあります。


明確な事は分かりませんが、この半年であてはまるかなと思われる要因はお米。

この半年は3食とも玄米を食べる様にしています。

玄米にしたら、お通じの量が毎回とても多くなって、体内の毒だしや腸内細菌の活発化が実感できます。


これによって、白髪も黒くなってきたのでは??
という推測をしています。

理屈は分かりませんが。。


一般には自然な老化現象と思われている色々な身体変化も、食べ物によって大きく変わるという事もありそうです。

【定年】還暦過ぎて自転車を始める ビレッタの乗り心地

定年の60過ぎて、エコに暮らそうと考えて駅までの通勤に自転車を使う事にしました。

自転車は20年ぐらい乗っていません。
乗った事があるのはママチャリのみ。

折角だから、近くを色々走り回れるものをと考えました。


クロスバイクにしようかと考えていたのですが、写真を見た妻から、「三角フレームの自転車は60過ぎて変」というクレームが付き、結局 少し走りを意識したシティサイクルにしました。

ブリジストンのビレッタという車種。


バーハンドルに、それと同じぐらいの高さの細いサドル。6段変速。


これだけで、ママチャリとは乗る姿勢が全く異なります。

タイヤも細めなのか、27インチだからなのか、初めて跨ってこぎ出してびっくり。


ハンドルはフラフラするし、車体もぐらぐら。
止まろうとしても足がつま先立ちになるのでとても不安定。

あれれ、自転車ってこんなに難しい物だったっけ? と思いつつ、家に乗って帰りました。

それから1週間、近所を走ってみるのですが、

 お尻が痛い、
 車体はふらつく、
 横を車が通るととても怖い。
 狭い通路を通れる気がしない
 ブレーキをかけると倒れそうになる(実際に倒れた)
 膝を車体にブツケル事が多くて痛い。

など。とても恐ろしい乗り物という印象。

特に、ブレーキで停止する時に安定した形で止まれないのが本当に怖い。


という事で、自転車屋へ持っていき、サドルを停止時に足裏が地面に付くまで下げてもらい、ハンドルも釣り合うように下げてもらいました。
但し、ママチャリとは違って、漕ぎ出したら自然と前傾姿勢になるというのはそのままです。

そうすると、安心して止まれる。ペダルを漕げる。
ハンドル操作にも余裕が出来る。お尻もサドルの後ろにわずかに乗せるだけにしたら痛くなくなりました。

という事で、問題なく乗れる様になりました。


そうなると、ママチャリとの違いが良く分かってきました。

ママチャリはゆっくり安定して低速走行するにはとても向いている自転車。ビレッタは、低速よりも中速の方が安定して走る自転車と思います。

実際、ビレッタで走っているとママチャリを幾つも追い越していく事になります。

クロスバイクまでの速さは出ませんが、前かごやチェーンカバー、泥除けなどもフル装備で、ママチャリとは一味ちがう走りが出来るというのは、とても実用的でバランスの良い自転車だと感心しています。乗り心地はとても快適です。

点灯虫という自動点灯ライトもかなり明るくて満足です。

馴れると中々良い自転車。シニアにもとっても良いと思います。


2~3駅程度の距離ならば十分これで行くことができます。

風を感じて走る事が気持ちよくて、バスに乗る事が殆ど無くなりました。

60過ぎても、自転車ライフを始めるのは遅くないです。お勧めです。

少年時代の忘れていた世界を思い出す様な気がします。




2018年7月3日火曜日

【実家の片づけ】6.本

書棚に本が大量に残っている場合も多いと思います。

本でまず思いつくのは、古本で売れないだろうか? 思い入れのあるものは、どこかに寄贈できないだろうか? という事かも知れません。

ブックオフ等に売るには外観がキレイな事が必要になります。そういうのがあれば、手間を惜しまなければ出す事は出来るでしょう。

でも、買取価格はとても安いのでお金の期待はしない方が良いでしょう。

貴重本と思われるものがある場合は、古書屋(例えば神田などの)さんに声をかけると家まで買取に来てくれる事があります。

但し、注意が必要なのは本の価値は新品で買った時の値段等には寄らないという事。

江戸時代以前の本などは古物としての価値が在ると思いますが、単なるxx全集とかいうだけでは価値として認めてもらえない事もあるようです。

一方で、古い時刻表や地図などはマニアックな世界で需要があるらしく高く買ってくれたりする場合もあるようです。

何が中古本として価値を認めてもらえるのかはシロウトには非常に難しいので、古書屋さんを呼ぶならば、本や雑誌、時刻表など何も廃棄しない状態で呼ぶのが良さそうです。

古書屋さんが物色して価値の有るものだけ買い取って(又は持ち帰って)行きますので、多くの本は残されるかもしれません。

又、特別なジャンルや対象に対して収集されたコレクションなどは、図書館などに寄贈出来ないか?と考える事もあると思います。

地元の公立図書館や、近くの大学の図書館、そのジャンルに関心の深そうな図書館などで、寄贈本を受け付けるかを問い合わせると良いと思います。

私の場合は、問い合わせましたが、残念ながら間に合ってます(寄贈本は管理が大変と受け止められる様子)との返事をもらいました。

残った本達は、自治体の本雑誌の無料回収の時に出すか、大量にある場合は古紙回収業者に無料で引き取ってもらうという事も在り得ます。

古紙回収業者は、家の横にトラックを乗りつけてきて、その荷台に本をどんどん投げ入れていきます。2階の本は2階の窓から投げ下ろして入れていきます。

その光景は、本達が悲鳴を上げている様で胸が痛みました。

とは言え、本棚が空になると1ステップ実家始末の工程が進んだ感覚になります。

【実家の片づけ】5.手紙類

書類を見ていると、きっと膨大な手紙やハガキが出てくるのではないかと思います。

昭和を生きた人(自分もそうですが)は、連絡は電話か手紙。メールなどは1990年代になってから一般に普及しましたので、昭和の時代にはありません。

まずは、古い年賀状の束から廃棄していきます。
その次は封書や一般のハガキになりますが、出来るだけ家族間の物か他人との物かを分けます。他人との物も親の交友関係などが分かって興味深くはありますが、よほど残す必要があると思うもの以外は割り切って廃棄していきます。

家族間のものは、親や先祖との記録なので、かなり吟味しながら廃棄していきます。

昭和以前の手紙は手書きの物が多くて、人のぬくもりを感じられるので廃棄するには抵抗感がありますが、単なる感傷ではないか? 5年、10年先で読み返すか?等を自問しつつより分けていきます。
心が痛みますが、誰かが決断必要と腹を決めて進めます。

手紙・ハガキはプライバシーそのものですので、廃棄に当たってはシュレッダーの様に細切れにするか、先日の書類と同じ様に箱詰めにして焼却ゴミとして出します。

2018年6月14日木曜日

【実家の片づけ】4.大事な書類

明らかに不要=ゴミと分かる物の一掃が出来たら、次に進みます。

親は昭和の戦前育ちで、生きている間に、戦争の窮乏生活も、高度成長時代のモーレツ時代も、手書きからワープロ、パソコンへの移り変わりも、白黒写真からカラー写真、デジタル写真への進化も通過してきています。

ですから、古い時代の物では。手書きの手紙や日記、色々な印刷物がファイルして取ってあり、膨大な書類の山があります。

まずは、今後にも関係が出そうな重要書類(例えば権利書関係や、不動産の登記や売買に関する書類。著作権や保険、税金関係など)がどこにあるのかを探します。

どこにファイルが仕舞ってあるか分からない時は、片っ端から読んでいくしかありません。

それを探していく中で、「既に用済みで廃棄すべき書類、ちょっと注意して内容吟味して廃棄を考えるべき書類。
当面 残しておくべき書類。」を出来るだけ分別していきます。

この書類を読み込んで探していく作業はかなり膨大で大変です。

でも、客観的・ビジネスライクに判断していける部分が多いので頑張ってやっていきます。

書類廃棄するには、近所のスーパーあたりから段ボールの空箱をもらってきて、そこに詰めていく。そして、燃やすゴミの回収日に出すと外の人にも中身を見せずに燃やす廃棄が出来ると思います。

書類を詰めると意外と重いので、箱に詰めて、箱ごとゴミ回収袋に入れて出しました。

重要書類は、もちろん区分けして別保存しておきます。

2018年6月6日水曜日

【実家の片づけ】3.ウォーミングアップ

関係者が各々持っていきたい物を持ち出したあとは、いよいよ 整理作業に入ります。

まずは、心と身体のウォーミングアップとして、明らかに要らない物を捨てていきます。

その地域のゴミ収集の情報を見て、どういう分別をすれば良いのか把握。

分別毎の袋や段ボール箱などを決めて、そこに 今の状況では冷静に見たらゴミという物を収集していきます。

空箱とか、書けないボールペンとか、古い包み紙、カン など、昭和育ちの「もったいない」世代(私もそうだけど)は本当に色々な物を残しています。

それらは、どんどん資源ゴミ等として出していきます。

古くて錆びたカンヅメなどの食料品なども出てきたりしますが、それらも廃棄していきます。

少量の食用油やはちみつ等の液体等は箱の中にいらないタオルなどを敷いてそこに吸わせて燃えるゴミで出したり等等 意外と工夫が必要です。

灯油は、ガソリンスタンドまで持っていき廃棄処理してもらいます。

この作業をするには、押入れの中や引き出しの中など一通り見る事も必要なので、何処にどんな荷物があるのかを詳細に把握できるというメリットもあります。

これだけでも意外と大変ですが、どんどん大きな袋で回収車に出していくと家の中はスッキリしてくるし、なんとなく掃除している=良い事をしている感覚で前向きな気持ちになる事が出来ます。