著者は明智光秀の子孫。
企業の情報システム分野の仕事をしていたが、その経験を活かして「歴史捜査」を展開し、通常の歴史研究とは一味違う 証拠からの理詰めの推理を展開している。
2013年12月が初版の文庫ですが、これが出た時は歴史家の間ではかなり注目を浴びたものらしいです。
学校の歴史や、大河ドラマで見る本能寺の前後や、その後の秀吉や家康の動きで、なんとなくしっくりこない部分を感じていましたが、この本の説は、ナルホドこういう事だったのかもしれないな、、一般の人が知っていると思っている「歴史」は「誰かに作られた歴史」というのはよく有りそうな事と感じました。
面白い説です。
なんとなく、しっくり来ていなかったのは、
・百戦錬磨だったはずの光秀が、勝つシナリオ無しで
クーデターを起こすはずがないのでは?
・秀吉の中国大返しは、やはりとても無理のある行動に
思える。特に、姫路城で全ての金を皆に分配したとい
うのは、なぜ?
・そんなに信長に恩義を感じていた秀吉であるならば、
その後に織田家に対する冷遇は異常。最初から明確
なシナリオがあった様に思える。
・千利休の殺され方が、やはり不自然。
など。
この本の説では、これらにツジツマが合う。
いつでも、どの国でも 流布される歴史は そのまま信じるのは危険と思いますが、日本史にもそれがあってもおかしくありませんね。
面白い本です。歴史好き、戦国時代好きの方にはぜひ読んでもらいたい一冊です。
2017年7月21日金曜日
2017年7月16日日曜日
【娯楽 映画】忍びの国
映画 忍びの国 を見てきました。
忍者好きなのです。
アクション特撮として、少林サッカーを見た時ののようなバカバカしさと面白さを感じました。
ただハッピーエンドでなかったのが残念。
ハッピーエンドなら面白い娯楽映画と迷わずに言えたろうにと思います。
少し中途半端なシリアス感が残念。
嵐の大野さん含めて役者の方はは良い味出してます。
知念さんの役はちょっと内容不透明で可哀想。
大野さんはこういうトボケタ役にピッタリですね。
史実も意識するなら、この合戦後に伊賀者は家康の所に逃げ込んで庇護され、本能寺の変の時の伊賀越えや、後の安土城火つけで借りを返したという所まで描くと良いのにとも思いました。服部半蔵にも繋げられないかな。。
これは、続編で作ってもらえると良いのに。。
楽しい愉快作である事は、マチガイ無しですね。
忍者好きなのです。
アクション特撮として、少林サッカーを見た時ののようなバカバカしさと面白さを感じました。
ただハッピーエンドでなかったのが残念。
ハッピーエンドなら面白い娯楽映画と迷わずに言えたろうにと思います。
少し中途半端なシリアス感が残念。
嵐の大野さん含めて役者の方はは良い味出してます。
知念さんの役はちょっと内容不透明で可哀想。
大野さんはこういうトボケタ役にピッタリですね。
史実も意識するなら、この合戦後に伊賀者は家康の所に逃げ込んで庇護され、本能寺の変の時の伊賀越えや、後の安土城火つけで借りを返したという所まで描くと良いのにとも思いました。服部半蔵にも繋げられないかな。。
これは、続編で作ってもらえると良いのに。。
楽しい愉快作である事は、マチガイ無しですね。
2017年7月15日土曜日
【本】なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか(3) 伊藤剛 光文社新書
・戦争のイメージ
一般の人は、映画やドラマ、ニュース映像などにより刷り込みがされている。
刷り込み自体は、常識や定説という形で色々ある。例えば信長の本能寺の変。明智光秀の個人的恨みから、、という様なイメージがドラマや小説などから作られているが、実際は違ったのではという、現在歴史家の間で議論になっている事などもある。
戦争では、ユダヤ人虐殺の「シンドラーのリスト」、ベトナム戦争の「プラトーン」などの映画がヒットした。
これで、その戦争を知った人も多いだろう。
でも、これらの「作品」を作るには巨額の金がかかる。それを回収できるようなスジダテでないといけない。
世界に発信される多くの戦争映画は、巨大な資本によってバックアップされた物であり、私たちが抱く戦争のイメージというのは、それらによって形成される。実際はかなり偏っていると言わざるをえない。
実際の最近の戦争では、無人機の使用が増えている。操縦しているのは生身の人間だが、操縦場所は戦地から遠く離れたアメリカ国内の空軍基地にあり、そこでは無人機パイロット達がモニター画面を見つめながら、キーボードやコントローラを操作する事で爆撃が行われている。
無人機パイロット達の日常は、「毎朝、基地郊外にある自宅で家族と食事を済ませ、マイカーで出勤。
フライトスーツに着替えて屋内にあるリモート操縦席に乗り込む。数時間のアフガンの戦場での偵察や戦闘を繰り広げ、勤務が終われば、そのまま子供のサッカーの試合観戦に出かけたりする」
サイバー戦争も同様。
この様に戦争の実態は、どんどん変化している。それを我々は知っておく必要がある。
・正義と平和は両立しないことがある
既に始まっている戦争を和平合意に持っていくには。(紛争解決人の伊勢崎さんの話)
「そもそも和平合意をする時に、争っている双方が「平和の価値」を見出して自ら銃を置くなんていう事は絶対にない。平和構築はそんな生易しいものではない。
国を破壊し、大勢の人間を殺し、生きたまま手足を切断するような、単に殺害する以上に残酷な事までした戦争を終結させるものは何なのか。
それは、武器を手放す事でどんな利益を享受できるのかという「利害調整」です。
僕が担当した武装解除も、人を殺した兵士たちに「恩赦」を与えていく行為です。
アメリカを批判するのは勿論簡単ですが、一方で少しでも早く戦争を終結させる方法が他にあったのかと言われれば、確かに無かったのだと思います。しかし、あくまで「正義」を犠牲にして作った「平和」なのです。」
・平和経済
軍事産業による戦争経済はあるが、平和産業や平和経済というものはまだ無い。防衛ではない「戦争予防産業」を作る事が必要な時代にきている。
以上
一般の人は、映画やドラマ、ニュース映像などにより刷り込みがされている。
刷り込み自体は、常識や定説という形で色々ある。例えば信長の本能寺の変。明智光秀の個人的恨みから、、という様なイメージがドラマや小説などから作られているが、実際は違ったのではという、現在歴史家の間で議論になっている事などもある。
戦争では、ユダヤ人虐殺の「シンドラーのリスト」、ベトナム戦争の「プラトーン」などの映画がヒットした。
これで、その戦争を知った人も多いだろう。
でも、これらの「作品」を作るには巨額の金がかかる。それを回収できるようなスジダテでないといけない。
世界に発信される多くの戦争映画は、巨大な資本によってバックアップされた物であり、私たちが抱く戦争のイメージというのは、それらによって形成される。実際はかなり偏っていると言わざるをえない。
実際の最近の戦争では、無人機の使用が増えている。操縦しているのは生身の人間だが、操縦場所は戦地から遠く離れたアメリカ国内の空軍基地にあり、そこでは無人機パイロット達がモニター画面を見つめながら、キーボードやコントローラを操作する事で爆撃が行われている。
無人機パイロット達の日常は、「毎朝、基地郊外にある自宅で家族と食事を済ませ、マイカーで出勤。
フライトスーツに着替えて屋内にあるリモート操縦席に乗り込む。数時間のアフガンの戦場での偵察や戦闘を繰り広げ、勤務が終われば、そのまま子供のサッカーの試合観戦に出かけたりする」
サイバー戦争も同様。
この様に戦争の実態は、どんどん変化している。それを我々は知っておく必要がある。
・正義と平和は両立しないことがある
既に始まっている戦争を和平合意に持っていくには。(紛争解決人の伊勢崎さんの話)
「そもそも和平合意をする時に、争っている双方が「平和の価値」を見出して自ら銃を置くなんていう事は絶対にない。平和構築はそんな生易しいものではない。
国を破壊し、大勢の人間を殺し、生きたまま手足を切断するような、単に殺害する以上に残酷な事までした戦争を終結させるものは何なのか。
それは、武器を手放す事でどんな利益を享受できるのかという「利害調整」です。
僕が担当した武装解除も、人を殺した兵士たちに「恩赦」を与えていく行為です。
アメリカを批判するのは勿論簡単ですが、一方で少しでも早く戦争を終結させる方法が他にあったのかと言われれば、確かに無かったのだと思います。しかし、あくまで「正義」を犠牲にして作った「平和」なのです。」
・平和経済
軍事産業による戦争経済はあるが、平和産業や平和経済というものはまだ無い。防衛ではない「戦争予防産業」を作る事が必要な時代にきている。
以上
【本】なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか(2) 伊藤剛 光文社新書
・メディアの言う「公正中立」はメディアの専門用語
保田裕之氏の著書では、【報道するという行為自体がすでに主観的ではあるのだが、商品(報道、ニュース)が売れる(広く受け入れられる)為には、「中立性、客観的」という加工を施さなければならないのだ。
つまり、「中立性、客観的」という単語は、文章作成や情報加工する上での”技術的な問題”であり、一般的な「平等・公平」というような意味とは異なり「メディアの専門用語」として理解すべきものなのである。】
メディアの言う客観性は、数学や物理で言うものと全く異なるもの。
・「大衆」から「群衆」への変化
群衆の定義:
過激に走りやすい、衝動的である。暗示に弱い。
同一化する。服従する。など
同一化
「おかしいな」と首をかしげつつも、思わず正しい判断
を捨て、「間違った多数者の判断」に同調していく。又は、
社会的な権威を持った少数者に頼る。(医者や弁護士、
科学者など)
服従の心理 ーー有名なアイヒマン実験ーー
「記憶と学習に関する研究」に参加するという事でやって
きた人を2人ペアにして、白衣の教授が1人を先生役、もう
一人を生徒役に任命する。各々別の部屋に分かれて、先生
役から生徒役に問題を出し、回答させる。生徒役は電極に
繋がれ、回答を間違えたら先生役が電流を流すスイッチを
押す。電流は弱から”危険・過激な電流”まで30段階のス
イッチがあり、だんだん増やしていく。スイッチを押され
ると、ある強さからは生徒役の苦しむ声や「もうやめてくれ」
という声が先生役に聞こえる。(実は生徒役は全てサクラ
で、電極は付けずに、声だけ出して演技している)。スイ
ッチを押すのを先生役がためらうと、教授に押すように
言われる。 実験の結果、約6割の先生役の人間が”危険な
最大値”までスイッチを押した。
これは、以下の理由が考えられる。
①人は権威(白衣を着た教授)から与えられた役割を果た
そうとする。
②(教授との)約束に対する「一貫性」を持とうとする。
③自分で決定したことではない。という気持ちを持つ。
この実験で、一定の条件下では「普通の平凡な市民」でも
冷酷で非人道的な行為を行う事が証明された。
ただ、4割の人は実験の途中で降りた。こういう行動が出来る人が増えれば、「多数の判断」にしていく事が出来ると信じたい。
・平和を教育する。
歴史の「共有化」 2007年 ドイツとフランスでお互いの高校で「共通歴史教科書」が使われることになった。キッカケは、ドイツ・フランス友好条約40周年に両国の約500人の高校生たちが、時代に合った教科書を作る様に政府に提案した事。
両国から歴史専門家が数名づつ選ばれて完成させた。ドイツ語版、フランス語版とも全く同じ内容で、”特にユダヤ人虐殺のホロコーストについては、ドイツの視点だけではなく、世界がどのようにこの出来事に向き合っているのかが詳細に示されているのだという。
共通教科書を使っているドイツ人生徒は次のような感想を述べている「フランス人のものの見方が分かるので、相手をより理解できるようになりました。
相手の考えを理解すれば、戦争はより起こりにくくなると思います。
この教科書で学ぶことで2度と戦争が起こらないようになる、とまでは断言できませんが、相手への理解が深まるのは確かです。」
ヨーロッパでは、現在EU全体の共通教科書の実現に向けた取り組みも始まっているという。
これが出来た背景には、政治レベルでの良好な関係構築への努力があった。
平和教育に於ける国家の役割というのは、「教育レベル」で国民に何かを学ばせるかを決めることではなく、他国との関係を構築する「外交レベル」の方がより重要な意味を持っている。
以下 3につづく。
保田裕之氏の著書では、【報道するという行為自体がすでに主観的ではあるのだが、商品(報道、ニュース)が売れる(広く受け入れられる)為には、「中立性、客観的」という加工を施さなければならないのだ。
つまり、「中立性、客観的」という単語は、文章作成や情報加工する上での”技術的な問題”であり、一般的な「平等・公平」というような意味とは異なり「メディアの専門用語」として理解すべきものなのである。】
メディアの言う客観性は、数学や物理で言うものと全く異なるもの。
・「大衆」から「群衆」への変化
群衆の定義:
過激に走りやすい、衝動的である。暗示に弱い。
同一化する。服従する。など
同一化
「おかしいな」と首をかしげつつも、思わず正しい判断
を捨て、「間違った多数者の判断」に同調していく。又は、
社会的な権威を持った少数者に頼る。(医者や弁護士、
科学者など)
服従の心理 ーー有名なアイヒマン実験ーー
「記憶と学習に関する研究」に参加するという事でやって
きた人を2人ペアにして、白衣の教授が1人を先生役、もう
一人を生徒役に任命する。各々別の部屋に分かれて、先生
役から生徒役に問題を出し、回答させる。生徒役は電極に
繋がれ、回答を間違えたら先生役が電流を流すスイッチを
押す。電流は弱から”危険・過激な電流”まで30段階のス
イッチがあり、だんだん増やしていく。スイッチを押され
ると、ある強さからは生徒役の苦しむ声や「もうやめてくれ」
という声が先生役に聞こえる。(実は生徒役は全てサクラ
で、電極は付けずに、声だけ出して演技している)。スイ
ッチを押すのを先生役がためらうと、教授に押すように
言われる。 実験の結果、約6割の先生役の人間が”危険な
最大値”までスイッチを押した。
これは、以下の理由が考えられる。
①人は権威(白衣を着た教授)から与えられた役割を果た
そうとする。
②(教授との)約束に対する「一貫性」を持とうとする。
③自分で決定したことではない。という気持ちを持つ。
この実験で、一定の条件下では「普通の平凡な市民」でも
冷酷で非人道的な行為を行う事が証明された。
ただ、4割の人は実験の途中で降りた。こういう行動が出来る人が増えれば、「多数の判断」にしていく事が出来ると信じたい。
・平和を教育する。
歴史の「共有化」 2007年 ドイツとフランスでお互いの高校で「共通歴史教科書」が使われることになった。キッカケは、ドイツ・フランス友好条約40周年に両国の約500人の高校生たちが、時代に合った教科書を作る様に政府に提案した事。
両国から歴史専門家が数名づつ選ばれて完成させた。ドイツ語版、フランス語版とも全く同じ内容で、”特にユダヤ人虐殺のホロコーストについては、ドイツの視点だけではなく、世界がどのようにこの出来事に向き合っているのかが詳細に示されているのだという。
共通教科書を使っているドイツ人生徒は次のような感想を述べている「フランス人のものの見方が分かるので、相手をより理解できるようになりました。
相手の考えを理解すれば、戦争はより起こりにくくなると思います。
この教科書で学ぶことで2度と戦争が起こらないようになる、とまでは断言できませんが、相手への理解が深まるのは確かです。」
ヨーロッパでは、現在EU全体の共通教科書の実現に向けた取り組みも始まっているという。
これが出来た背景には、政治レベルでの良好な関係構築への努力があった。
平和教育に於ける国家の役割というのは、「教育レベル」で国民に何かを学ばせるかを決めることではなく、他国との関係を構築する「外交レベル」の方がより重要な意味を持っている。
以下 3につづく。
【本】なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか(1) 伊藤剛 光文社新書
カバーの本文抜き書きには、”もしも、 目の前に「戦争」と「平和」と書かれた2つのカードが並べられたとして、「どちらを選びますか?」と問われたら、きっと多くの人が「平和」のカードを選ぶのではないだろうか。
にもかかわらず、世の中から「戦争」がなくなったことは一度もない。
戦争を始めるのはたいてい権力者ではあるが、それを拡大させていくのは私たち大衆心理の影響も大きいと思うからだ。そこに難しい政治的な知識や判断はきっとはたらいていない。”とのこと。
この本を読んで、戦争と平和に関して色々な気づきを得る事が出来ました。 気になった点を紹介したいと思います。
・言葉に対するイメージ
グーグル画像検索をすると、「戦争」は誰でも同じ様な戦闘や武力の画像が出る。殆どの人が同じ様なイメージを持つ。
一方、「平和」では鳩やピースマーク(日本と世界ではマークが違う)などが、バラバラ出て統一的なイメージが無い。
・「積極的平和」
世界では、”戦争だけでなく貧困や搾取、差別などの構造的な暴力が亡くなった状態”を意味する。
英語ではPositive peace.安倍政権の「積極的平和」は、彼は英語ではProactive contributorto peaceと言っている。逐語訳では率先して平和に貢献する存在となるが、欧米の軍事ではProactiveは「先制攻撃」のニュアンスで使われる言葉。日本国内向けと、海外向けで言葉のマジックを使い与えるイメージを変えている。<言葉の悪用ですね>
・昔から「権力者は言葉を言い換える」ことをしている。
侵略→進出 全滅→玉砕 敗戦→終戦 占領軍→進駐軍
福島第1原発事故では、
事故→事象 汚染水→滞留水 老朽化→高経年化
PKO派遣では
兵站→後方支援
・「遺憾の意を表す」というのを良く聞くが、
辞書によると、「謝罪」の意味は全く含まれていない。
個人的に残念 と言っているだけ。
・権力者の法則ー戦争シナリオの作られ方
戦争プロパガンダの共通法則
①我々は戦争をしたくない
②しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
③敵の指導者は悪魔の様な人間だ
④我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命の為に
戦う
⑤我々も誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざ
と残虐行為におよんでいる
⑥敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
⑦我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
⑧芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
⑨我々の大義は神聖なものである
⑩この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
・「ナイラの証言」
イラク戦争の時、クエート政府が大手PR会社に金を払い、全くの作り話「ナイラの証言」を作った。これにより、アメリカは戦争に入っていった。
・権力者とメディア
ラジオの登場で瞬時に情報が伝わる様になった。
ヒトラーはメディアの影響力に早くから注目。
まず全国民1人に1台のラジオ所有を目指して受信機の生産に力を入れた。それを安値で提供。首相になった当初からヒトラー政策の中心にあったのは経済政策。
高速道路などの大規模公共事業
「各家庭にフォルクスワーゲンを」自動車産業を促進
ヒトラー就任後に失業率は激減。GDPも右肩上がり、さらに「歓喜力行団」と呼ばれる国民に様々なレジャーを楽しませる組織を作り、客船による旅行やコンサートなどを安い値段で提供した。そうやって国民の圧倒的な支持を獲得していく中で、ナチスの思想を広めていった。
ラジオでは「何度も同じフレーズを連呼」し国民の頭に刷り込んでいく。
右腕のゲッペルスは軍にもプロパガンダ部隊を作り、多くの戦場で映画クルーの様に撮影、編集して、自国の映画館で上映させた。ゲッペルスの表現手法は「娯楽と感動」こそが人々を国家的行動に駆り立てるというもの。
・戦争にPRという商売がある。
CNNやNYタイムズ、米3大ネットワークなど国際メディアにいかに自らの主張を取り上げてもらうかの戦いをしている。
・PRと広告の違い
広告はCMや看板などの広報場所の枠を売る。PRはこの「枠」を使わずに、世の中にも情報を届ける戦略を考える。
事実に反する「ねつ造」はしてはならないが、メディアのニュースバリューの基準に照らして「情報を切り出す」例えば、ボスニア戦争で「民族浄化」という言葉を作って、セルビア人=悪 というイメージを人々に固定した。
以下 2につづく
にもかかわらず、世の中から「戦争」がなくなったことは一度もない。
戦争を始めるのはたいてい権力者ではあるが、それを拡大させていくのは私たち大衆心理の影響も大きいと思うからだ。そこに難しい政治的な知識や判断はきっとはたらいていない。”とのこと。
この本を読んで、戦争と平和に関して色々な気づきを得る事が出来ました。 気になった点を紹介したいと思います。
・言葉に対するイメージ
グーグル画像検索をすると、「戦争」は誰でも同じ様な戦闘や武力の画像が出る。殆どの人が同じ様なイメージを持つ。
一方、「平和」では鳩やピースマーク(日本と世界ではマークが違う)などが、バラバラ出て統一的なイメージが無い。
・「積極的平和」
世界では、”戦争だけでなく貧困や搾取、差別などの構造的な暴力が亡くなった状態”を意味する。
英語ではPositive peace.安倍政権の「積極的平和」は、彼は英語ではProactive contributorto peaceと言っている。逐語訳では率先して平和に貢献する存在となるが、欧米の軍事ではProactiveは「先制攻撃」のニュアンスで使われる言葉。日本国内向けと、海外向けで言葉のマジックを使い与えるイメージを変えている。<言葉の悪用ですね>
・昔から「権力者は言葉を言い換える」ことをしている。
侵略→進出 全滅→玉砕 敗戦→終戦 占領軍→進駐軍
福島第1原発事故では、
事故→事象 汚染水→滞留水 老朽化→高経年化
PKO派遣では
兵站→後方支援
・「遺憾の意を表す」というのを良く聞くが、
辞書によると、「謝罪」の意味は全く含まれていない。
個人的に残念 と言っているだけ。
・権力者の法則ー戦争シナリオの作られ方
戦争プロパガンダの共通法則
①我々は戦争をしたくない
②しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
③敵の指導者は悪魔の様な人間だ
④我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命の為に
戦う
⑤我々も誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざ
と残虐行為におよんでいる
⑥敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
⑦我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
⑧芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
⑨我々の大義は神聖なものである
⑩この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
・「ナイラの証言」
イラク戦争の時、クエート政府が大手PR会社に金を払い、全くの作り話「ナイラの証言」を作った。これにより、アメリカは戦争に入っていった。
・権力者とメディア
ラジオの登場で瞬時に情報が伝わる様になった。
ヒトラーはメディアの影響力に早くから注目。
まず全国民1人に1台のラジオ所有を目指して受信機の生産に力を入れた。それを安値で提供。首相になった当初からヒトラー政策の中心にあったのは経済政策。
高速道路などの大規模公共事業
「各家庭にフォルクスワーゲンを」自動車産業を促進
ヒトラー就任後に失業率は激減。GDPも右肩上がり、さらに「歓喜力行団」と呼ばれる国民に様々なレジャーを楽しませる組織を作り、客船による旅行やコンサートなどを安い値段で提供した。そうやって国民の圧倒的な支持を獲得していく中で、ナチスの思想を広めていった。
ラジオでは「何度も同じフレーズを連呼」し国民の頭に刷り込んでいく。
右腕のゲッペルスは軍にもプロパガンダ部隊を作り、多くの戦場で映画クルーの様に撮影、編集して、自国の映画館で上映させた。ゲッペルスの表現手法は「娯楽と感動」こそが人々を国家的行動に駆り立てるというもの。
・戦争にPRという商売がある。
CNNやNYタイムズ、米3大ネットワークなど国際メディアにいかに自らの主張を取り上げてもらうかの戦いをしている。
・PRと広告の違い
広告はCMや看板などの広報場所の枠を売る。PRはこの「枠」を使わずに、世の中にも情報を届ける戦略を考える。
事実に反する「ねつ造」はしてはならないが、メディアのニュースバリューの基準に照らして「情報を切り出す」例えば、ボスニア戦争で「民族浄化」という言葉を作って、セルビア人=悪 というイメージを人々に固定した。
以下 2につづく
2017年6月25日日曜日
【心と身体・本】サブリミナル・インパクト 下條信輔 ちくま新書
この本の説明書きは「現代社会は過剰な刺激に満ちている。
直接快楽を刺激する音楽と映像。
絶え間なくメッセージを投げかけるメディアやコマーシャル。
それらは私たちの潜在脳に働きかけて、選択や意思決定にまで影を落とすが、私たちはそれを自覚しない。」というもの。
著者は現カリフォルニア工科大学の知覚心理学の教授。
心身体の関係を分かりやすく説明してくれると共に、その関係を使った人心操作(操縦?)がどう行われつつあるのかを教えてくれます。
騙されたくないですから、彼らの手口を知るのは良い防御方法でしょう。
この本は非常に盛り沢山な内容ですが、その一部を書いてみたいと思います。
・習うより馴れろ
新しい事を習う時、最初は色々な動きを意識して身体を細かく制御します。
それは前頭葉が感覚野、運動野、連合野を使って行うのですが、だんだん馴れるとそのプログラムが小脳に移されます。そうなると、考えなくとも出来る様になるとのこと。
つまり、潜在意識で対応できる様になります。
人間の行動の多くは実は潜在意識が行っているという事は他の本にも書かれていました。潜在意識は人間にとって非常に重要な存在です。
・消費者は自由か
広告はだんだんと潜在意識に刷り込む事を狙うものが増えている。
簡単なものは、何度も見せるという事で刷り込みの条件つけをしている。
又、最近はお勧め商法も流行っている。(ネットなどでは、あなた向きのお勧め!というのが山の様に出てきますよね。私はキライです)
ここで問題なのは、お勧め商品以外には目が行きにくくなってしまう、つまり選択肢がやんわりと(しかし現実的に)狭められている点。
売りたい側に都合の良いように選択肢を管理制御しています。
テレビや新聞・雑誌などの紙媒体では、広告と記事や番組の中身が混じらせるボーダーレス広告やインフォマーシャル、ドラマーシャルなどもどんどん増えてきています。
現代コマーシャルの戦略は、「狭める」「誘発する」「気づきにくくする」の3つ。
これにより、消費者が自らの自由意志で企業側の望む選択をしてくれるという構図が見事に成立するとの事。
・政治に於いて 無意識への働きかけ
政治でも大衆誘導が沢山行われています。
例えば、自衛隊の海外派遣という具体的な問題を考えてみると、政府が国民の同意を混乱なく、すみやかに取り付けたいと考えたとします。
あえて中身が曖昧なままでも、とりあえずの大義名分に大筋の合意だけ取りつけてしまう。
そうすれば、細部や具体的な法整備にも合意を得やすくなるかもしれません。
そこには「最初のコミットメントに愛して後の行動の首尾一貫性を保つ」という潜在心理のルールが働くからです。
又、最近の米国では、セキュリティ=国防=愛国という反応図式が政治的に使われています。
イスラム原理主義=テロリストというステレオタイプと相まって、ますます戦略的に利用されている観があるのです。
繰り返しタイミングよくこのチャンネルに働きかけられると、この「愛国」反応図式はますます人々の情動・認知過程に刷り込まれ、思考や批判が停止してしまう恐れもあります。
虚構の恐怖や危機を煽り立てて、それが1週間後に誤報だったと撤回されたとしても、恐怖心を潜在意に刷り込む事には1週間で十分で、これらの怪しげな発言や情報が訂正されても完全に記憶から消え失せる事はなく、世論に一定の持続的影響慮力をもってしまいます。
日本でも戦後の世論は、理想主義的な平和志向がきわめて根強かったはずです。
特に平和憲法の維持「ノイローゼ」と、国防、自衛隊の海外派遣などに対する「アレルギー」が、失言と訂正の繰り返しの中で、いつのまにか効果的に「治療」されてきた経緯も思い出されます。
メディアは簡単に印象操作をする事も出来る。
政府とつるんでさらに効果的にあおりたてるもことも。
・快適という名の制御
現代の「快適」という言葉は「さりげない制御」と同意なのではないか。
実際、若い世代の政治に対する態度や、コマーシャリズムに踊らされていつると知りつつ受け身の自由を謳歌する態度。そういう態度を見ていると、こう思わないではいられません。
かくのごとく、「自由」は「快適」に取って代わられつつあります。かつて盤石の重石だった自由が、希薄化し拡散していくのです。
以上
この本は2008年出版の本ですが、現実はこの本で警鐘している通りに、さらに加速して進んでいる様に思えます。
露骨にマスコミも含めて世論操作しようとしている安倍政権やトランプ政権。北朝鮮も同様ですね。
ネットビジネスもどんどんエスカレートしている様に思います。
自分が見て聞いている情報が、心理操作されているものかを絶えず気にしながら暮らさなければならない社会というのは、本当に悲しいものだと感じます。
直接快楽を刺激する音楽と映像。
絶え間なくメッセージを投げかけるメディアやコマーシャル。
それらは私たちの潜在脳に働きかけて、選択や意思決定にまで影を落とすが、私たちはそれを自覚しない。」というもの。
著者は現カリフォルニア工科大学の知覚心理学の教授。
心身体の関係を分かりやすく説明してくれると共に、その関係を使った人心操作(操縦?)がどう行われつつあるのかを教えてくれます。
騙されたくないですから、彼らの手口を知るのは良い防御方法でしょう。
この本は非常に盛り沢山な内容ですが、その一部を書いてみたいと思います。
・習うより馴れろ
新しい事を習う時、最初は色々な動きを意識して身体を細かく制御します。
それは前頭葉が感覚野、運動野、連合野を使って行うのですが、だんだん馴れるとそのプログラムが小脳に移されます。そうなると、考えなくとも出来る様になるとのこと。
つまり、潜在意識で対応できる様になります。
人間の行動の多くは実は潜在意識が行っているという事は他の本にも書かれていました。潜在意識は人間にとって非常に重要な存在です。
・消費者は自由か
広告はだんだんと潜在意識に刷り込む事を狙うものが増えている。
簡単なものは、何度も見せるという事で刷り込みの条件つけをしている。
又、最近はお勧め商法も流行っている。(ネットなどでは、あなた向きのお勧め!というのが山の様に出てきますよね。私はキライです)
ここで問題なのは、お勧め商品以外には目が行きにくくなってしまう、つまり選択肢がやんわりと(しかし現実的に)狭められている点。
売りたい側に都合の良いように選択肢を管理制御しています。
テレビや新聞・雑誌などの紙媒体では、広告と記事や番組の中身が混じらせるボーダーレス広告やインフォマーシャル、ドラマーシャルなどもどんどん増えてきています。
現代コマーシャルの戦略は、「狭める」「誘発する」「気づきにくくする」の3つ。
これにより、消費者が自らの自由意志で企業側の望む選択をしてくれるという構図が見事に成立するとの事。
・政治に於いて 無意識への働きかけ
政治でも大衆誘導が沢山行われています。
例えば、自衛隊の海外派遣という具体的な問題を考えてみると、政府が国民の同意を混乱なく、すみやかに取り付けたいと考えたとします。
あえて中身が曖昧なままでも、とりあえずの大義名分に大筋の合意だけ取りつけてしまう。
そうすれば、細部や具体的な法整備にも合意を得やすくなるかもしれません。
そこには「最初のコミットメントに愛して後の行動の首尾一貫性を保つ」という潜在心理のルールが働くからです。
又、最近の米国では、セキュリティ=国防=愛国という反応図式が政治的に使われています。
イスラム原理主義=テロリストというステレオタイプと相まって、ますます戦略的に利用されている観があるのです。
繰り返しタイミングよくこのチャンネルに働きかけられると、この「愛国」反応図式はますます人々の情動・認知過程に刷り込まれ、思考や批判が停止してしまう恐れもあります。
虚構の恐怖や危機を煽り立てて、それが1週間後に誤報だったと撤回されたとしても、恐怖心を潜在意に刷り込む事には1週間で十分で、これらの怪しげな発言や情報が訂正されても完全に記憶から消え失せる事はなく、世論に一定の持続的影響慮力をもってしまいます。
日本でも戦後の世論は、理想主義的な平和志向がきわめて根強かったはずです。
特に平和憲法の維持「ノイローゼ」と、国防、自衛隊の海外派遣などに対する「アレルギー」が、失言と訂正の繰り返しの中で、いつのまにか効果的に「治療」されてきた経緯も思い出されます。
メディアは簡単に印象操作をする事も出来る。
政府とつるんでさらに効果的にあおりたてるもことも。
・快適という名の制御
現代の「快適」という言葉は「さりげない制御」と同意なのではないか。
実際、若い世代の政治に対する態度や、コマーシャリズムに踊らされていつると知りつつ受け身の自由を謳歌する態度。そういう態度を見ていると、こう思わないではいられません。
かくのごとく、「自由」は「快適」に取って代わられつつあります。かつて盤石の重石だった自由が、希薄化し拡散していくのです。
以上
この本は2008年出版の本ですが、現実はこの本で警鐘している通りに、さらに加速して進んでいる様に思えます。
露骨にマスコミも含めて世論操作しようとしている安倍政権やトランプ政権。北朝鮮も同様ですね。
ネットビジネスもどんどんエスカレートしている様に思います。
自分が見て聞いている情報が、心理操作されているものかを絶えず気にしながら暮らさなければならない社会というのは、本当に悲しいものだと感じます。
【本】宇宙少年 野口聡一 講談社
少年向けの本ですが、宇宙に出た時のとても素敵な印象が書かれていますので、抜き書きしてみます。
以下 抜粋
宇宙船のハッチを開けて、初めて宇宙空間へ泳ぎ出た瞬間。僕を包んだのはそれまで感じたことのない静けさでした。
宇宙には空気がありません。
空気がなければ、音もしません。
そういうことは知識として知っているけど、実際に宇宙に行き、本物の無音を経験してみると、想像以上の驚きが走りました。
「ここは命が存在しない場所だ」。そんなふうに、僕の身体は感じました。
本能が危険を察知し、シグナルを発しているのが分かります。
宇宙服を着ているから大丈夫だとはわかっていても、本能は反応するんです。
「音がない」ということ、ただそれだけのことが、これほど鮮やかに感じられるとは!
予測したり想像したりすることと、体感することとの間には、じつに大きな開きがあるものなのだと思い知りらされました。
知っているつもりでいたけれど、本当には知らないこと。世の中にはそういうことが山ほどあります。
僕は宇宙飛行士として長い間訓練を積んできました。
宇宙で撮影された地球の写真ももちろん何枚も見てきました。
ですから地球が美しいということは、写真を通してよく知っていたはずでした。けれども宇宙に出て気が付きました。僕は知っている「つもり」だったのだと。
広い宇宙にぽつんと浮かんでいる、宇宙服を着た僕。その僕に向き合うように、地球はありました。 大きくて、丸い地球。
ゆっくり回転し、青く、白く、輝いている。ここの生命があるんだ!と主張しているような、力強さを。
命の気配がしない宇宙空間のなかで、地球だけが大きく光り輝き、生きているよと訴えているのです。
そのとき僕と地球は、対等な1対1の存在でした。
地球を見つめている僕と同じように、地球もまた、宇宙のただなかにひとりで存在している。
「地球さん、こんにちは」。僕はそう呼びかけたくなりました。
地球は僕と同じ、ひとつの命だ。僕も地球も、同じように宇宙に浮かんでいる。
そう実感したら、地球が親しい友達のように思えました。
ふるさとも、思い出も、家族も友達も、なにもかもがあの地球のなかにあるんだ。
僕はそこで暮らし、そこで死ぬ。僕は間違いないく地球の一部だ。
命は地球で生まれ、地球に戻る、、、。
こんなこと、わざわざ宇宙に行かなくてもわかる人もいるでしょう。
でも僕は、宇宙に出てみなければわかなかった。
地球が「いきもの」であることや、同時に広大な宇宙のなかのひとつの「もの」であること。
そして自分自身も地球に属する小さな「いきもの」で、宇宙を構成するひとつの「もの」であること。
地球をひとつの生命体として感じ、こんなふうにいのちを実感するなんて。
それは、頭で理解するというより、感じてわかる、という体験でした。
以上
最近、ネットで調べて、「何でも分かったつもり」になってしまいがちな事を自分でも感じていたので、この野口さんのみずみずしい体験記は、忘れていた事を思い出させてくれた気がしました。
以下 抜粋
宇宙船のハッチを開けて、初めて宇宙空間へ泳ぎ出た瞬間。僕を包んだのはそれまで感じたことのない静けさでした。
宇宙には空気がありません。
空気がなければ、音もしません。
そういうことは知識として知っているけど、実際に宇宙に行き、本物の無音を経験してみると、想像以上の驚きが走りました。
「ここは命が存在しない場所だ」。そんなふうに、僕の身体は感じました。
本能が危険を察知し、シグナルを発しているのが分かります。
宇宙服を着ているから大丈夫だとはわかっていても、本能は反応するんです。
「音がない」ということ、ただそれだけのことが、これほど鮮やかに感じられるとは!
予測したり想像したりすることと、体感することとの間には、じつに大きな開きがあるものなのだと思い知りらされました。
知っているつもりでいたけれど、本当には知らないこと。世の中にはそういうことが山ほどあります。
僕は宇宙飛行士として長い間訓練を積んできました。
宇宙で撮影された地球の写真ももちろん何枚も見てきました。
ですから地球が美しいということは、写真を通してよく知っていたはずでした。けれども宇宙に出て気が付きました。僕は知っている「つもり」だったのだと。
広い宇宙にぽつんと浮かんでいる、宇宙服を着た僕。その僕に向き合うように、地球はありました。 大きくて、丸い地球。
ゆっくり回転し、青く、白く、輝いている。ここの生命があるんだ!と主張しているような、力強さを。
命の気配がしない宇宙空間のなかで、地球だけが大きく光り輝き、生きているよと訴えているのです。
そのとき僕と地球は、対等な1対1の存在でした。
地球を見つめている僕と同じように、地球もまた、宇宙のただなかにひとりで存在している。
「地球さん、こんにちは」。僕はそう呼びかけたくなりました。
地球は僕と同じ、ひとつの命だ。僕も地球も、同じように宇宙に浮かんでいる。
そう実感したら、地球が親しい友達のように思えました。
ふるさとも、思い出も、家族も友達も、なにもかもがあの地球のなかにあるんだ。
僕はそこで暮らし、そこで死ぬ。僕は間違いないく地球の一部だ。
命は地球で生まれ、地球に戻る、、、。
こんなこと、わざわざ宇宙に行かなくてもわかる人もいるでしょう。
でも僕は、宇宙に出てみなければわかなかった。
地球が「いきもの」であることや、同時に広大な宇宙のなかのひとつの「もの」であること。
そして自分自身も地球に属する小さな「いきもの」で、宇宙を構成するひとつの「もの」であること。
地球をひとつの生命体として感じ、こんなふうにいのちを実感するなんて。
それは、頭で理解するというより、感じてわかる、という体験でした。
以上
最近、ネットで調べて、「何でも分かったつもり」になってしまいがちな事を自分でも感じていたので、この野口さんのみずみずしい体験記は、忘れていた事を思い出させてくれた気がしました。
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