2018年10月16日火曜日

【本】マンモスを再生せよ ベン メズリック 文藝春秋

この本は、今年の7月に発売された翻訳本です。

読んでいて、非常に恐しくなりました。怒りも覚えます。

ハーバード大学で現在進行中のプロジェクトの「ノンフィクション小説」です。

ハーバードの天才教授ジョージ チャーチ氏とその研究グループが主人公。バイプレーヤーとして韓国のファン ウソク生命工学研究所所長が登場します。全て、実在の人物です。

大まかなストーリーは、ヒトゲノム全読み取りプロジェクトを推進、成功させたチャーチ氏が、最新の遺伝子工学を用いて、アジアゾウをベースに、絶滅したマンモスの性質を発現する人造細胞を作り、新マンモスを創り上げようとして推進しているプロジェクトの話です。

つい、数ヶ月前も 現実のネットニュースでこのプロジェクトの話題が日本でも流れていました。

新マンモスを作り、温暖化により永久凍土が溶け始めてメタンガスを大量放出するツンドラを、地面を踏み固める事等で地温を下げてメタン放出を回避しようという「氷河パーク」構想の為との事。

韓国のファン氏はES細胞の論文ねつ造事件で、大きく評判を落としたが、今はクローン犬ビジネスを10数年前から始めている。そして、ロシアで発見された保存状態の良いマンモス死体から細胞を取り、マンモスをクローン再生させようと現在取り組んでいるとの事。

この本が、フィクション小説ならば昔のジュラシックパークを読んだ時の様な、非常に面白いスペクタクル小説として楽しめると思います。

ですが、これは「ノンフィクション」。

チャーチ氏の業績は、ノーベル賞級の科学界にインパクトを与える内容なのだとは思います。ただ、彼がやっているのは 人造細胞⇒人造生物 を作るという事。
(「合成生物学」と言うらしい)

いみじくも彼が言っている様に、遺伝子を読むのではなく、彼は遺伝子を書き、組み込むのが仕事との事。

人に移植可能な臓器を持つ豚を作るという応用も研究しているとの事ですが、このマンモスプロジェクトは全くニュータイプの動物を作りそれを野に放して野生化させようという物。

不妊の蚊を作って、マラリア予防をしようという様な取り組みは既に世界で行われていますが、それらは人間の為。

でも、この新マンモス創造プロジェクトは、新生物を作る為の行動です。”温暖化対策の為”というのは自分達が研究開発をするための「大義名分」なだけに見えます。

韓国のファン氏の話も、私には同じぐらいのショックでした。

既に、クローン犬が商業的に作られて売買されているとの事。 
亡くなったペットを悲しむセレブから注文を受けて、500~1000万円/匹程度でクローンを作って売っています。

有名なバーブラ・ストライサンドさんはクローン犬2匹を飼っている事を公表しているらしい。

今年の1月 中国ではサルのクローンが作られて、人間もクローンできる技術レベルになったと公表されました。

でもきっと、非公表でクローン人間も既に出来ているのではと感じられます。どこかの国はやっていると思います。

チャーチ氏、ファン氏を 私はマッド科学者だと思いますが、たとえ彼らが存在しなくても、きっと他の誰かが同じ事を始めるのだろうと思います。
そういう時代になって来ていると考えなくてはいけません。

この本の解説を 東京工業大学の准教授が書いていますが、彼はこの本に書かれている行間のとてつもなく大変な実験に感心したり、最先端科学だとして「この現代生物学の光と闇との両面を自分事として考えることが、合成生物学という新たな時代に否が応でも突入する人類の幸福につながると信じている。」としています。

彼はゲノム合成国際プロジェクト(Genome Proj.-write)に参画し、チャーチ氏とも面識があるとの事で、遺伝子を「書き込む」研究をしているらしく、

この流れを止めようとはせず、光と闇を分かっていながらも進めようとする 科学自己中心主義だと思いました。

過去も、こういう考え方が 核兵器や、化学兵器、ネット闇社会を作ってきていると感じます。 

この本を読んで、 またか という想いと、「可能だが、やってはいけない」と止められる理性を今回こそは働かせないといけないという危機感で 気持ちが重くなってしまいました。

人間がこんな領域に踏み込んでも良いのか、、、マッドサイエンスなのではないか

多くの人に読んで、知ってもらいたい本です。

2018年9月30日日曜日

【本】沖縄生活誌 高良勉 岩波新書

沖縄にはまだ行った事がありません。
ニュースやバラエティなどで沖縄の事を聞く事は多いので、一度は訪れてみたいと思っています。

戦争、青い海とサンゴ礁、独特の文化や食べ物、縄文、政治に苦しめられている事、言葉など 沖縄という名前からは沢山の切り口が連想されます。

そこに住む人はどういう気持ちで、どういう風に暮らしているのか知りたくて、この本を読みました。13年前の本なので今は更に変化しているのだと思いますが、近代史や伝統も含めて沖縄の人の気持ちを少し知る事が出来た気がします。

琉球から連なる歴史の中でたまたま今は「沖縄」という立場になっているという理解が必要だと感じました。

正月から12月まで、季節季節の伝統行事等を含めてどういう楽しみ方、過ごし方をして来たのかがつづられています。

幾つか思った事を書きだしてみます。

日本復帰前と後では、伝統行事などがかなり変わってきてしまっている。

家族や知り合いをとても大事にして、助けあって生きていくしくみがあった。

それらは、地理上 日本、中国、米国などに植民地化されて圧政に耐えてき(自治・自立を奪われてきた)た歴史から生まれた知恵なのだろうと感じる。

基地問題を語る章の中に、沢山の米軍起因の事件や事故が多く、”その被害者の圧倒的大多数は、子どもであり女性たちなのです。
もし、「今日の日本は日米安保条約や在日米軍基地のおかげで繁栄している」と言う人がいたら、その人は沖縄の女性や子どもたちを米軍の生贄にしてきた歴史的事実を直視すべきです。”
”これでは。「沖縄差別政策」の表れだと批判されてもしかたがありません。”
という文があり、心に刺さりました。

一方、八重山諸島は近代にブラジルなどと同様に「開拓団」が派遣されて開かれていったとの事。

又、宮古諸島は沖縄島の琉球王国に併合されていったという歴史があり、近年まで宮古出身者は「宮古差別」に苦しめられてきたとの事。

人間というものは、差別の連鎖構造がどこまでも続くのだろうか、、と思わざるを得ません。

沢山の風習やそれに連動する食べ物や唄、踊りなどが紹介されています。

例えば、エイサー。
今は日本全国で踊られていますが、元々は沖縄のお盆行事の一つだったそうです。

”お盆につきものなのが、青年団によるエイサー踊りです。男子青年は歌・三線や太鼓と踊り、女子青年は踊りという役割構成でした。青年団はムラ中の家を一軒一軒廻り、その庭で祖霊をなぐさめ一家の繁栄を祈り、踊りを奉納するのです。したがって「仲順流れ」と「酒二合」の曲による踊りが必ず演じられました。
そのお礼に、青年団は各家庭からお酒と餅やご馳走をいただいていました。”

それ以外にも、島唄や沖縄芝居などもその背景が良くわかります。

この本を読んで、本来は南国の楽園として暮らしていけれても良いはずの沖縄諸島ですが、哀しさが先に立ちます。

誰かに不都合を押し付け合うのではなく、もっと皆が生きやすい社会に日本は進化変化させてていければと思います。

2018年9月23日日曜日

【本】緑の哲学 農業革命論 福岡正信 春秋社

「わら一本の革命」の内容をもう少し分かり易く、具体的に書いた本だと思いました。

農業を「経済」の商品と見る世の中の考え方が道を踏み外す大本になっていると喝破されています。

福岡さんを知りたかったら、まずはこちらの本から入るのが分かり易そうです。

【本】わら1本の革命 福岡正信 春秋社

世界の砂漠を粘土団子で緑化して、各種の賞を受賞された人という事を知って、福岡さんの本を読んでみました。

不耕起栽培を徹底して追及し、米と麦を無肥料、無農薬、不耕起で大量収穫できる手法にたどり着いた方です。

麦わらを地面にバラ撒いておいて稲を栽培し、収穫前に麦の種もバラバラと撒いていく。
刈り取った稲からでた稲わらを今度は地面に撒き、そこで麦を育てる。麦の収穫の前に稲の籾をバラバラ撒き、、 という事を繰り返していくらしい。

クローバーで地面を多い、窒素も根粒菌で土に入れていく。

福岡氏は、農薬や肥料やトラクタなどを使う「科学的農業」は、自然の力を阻害する悪い環境を作り、それへの対症療法ばかり追いかける間違ったやり方だと断じています。

人間が自然をコントロールするのではなく、人間は自然の一部だという事で生きるのが正しいという思想。国民が全員小さな農業をして、自分達の食べる分だけ作るという事を提唱しています。

私には全く違和感のない話でした。

農業というよりも、人類の生き方について真正面から問う本だと思います。

【美術】ミケランジェロと理想の身体

上野の国立西洋美術館で企画展示されている表記展示を見てきました。

国立西洋美術館は以前から大好きな美術館で何回も訪れた事があります。

特に、常設展のロセッティやルノワールの絵画、ロダンの考える人等はお気に入りでした。

今回は、企画展を見てから常設展という順番で回りました。


いきなりミケレンジェロの彫刻群を見て、その肌のすべすべ感、筋肉や脂肪、筋・骨の表現に圧倒されました。

硬い大理石を削ってこういう造形を作れるという事にまず感動。

彫刻を360度グルリと回り、表も裏も、見上げたり近づいたりしてジックリ見ました。

その技術の高さ、精緻さに加えて、圧倒的な迫力や存在感が伝わってくる事にビックリしました。

殆どは男性の裸姿(子供から老人まで)の彫刻の数々です。筋肉の表現という意味では男性の方が興味深かったのでしょうか。

理想的な美しい顔の彫刻という所では、男にも女にも見える中性的な顔が作られていました。

ルーブルで見た、古代ギリシャのミロのビーナス等も美しさや精緻さはかなりな物でしたが、このミケランジェロの像からは、「力」や「勢い」、「動き」が感じられます。

時々、ミケランジェロが描いた絵画も展示されていますが、やはり2次元のものと3次元のものでは伝えられる迫力が全く違うという事をとても良く感じられました。

ミケランジェロが、「自分は彫刻家であって画家ではない」と言っていた意味がハッキリ分かりました。

ミケランジェロの「デルフォイの巫女」は私の最も好きな絵画の一つですが、ミケランジェロはそれを本当は彫刻で作りたかったのではないかと思います。

これを見てしまってから常設展に行くと、ロダンの像が粗っぽい作品に見えてしまいました。絵画達も、2次元の限界を感じるだけの見学になってしまいました。

恐るべしミケランジェロの彫刻。

この企画展を見てしまった事が、今後の自分にとって幸せだったのか(今後 絵画を楽しめなくなる?)悩みつつ帰ってきました。


2018年9月21日金曜日

【本】幕末・維新 井上勝生 岩波新書

大河ドラマ「西郷どん」がいよいよ大詰めになってきました。

そこでの各出来事の描き方が、史実とかなり異なる筋書に演出されている様に感じて、図書館でこの本を借りて読みました。

日本人は幕末や明治維新は学校で習いますが、どういうつながりや意図でそれらが行われていたのかは、当然ながら明治新政府の視点からの歴史を教わっている事になります。

又、一般の人は小説や劇、ドラマ等で幕末・維新のあたりの話を沢山聞かされていて、坂本竜馬や西郷隆盛などアイドルの様に刷り込まれているキャラもあります。

小説やドラマは作者は人気を呼ぶためのフィクションの演出をしている事が多いと思いますが、その作品があまりに有名になってしまい、その小説に感化された次世代の人が、それを信じてドラマを作ったり、、という連鎖が起こり、いつの間にか人々の間にそれが真実の常識かの様に定着してしまうという事が、TVや映画、ネット情報などが普及した近代では頻繁に起こっている様に思われます。

それに、輪をかけているのは政府や企業などがしかける世論誘導、市場喚起の為の情報刷り込み。

この本は、学校で習ったりドラマで見せられて作られてきた幕末・維新の構図を、ガラガラと崩壊させて、本当はどうだったのか?と考えさせられる本と言えましょう。

攘夷を強行に主張しながらも、幕府や周りの人の圧力に弱く、勅令内容が左右にブレる孝明天皇。

勤王と言いながら、偽の詔勅を天皇の威を借りたり、軍事圧力やクーデターで朝廷を脅迫して従わせようとする政治家志士や公家。

実は外国からの植民地化の意思が弱かったにも関らず、それを強大な海外からの危機と煽り立てる手法。

そこには、実にドロドロとした政治駆け引きと偶然の差配が重なった結果としての歴史があるという事が分かりやすく書かれています。

もしかしたら、明治新政府とならずに徳川慶喜大統領制による国の運営が続くという事になっていたとしても、それはそれで今の日本とあまり変わらない姿になっていたのかもしれないという気にもなります。

歴史に関して、誰の話が真実なのかは判断できませんが、この本に書かれている姿は、今の日本の政治家や企業がやっている事と余り変わらない姿であり、リアリティを感じます。

NHKの大河ドラマは、今の日本では日本史の知識を大衆に植え付ける媒体である事は間違いないと思いますので、多様な説の番組を作ってくれれば良いのにと思ってしまいます。(少なくとも、明らかな嘘演出は止めて欲しい)

元となる脚本が無いとドラマは作れないのだと思うので、司馬遼太郎と異なる史観での娯楽ヒットコンテンツを誰かが作らないといけないのでしょうが。

2018年9月16日日曜日

【マーケティング】コードブルー 

この夏 コード・ブルーの劇場版が上映されてヒット中です。

私もこの番組は大好きなので、公開すぐに見に行きました。

大きな映画ホールでしたがギッシリの満員。
本当に老若男女という観客で、すごく愛されているんだなと感じました。

公開前に、若手フェロー達の日常という短い番組を毎日放映したり、主要キャストがバラエティー番組に出たりして、フジテレビが力を入れて盛り上げようと仕掛けていました。

私はそういうプロモ番組は見なかったのですが迷い無く映画館に足を運びました。

見え透いたプロモは、ドラマが折角作ってきたリアル感や誠実感を 損ねてしまう気がして、下手な広報宣伝という印象を持っていました。

映画は内容が濃いし、よく伏線も考えられていて面白く、大ヒットを続けているとの事。

見終わった後、きっとこのドラマ・映画の続編が作られるとしても数年先なのかな、、寂しいなという思いを持ちながら帰りました。

1ヶ月経って、忘れかけていた時。エンドロールの完全版をHPで公開したというニュースが飛び込んできました。 

藤川。冴島結婚へのビデオメッセージの拡大版です。

それが良く出来ていて、各メンバーの性格をしっかり思い出させる。今も彼らは実在して活動している 感を持たせる出来でした。

特に、緋山先生の存在感は凄い。

どうしても、彼らにもう一度会いたくなって昨日 再度 映画が見に行ってしまいました。

人生で同じ映画を2回見に行くというのは初めての経験です。

上っ面な宣伝よりこのエンドロール特別編公開は、愛されているキャラ、世界にもう一度 会いたい、、という気持ちを起こさせるスゴイ効果を発揮したと思います。
映画館も満席でした。

マーケティング手法としても、素晴らしいと感嘆しました。きっと、この作品と世界感を本当に愛している人だから出来たのではないでしょうか。