ノーベル賞の受賞は毎年大きなニュースになりますが、ノーベル賞ってどうしてそんなに権威があると思われているのだろうと、この本を読んでみました。
読んでみて、私はノーベル賞について全然分かっていなかったんだなという事を知りました。
ノーベル賞はスウェーデンとノルウェーで授与されていますが、それはノーベルが亡くなった時点では2国が兄弟国(二国を同じ王が治めている)だった事と、ノーベルの遺言で平和賞はノルウェーで選出された委員会で審議決定し、それ以外はスウェーデンでと指定されていたとの事。
又、ノーベル賞は「物理学賞」、「化学賞」、「生理学・医学賞」、「文学賞」、「平和賞」の5つで、「経済学賞」はノーベル賞ではなく正式には”アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞”であるとの事。
ノーベル賞の選考過程は50年間は守秘されるので、誰が候補に挙がっているのかも含めて謎になっている。最終選考は受賞発表の当日に行われるので事前に受賞者名が漏れる事が無い様になっている。又、発表の30分ー1時間前に受賞者に電話で知らされる。
とは言え、著者達は賞選考委員たちへのインタビューやスピーチ等を通じて垣間見えたノーベル賞の裏側を取材している。
その中で、トピック的な所を書き出してみます。
・「文学賞」
日本では村上春樹さんがいつも受賞するか話題んになりますが、賞選考委員会の中では違う様相の様子らしい。
「アカデミー(賞選考委員)内は、優れた作品を残しながら、いまだ大きな評価を得ていない作家に文学賞を贈りたいという雰囲気だ」と、やんわり村上有力説を否定。村上はあまりに流行作家になり過ぎたという見方だった。
・「経済賞」
経済は理論を唱えても再現性がない。又、選考しているのが科学アカデミーなので数式を用いた話に偏りすぎるきらいがある。金融工学の受賞などがあったが、その後の現実の経済では金融工学は上手くいっていない結果になっている。
本当はケインズ以外は受賞に値する人は居ないのではないか。
・「平和賞」
平和賞については、過去から色々と物議をかもしている。
失敗だったのではと言われているのが佐藤栄作とオバマ。
佐藤栄作は非核3原則という事で受賞したが、その後 核持ち込みに関する密約をアメリカと交わしていた事が暴露された。
オバマは大統領就任1年にもならないうちの受賞になったが、本人は全く望んでいなかった(受賞時点でもアメリカは2つの戦争を遂行中で、オバマは軍の最高責任者)。ノーベル賞のスピーチでも「戦争という手段には平和を守る役割もある」と言い切った。
平和賞は選考委員会の考え方で方向が変わる。オバマや中国の人権作家等を選んでいた時は、平和の実績はなくとも将来平和に貢献すると考えられる人。又は、そのタイミングに賞を贈ることで平和に向かうメッセージとなりうると考えての事の様だった。
17年からの委員長は①諸国間の友好②常備軍の廃止または削減③平和会議の開催・推進というノーベルの遺志を強く意識し始めた。17年の平和賞はICANになった。
・誘致合戦
ノーベル賞を受賞すべく、国を挙げてのアプローチがなされている。
日本も佐藤の時など政府をあげてアプローチをしていた。韓国、中国もスウェーデンの委員会に強くアプローチをかけている。
でも、ノーベル委員会は「国」は意識せずに、何をその人が行ったかという成果だけを見て選定するとしている。
但し、受賞が欧米に偏っていた時期は、アジアでの受賞者をノーベル委員会としても積極的に探していた事もある。
・ノーベル賞の報道 以下引用
”いずれにせよ、ここまでノーベル賞取材に血道を上げるのは日本人記者だけだ。特にノーベル賞受賞者の大半を輩出してきた欧米メディアの場合、非常に淡々とした報道ぶりだ。近年の例では、「ヒッグス粒子」の存在を提唱し物理学の根底を変え13年に英エディンバラ大のピーター・ヒッグス名誉教授が受賞した際も、英BBC放送などは、通常ニュースの扱い。CNNを始め米国のメディアも例年、自国民の受賞でもトップニュースになることは稀だ。オスロで行われる平和賞授与を除いて、授賞セレモニーがニュースになることは殆どない。”
”毎年繰り返されるこうした騒ぎを英国人スタッフは、非常に冷めた様子で見詰めている。「日本人はなぜこんなにノーベル賞が好きなのか?」と皮肉交じりに、日本人記者たちに尋ねるのも恒例行事になってしまった。スタッフの指摘通り、単純明快な答えは見つからない。競争好き、勲章好き、ランキング好きなどが考えられるが、これらの要素が複合的にノーベル狂想曲を奏でているのだろう。あるスウェーデン人ジャーナリストは、遠慮がちに「日本人の欧米コンプレックス」を指摘したが、あながち的外れではないように思える。BBCは毎年、受賞者らを一堂に集め、ノーベル賞受賞に至る活動や個人的な思い、研究上での悩みなどを語ってもらう「ノーベル・マインズ」を放送する。日本式に受賞者を偉人扱いするのとは対照的に、身近な存在としてノーベル賞の知恵を共有する傾向が強い。英国人とてノーベル賞という大きな権威を否定してはいない。ただノーベル賞と客観的な距離を保ち、権威と程よい距離を保っているだけなのだ。”
”記者は、2006年にRNA干渉の研究で医学生理学賞を受けたクレイグ・メローと話す機会があった際、質問をしたことがある。
「ノーベル賞を受けたことであなたの人生はどう変わりましたか?」
メローは笑顔で即答した。
「受賞が決まった日、何年も会っていなかった友人から電話が来た。まだウインドサーフィンを続けているかとね。そして友人のこのときの薦めで、カイトボードを始めたのさ。人生が変わったね。そうそう、仕事も少し忙しくなったかな。」
メローは受賞後も淡々と研究を続ける日々だ。受賞者を国民的英雄に祭り上げ、崇拝の対象とする日本とは何と大きな差だろう。”
との事。
日本のノーベル賞至上主義は、そろそろ止めた方が良さそうです。
本当の所は、大騒ぎしているのはマスコミと政治家だけかもしれませんが。。
2019年3月17日日曜日
2019年3月3日日曜日
【本】サイボーグ009 1~23巻 石ノ森章太郎 秋田書店
石ノ森さんの代表作であり、ライフワークとも言える物語群です。
小学生の頃に読みだして、好きで何度も何度も読み返していたのを覚えています。
地下帝国ヨミ編の最後で、009と002の流れ星を読んで 涙と喪失感でその後3日ぐらい落ち込んでいました。
そんな、サーボークですが、その後もぽつぽつと続編が出ている事は知っていましたが、あまり読む機会を持てませんでした。
今回、近くの図書館に豪華本が全巻揃っている事を知り、50年ぶりに1巻から順次借りて読みました。
初期の巻では、とても懐かしくこういう絵だった、そうだったと当時の自分の気持ちも思い出しながら読みました。
通して読んでみると、そこには著者の石ノ森さん自身が大人になり成熟していく過程も感じられました。
このシリーズを通して、石ノ森さんは色々な事を若い人達に伝えたかったのだと思います。
初期は、SFマンガの面白さと、ブラックゴースト団という存在により、世界には裏社会があるんだという事、チームワークと団結で困難を乗り越えていく素晴らしさ、サイボーグに理不尽に改造された相手とも命のやり取りをして戦っていかなければならない悲哀、科学技術の凄さと二面性 でしょうか。
戦争の悲惨さ、ベトナム戦争とはどんな感じになっているのか、戦争のカラクリや、戦闘員の気持ち、戦争は誰も幸せにしない事を伝えようとしたと感じました。
中期は、色々な派生ストーリーを単発的に描き、SF小説やミステリー小説の面白さにいざなっている様に見えました。
ガロ等でポエムの様な「ジュン」で実験演出を試みていた時は、009でもポエム調になり、活劇とは異なる 芸術や美を感じさせるものもありました。
後半は、人間の科学技術が野放図に進化していく事に対する危惧を伝えたかったのでは思われる作品も多いです。
病没されて途中までになってしまった「神々との闘い」は、人間とは何かを、宗教的な事もからめて語ろうとされていたのかもしれません。
40年に渡った作品群という事で、読者側もどんどん次世代に変わっていったのだと思いますが、石ノ森さんがその時その時に伝えたかった気持ちが、読んだ各読者の胸に響いたのではないかと思います。
サイボーグ009全巻を読んで、初めて石ノ森さんの人生を感じる事が出来たと思いました。
往年の少年達に、可能ならば もう一度 読んでみて欲しい シリーズです。
小学生の頃に読みだして、好きで何度も何度も読み返していたのを覚えています。
地下帝国ヨミ編の最後で、009と002の流れ星を読んで 涙と喪失感でその後3日ぐらい落ち込んでいました。
そんな、サーボークですが、その後もぽつぽつと続編が出ている事は知っていましたが、あまり読む機会を持てませんでした。
今回、近くの図書館に豪華本が全巻揃っている事を知り、50年ぶりに1巻から順次借りて読みました。
初期の巻では、とても懐かしくこういう絵だった、そうだったと当時の自分の気持ちも思い出しながら読みました。
通して読んでみると、そこには著者の石ノ森さん自身が大人になり成熟していく過程も感じられました。
このシリーズを通して、石ノ森さんは色々な事を若い人達に伝えたかったのだと思います。
初期は、SFマンガの面白さと、ブラックゴースト団という存在により、世界には裏社会があるんだという事、チームワークと団結で困難を乗り越えていく素晴らしさ、サイボーグに理不尽に改造された相手とも命のやり取りをして戦っていかなければならない悲哀、科学技術の凄さと二面性 でしょうか。
戦争の悲惨さ、ベトナム戦争とはどんな感じになっているのか、戦争のカラクリや、戦闘員の気持ち、戦争は誰も幸せにしない事を伝えようとしたと感じました。
中期は、色々な派生ストーリーを単発的に描き、SF小説やミステリー小説の面白さにいざなっている様に見えました。
ガロ等でポエムの様な「ジュン」で実験演出を試みていた時は、009でもポエム調になり、活劇とは異なる 芸術や美を感じさせるものもありました。
後半は、人間の科学技術が野放図に進化していく事に対する危惧を伝えたかったのでは思われる作品も多いです。
病没されて途中までになってしまった「神々との闘い」は、人間とは何かを、宗教的な事もからめて語ろうとされていたのかもしれません。
40年に渡った作品群という事で、読者側もどんどん次世代に変わっていったのだと思いますが、石ノ森さんがその時その時に伝えたかった気持ちが、読んだ各読者の胸に響いたのではないかと思います。
サイボーグ009全巻を読んで、初めて石ノ森さんの人生を感じる事が出来たと思いました。
往年の少年達に、可能ならば もう一度 読んでみて欲しい シリーズです。
2019年2月13日水曜日
【自ら人体実験】夜のトイレ対策
この半年、夜中に何度もトイレに行く様になってしまいました。
年を取るとそういう人が多いと聞きますので、そんなものなのかな?と思いつつも、睡眠の質が悪い! 朝までグッスリ寝たい! という不満がどんどん蓄積してきました。
お酒を飲んだ夜は、脱水による二日酔いを防止するためにビタミンCと水をかなり飲んで寝ます。そんな夜は何回もトイレに行くのでも仕方がないかとも思うのですが、お酒を飲まず、食後も何も飲まない日でも2回ぐらい起きてしまうのは本当に腹立たしく思いました。
頻尿改善のための薬や、薬用風の食品など色々と広告が出ていますが、そいうコマーシャルに乗せれれるのはシャクですし、元来がケチなのでもっとお金のかからない対策方法は無いのか? 生活習慣を変えるだけで改善しないのか? を試してみました。
結果、新しい方法を始めてから既に7晩連続で朝までトイレに行かずに眠れる様になりました。毎日 連続記録を更新中です。
お酒を飲んで、大量に水分を取った夜でも大丈夫でした。
もしかしたら、画期的な事なのかもしれません。
やっている事はたったの2つだけ。
一つは、
風呂に入りながら、湯舟の中で自分の足裏のマッサージをする事。
5本指の間を開いたり、各指を回したり引っ張ったり、足裏のツボ押ししたり。
もう一つは、
風呂上りに首や身体を冷やさない様にする事。
風呂から上がったらすぐにベッドに入ってしまう。又は、風呂上り後に長時間起きている時はガウンに加えてマフラーをして首を冷やさない様にする事。
これだけです。
二つの事が相乗効果で効いているのか、どちらか一つが効いているのかは分かりませんが、両方ともを行うと、朝までトイレに行かないで大丈夫です。
夜中に、もしかしてトイレに行きたいのかも?という感じになる時もあるのですが、無視して寝ているとそのまま朝まで寝ていられます。
多分、血行が良い状態で入眠しているというのが勝因なのかと推測しています。
他の人にも同じ様に効くのか分かりませんが、少なくとも私には効きました。
同じ悩みを抱えられている方は、試してみる価値があるかもしれません。
少なくとも、やってみて損はしないと思います。
もう真夜中のトイレ起きはイヤなので、これからもこの対策は続けていきたいと思います。
年を取るとそういう人が多いと聞きますので、そんなものなのかな?と思いつつも、睡眠の質が悪い! 朝までグッスリ寝たい! という不満がどんどん蓄積してきました。
お酒を飲んだ夜は、脱水による二日酔いを防止するためにビタミンCと水をかなり飲んで寝ます。そんな夜は何回もトイレに行くのでも仕方がないかとも思うのですが、お酒を飲まず、食後も何も飲まない日でも2回ぐらい起きてしまうのは本当に腹立たしく思いました。
頻尿改善のための薬や、薬用風の食品など色々と広告が出ていますが、そいうコマーシャルに乗せれれるのはシャクですし、元来がケチなのでもっとお金のかからない対策方法は無いのか? 生活習慣を変えるだけで改善しないのか? を試してみました。
結果、新しい方法を始めてから既に7晩連続で朝までトイレに行かずに眠れる様になりました。毎日 連続記録を更新中です。
お酒を飲んで、大量に水分を取った夜でも大丈夫でした。
もしかしたら、画期的な事なのかもしれません。
やっている事はたったの2つだけ。
一つは、
風呂に入りながら、湯舟の中で自分の足裏のマッサージをする事。
5本指の間を開いたり、各指を回したり引っ張ったり、足裏のツボ押ししたり。
もう一つは、
風呂上りに首や身体を冷やさない様にする事。
風呂から上がったらすぐにベッドに入ってしまう。又は、風呂上り後に長時間起きている時はガウンに加えてマフラーをして首を冷やさない様にする事。
これだけです。
二つの事が相乗効果で効いているのか、どちらか一つが効いているのかは分かりませんが、両方ともを行うと、朝までトイレに行かないで大丈夫です。
夜中に、もしかしてトイレに行きたいのかも?という感じになる時もあるのですが、無視して寝ているとそのまま朝まで寝ていられます。
多分、血行が良い状態で入眠しているというのが勝因なのかと推測しています。
他の人にも同じ様に効くのか分かりませんが、少なくとも私には効きました。
同じ悩みを抱えられている方は、試してみる価値があるかもしれません。
少なくとも、やってみて損はしないと思います。
もう真夜中のトイレ起きはイヤなので、これからもこの対策は続けていきたいと思います。
2019年2月9日土曜日
【本】私の愛する憩いの地 兼高かおる 新潮文庫
世界中を旅してきた兼高さんが、「既に海外旅行済みの中高年の方々に更なる旅行地」として、30選んで紹介する本です。
いわゆる有名観光地では無い所(穴場?)が多いのですが、”ホテルは清潔で安全、現地での交通は万全、そして歴史やその他の知識が伝わってきたり、珍しい、面白いことのある所を選びました。”との事。
戦後14年目から、年の半分を世界中を旅する事を31年間続けて、その移り変わりを見てこられた兼高さん。31年を3期に分けて変化をあとがきに記されています。
第1期 「世界の人々が大戦のもたらした荒廃から、一生懸命復興に力を注ぎ、自ら人と人が助け合っていたました。」
第2期「近代化の繁栄の時代。アジア、アフリカに数多くの独立国が生まれ、同時に近代教育や人権などがあまり普及されていなかった地域の若者の間に広まり、古くからある風俗、習慣が壊れ始めました。それに伴って、個性ある街の姿も自然も、破壊されていきました。一方、私はどこへ行っても土地の人たちと親しくできました。それは当時の人たちが神を畏れ、慈悲のある心豊かな人たちが多かったことが、大いに幸いしたのです。」
第3期「1990年からを第3期、大変化というか破壊期に入ったと思ってみております。人々が心より物に支配され、人に出会ったら微笑よりも疑心の眼で見るようになってきました。」
でも、この本で選んだ旅行は、ごく少数を除いて大きく変わらない所でしょう。それにしても旅行は思い立ったら吉日、早く行く事です。
この美しい星 地球の姿を、早く見て知って欲しいのです。多くの人が見て知ってくれれば、地球をこれ以上痛めつけなくなるかもしれません。それを願い、早く地球を見て回って欲しいのです。
との事。
兼高さんの本は何冊も読みましたが、この本は TVでやっていた「兼高かおる世界の旅」の正に書物版と感じながら読みました。
各地各地の風景が目に浮かび、すぐに世界地図で場所を探してしまいます。行ってみて、兼高さんと同じような気持ちを味わってみたい と思います。
各地、味わう点が異なります。
30は無理でも、せめて1つぐらいは行ってみたいものです。
紹介されている地名は、
北極、
ミディ運河(フランス)、
シナイ山(エジプト)、
フロリダ・キーズ(アメリカ)、
ペトラ(ヨルダン)、
ガラパゴス諸島・イースター島(エクアドル・チリ)、
オウツホールン(南アフリカ)、
スピッツベルゲン(ノルウェー)、
キャンディ(スリランカ)、
イスタンブール(トルコ)、
セント・アイヴス(イギリス)、
チュニス(チュニジア)、
グレンイーグルス(スコットランド)、
ハルガ(エジプト)、
マスカット(オマーン)、
ノーフォーク(イギリス)、
ロフォーテン諸島フィンマルク(ノルウェー)、
コロラド川(前)(アメリカ)、
コロラド川(後)(アメリカ)、
タラワ島(キリバス)、
ラヴェンナ(イタリア)、
リパリ諸島(イタリア)、
スル海(フィリピン)、
ロックフォール(フランス)、
ドナウ川(オーストリア)、
ミクロネシア(ミクロネシア連邦)、
ミシガン(アメリカ)、
カリブ海(ジャマイカ)、
ライン川(スイス、ドイツ)、
世界の温泉
どういう意味で憩いの場として取り上げているのか?
どういう楽しみ方をすると無上の喜びを得られるのか、、それは、この本を読んでのお楽しみです。
「兼高かおる 世界の旅」のワクワク感を再度味わいたい人に、お薦めの一冊です。
いわゆる有名観光地では無い所(穴場?)が多いのですが、”ホテルは清潔で安全、現地での交通は万全、そして歴史やその他の知識が伝わってきたり、珍しい、面白いことのある所を選びました。”との事。
戦後14年目から、年の半分を世界中を旅する事を31年間続けて、その移り変わりを見てこられた兼高さん。31年を3期に分けて変化をあとがきに記されています。
第1期 「世界の人々が大戦のもたらした荒廃から、一生懸命復興に力を注ぎ、自ら人と人が助け合っていたました。」
第2期「近代化の繁栄の時代。アジア、アフリカに数多くの独立国が生まれ、同時に近代教育や人権などがあまり普及されていなかった地域の若者の間に広まり、古くからある風俗、習慣が壊れ始めました。それに伴って、個性ある街の姿も自然も、破壊されていきました。一方、私はどこへ行っても土地の人たちと親しくできました。それは当時の人たちが神を畏れ、慈悲のある心豊かな人たちが多かったことが、大いに幸いしたのです。」
第3期「1990年からを第3期、大変化というか破壊期に入ったと思ってみております。人々が心より物に支配され、人に出会ったら微笑よりも疑心の眼で見るようになってきました。」
でも、この本で選んだ旅行は、ごく少数を除いて大きく変わらない所でしょう。それにしても旅行は思い立ったら吉日、早く行く事です。
この美しい星 地球の姿を、早く見て知って欲しいのです。多くの人が見て知ってくれれば、地球をこれ以上痛めつけなくなるかもしれません。それを願い、早く地球を見て回って欲しいのです。
との事。
兼高さんの本は何冊も読みましたが、この本は TVでやっていた「兼高かおる世界の旅」の正に書物版と感じながら読みました。
各地各地の風景が目に浮かび、すぐに世界地図で場所を探してしまいます。行ってみて、兼高さんと同じような気持ちを味わってみたい と思います。
各地、味わう点が異なります。
30は無理でも、せめて1つぐらいは行ってみたいものです。
紹介されている地名は、
北極、
ミディ運河(フランス)、
シナイ山(エジプト)、
フロリダ・キーズ(アメリカ)、
ペトラ(ヨルダン)、
ガラパゴス諸島・イースター島(エクアドル・チリ)、
オウツホールン(南アフリカ)、
スピッツベルゲン(ノルウェー)、
キャンディ(スリランカ)、
イスタンブール(トルコ)、
セント・アイヴス(イギリス)、
チュニス(チュニジア)、
グレンイーグルス(スコットランド)、
ハルガ(エジプト)、
マスカット(オマーン)、
ノーフォーク(イギリス)、
ロフォーテン諸島フィンマルク(ノルウェー)、
コロラド川(前)(アメリカ)、
コロラド川(後)(アメリカ)、
タラワ島(キリバス)、
ラヴェンナ(イタリア)、
リパリ諸島(イタリア)、
スル海(フィリピン)、
ロックフォール(フランス)、
ドナウ川(オーストリア)、
ミクロネシア(ミクロネシア連邦)、
ミシガン(アメリカ)、
カリブ海(ジャマイカ)、
ライン川(スイス、ドイツ)、
世界の温泉
どういう意味で憩いの場として取り上げているのか?
どういう楽しみ方をすると無上の喜びを得られるのか、、それは、この本を読んでのお楽しみです。
「兼高かおる 世界の旅」のワクワク感を再度味わいたい人に、お薦めの一冊です。
2019年1月27日日曜日
【心と身体】集中力
昨夜の大坂なおみ選手の全豪オープン優勝の試合、日本中の人が見ていたのではないでしょうか。
素晴らしい結果を成し遂げられました。
その試合の中で、スゴイと感じたのは第3セットでの集中力。
精神的に崩れかけて終わった第2セット。その後のトイレブレークから帰ってきたなおみ選手は完全な無表情な人物に変身していました。
もう勝敗や歓声を意識するのではなく、とにかく目の前のプレーだけに集中する。上手くいってもミスになっても、終わった事は気にせずに次に絶対勝つと集中する。
そういうメンタルに完全に移行して帰ってきた様に見えました。
一喜一憂しない事で、彼女の実力が本当に安定して発揮されて、相手を圧倒したのだと思います。心で自ら縛っていた身体の動きを開放できたのでしょう。
21歳で、そこまで出来るというのは本当にすごい事だと思います。
この大舞台のトイレブレークで、大坂選手は一周り成長されたのだと思います。
すごい武器を手に入れた。
彼女の姿を見ていて、思い出したのは バレーボールのオリンピック出場の可否がかかった予選試合での当時の眞鍋ジャパンの選手の姿。もう後が無いギリギリの試合の状況で、彼女達も無表情のチームになり、音一つしないシーンとした雰囲気がコートを満たしました。
そんな状態になると、相手がアメリカでもブラジルでも、打たれた強烈なスパイクでも絶対にレシーブしてしまう日本チーム。普段とは違うスーパーレシーブの連携が突然の様に現出しました。
打っても打っても拾われてしまう。相手チームはだんだ自信を無くすと同時に、不気味に感じていたのだと思います。人間相手ではなく、あたかも超高性能の機械相手に戦っているのではという印象でしょうか。
人間は、本当に集中して心による呪縛を外す時は、こういう状態になるのだと改めて感じました。
素晴らしい結果を成し遂げられました。
その試合の中で、スゴイと感じたのは第3セットでの集中力。
精神的に崩れかけて終わった第2セット。その後のトイレブレークから帰ってきたなおみ選手は完全な無表情な人物に変身していました。
もう勝敗や歓声を意識するのではなく、とにかく目の前のプレーだけに集中する。上手くいってもミスになっても、終わった事は気にせずに次に絶対勝つと集中する。
そういうメンタルに完全に移行して帰ってきた様に見えました。
一喜一憂しない事で、彼女の実力が本当に安定して発揮されて、相手を圧倒したのだと思います。心で自ら縛っていた身体の動きを開放できたのでしょう。
21歳で、そこまで出来るというのは本当にすごい事だと思います。
この大舞台のトイレブレークで、大坂選手は一周り成長されたのだと思います。
すごい武器を手に入れた。
彼女の姿を見ていて、思い出したのは バレーボールのオリンピック出場の可否がかかった予選試合での当時の眞鍋ジャパンの選手の姿。もう後が無いギリギリの試合の状況で、彼女達も無表情のチームになり、音一つしないシーンとした雰囲気がコートを満たしました。
そんな状態になると、相手がアメリカでもブラジルでも、打たれた強烈なスパイクでも絶対にレシーブしてしまう日本チーム。普段とは違うスーパーレシーブの連携が突然の様に現出しました。
打っても打っても拾われてしまう。相手チームはだんだ自信を無くすと同時に、不気味に感じていたのだと思います。人間相手ではなく、あたかも超高性能の機械相手に戦っているのではという印象でしょうか。
人間は、本当に集中して心による呪縛を外す時は、こういう状態になるのだと改めて感じました。
2019年1月19日土曜日
【本】「聴く力」磨けば人生うまくいく! 船見真鈴 マガジンハウス
私が定年を迎える前、なんで定年の日の夜で突然 自分の商品価値(サラリーマン収入など)が落ちるという社会システムになっているのだろう。と向け場の無い怒りを感じでいました。心が荒れるという状態。
転職を狙った活動を色々行い、履歴書を作って自分の社会人人生を振り返る時期でもありますが、その経験を否定されている気がしたのかもしれません。
そんな時に、とても嬉しく感じた時間、そこから心が軽くなった時間がありました。
それは、ある人が 履歴を見ながら私のやってきた事の話を熱心に聞いてくれたこと。わずか30分間ぐらいだと思いますが。
自分の人生を(ある瞬間でも)興味を示してくれて、理解してくれた。という事が、本当にカタルシス効果を生みました。
それが、ずっと記憶にあったので、「傾聴」という事に興味があり、この本を読んでみました。
色々な事が書かれていますが、気になったポイントは話を聞く時に、
「さえぎらない」
「否定しない」
「アドバイスしない」
という3つの”ない”を大切にして、最後まで相手の話を聴くという事。
又、話の最後には「話してくれて、ありがとう」と、ひと声添える事。
今度は、誰かに同じ体験を提供してあげられれば良いなと思います。
転職を狙った活動を色々行い、履歴書を作って自分の社会人人生を振り返る時期でもありますが、その経験を否定されている気がしたのかもしれません。
そんな時に、とても嬉しく感じた時間、そこから心が軽くなった時間がありました。
それは、ある人が 履歴を見ながら私のやってきた事の話を熱心に聞いてくれたこと。わずか30分間ぐらいだと思いますが。
自分の人生を(ある瞬間でも)興味を示してくれて、理解してくれた。という事が、本当にカタルシス効果を生みました。
それが、ずっと記憶にあったので、「傾聴」という事に興味があり、この本を読んでみました。
色々な事が書かれていますが、気になったポイントは話を聞く時に、
「さえぎらない」
「否定しない」
「アドバイスしない」
という3つの”ない”を大切にして、最後まで相手の話を聴くという事。
又、話の最後には「話してくれて、ありがとう」と、ひと声添える事。
今度は、誰かに同じ体験を提供してあげられれば良いなと思います。
【本】わたくしたちの旅のかたち 兼高かおる、曽野綾子 秀和システム
兼高かおるさんの訃報を聞き、とても悲しく思いました。
私が子供の時から大学を出るまで、「兼高かおる世界の旅」はいつもとても興味を惹かれる番組でした。
就職したての新人研修の時に各新人が自己紹介し、その時に尊敬する人物を言う事になっていました。私は兼高かおるさんと言った記憶があります。皆はケネディだ、エジソンだ、両親だ という様な感じで言っていましたが。
それぐらい、私には憧れの人でした。当時、もう50歳台になられていたのかと思いますが、いつも海外を颯爽と、かつ日本の礼儀正しさを体現しながら、世界の色々な階層の人達と接していく姿がテレビを通して、とてもまぶしく感じられたのを覚えています。
芥川さんとの上品かつきれいな日本語でのトークも、日本の良き伝統文化を聞いているようでとても心地よかったです。
多分、当時の多くの日本人は「兼高かおる世界の旅」を見て、海外に憧れを持ったのではないかと思います。
この本は、曽野綾子さんも海外に沢山 出ておられるとの事で、お二人の子どもの頃から、海外に出ていく所、そして現在までの経緯や思い、気づきなどが対談の形で書かれています。
これを読むと、久しく忘れていた当時の日本や日本人についても色々と思い出されました。
戦後、プライベートな海外旅行が出来る様になったのは、ジャンボジェットが登場して海外旅行代金が大幅に引き下げになった1970年代から。
当時の海外団体旅行を引っ張ったのは、農協のツアーですね。
数年前の中国からの旅行者の「爆買い」がニュースになりましたが、当時の農協の団体ツアーも爆買いツアーだった様に聞きました。
多くの日本人が初めて海外に旅行で行き始めたのです。同時に世界の人も、はじめて日本人観光客を見たのでしょう。
私も70年代の終わりに、格安チケットを買って大学の休みを使ってアメリカ旅行に行きました。学生がアルバイトのお金を貯めて海外旅行に行けるとう時代になったのですね。
チケットを買ったのはH.I.S.という旅行代理店でした。今は大規模になられましたが、当時はまだビルの1室を借りてやっている小さな代理店でした。
大韓航空の格安チケットを買ったら、オーバーブッキングでその便に乗れませんでした。
そんな時代。
アメリカ内もレンタカーを借りて内陸の方へ何日も走ると、泊まった安モーテルの受付の人から生まれて初めて日本人を見た、なんて言われた事も思い出しました。
本に話を戻します。
彼女らは何年にもわたり海外と日本を行き来してきたので、日本と海外のこの数十年の変容を目の当たりにしてこられました。
例えば当時の日本では、ご近所は殆ど顔見知りで、悪い人なんかいませんでした。そのつもりで海外に出ますと少々ショックを受けます。ニューヨークで聞いた話ですが、ある日本人が道を歩いていたら、目も前で老婦人が転んだそうです。そこで駆け寄って「大丈夫ですか?」と体に手を触れたら、いきない「泥棒!」と叫ばれてしまったそうです。
ただし、アメリカも50、60年代は、人の善意を素直に信じられました。
今は、日本もアメリカも、治安悪化や人への警戒心が非常に高くなったとの事。
面白いのは、一年の半分を海外で暮らし英語が堪能な兼高さんでも、日本でカタカナ表記の言葉がやたら増えて、しかもそれを短く省略してしまう。例えばコンビネーションを「コンビ」と省略するから、なんのことやら意味が分からない。馴染みのない英単語も増えて、”少しは英語がわかっているつもりでしたのに、日本に帰ってくると知らない単語がたくさん。わからないことだらけで、わたくし、まるで国から見捨てられた気分でした。”との事。
日本では英語圏で一般には使わないような単語を、「知識人や専門家」は使って流行らせているんですね。
それ以外にも、お二人の経験されてきた世界と日本の違いなど、沢山 面白可笑しく、又、彼女達の人柄がにじみ出る様な感じで語られています。
活字も大きく読みやすいですし、「兼高かおる世界の旅」を当時好きだった視聴者の方にお薦めの1冊です。
私が子供の時から大学を出るまで、「兼高かおる世界の旅」はいつもとても興味を惹かれる番組でした。
就職したての新人研修の時に各新人が自己紹介し、その時に尊敬する人物を言う事になっていました。私は兼高かおるさんと言った記憶があります。皆はケネディだ、エジソンだ、両親だ という様な感じで言っていましたが。
それぐらい、私には憧れの人でした。当時、もう50歳台になられていたのかと思いますが、いつも海外を颯爽と、かつ日本の礼儀正しさを体現しながら、世界の色々な階層の人達と接していく姿がテレビを通して、とてもまぶしく感じられたのを覚えています。
芥川さんとの上品かつきれいな日本語でのトークも、日本の良き伝統文化を聞いているようでとても心地よかったです。
多分、当時の多くの日本人は「兼高かおる世界の旅」を見て、海外に憧れを持ったのではないかと思います。
この本は、曽野綾子さんも海外に沢山 出ておられるとの事で、お二人の子どもの頃から、海外に出ていく所、そして現在までの経緯や思い、気づきなどが対談の形で書かれています。
これを読むと、久しく忘れていた当時の日本や日本人についても色々と思い出されました。
戦後、プライベートな海外旅行が出来る様になったのは、ジャンボジェットが登場して海外旅行代金が大幅に引き下げになった1970年代から。
当時の海外団体旅行を引っ張ったのは、農協のツアーですね。
数年前の中国からの旅行者の「爆買い」がニュースになりましたが、当時の農協の団体ツアーも爆買いツアーだった様に聞きました。
多くの日本人が初めて海外に旅行で行き始めたのです。同時に世界の人も、はじめて日本人観光客を見たのでしょう。
私も70年代の終わりに、格安チケットを買って大学の休みを使ってアメリカ旅行に行きました。学生がアルバイトのお金を貯めて海外旅行に行けるとう時代になったのですね。
チケットを買ったのはH.I.S.という旅行代理店でした。今は大規模になられましたが、当時はまだビルの1室を借りてやっている小さな代理店でした。
大韓航空の格安チケットを買ったら、オーバーブッキングでその便に乗れませんでした。
そんな時代。
アメリカ内もレンタカーを借りて内陸の方へ何日も走ると、泊まった安モーテルの受付の人から生まれて初めて日本人を見た、なんて言われた事も思い出しました。
本に話を戻します。
彼女らは何年にもわたり海外と日本を行き来してきたので、日本と海外のこの数十年の変容を目の当たりにしてこられました。
例えば当時の日本では、ご近所は殆ど顔見知りで、悪い人なんかいませんでした。そのつもりで海外に出ますと少々ショックを受けます。ニューヨークで聞いた話ですが、ある日本人が道を歩いていたら、目も前で老婦人が転んだそうです。そこで駆け寄って「大丈夫ですか?」と体に手を触れたら、いきない「泥棒!」と叫ばれてしまったそうです。
ただし、アメリカも50、60年代は、人の善意を素直に信じられました。
今は、日本もアメリカも、治安悪化や人への警戒心が非常に高くなったとの事。
面白いのは、一年の半分を海外で暮らし英語が堪能な兼高さんでも、日本でカタカナ表記の言葉がやたら増えて、しかもそれを短く省略してしまう。例えばコンビネーションを「コンビ」と省略するから、なんのことやら意味が分からない。馴染みのない英単語も増えて、”少しは英語がわかっているつもりでしたのに、日本に帰ってくると知らない単語がたくさん。わからないことだらけで、わたくし、まるで国から見捨てられた気分でした。”との事。
日本では英語圏で一般には使わないような単語を、「知識人や専門家」は使って流行らせているんですね。
それ以外にも、お二人の経験されてきた世界と日本の違いなど、沢山 面白可笑しく、又、彼女達の人柄がにじみ出る様な感じで語られています。
活字も大きく読みやすいですし、「兼高かおる世界の旅」を当時好きだった視聴者の方にお薦めの1冊です。
登録:
投稿 (Atom)