第1次安倍政権の時にも、憲法論議が盛んにされました。
その頃のマガジン9条編 「使える9条」というブックレットから、今でもなるほどなと思える事を抜き出しておきたいと思います。
・永井愛さん(劇作家、演出家)の話
「たとえ話のトリック」に騙されないで。
ーーパッチワーク教室に通う主婦が憲法に関する世間話をするという芝居に関して。ーー
”たとえば、主人公が通っているパッチワーク教室の先生は護憲派なんだけれど、生徒のひとりに「国が戦力を持つのは、強盗から身を守るために家に戸締りをするようなもの。非武装中立を主張するなら、家のセキュリティシステムを解除して、鍵をかけるのもやめられないとおかしい」と言われて反論できず、しょうがないから鍵をかけずに暮らし始めて、あまりの不安のために病気になってしまう。
主人公がそれを夫に話したところ、夫は「家の戸締りは外からの侵入を防ぐだけだが、武力は人を殺す。家の戸締りをいくら厳重にしても周囲には不安を与えないけど、軍備を増強すれば周囲の国を警戒させる。そもそもそれはたとえになっていないんだ」と指摘する--というシーンもおその一つですね。たしかにこの「国家戸締り論」は9条を守りたいと思っている人の「弱点」になっています。”
”あとは、「軍備をもたないというなら、あなたは道で暴漢に襲われても抵抗しないんですね」とかね。物語の中では主人公の夫が「暴漢を他国の襲撃にたとえるのなら、”暴漢に襲われるかもしれないから必ずナイフを携帯して、襲われたら迷わず刺して、その暴漢の家も壊して、家族も殺しましょう”というところまで言わないと「軍備を持つ」ことのたとえにならない」と指摘していましたね。”
”先ほどお話をうかがった「たとえ話」のトリックがここにもあるんですよね。「他国が攻めてきたらどうする」というたとえから始めるというのは、「攻められないための努力(外交努力等)」を放棄して、なおかつ「軍隊であれば安全」という前提に立ってしまっているわけで”
”結局は、正義の為のの戦争はあるのか?というところに行き着くんだと思いますね。アメリカは「正義の戦争はある」と言っている。でも9条は「そんなものはない、何があっても戦争は正しくない」という前提に鳴っているんです。”
今でも、出てきそうな話です。
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