2019年8月15日木曜日

【本】天ぷらにソースをかける日本人 斉藤隆 家の光協会

副題が”誰も知らない食卓の真実”。

NTTデータが、10年間以上も首都圏360世帯365日の食材データを収集した「食MAP」からの分析です。


私が大阪に就職して初めて行った時、寮の夕食に天ぷらが出た日があり、先輩寮生がソースをかけて食べているのを見て、衝撃を受けました。

関東育ちの私の人生で、天ぷら+ソースという組み合わせは想像外の出来事だったのです。 

恐る恐るまねして、ウスターソースをつけて食べてみると、それはそれでナルホドという印象でした。

ソースはそれまでブルドックの中濃ソース 一本で人生を暮らしてきましたので、大阪にてウスターソースとの出会いやおたふくソース、いかりソースという物の存在を知るなど、違う世界がそこには広がっていると感じたものでした。

(当時は、関東では”おたふくソース”というブランドは売っていなかったし、お好み焼き・たこ焼きも縁日フードというぐらいの印象しかありませんでした。この30年程の間の様変わりには驚きます)


それ以外にも、カレーにウスターソースをかけてから食べるという人もいる事にも驚いた事を覚えています。今では、私も外食カレーにソースをかけて食べる時もあります。


という事で、この本の表題に引き寄せられる様にして読んでみました。


どういう料理がどういうシーズンで家庭で食べられているかとか、人気メニューは何かなど面白い事が沢山でている本です。

主題である天ぷらにソースをかける出身地域は、中国地方生まれの夫婦では15~18%ぐらいがソースをかけています。四国地方も6~8%。北海道、感動、北陸、甲信越、東海地方は1%未満。東北、近畿、九州地方は1%ぐらい。との事。


寮の先輩は、中国地方文化の人だったのかもしれませんね。

これが分かったから、どうだ という話では無いのですが、何となく心の中で一区切りついた気がします。

2019年8月7日水曜日

【不耕起栽培の家庭菜園】不耕起での土作り 1年たって

昨春、突然 家庭菜園をしてみようと思い、庭の一部に土をいれてもらいました。

黒土なのだけれど、入れて3か月たっても変なキノコが少し生えるだけで雑草一本も生えない変な土。 雨が降ってガンガンに硬くなって、ショベルで手掘りが出来ないぐらいに硬い。虫もミミズも一匹もいません。


これを畑にするにはどうするか。普通だと とにかく耕して、肥料等をすき込んで、、という事になるのですが、たまたまその時期に読んだ不耕起栽培の本に惚れて、不耕起で土作りをしようと考えました。


3年ぐらいはかかるのだろうという前提を置いて、焦らずにやる事に。

結果、昨年に植えたトマトもナスも全然上手く育ちませんでしたが、今年は土がフカフカになって、トマトもナスもキュウリも非常に良く育っています。


1年でこんなに変わるものなんだという事を実感している毎日です。


この1年でやったことは、

エンバク(野生種)のタネを撒き、ビッシリ育てた事。
穂が付き始めたら、地際で刈って、刈った麦はそのまま地表面に置いておきました。
(地面に漉き込んだりはしていません)

又、クローバー(赤やクリムソン)のタネも撒いて、生える所はボーボーに茂らせて(エンバクの間は、エンバクに光が遮られて育たない)、大きくなったらこれも地上5cmぐらいの所で刈って、地表面に撒きました。

庭の選定枝の葉っぱや、雑草などもしっかり乾かしてから、畑の土の上にどんどん置いていきます。


地面の上の有機物は、半年ぐらいするとかなり腐食して消えていきます。
一方、小さな虫はだんだん現れてきました。

地面の下の根っこは、そのまま放置です。


エンバクの成長は3~4か月ぐらいなので、育てて、刈って、地面に敷いて1ヶ月待つ。
というサイクルを2回行いました。

すると、今年の土はエッと驚くほどサクサク(フカフカと言っても良い)になりました。地面を少し掘るとミミズもいます。

雑草も沢山 生えてきました。


昨年も上記をしながらその一部にトマトやナスの苗を植えたりしましたが、元気に育たず。虫の被害もひどかったです。


それが、今年はトマトもナスもキュウリも本当に良く成長します、肥料は本に書いてあるものの半分以下です。

雑草が増えて、虫やナメクジも沢山出ているのですが、それらに対しても抵抗力があるというか、全く負けません。(勿論 無農薬です)


こんなに、1年で変わるの?というのが実感です。 1年は辛抱ですが、自然の力を信じていたら土は変わるのだという事が良くわかりました。


不耕起栽培での土作りは3年が目安と思っているので、今年もできるだけ沢山の有機物を畑の表面に置くようにしていきたいと思います。作物の収穫が終わったら部分には、エンバクを又 生やしていこうと思います。雑草も地表5㎝で刈って、生きたマルチとしての活用を進めていきます。


来年はもっと良い土になっていくのではと楽しみです。


最終的な狙いは、無農薬、無肥料、本来の野菜の旨味を引き出す状態に持っていく事です。多品種、適量、多毛作にもしたいと思います。

不耕起は作業が少ないので、手間もお金もかけずに上記が出来る理想的なメソッドですね。

2019年8月6日火曜日

【本】韓国の中学校歴史教科書 三橋広夫 明石書店

この本は「国定韓国中学校国史教科書」の翻訳本とのことで、2005年に発刊されています。

日韓問題を理解する一つの材料として、どういう教育がなされているのかを垣間見えるかと思い見てみました。


ザっと目を通したのですが、先史の石器時代から2003年までが載っています。
殆どが政治がらみの話で、文化面などがあまり出ていない事と年表が少ない事にアレっと思いました。文化面は副読本があるのかもしれません。

日本の日本史の授業はXX年に○○の乱で誰それが、、というのがメインだった気がします(それはテストにしか関心がなかった私だけの印象?)。

それに比べて年号の記述は少ないなと思いました。一方で、誰がどういう考えで何をしたのか、それは政治外交的にはどいう意味を持っていたのかという事はかなり細かく書かれています。ですから、暗記教科というよりも、歴史の流れ理解教科なんだと思いました。


大陸の一部である朝鮮半島は、絶えず隣国との勢力争いで翻弄される歴史を持っていて、主権を誰がどう持ったのか、誰がどう横やりをいれて動いていったのかという事がずっと書かれています。 島国の日本に比べて、絶えずシビアな状況で暮らしてきたという事が分かります。


340ページぐらいの厚い教科書なのですが、日本でペリーが開国を迫った頃、朝鮮に対しても欧米が開国を迫っています。その明治維新ぐらいの事項のかかれているページが188ページ目。そこからの近・現代史で、教科書の半分弱を使っています。
日本の敗戦、大韓民国成立(1948年)は296ページ目になります。



朝鮮半島の中で分裂や統一という歴史がずっと続いてきますが、日本の朝鮮併合時代は、年表上「日帝強占期」という表現で翻訳されいます。


当たり前ですが、抗日の志士とその活動について詳しくかかれています。


民族の受難という章では、

・皇帝を強制退位させた日帝は、親日派を使い、日本に併合して欲しいという請願書を発表させた。これにより合邦条約を締結した。

・国権を強奪した日帝は憲兵警察統治をし、あらゆる政治活動を禁止。彼らの植民地支配におとなしく従う韓国人をつくる教育政策を推し進めた。

・3.1運動がおこると、韓民族の文化と慣習を尊重し、韓国人の利益を大事にするという、いわゆる文化統治を掲げた。しかし、このような日帝の新しい政策は親日派を養ってわが民族を仲たがいさせ、分裂させようとする狡猾な政策であり、韓民族の団結を抑え独立運動をくい止めようとする方針に変わりがなかった。

・土地の収奪を積極的に推し進めた。土地調査事業という事で、地主の所有権は認められたが、耕作権や開墾権など農民がもっていた各種権利は徹底して否定され大多数の農民の急速な没落をもたらした。

・産業の侵奪
日本の金融機関が入り、韓国人が会社を設立する時に必ず朝鮮総督の許可を受ける様に規定した。朝鮮人参、塩、タバコなどは専売制度を実施して朝鮮総督府の収入とした。莫大な森林も朝鮮総督府と日本人の所有となり、森林資源が略奪された。金、銀、タングステン、石炭などの鉱山と韓国沿岸の主要漁場も、日本人がほとんど独占的に支配した。こうして、日帝は韓国の産業に対する侵奪を積極的におし進め、韓国を大陸侵略の足掛かりとするため、鉄道を道路、港湾と通信などの施設を整えた。

・食料収奪  略

・民族抹殺政策
太平洋戦争に戦時動員体制を発動して、わが民族を戦場に動員した。日鮮同祖論を主張し、韓国語の使用を禁じ、名前までも日本式に変えるように強要。

・物的・人的資源の収奪
日帝の侵略戦争(太平洋戦争)によってわが国は戦争物資を補給する兵站基地に変わった。日帝は物資を生産するため韓半島に金属、機械、化学系統の軍需工場を建設し、鉄、石炭、タングステンなど地下資源の増産を促した。また、供出という名で食料ばかりか各種の物質を強制的に略奪した。戦争の終盤にはくず鉄、真鍮の器、さじとはし、くぎなど武器を作る材料は何であれ奪い、飛行機の燃料として使用するため松の皮をはがして松脂をとらせるまでした。
物的な略奪だけをほしいままにしたのではなかった。日帝は韓国人を強制徴用によって連行し、鉱山や工場で辛い労働を強要し、志願兵制度と学徒兵制、徴兵制を実施して多くの青年たちを戦場に追いやった。
日帝は女性たちも勤労報国隊、女子勤労挺身隊などの名で連行し、労働力を搾取した。さらに多くの数の女性を強制的に動員して、日本軍が駐屯しているアジアの各地域に送って軍隊慰安婦として非人間的な生活をさせた。
(軍隊慰安婦とは韓国、中国、フィリピンなど、日本の植民地や占領地で日本軍によって強制的に戦場につれていかれ、性奴隷の生活を強要された女性たちをさす言葉である。1930年代はじめから行われたこのような蛮行は、1945年に日帝が敗北するまで続いた)


朝鮮戦争後の韓日協定の所は、

朴政府は祖国の近代化を掲げ、工業化を第一の課題とする成長中心の経済政策を積極的に推し進めていった。また、民主友邦との結びつきを強化する一方、中立国と外交関係を樹立するため努力するなど、積極的な外交活動を展開した。そうして長い間宿題となっていた日本との関係を改善して韓日協定を締結し、ベトナムに国軍を派兵した。(賠償金の話はどは一切でていない。)


という感じで記載されています。


どの国も、自国から見た歴史、政権にとって都合の良い書き方をすると思うので、こういう記述になっている事自体は理解できます。
但し、この教科書で勉強した韓国の学生は、日本は極悪かつ、お詫びも補償も何もしていないと思っても無理はないです。


日本人からすると、日本国内で日本人に対しても同様な事が行われていたのでは、、という感想も持ちますが、他民族から強要されたというのは感じ方が全く事なるでしょう。そういう視点を持つことは必要ですね。


とにかく、韓国の歴史教科書は近代・現代史に比重を置いた書き方になっている事が最も大きな印象です。
今だ朝鮮戦争が休戦という形で継続している朝鮮の人にとっては、近代・現代は「歴史」ではないのでしょう。

【本】再考! 縄文と弥生 国立歴史民俗博物館・藤尾慎一郎 吉川弘文館

この本は2019年3月発刊のもので、最近できる様になってきた厳密な年代測定(C14)で分かってきた知見をもとに、縄文と弥生を見直すという内容です。


昔もC14を使った年代測定がされてきたのですが、分析試料が1g程度必要でしたのが最近は1㎎という少量で出来る様になり、試料のコンタミ(他の付着物)を排除できる様になってきたとの事。

それを元に、縄文物を調べると、今まで思われていたものよりもずっと以前の年代のものだった事などが分かって来た。


細かい学術的な記述が多いのですが、私がほーと思った事を書いてみます。

・今までは縄文は気温上昇と、それに伴う植物相の変化により縄文人が栄え始めたというのが定説でした。でも、最古の縄文土器はもっと以前の最終氷期時期にあたる事が分かってきた。

・弥生は稲作文化で、BC500年ぐらいからというのが我々が子供の時に習った歴史ですが、実はBC1000年~500年の間でも西日本では稲作が行われていた。

・朝鮮半島と北九州等との交流(貿易や人の行き来)は縄文の相当昔からあった。

・琉球諸島の古代人は、BC4000年ぐらいは島の高台(森)に暮らしていてタンパク質は貝や猪を取っていたが、BC5000年ぐらいからは貝と魚類中心の生活になった。AC1000年ぐらいのグスク文化時代では豚や鶏などが増えた。
これは、温暖化に伴って琉球諸島の周りに珊瑚礁が出来てきて、魚などが豊富になり、取り易くなり、浜辺に住居を移したからだと推測される。


学術上の分類や、資料の各種比較、朝鮮半島や他の世界との関連分析なども詳しく書かれていますが、私が感じたのは学校で習ったXX時代という区分がはっきりある訳ではなく、日本各地の自然も人も文化も徐々に色々と変化していったんだという当たり前の事。

変化の流れの中のある断面で議論されているけれど、宇宙、太陽系、地球の絶え間ない変化の中で必然的に起こった支流なんだという印象を得ました。

2019年8月5日月曜日

【本】美と楽の縄文人 小山修三 扶養社

久しぶりに国立東京科学博物館に行ってみました。

そこに、石器時代人、縄文人、弥生人の頭蓋骨と、そこからの復元顔モデルが展示されていました。

石器時代人の顔はまるでアテネの時代の目鼻立ちくっきりギリシャ人の様な印象。
弥生人は、中国人の印象の顔。
縄文人は、彫の深いハーフ美男美女顔。

縄文人や弥生人、江戸人などの等身大で着物も着た人形も展示されています。
縄文人は本当に簡素な服を着て、竪穴式住居に住んで、いかにも未開です。という感じ。


一方、火炎土器などを見ると、縄文人はデザインセンスに溢れている躍動感や、文化的余裕を感じます。 それと簡素服の展示がどうもシックリきません。

縄文人は実はもっと豊かで高度な暮らしをしていたではないのか? という疑問の下、この本を読んでみました。1999年発刊の本です。

ちょうど青森県の三内丸山遺跡の発掘で、縄文人に関する今までの認識が改まろうとしている時に書かれた本です。

面白いなと思った点を書き出します。


・縄文人の主食はドングリだった。ドングリを粉にして水にさらしてタンニンを抜き、それをパンの様にして食べていた。パンには山菜等の具を入れたオシャレなパンも作られていた事が分かっている。
ドングリは稲作よりも、うんと楽に収穫できるし貯蔵も効くので、労働はかなり少なくても暮らしていける。1週間山に出て働けば1年分の主食を蓄える事ができたはず。
あとはオカズの狩猟や採取をすれば良い。
だから、稲作の弥生人よりもゆとりがあった。

縄文土器は、鍋として使われた。「煮る」という事に使ったので鍋料理をしていた。
「煮る」料理法は、地球上で縄文人が初めて行った調理法。
酒を造るワイナリーも縄文人は持っていたらしい。


・建物も、博物館に展示したあるような竪穴式住居ではなく、中に中二階を作ってそこをベッドルームにするような設計建築をしていた可能性がある。
三内丸山遺跡では、明らかに35㎝単位での設計建築がされていて、高さも非常に高い建物や、大きな長屋の建物なども作られていた事が分かっている。
人口も三内丸山遺跡では数百人以上も住んでいる町だった。


・ファッションも、糸や皮の扱いが上手い縄文人なので、かなりファッショナブルな衣服を作っていたと思われる。Vネックやボートネックの服、ズボンなど。色もカラフル(赤や黒など)。装飾品も色々発掘されており、男も着飾っていた様子。


・ヒスイ球を使って貨幣として使っていた可能性あり。
出土品を見ると、遠方の地の物も沢山でてきており、貿易や交易がかなり盛んにおこなわれていた事が推測できる。
海外とのやり取りもしていただろう。航海術も出来ていたという事ですね。


・縄文人は多くが東日本~北海道に住んでいた。気温も現在から数度高く。温暖湿潤。
落葉広葉樹が多いので、ドングリなど沢山とれる。


・北九州の縄文人は、渡来人をベンチャー的に呼び込んだ可能性あり。
それにより、弥生初期、西日本の人口が30倍に膨れ上がった。



以上ですが、未開人と言うよりも、想像以上に優雅で科学的、文化的な生活をしていたのかもという気がしました。但し平均寿命は30才ちょっと位の短命です。

数度 温暖化している時代だと、西日本は豪雨や暑さで住みにくかったのもあったの
か、鬼界カルデラの噴火で壊滅的な打撃を受けたのかもしれませんね。


同時代に、中国では古代帝国の作りや戦争が始まったりしていますから、日本列島でも同じような民度で人々が暮らしていても当然ではあります。


ちなみに、DNA鑑定で縄文人と同じDNAを持っているというチベットの人の写真を見てみると、やっぱりハーフ的な顔立ちの人が多そうですし、色々な装飾品も付けていそうですね。



【政治】ホワイトリストから始まった日韓問題での素朴な疑問

ニュースを見ていると両国ともヒステリックな様相を示してきている様に感じます。

一般市民は報道された情報にしか接せる事ができないので、本当の事は何が起こっているのか分かりません。

でも、日韓のマスコミが触れない様にしているのでは、と思える素朴な疑問がいくつか湧いてきますので、書いてみます。


1.今回の日本が理由としている輸出管理上の見つかった問題について、具体的な説明が日本政府からされないのは何故か? 韓国側も、徴用工問題にすり替えてこの問題について一切話そうとしないのは何故か?

輸出管理の実務者間説明会は開かれましたが、その内容やその後の展開の報道が両国とも無いのは何故なのか?
米国が積極的うごこうとしないのにも理由があるのでは?


2.徴用工の問題において、日本政府は法律論争では負ける可能性が高いのに国際司法裁判所(ICJ)に持ち込もうとしているのは何故か?(負ける可能性が高いという内容は、「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明 」を読む限り)
韓国側も、法的にはICJに行けば勝てると思っていそうなのに、行こうとしないのは何故か?


3.レーダー照射問題に関する報道や政府による蒸し返しが、この時期にこれほど少ないのは何故か?


4.ロシアと中国の合同竹島上空飛行があったのは何故か? 北が短距離発射をいくつもするのは何故か?




ちなみに、勝手なシロウトの穿った見方をしてみると


1と3は連動しているのかも。韓国と北朝鮮の間で公にできない関係があり、かつ米国がそれを今は隠したい何かがある?


2は、主観的な「真の謝罪がされていない」という言い方でいつまでも問題化しようとする韓国に対して、第3者の判断を入れて決着をつけようと安倍首相は考えているのかも。たとえ裁判で負けても、その賠償等を行えばそれ以上は韓国がむし返せない状況を国際的に作れるという事か。韓国としては、今後 政治的に使えなくなるのは困ると考えている??


4は、日本との関係が悪化した韓国に対して、北朝鮮にはロシアと中国というバックがしっかりついているぞというのを見せつけ、周りは敵だらけという孤立化を感じさせる事を狙っているのかも。となると、次は何らかの融和作戦を北は韓国に出してくるのか。


いつか、今回の騒動の真相が歴史として分かる日がくるのでしょうか?

2019年8月3日土曜日

【本】仏教・神道・儒教 集中講座 井沢元彦 徳間書店

日韓問題に関係する儒教の教えとはどういう物なのか知りたくて、この本を読んでみました。すると、仏教も神道についても、全然 分かっていなかった事を知り、愕然。この年になってそうだったのか、、と。


私にとってポイントと思えた点を書き出してみます。


『仏教』
・仏教は一神教ではなく自由な考え方をする。その為に同じ宗教でありながら、その中に正反対の考え方をそのまま包含してしまっている。これは仏教の大きな特徴。

・お釈迦様は生きり事は苦しみ(生、老、病、死)から逃れられないと考えた。
 四苦八苦は上記4つの苦しみに、愛別離苦、怨憎会苦、五蘊盛苦、求不得苦の4つが加わって八苦となった。

人間が苦しむのは執着するからだと気が付いた。執着が苦しみを生むのは、この世のことはすべて無常だから(諸行無常)。あらゆるものは必ず滅びていくが、それをまるで永遠に存在するかのように錯覚して守ろうとしたり続けようとしたり執着するから苦しみが生まれる。だから、全ては無常である事を認識する事が大切でそれを「悟り」と呼んだ。

無常を悟り煩悩の炎を消した状態を涅槃という。(これが転じて死んで煩悩に執着しなくなる事も涅槃という様になった)

もう一つの考え方が「輪廻転生」。生命は永遠。もとは古代インド哲学。六道という形に整理されて天道(天上界)、人道(人間界)、修羅道、畜生道、餓鬼道、地極道という順に存在する6つの世界で転生する。天上界に行ったとしても生きている事になるので苦しみから逃れる事は出来ない。その輪から抜け出すのが「解脱」。

悟りを開き人間を超えた優れた者になれば、輪廻の輪から解脱できると考えた。悟りを開いた人間を「如来」あるいは「仏陀」と呼ぶ。

・お釈迦様の仏教は基本的に個人の救済を目的にしたもので、個人が悟りを開かなければどうにもなりません。ですから、どうしても出家して修行をする主義となります。

それに対して、沢山の人間を悟りの方向に連れて行く事ができる大きな乗り物の様な仏教を目指すという「大乗仏教」という考えが後に出て来た。これは出家しなくても良いというもの。 そして、今までの仏教を侮蔑的に「小乗仏教」と呼んだ。
(これは、キリスト教徒がイエスを信奉するあまり、同じ聖書でもイエスの言葉が乗っているのを「新約」と言いて、それ以前の神の言葉が載っている聖書を「旧約」と言ってバカにするのと同じ発想)

・それまではお釈迦様は尊敬すべき先輩という事でしたが、大乗仏教では「お釈迦様を拝め」となった。それは、お釈迦様の超人的な力にすがって助けてもらおうという思想だから。(でもお釈迦さまはそんな事は言っていない、、)

大乗仏教は、それは方便であると言って、色々仏典を創作していった。そういう仏典の頂点にあるのが「法華経」(みょうほうれんげきょう)。

大乗仏教では釈迦以外にも如来が居る事にした。その中で、阿弥陀如来は「多くの人を救える事」という誓いをして如来になったとお経に書いてある。救い方は、「我を十念すれば」私はあなたたちを私の支配する極楽浄土(輪廻転生から外れた世界)に生まれ変わらせてあげる。とのこと。 浄土は全ての仏様にある(仏国土)が、「極楽」と言った場合は阿弥陀さまの浄土を指します。

阿弥陀さまを信仰すればまずは極楽浄土に生まれ変わる。これを「往生」と言う。そして往生してから、仏国土で修行して、最終的に仏陀になる。これが「成仏」。凡人には自力修行での悟りは難しいので、お釈迦様の力、つまり他力をに頼って往生して、そこで修行して仏になるという二段階のプロセスを経て悟りを開くのです。(他力本願)

阿弥陀信仰は日本に浄土教として入ってきた。「南無阿弥陀仏。」
最澄の天台宗はお経の総合大学。比叡山延暦寺。
空海の真言宗はお経になっていない口伝=密教を教えるという宗派。高野山金剛峯寺。

やっぱり他力本願は違う。自分で修行して悟りを開くべきとの考えが禅宗を生んだ。曹洞宗。
一方、親鸞はお経を読まんでも「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで良いとした。でも、これは法華経以外は全部偽物だという意味にもなる。太鼓をたたきながら大声で唱える。創価学会。

鎌倉時代の仏教大衆化に伴い、日本独自の大きな変化「本時垂じゃく説」が生まれる。日本の神道の神と仏様は実は同じものなのだ、、という説。これにより神仏混淆の状態になり、大き神社には必ず寺があり、神官とお坊さんでそれぞれユニフォームは違っていても、実は同じ人が管理していたのです。

この神仏混淆状態が崩れるのは明治になってから。欧米の一神教が迫って来るのに対抗する為に、無理やり神道を切り離して「国家神道」を作り、多くの仏教寺院を焼き払う廃仏毀釈を行いました。

寺も大きな武装兵力を持ち利権をむさぼるのが当たり前の時代が続いていたが、信長が比叡山焼き討ちで武装解除し、以降 寺は丸腰になった。

徳川家康は檀家制度を導入して、寺を役所の一部として機能するように政策に組み込んだ。これにより300年。仏教は惰眠をむさぼった。そのため、葬式の時にしか一般の人と接点がないようなものに堕落してしまっている。
日本の仏教は危機的状態が続いている。


『神道』
神道は分かりにくい。それは、聖典が無いという事と、「本来の神道」と明治政府によって無理やり作られた「国家神道」という二つの別物があるから。一般国民はこの違いを殆ど理解していない。

神道は基本的に多神教なのだが、「国家神道」は欧米に対抗する為に日本人がある意味で一神教的に強化させた神道。無理やり一神教的な強化をしたので、それまでにない神道になってしまった。

本体の神道は、全ての宗教の中で排他性、独善性が最も少ない宗教です。でも国家神道は一神教の影響を受けているのでどうしても排他的、独善的になる傾向がみられます。

神道は卓越しているものを祭る。良い神も悪い神も。悪い神も丁寧にお祭りすれば機嫌を直して善なる神に転化するというのが神道。徹底的な性善説とい言われる事もある。
菅原道真は理不尽な扱いをされて恨みの神となったが、それを祭ったのが天満宮。

現生肯定の神道、現世否定の仏教(諸行無常)。
聖徳太子の十七条憲法では第1条が「和」になっている。「和」は仏教にも儒教にもなく。古来神道の考え方。
そして、「穢れ」 とそれを取り除く「禊」と「祓い」。

国家神道は、一神教に対抗する為に天皇を押し立てて行こうという事にした。そこで、日本中の神社をすべて国家の統制下に置き、国家の機関として、その神を祭る地位のトップに天皇を据える事にしたのです。これは明らかにローマ法王を意識していると思いますが、天皇はこの世の神 現人神であって、すべての日本人はそれを信仰しなければならないとしました。戦前の軍隊は、天皇を守る事が日本の文化を守る事であり、国を守る事であり、国民を守る事だったのです。天皇と国民は一体であるというかたちをもって、西洋の原理に対抗しようとしたわけです。


『儒教』
ルーツは先祖崇拝。
”位牌”というのは儒教の考え方。仏教ではない。(仏教は輪廻転生なので位牌は使わない。)
孔子が先祖崇拝というものを一つの体系にまとめたもの。関連して、儒教には、どんな場合でも子孫を絶やしてはいけない、という思想がある。(先祖をお祭りする人がいなくなってしまうから)もし養子を取るなら男系からとらなければいけない。

もう一つの特色は「得」というものを重んじる事。個人が得をもって身を修める。次にそのことを拡大し、個人が所属する家族を整える、家庭が整えばその集合体である国が治まり、天下が平たくおさまる。という考え方。

儒教で最も重要な第1義は「考」(子供の親に対する忠節)。
民間の物語では、親の為に自分の子を殺すのは正しいという事としている。それが「考」。そして、「和」という考え方は無い。あるのは、
「義」:臣下の祝に対する忠節。主君が道徳に背く行為をしていたら、いさめなければならない。
「悌」:弟の兄に対する忠節


儒教では、賊というのは、どこまで行っても賊なのです。死んでも埋葬してはいけない。先祖崇拝なので死んで魂になっても個性はかわりません。その為、罪人として死んだ人間は、未来永劫「罪人」なのです。


抜粋は以上。

仏教に関してはかなり細かい説明がある本ですが、儒教に関しては自分の意見を沢山書いてある本という印象でした。

もう少し、他の本等で勉強が必要そうです。