2019年8月6日火曜日

【本】再考! 縄文と弥生 国立歴史民俗博物館・藤尾慎一郎 吉川弘文館

この本は2019年3月発刊のもので、最近できる様になってきた厳密な年代測定(C14)で分かってきた知見をもとに、縄文と弥生を見直すという内容です。


昔もC14を使った年代測定がされてきたのですが、分析試料が1g程度必要でしたのが最近は1㎎という少量で出来る様になり、試料のコンタミ(他の付着物)を排除できる様になってきたとの事。

それを元に、縄文物を調べると、今まで思われていたものよりもずっと以前の年代のものだった事などが分かって来た。


細かい学術的な記述が多いのですが、私がほーと思った事を書いてみます。

・今までは縄文は気温上昇と、それに伴う植物相の変化により縄文人が栄え始めたというのが定説でした。でも、最古の縄文土器はもっと以前の最終氷期時期にあたる事が分かってきた。

・弥生は稲作文化で、BC500年ぐらいからというのが我々が子供の時に習った歴史ですが、実はBC1000年~500年の間でも西日本では稲作が行われていた。

・朝鮮半島と北九州等との交流(貿易や人の行き来)は縄文の相当昔からあった。

・琉球諸島の古代人は、BC4000年ぐらいは島の高台(森)に暮らしていてタンパク質は貝や猪を取っていたが、BC5000年ぐらいからは貝と魚類中心の生活になった。AC1000年ぐらいのグスク文化時代では豚や鶏などが増えた。
これは、温暖化に伴って琉球諸島の周りに珊瑚礁が出来てきて、魚などが豊富になり、取り易くなり、浜辺に住居を移したからだと推測される。


学術上の分類や、資料の各種比較、朝鮮半島や他の世界との関連分析なども詳しく書かれていますが、私が感じたのは学校で習ったXX時代という区分がはっきりある訳ではなく、日本各地の自然も人も文化も徐々に色々と変化していったんだという当たり前の事。

変化の流れの中のある断面で議論されているけれど、宇宙、太陽系、地球の絶え間ない変化の中で必然的に起こった支流なんだという印象を得ました。

2019年8月5日月曜日

【本】美と楽の縄文人 小山修三 扶養社

久しぶりに国立東京科学博物館に行ってみました。

そこに、石器時代人、縄文人、弥生人の頭蓋骨と、そこからの復元顔モデルが展示されていました。

石器時代人の顔はまるでアテネの時代の目鼻立ちくっきりギリシャ人の様な印象。
弥生人は、中国人の印象の顔。
縄文人は、彫の深いハーフ美男美女顔。

縄文人や弥生人、江戸人などの等身大で着物も着た人形も展示されています。
縄文人は本当に簡素な服を着て、竪穴式住居に住んで、いかにも未開です。という感じ。


一方、火炎土器などを見ると、縄文人はデザインセンスに溢れている躍動感や、文化的余裕を感じます。 それと簡素服の展示がどうもシックリきません。

縄文人は実はもっと豊かで高度な暮らしをしていたではないのか? という疑問の下、この本を読んでみました。1999年発刊の本です。

ちょうど青森県の三内丸山遺跡の発掘で、縄文人に関する今までの認識が改まろうとしている時に書かれた本です。

面白いなと思った点を書き出します。


・縄文人の主食はドングリだった。ドングリを粉にして水にさらしてタンニンを抜き、それをパンの様にして食べていた。パンには山菜等の具を入れたオシャレなパンも作られていた事が分かっている。
ドングリは稲作よりも、うんと楽に収穫できるし貯蔵も効くので、労働はかなり少なくても暮らしていける。1週間山に出て働けば1年分の主食を蓄える事ができたはず。
あとはオカズの狩猟や採取をすれば良い。
だから、稲作の弥生人よりもゆとりがあった。

縄文土器は、鍋として使われた。「煮る」という事に使ったので鍋料理をしていた。
「煮る」料理法は、地球上で縄文人が初めて行った調理法。
酒を造るワイナリーも縄文人は持っていたらしい。


・建物も、博物館に展示したあるような竪穴式住居ではなく、中に中二階を作ってそこをベッドルームにするような設計建築をしていた可能性がある。
三内丸山遺跡では、明らかに35㎝単位での設計建築がされていて、高さも非常に高い建物や、大きな長屋の建物なども作られていた事が分かっている。
人口も三内丸山遺跡では数百人以上も住んでいる町だった。


・ファッションも、糸や皮の扱いが上手い縄文人なので、かなりファッショナブルな衣服を作っていたと思われる。Vネックやボートネックの服、ズボンなど。色もカラフル(赤や黒など)。装飾品も色々発掘されており、男も着飾っていた様子。


・ヒスイ球を使って貨幣として使っていた可能性あり。
出土品を見ると、遠方の地の物も沢山でてきており、貿易や交易がかなり盛んにおこなわれていた事が推測できる。
海外とのやり取りもしていただろう。航海術も出来ていたという事ですね。


・縄文人は多くが東日本~北海道に住んでいた。気温も現在から数度高く。温暖湿潤。
落葉広葉樹が多いので、ドングリなど沢山とれる。


・北九州の縄文人は、渡来人をベンチャー的に呼び込んだ可能性あり。
それにより、弥生初期、西日本の人口が30倍に膨れ上がった。



以上ですが、未開人と言うよりも、想像以上に優雅で科学的、文化的な生活をしていたのかもという気がしました。但し平均寿命は30才ちょっと位の短命です。

数度 温暖化している時代だと、西日本は豪雨や暑さで住みにくかったのもあったの
か、鬼界カルデラの噴火で壊滅的な打撃を受けたのかもしれませんね。


同時代に、中国では古代帝国の作りや戦争が始まったりしていますから、日本列島でも同じような民度で人々が暮らしていても当然ではあります。


ちなみに、DNA鑑定で縄文人と同じDNAを持っているというチベットの人の写真を見てみると、やっぱりハーフ的な顔立ちの人が多そうですし、色々な装飾品も付けていそうですね。



【政治】ホワイトリストから始まった日韓問題での素朴な疑問

ニュースを見ていると両国ともヒステリックな様相を示してきている様に感じます。

一般市民は報道された情報にしか接せる事ができないので、本当の事は何が起こっているのか分かりません。

でも、日韓のマスコミが触れない様にしているのでは、と思える素朴な疑問がいくつか湧いてきますので、書いてみます。


1.今回の日本が理由としている輸出管理上の見つかった問題について、具体的な説明が日本政府からされないのは何故か? 韓国側も、徴用工問題にすり替えてこの問題について一切話そうとしないのは何故か?

輸出管理の実務者間説明会は開かれましたが、その内容やその後の展開の報道が両国とも無いのは何故なのか?
米国が積極的うごこうとしないのにも理由があるのでは?


2.徴用工の問題において、日本政府は法律論争では負ける可能性が高いのに国際司法裁判所(ICJ)に持ち込もうとしているのは何故か?(負ける可能性が高いという内容は、「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明 」を読む限り)
韓国側も、法的にはICJに行けば勝てると思っていそうなのに、行こうとしないのは何故か?


3.レーダー照射問題に関する報道や政府による蒸し返しが、この時期にこれほど少ないのは何故か?


4.ロシアと中国の合同竹島上空飛行があったのは何故か? 北が短距離発射をいくつもするのは何故か?




ちなみに、勝手なシロウトの穿った見方をしてみると


1と3は連動しているのかも。韓国と北朝鮮の間で公にできない関係があり、かつ米国がそれを今は隠したい何かがある?


2は、主観的な「真の謝罪がされていない」という言い方でいつまでも問題化しようとする韓国に対して、第3者の判断を入れて決着をつけようと安倍首相は考えているのかも。たとえ裁判で負けても、その賠償等を行えばそれ以上は韓国がむし返せない状況を国際的に作れるという事か。韓国としては、今後 政治的に使えなくなるのは困ると考えている??


4は、日本との関係が悪化した韓国に対して、北朝鮮にはロシアと中国というバックがしっかりついているぞというのを見せつけ、周りは敵だらけという孤立化を感じさせる事を狙っているのかも。となると、次は何らかの融和作戦を北は韓国に出してくるのか。


いつか、今回の騒動の真相が歴史として分かる日がくるのでしょうか?

2019年8月3日土曜日

【本】仏教・神道・儒教 集中講座 井沢元彦 徳間書店

日韓問題に関係する儒教の教えとはどういう物なのか知りたくて、この本を読んでみました。すると、仏教も神道についても、全然 分かっていなかった事を知り、愕然。この年になってそうだったのか、、と。


私にとってポイントと思えた点を書き出してみます。


『仏教』
・仏教は一神教ではなく自由な考え方をする。その為に同じ宗教でありながら、その中に正反対の考え方をそのまま包含してしまっている。これは仏教の大きな特徴。

・お釈迦様は生きり事は苦しみ(生、老、病、死)から逃れられないと考えた。
 四苦八苦は上記4つの苦しみに、愛別離苦、怨憎会苦、五蘊盛苦、求不得苦の4つが加わって八苦となった。

人間が苦しむのは執着するからだと気が付いた。執着が苦しみを生むのは、この世のことはすべて無常だから(諸行無常)。あらゆるものは必ず滅びていくが、それをまるで永遠に存在するかのように錯覚して守ろうとしたり続けようとしたり執着するから苦しみが生まれる。だから、全ては無常である事を認識する事が大切でそれを「悟り」と呼んだ。

無常を悟り煩悩の炎を消した状態を涅槃という。(これが転じて死んで煩悩に執着しなくなる事も涅槃という様になった)

もう一つの考え方が「輪廻転生」。生命は永遠。もとは古代インド哲学。六道という形に整理されて天道(天上界)、人道(人間界)、修羅道、畜生道、餓鬼道、地極道という順に存在する6つの世界で転生する。天上界に行ったとしても生きている事になるので苦しみから逃れる事は出来ない。その輪から抜け出すのが「解脱」。

悟りを開き人間を超えた優れた者になれば、輪廻の輪から解脱できると考えた。悟りを開いた人間を「如来」あるいは「仏陀」と呼ぶ。

・お釈迦様の仏教は基本的に個人の救済を目的にしたもので、個人が悟りを開かなければどうにもなりません。ですから、どうしても出家して修行をする主義となります。

それに対して、沢山の人間を悟りの方向に連れて行く事ができる大きな乗り物の様な仏教を目指すという「大乗仏教」という考えが後に出て来た。これは出家しなくても良いというもの。 そして、今までの仏教を侮蔑的に「小乗仏教」と呼んだ。
(これは、キリスト教徒がイエスを信奉するあまり、同じ聖書でもイエスの言葉が乗っているのを「新約」と言いて、それ以前の神の言葉が載っている聖書を「旧約」と言ってバカにするのと同じ発想)

・それまではお釈迦様は尊敬すべき先輩という事でしたが、大乗仏教では「お釈迦様を拝め」となった。それは、お釈迦様の超人的な力にすがって助けてもらおうという思想だから。(でもお釈迦さまはそんな事は言っていない、、)

大乗仏教は、それは方便であると言って、色々仏典を創作していった。そういう仏典の頂点にあるのが「法華経」(みょうほうれんげきょう)。

大乗仏教では釈迦以外にも如来が居る事にした。その中で、阿弥陀如来は「多くの人を救える事」という誓いをして如来になったとお経に書いてある。救い方は、「我を十念すれば」私はあなたたちを私の支配する極楽浄土(輪廻転生から外れた世界)に生まれ変わらせてあげる。とのこと。 浄土は全ての仏様にある(仏国土)が、「極楽」と言った場合は阿弥陀さまの浄土を指します。

阿弥陀さまを信仰すればまずは極楽浄土に生まれ変わる。これを「往生」と言う。そして往生してから、仏国土で修行して、最終的に仏陀になる。これが「成仏」。凡人には自力修行での悟りは難しいので、お釈迦様の力、つまり他力をに頼って往生して、そこで修行して仏になるという二段階のプロセスを経て悟りを開くのです。(他力本願)

阿弥陀信仰は日本に浄土教として入ってきた。「南無阿弥陀仏。」
最澄の天台宗はお経の総合大学。比叡山延暦寺。
空海の真言宗はお経になっていない口伝=密教を教えるという宗派。高野山金剛峯寺。

やっぱり他力本願は違う。自分で修行して悟りを開くべきとの考えが禅宗を生んだ。曹洞宗。
一方、親鸞はお経を読まんでも「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで良いとした。でも、これは法華経以外は全部偽物だという意味にもなる。太鼓をたたきながら大声で唱える。創価学会。

鎌倉時代の仏教大衆化に伴い、日本独自の大きな変化「本時垂じゃく説」が生まれる。日本の神道の神と仏様は実は同じものなのだ、、という説。これにより神仏混淆の状態になり、大き神社には必ず寺があり、神官とお坊さんでそれぞれユニフォームは違っていても、実は同じ人が管理していたのです。

この神仏混淆状態が崩れるのは明治になってから。欧米の一神教が迫って来るのに対抗する為に、無理やり神道を切り離して「国家神道」を作り、多くの仏教寺院を焼き払う廃仏毀釈を行いました。

寺も大きな武装兵力を持ち利権をむさぼるのが当たり前の時代が続いていたが、信長が比叡山焼き討ちで武装解除し、以降 寺は丸腰になった。

徳川家康は檀家制度を導入して、寺を役所の一部として機能するように政策に組み込んだ。これにより300年。仏教は惰眠をむさぼった。そのため、葬式の時にしか一般の人と接点がないようなものに堕落してしまっている。
日本の仏教は危機的状態が続いている。


『神道』
神道は分かりにくい。それは、聖典が無いという事と、「本来の神道」と明治政府によって無理やり作られた「国家神道」という二つの別物があるから。一般国民はこの違いを殆ど理解していない。

神道は基本的に多神教なのだが、「国家神道」は欧米に対抗する為に日本人がある意味で一神教的に強化させた神道。無理やり一神教的な強化をしたので、それまでにない神道になってしまった。

本体の神道は、全ての宗教の中で排他性、独善性が最も少ない宗教です。でも国家神道は一神教の影響を受けているのでどうしても排他的、独善的になる傾向がみられます。

神道は卓越しているものを祭る。良い神も悪い神も。悪い神も丁寧にお祭りすれば機嫌を直して善なる神に転化するというのが神道。徹底的な性善説とい言われる事もある。
菅原道真は理不尽な扱いをされて恨みの神となったが、それを祭ったのが天満宮。

現生肯定の神道、現世否定の仏教(諸行無常)。
聖徳太子の十七条憲法では第1条が「和」になっている。「和」は仏教にも儒教にもなく。古来神道の考え方。
そして、「穢れ」 とそれを取り除く「禊」と「祓い」。

国家神道は、一神教に対抗する為に天皇を押し立てて行こうという事にした。そこで、日本中の神社をすべて国家の統制下に置き、国家の機関として、その神を祭る地位のトップに天皇を据える事にしたのです。これは明らかにローマ法王を意識していると思いますが、天皇はこの世の神 現人神であって、すべての日本人はそれを信仰しなければならないとしました。戦前の軍隊は、天皇を守る事が日本の文化を守る事であり、国を守る事であり、国民を守る事だったのです。天皇と国民は一体であるというかたちをもって、西洋の原理に対抗しようとしたわけです。


『儒教』
ルーツは先祖崇拝。
”位牌”というのは儒教の考え方。仏教ではない。(仏教は輪廻転生なので位牌は使わない。)
孔子が先祖崇拝というものを一つの体系にまとめたもの。関連して、儒教には、どんな場合でも子孫を絶やしてはいけない、という思想がある。(先祖をお祭りする人がいなくなってしまうから)もし養子を取るなら男系からとらなければいけない。

もう一つの特色は「得」というものを重んじる事。個人が得をもって身を修める。次にそのことを拡大し、個人が所属する家族を整える、家庭が整えばその集合体である国が治まり、天下が平たくおさまる。という考え方。

儒教で最も重要な第1義は「考」(子供の親に対する忠節)。
民間の物語では、親の為に自分の子を殺すのは正しいという事としている。それが「考」。そして、「和」という考え方は無い。あるのは、
「義」:臣下の祝に対する忠節。主君が道徳に背く行為をしていたら、いさめなければならない。
「悌」:弟の兄に対する忠節


儒教では、賊というのは、どこまで行っても賊なのです。死んでも埋葬してはいけない。先祖崇拝なので死んで魂になっても個性はかわりません。その為、罪人として死んだ人間は、未来永劫「罪人」なのです。


抜粋は以上。

仏教に関してはかなり細かい説明がある本ですが、儒教に関しては自分の意見を沢山書いてある本という印象でした。

もう少し、他の本等で勉強が必要そうです。

2019年8月1日木曜日

【本】日本コンプレックス(2) 高月靖 バジリコ株式会社

・41才 女 出版社勤務
韓国は海外旅行ブームで、突出して日本旅行が多い。韓国ウォンと円の為替が後押ししている。こうした日本旅行熱は和食人気を高め、日本語の看板を掲げる日本料理店が急増している。
「韓国で一番人気がある日本の都市は大阪、次に福岡や東京が並ぶ。大阪は安いLCCが増えた事、テレビで大阪のストリートグルメ紹介が良い、USJや京都奈良へのアクセスも良くて、若者が大好きなグルメも遊びも満足できて、なおかつ安く行けるから。

慰安婦問題について
「慰安婦問題はこれから外交的に解決されなくてはいけない問題ですし、私もそれを願っています。日本からきちんとした謝罪があってしかるべきだと。そうした考えも明確に持っています。」「少女像についてですか? 世界各地にたてられているのがやりすぎという声があるようですが、私はそうは思いません。ドイツのアウシュビッツ強制収容所は、同じ過ちを繰り返さないという決意の象徴として保存されているでしょう。慰安婦問題も韓国だけでなく世界全体の歴史として、記憶していくべきだと思います。それは韓国がかつてベトナムでやったことも同じです。韓国政府はきちんと謝罪、賠償すべきでしょう。同じように私たちもかつて慰安婦だった人たちの後継としてその名誉回復に努めていくべきだと思います。」


・43才 男 アンティーク商
「子供の時は、日本に愛してい否定的なイメージがありました。過去の歴史、侵略とか。そういう境域がありますからね。日本は何かあるたびに謝っていると言いますが、真摯な謝罪とはほど遠い。いったいなぜそうなのか、そんなことをたくさん考えたりもしていました。」「韓国人が日本について否定的に考える要因は、いま大きく2つあると思います。一つは靖国。なぜ分祀しないのか。もう一つが慰安婦問題」「何年か前、日本が元慰安婦のおばあさんたちにお金を払うという話があったでしょう。あの時、韓国人の反発がすごかったんです。ちゃんとした謝罪と賠償がなくてはいけないのに、政府同士がいくらで手を打ちましょう、申し訳ないという言葉もないまま、これでフタをしてしまいましょうと勝手に決めてしまう、そんなやり方でいいのかと。。。」
「私が思うにはこれは金銭的な問題ではなく、まず首相なり立場の高い人が来て、きちんとしたお詫びをすればいいのではないかと。そしてそんなに大きな金額でなくてもかまわないので、所定の補償が行われたら、韓日関係がいい方向いいくのではないでしょうか。いまいつ慰安婦のおばあさんたちも、多くは望んでいないのではと思います。10年もすれば多くがなくなられるでしょう。その前にそんな謝罪があれば、両国の友情がいまよりずっと深まると思います」

こどもの時は日本製とは知らずにアニメを見て、プラモデルで遊んでいました。大人になって「あ、これも日本製だったのか」と、我々世代はそうした驚きを経て、日本への憧れを少し抱くようになったものです。

・51才 男 日本の大学での教員 イさん
妓生観光=買春観光が盛んだった1970年代、80年代。イさんはソウル育ちの大学生。ラジオでオールナイトニッポンを聴いたり、薬師丸ひろ子のファンだったりした。

慰安婦問題について
イさんは大学時代、日本人観光客の妓生パーティーを見た事がある。通訳のアルバイトをしていた恋人がそこに同席する事になり、頼まれてついて行ったそうだ。場所は現在も各国からの観光客で賑わうソウルの観光地、仁寺洞たっだ。「その時、私は日本人に対する反感というのはありませんでした。妓生とはそういうものだと思っていましたから。これは朝鮮王朝時代からずっとそうだったんですが、中央政府の官僚が地方へ視察に行くとするでしょう。すると各地の地方官史が妓生を動員して、接待するわけです。こうした習慣、伝統は根深く、私が学生の頃も普通に残っていいました。主な宿場町にはそんな妓生たちがいたんです。少なくとも1980年代くらいまでは、そのほか人心売買とか、身売りのようなこともまだ横行している時代でした。」
「売春をする女性たちに対する視線も、当時は違っていました。いまなら借金で仕方なくという事情もあったりするにせよ、結局は自分の意思でやっていることでしょう。でも昔は儒教的な道徳のせいで、一度汚れてしまった女性はもう普通の生活に戻れないという社会通念があった。そうした女性たちが社会に受け入れられず、売春婦となるしかなかったわけです。」「つまり韓国では、こうした一連の文化が最近まで受け継がれてきた歴史がある。それを棚に上げて、慰安婦問題をあそこまで非難できろのだろうか。当時みんなあれを黙認していたはずなんです。なのにああいったアンダーグラウンドで生きて来た人達の歴史を、なかったことにしていいのか、と。もちろん慰安婦問題には私もシンパシーを感じますが、こう考えると複雑な気持ちになります。」


・49才 女 旅行会社経営
日本に留学し、そのまま日本に骨を埋めるつもりの人。

両国関係について
「韓国が歴史問題か何かで日本に執着しているように見えるとしたら、それは政治とメディアのせいだと思います。特に若い層にとって歴史問題は子供の頃に教科書で習った話にすぎないし、さほど関心もありません。」「もちろんそこを突き詰めて言えば、こんな考えもあります。被害を与えた加害者は、一度誤ればそれで済んだ気になれますよね。でも取り返しのつかに傷を負った被害者の側は、トラウマのように一生背負いながら生きていくのが普通でしょう」「でもそれが歴史問題として騒がれる時、私は政治家たちが自分に都合よく利用している部分があるのではないかと思います。対立を煽って国民を結束させるのは、自分たちの支持率を上げるのに役立つでようから。こうした意味で私は、韓国の政治家も日本の政治家も両方問題があると思っています。」

北朝鮮について
「北朝鮮には地下資源が沢山あるでしょう。また統一すれば釜山からヨーロッパまで鉄道でつながるので、物流コストも安くなるんじゃないでしょうか。それに北朝鮮のインフラ建設も必要ですから、建設業界も潤うのではないかと思います。そのほか観光開発もできますしね。」「さらに韓国は日本と同様、人口問題を抱えています。私の時代は小学校1クラス60~70人くらいいました。それが今では30人程度。韓国もこれから労働人口の減少など、難しい問題に直面していくことになります。でも北朝鮮と一つになれば、労働人口が増えるというメリットがある。やはり国が大きく成長していくには、人口が必要だと思うんです。」


・42才 女 公企業勤務 日本とのかかわりの深い業務を担当。
対日感情は多面的だ。「日本の政治家や右翼がやっていることに対して、嫌悪する感情は確かにあります。熱にいつもそんなことを深く考えているわけではありませんが、、。でも独島問題、歴史認識問題、旭日旗の問題などで日本がやってくること、そのほか安倍首相がやっているようなことを見て、あれは間違っている。日本は歴史を正確に認識する必要があると、こんな思いはなっきりとあります。」「学校で韓国史を習うと、植民地時代の話が当然出てくるでしょう。そこから高校の時、日本や近隣国の歴史に関心を持つようになって、大学に入ってからは日本語を学んでみたりもしました。大学ではまた日本が韓国に対してとても大きな過ちを犯した歴史も学んで、、。ですから当時は日本という国に対しては、いい感情を持っていませんでした。もっともそれは実際に日本へ行ってみたこともなく、日本人と会って対話したりしたこともなかった時期の話です。社会人になってからは実際に日本を訪れ、日本人の友達もできて、また違った認識が深まっていきました。」

慰安婦問題について
「少女像が世界各地に作られるのも、そういう状況を自ら作り出したのは日本だと思います。ある国が別のある国を侵略して、よくないことが沢山起これば、それに関心を持つのは当然のことでしょう」「慰安婦問題にしても韓国が、日本がという立場を離れて、ちゃんとした謝罪があって然るべきだという部分について、多くの女性たちが共感しています。実際に米国や中国など海外の女性たちが元慰安婦の女性たちに共感したからこそ、その体験が忘れ去られてはいけないと。各地に記念碑を建てるようになったわけでしょう」「温かく誠意を持って向き合えばいいだけなのに、彼女たちが声を上げるのを防ごうとしたりとか、知らないふりをしたりとか、、。これでは私たちがもっと関心を持たなくては、と思うのも無理はありません」「領土問題もそうです。日本も尖閣諸島を巡って、韓国にとっての独島のような問題を抱えているでしょう。なのにどうして韓国に対していちいち敏感に反応するのか、、。そこは立場を逆にして考えたら、韓国の気持ちも分かる様になるんじゃないでしょうか」「慰安婦問題がなかったかのように宣伝する歴史修正主義は、自国の若い世代に歪曲された歴史を刷り込むことになり、虚しい憎悪や反感を招く結果にしかなりません。韓国でも軍事独裁とか、ベトナムでの”蛮行”とか、恥ずかしい歴史が沢山あります。自国に都合のいい歴史だけを教えても、そんな教育を受けた世代の将来が心配ですよね。何も知らずに育って大人になってから事実を知った時、自国に対する自負心が傷つくのではないでしょうか」


・52才 男 出版社代表  灰谷健次郎の著書を多数韓国語に翻訳して出版している
「韓国人が日々の生活の中で、日本に何か特別な感情を持っていることはあまりありません。ただし私が思うに、政治的、歴史的な話になると、韓国人の多くが日本に対して否定的な感情を抱いています。それは実のところ日本がどうこうといういうよりも、韓国国内の事情でそうなったのではないかという思いもあるんです。なぜなら早い時期から日帝時代に関する歴史を通じて、否定的な教育を受けていますから。だから本人もそうと気づかないうちに、日本に対して否定的な感情を抱くようになるんだと思います。」「今でも年配の人は特にその傾向が強いですね。私が中学生、高校生の頃もそうした教育が盛んでした。でもいまは教育も変わり、若い人は以前ほど否定的に考えないようです。うちの娘はダンスをしているのですが、その勉強のため1ヶ月日本で過ごしてきました。これも教育が変化したおかげといえるでしょう」 否定的な感情は3つの要因がある。「解放後に樹立された李承晩政権は、植民地地時代の対日協力者を大勢起用して要職に就かせました。彼らは理研を通じて裕福な暮らしを送った一方、独立運動家らは冷遇されました。つまり韓国はきちんと植民地時代に審判を下して精算する、過去を断ち切って新しく出発する事ができず、社会が間違った道へ進んでしまったんです。それがとりわけ進歩的な人々の間で問題視されており、いまの政界でも『親日残滓』の精算を求める声は小さくありません」 3つ目は”日本政府がちゃんとした謝罪をしていない”ということ。

元慰安婦女性のカミングアウトと日本政府を相手取った提訴をきっかけに、1991年から慰安婦問題が両国間の重要懸案として浮上。日本政府は日韓基本協定と付属協定に基づいて日本側に追加補償の義務はないとの立場に立ちつつ、反省と謝罪を繰り返した。韓国政府も当初は同じ認識に立っていたが、1992年から慰安婦問題を請求権問題の例外として補償を要求する方針に転換。そして日本がこれに応じなかったことが、韓国ではそれまでの反省や謝罪に矛盾すると受け止められた。こうして、「『日本の謝罪は見せかけだけであり誠意がない』という理解が定着する。そしてさらに歴史認識問題の解決には『日本が反省していることを示す、真の謝罪が必要だ』という世論が形成されていった。

否定的な感情の裏側に、「韓国メディアと教育が日本に対して非常に批判的な事」も関わっている。日本に関する問題でメディアが敏感に反応する裏側には、裏切者と非難されないように「安全でいたい」という心理が関わっているようだ。そのには批判以外を許さない社会の圧力も関わっている。

慰安婦問題について
「記念館のようなものは必要だと思います。私たちは慰安婦の歴史を学ばなくてはいけませんから。でもそれは相手を憎むことが目的ではありません。再びその歴史が繰り返さないようにするためです。競い合うかのように対立の構図を作り出すのは、賢明とは言えません。しかし、私が見る限り、扇動やプロパガンダのような部分もあるのではないかと思います。」「韓国もベトナムで、非常に大きな過ちを犯したでしょう。ベトナム戦争に参加し、多くの無辜の市民に被害を与えました。だから私たちもベトナムへ行って謝罪し、そんな歴史を繰り返さないよう努めなくてはいけない。実際のところ、日本でもそうやっている方たちは沢山います。」
「より多くの人が研究して話し合い、二度と繰り返さないよう決意する。こうしてこそ問題が完結されるのではないかと思います。その意味で例えばドイツで行われているやり方は、とてもうまくいっているのではないでしょうか。彼らは過ちを二度と繰り返さないという誓いを繰り返しており、それは信頼に足るものです。私たち韓国と日本も、いずれそういう関係になれればいいと思います」


・57才 男 「ナヌムの家」(一部の元慰安婦女性が暮らす老人福祉施設)アン所長 
アンさんが目指すのは”正しい歴史”を取り戻すことだ。「日本に対して肯定的な考えも沢山ある一方で、歴史的に整理すべきことは整理しなくてはいけに。といってもそれは、誰かを捕まえて処罰しようということではありません。おばあさんたちを取れて行った人たちをつかめて処罰するとか、そんなことがいまの私たちにできるはずもないでしょう。そうではなく、事実を記録して”正しい歴史”を打ち立てる。これが私たちがやらなくてはいけないことなんです。」「1965年の対日請求権は朝鮮半島の植民地市販で発生した財産権を巡る問題についてであり、各地の戦場で発生した慰安婦の被害は含まない、また戦争犯罪に時効はないというのが私たちの立場です。しかし日本大使館の関係者とも非公式で3~4回は無しをしたことがありますが、彼らはおばあさんたちの請求権は1965年の国交正常化と同時に消滅したという立場で一貫していました。これでは話にならない。ではどうするかというと、第3国に知らせていくしかない。そこで2011年にアメリカのニュージャージー州に建てられた記念碑を皮切りに、グレンデール市をはじめ各地に建てられていったんです。」「日本はいま平和に暮らしていますが、例えばアフリカの内戦のように女性に対する人身売買や性暴力の被害は現代にも続いている問題です。以前ここを見学に来た外国人が「ナヌムの家」をベンチマークにして、アフリカで被害にあった女性のシェルターを運営している例もあります。そうした視点から考えた時、日本がいまからでも問題を認めて、”本当の謝罪”をすることには、大きな意義があると思います。そうしてこそ日本は国際社会から支持され、リーダーシップを発揮できるようになるのではないのでしょうか」


抜粋は以上

読んでみて、最後のアン氏は政治的な匂いも感じますが、他の方々は まじめで正直な人々という印象を受けました。まじめであるからこそ、教育やマスコミ報道によって知らないうちに常識が作られていきます。これは日本も勿論同じで、まじめにテレビニュースや新聞、政府発表を良く勉強する人ほど刷り込まれていくように思えます。日本人の方が、近代史を殆ど学習していないので、より刷り込まてやすいかもしれません。一方、韓国の人は、意外に冷静な見方をしているなという印象もありますね。

この本でインタビューを受けた人は、なんらか日本と関わりの深い人ばかりなので偏っているのだとは思いますが、それでも市民の感覚はこういう感じなのかという事が分かる面白い本でした。

今回の日韓問題も、政治とそれを煽るマスコミによって作られる劇の様な面があると思います。

韓国=約束を守らない国 という日本人の新常識にならんとしている感覚(マスコミや政府発表の記事から作られている)も、冷静に自分を見て行く必要がありそうに思いました。


【本】日本コンプレックス(1) 高月靖 バジリコ株式会社

副題が「韓国人の対日意識の深層」

この本で使う”コンプレックス”という単語は、「劣等感」ではなく「複雑な」の方の意味との事。

2019年1月末 発刊の本なので、この数ヶ月の輸出規制対立フィーバーの直前の若い世代から中年までの韓国人男女が、日本に対してどういう意識を持っているのかのインタビューの本です。

まずは、戦後から国交正常化を挟んで現在に至る過程の振り返りが載っています。
その部分を抜粋します。

歴史経緯

日本の敗戦=光復を経て朝鮮半島では朝鮮人民共和国が発足するが、米国はこれを否認し軍政を開始。やがて1948年8月及び9月に、それぞれ南の大韓民国政府、北の朝鮮民主主義人民共和国政府が樹立される。米軍政庁をバックに韓国で初代大統領に就任した李承晩は、それまで33年を米国で過ごした亡命家だ。
李承晩は日本統治時代の下級管史約7万人の対日協力者=「親日派」を行政の実務者として起用。一方で、反日ナショナリズムを政権のイメージ強化の手段としてアピールしつつ、日本を中心とした経済圏に韓国を組み込もうとする米国にも反発する。

そうした中、1951年より日韓国交正常化交渉が始まるが、対立が続き進呈がない。1960年4月 李政権の独裁政治、不正選挙に対する市民や学生の大規模な蜂起が発生し、李は退陣しハワイへ亡命した。

1961年5月に陸軍少将だった朴正煕を中心としたクーデターが起こり63年に大統領となる。朴は日本の陸軍士官学校を卒業した元帝国軍人。朴は反共と経済開発をクーデターの大義名分とした。経済開発の為に日本との協力を探りはじめた。
懸案とされた請求権問題は1962年10月、大平正芳外相との会談で妥結。、日本が有償及び無償の経済協力と民間投資を行う代わりに、両国間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」ことが確認された。一方で竹島問題を巡っては双方の主張が平行線のまま解決が見送られ、国交正常化後に話あう事で合意。朴は又、ベトナム戦争への派兵をして米国から累計10億ドル近い見返りを手にした。これらを土台に、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長へ突き進んでいく。

日本で観光目的の海外渡航が自由化されたのは1964年。韓国では1989年に完全自由化。こうした不均衡は1970年代に入り、日本人男性による買春ツアー=妓生観光としてクローズアップされていく。

朴は1979年10月暗殺され、又クーデターで全斗換が大統領に。全政権は、日本と両首脳の公式相互訪問を実現。

日本では1988年のソウル五輪をまたいで韓国ブームが起こる。
1988年に盧泰愚政権の民主化政権が発足。冷戦崩壊と共に日韓の結びつき圧力も弱まる。1993年からの金泳三政権では歴史認識問題(歴史教科書、靖国参拝、竹島、慰安婦)が新しい日韓の懸案事項として浮上。かつて強権的な政治体制下で「解決積み」とされてきた歴史認識のわだかまりが民主化によって溢れ出た格好。

1998年からの金大中政権では、歴史問題に区切りをつけて未来を志向する「日韓共同宣言」が署名された。しかし続く廬武鉉政権、李明博政権で竹島及び慰安婦問題が改めて争点化。両国の首脳がお互いに訪問しあうシャトル外交は朴槿恵政権から途絶えた。

これらの経緯を分かった上で、現在の韓国人の意識を色々聞いた。


・49才男 貿易会社経営キムさん
1960年代生まれの韓国人は祖父母が日本統治時代に青年期を過ごした世代。
「日本が嫌いという韓国人も沢山います。主な理由は歴史のせいでしょう。一定世代より上はそうした教育を受けたりもしましたし、その両親の世代が体験したことを直に聞かされたりしますから。どうしても拒否感を感じるんです。いまの40代以上がそうですね」
一方、キムさん世代は、日本に対して全く別の感情を抱いた人も少なくない。彼らが若者だった1980~90年代に韓国で日本文化ブームが沸き起こっていたから。その時代、キムさんはよく東京に遊びに出かけたという。日本文化と聞いて何を連想するか、韓国人に聞けばおおむね同じ答えが返って来るでしょう。マンガ、アニメ、映画、音楽、AV。

両国間の摩擦について。
「両国の政治家が、自分たちの立場のために韓日の問題を利用する傾向がありますよね。核の脅威をもてあそぶ北朝鮮、靖国参拝など日本の内政にいちいち干渉してくる韓国、、これらは政治家が作り出したプロパガンダなんですよ。それぞれの側が、こういた問題を政治的に利用している。その気になれば簡単に解決できるのに、お互いが問題化させ続けようとしている部分があると思います。韓国人が日本人と友人として会う時、普通はこうした問題は関係ありません。でも慰安婦問題とか歴史問題について話し合うとなれば、敏感にならざるを得ない。国民としての立場がありますから。そうなると宗教的な問題みたいで、もうどうしようもありませんよね」


・17~21歳 男 オタク少年たちの日韓関係 キム、シン、チェ、チョン、パクの5人
戦後は日帝残滓として排除が求められた韓国語中の日本語。だが最近になって新しくまた韓国に根付いた日本語もある。その代表例が「オタク」だ。5人の海外文化全般への関心に占める日本の比重がどれくらいか聞くと、キム 100%,シン50% ,チェ 80%。韓国では日本旅行が盛んに行われている事への認識は、手近に行けるし、安くいける、食事も口にあうからぐらいではないかとのこと。物価も安いし。

「アメリカのアニメに対して日本のアニメは雰囲気やイメージが理解できて、共感できる。例えば桜の花びらが舞うといったシーンも、韓国に似た情景がありますから。近くにあってよく似た国同士だから、日本アニメのほうが共感しやすいんだと思います。」
中国の印象は、「あまり好きではない」。

歴史問題について
慰安婦は気の毒と思うので取り上げて話題にする事自体は良いと思うが、韓国も自身がベトナムでやった事への謝罪も考えるべきだと思う。政治と国民や文化は分けて考えるのが良いのでは。「韓国の反日デモ?ほとんどないんじゃないですか。反日感情を持っている人はいますよ。でもだからって、日本人が嫌いというわけじゃない。慰安婦問題とかそういう問題に接して、ただ何となく日本が悪い。嫌いだと言っているだけ。周りがそういう感情を持っているから、ただ何となく自分も同調しているという人が多いんじゃないでしょうか」

2019年7月28日日曜日

【本】日本と朝鮮の100年史 和田春樹 平凡社

日韓の関係を理解していく上で、両国の近代史での関係をちゃんと知る必要があるなと思い。この本を手にとりました。2010年発行の本です。

この本の著者は東大名誉教授で、ロシア・ソ連史が専門。満州や北朝鮮もソ連下の話が多いので、必然的にそれらも調べて専門家になっていったとの事。マスコミ情報や一般的に流布されている情報からではなく、日本、韓国、北朝鮮、中国、そしてロシア・ソ連の内部文書などを学者として比較分析する事で何が起こっていたのかを解き明かしており、歴史の事実を知るには中立的にとても良い本ではと感じました。


これを読んで、私がいかに無知であったかを知り驚きました。
受験勉強で、近代史を年表的には見ているハズですが、全然 理解できていませんでした。

そういう流れの連鎖だったのか、、という事を書きだしてみたいと思います。


・1871明治4年 日本新政府は日清修好条規
これは、李氏朝鮮(朝鮮半島の王国)の宗主国の清と日本で対等条約を結んでおくため。
この当時 李氏朝鮮は鎖国状態。


・1876明治9年 日朝修好条規
江華島事件を起こし、朝鮮に不利な不平等条約。開国させた。
ペリーが日本にしたのと同じ事を、日本が朝鮮王国に対して行った。


・1885明治18年 天津条約(日本と清の間)
朝鮮王国内でクーデター勢力を日本が応援したした事件が幾つか起こり、清の朝鮮支配とぶつかる。
天津条約(日清両国兵の撤兵、出兵の時は相互に通知する)を締結。


・1894 日清戦争
日清戦争と言っても、日本と清が直接戦ったというよりも、朝鮮の支配権を清から日本が横取りしようとし起こしたという感じ。
朝鮮の内乱(東学党の乱)を鎮めるために、朝鮮から依頼があったという形で清が兵を送った。
天津条約を理由に、日本は頼まれていないのに出兵。仁川に上陸し、王宮に侵入し占領。
国王の父を擁立して、新政権を立ててクーデターを起こさせる。
国王と朝鮮新政府に「清から独立」「清の軍を追い出して欲しい」と日本に依頼せよと迫る。
結果、「清国からの独立」を宣言。追い出し要請は出されなかったが、勝手に日本軍は清軍を攻撃。
→日清戦争の勃発
平壌を落とし、南満州と中国の旅順まで日本が制圧。


・1895.4 下関条約 (日本と清)
日本の要求は、朝鮮から清の退去(独立を認めよ)、遼東半島、台湾の移管、賠償金。
但し、三国干渉(ロシア、ドイツ、フランス)により、遼東半島まで日本が取るのはダメという
横やりが入り、遼東半島は清に返却。

三国干渉で日本をヘコませたという事で、中国、朝鮮でのロシア株が上昇。
中国はロシアに満州に鉄道建設を許す。朝鮮は国王(高宗)と王妃(閔妃)がロシアに接近。


・1895.10 閔妃殺害、
高宗はロシア公館に逃げ込みクーデター。日本の朝鮮支配の企てが崩れる。
日本はロシアと交渉するも不調。但し、ロシアの関心が朝鮮にはあまり無いと理解した。


・1897  高宗は王宮に戻り、「大韓帝国」を宣言して皇帝になる。独立国を内外に示す。


・1900 中国の義和団事件があり、ロシア、日本含め連合軍が出兵して乱を鎮める。
ロシアは満州を占領。
ロシアが清の満州を取るなら、日本は朝鮮を取るという 満韓交換論が日本で出てくる。
高宗は中立国になりたいと考え、ロシアと組んで日本に承認を求めるが、日本は拒否。


・1902 日英同盟
日本がどこか(ロシアや朝鮮など)と戦争しても英は中立を守る。
もし第3国がロシア側について戦争になったら、英は日本側について戦争する。という内容
これを持って、日本はロシアと交渉。


・1904 日露戦争
韓国は中立を宣言していたが、日本は上陸しソウルを占領。
日韓議定書(日本の保護を受け入れる、日本の戦争に協力する、朝鮮の地は日本が戦争の為に接収しても構わない)に調印させる。
→日本が朝鮮を完全占領。
続いて日本軍は満州に入り、満州戦争、日本海海戦へ。


・1905 ポーツマス講和会議 (日本とロシア)
日本が韓国を完全に自由に処分する事をロシアに認めさせた。他に遼東半島、南満州、南樺太を割譲。
★司馬遼太郎の「坂の上の雲」などに出てくるロシアの脅威に立ち向かうための戦いというのは、虚構。当時のロシアはロシア革命の直前で弱体化しており、東征などの意思はなかった。


・1905 第2次日韓協約
韓国は全ての外交権を失う(日本が外交する)


・1907 第3次日韓協約
高宗は退位、全て内政を日本の統監握る事にした。


・1910 韓国併合条約に署名させる
韓国皇帝が統治権を日本天皇に譲与する。日本天皇は、これを受け取り併合に同意する。という内容。
→「大韓帝国」は消え、日本の植民地となる。


・第2次大戦
 1945.6  沖縄戦
 1945.7 ポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)米、中、英
 1945.8 広島原爆
 1945.8 ソ連対日宣戦布告
 1945.8 長崎原爆
  1945.8 ポツダム宣言受諾、
 1945.8.15 玉音放送
 1945.9 正式降伏


・1945.8.15  トルーマンがスターリンに朝鮮の38度線分割占領を提案


・1948.8  大韓民国成立(憲法に領土は朝鮮半島全土と記載)
  1948.9  朝鮮民主主義人民共和国成立(憲法に、首都はソウルと記載)
  大韓民国も北朝鮮もどちらも朝鮮全土制覇は目指して国作り。
 1949.10 中華人民共和国成立


・1950.6 朝鮮戦争
国力の高い北朝鮮の金日成がスターリン、毛沢東の事前承諾を得た上で韓国に進撃。半島武力統一を狙う。
北朝鮮を中国。ロシアが支援。地上では中国軍と米軍の戦い。空中ではソ連軍(パイロットはソ連、機体はミグ)と米軍の戦いになった。
(金日成はキリスト教徒、父のいる満州で行き中国共産党に入る。満州事変等 抗日武装闘争=パルチザン活動を行う。当時、ソ連・中国・朝鮮人が一緒になって抗日パルチザンをしていた。1945.5中国共産党朝鮮工作団団長。1945.9朝鮮の本山へ上陸)


・1953.7  朝鮮戦争休戦協定


・金正日
北朝鮮は設立の時から「抗日遊撃隊国家」というスローガンで来た。日本は戦っていくべく相手。
金正日の2人目の奥さんは大阪生まれの在日朝鮮人。
金正日の時代になって、遊撃隊国家から正規軍国家に変えて行った。狙いは強盛国家(政治大国、軍事大国、経済大国)。
開国方針に舵を切る。小国として大国の狭間を切り抜けて独立を保つのが自分たちの道だと考える。
小泉首相との会談。金正日は日本からのプラント導入をしたく国交正常化に持っていきたかった。拉致者5人を一時帰国させたが、日本は返さないかった(安倍晋三)。これで日朝断絶状態に。これは金正日の汚点になっている。2度目の小泉訪朝。今度こそはという感じだったが、今回も約束が覆る様な事になれば、もう小泉さんとは付き合えないという状態。しかし、持ち帰った横田めぐみさん遺骨のDNA鑑定が、警視庁は結果不明、帝京大学は別人という結果を出した。それで細田官房長官は他人と判断し、北朝鮮との関係を再度遮断した。(火葬した骨のDNA鑑定って本当に出来るのか??)
金正日からすると2度も小泉首相との約束が破られるという結果になったと見える。大きな政治的負担となった。
福田首相の時代になって、再度北朝鮮から交渉のアプローチがあったが、短命首相だったために実現しなかった。


以上 ですが、明治から昭和に於ける日本の朝鮮半島、朝鮮の人達に対して国が行った行為と大きな流れをしっかり理解してから、関係性を見る必要があると感じました。 
こういう歴史を理解している日本国民ってあまりいないのではないかと思いました。